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連載
水難の相
しおりを挟む「来年もこの旅行に来なきゃいけないと思うとうんざりだわ」
「色々ありましたからね」
「でも来年は三年生ですし、卒業旅行は特別な場所に行けるはずですよ」
「あのケチな学長の特別なんて知れてるわ」
最終日、今日は遊びの時間はなしで夕方までにレポートを書いて提出しなければならない。
散々遊ばせておいて何のレポートを書けと言うのかと文句だらだらのリアーヌの横でリリーは苦笑する。
昨日は一睡も出来なかった。フレデリックに確認を取ろうにも特別棟には入れず、リアーヌも部屋にはいなかった。だからこそ余計に気になる。二人はきっとクロヴィスの部屋で結果報告をしていたのだろう事はわかっているがそれ以上は何もわからずじまい。
今朝会った時に聞こうとしたが黙ったまま首を振られ「聞くな」という合図だとわかり聞けていない。
「乗馬はいかがでしたか?」
「素敵だったわ。あなたも来ればよかったのに」
「馬は怖いんです。鼻息も鳴き声も大きさも」
「ヒヒーンブルルルルル!」
「やめてくださいー!」
馬の鳴き真似をして見せる意地悪なリアーヌにコレットは身体ごと避けて嫌がる。
「ねえ、最後なんだし川に涼みに行かない?」
「川ですか?」
「ええ、キレイな川があるらしいの」
「いいですね!」
レポートの提出が早く終わりそうなため帰る前の最後の思い出にと三人で川に向かった。
「キレイですね!」
「透き通ってるわ」
「冷たい!」
十五分ほど歩いた場所にある一本の川は底が透けて見えるほど透明で、中の石も花もよく見えた。手で触れると氷で冷やしたかのように冷たく、三人にとって初めての経験だった。
「社交界より全然楽しい」
「わかります。社交界って何話せばいいのかわからなくて苦手です」
「男爵だしね」
「そう、ですね……」
貴族しか集まらない社交界では爵位が全て。侯爵と男爵では差がある上にリアーヌとコレットの性格は正反対。コレットにとってリアーヌは苦手な相手だろうが一人でいる事はもっと苦手なコレットはリアーヌという存在を我慢するしかなかった。
「リリー様は社交界にどういう気持ちで参加されていたのですか?」
「窮屈でしたね。ブリエンヌ家の者として出席していても言われるのは『クロヴィス王子の婚約者』ですからね。話題一つ、仕草一つにしても評価を受けるので最初から最後まで気を張りっぱなしで楽しんだ事はないですね」
思えば一度だって社交界を楽しんだ事はなかった。悪役令嬢になると決めてからも結局はオレリアやジュラルドの目を気にして悪役令嬢になりきれなかった。
リアーヌなら間違いなく気に入らない事があれば会場のど真ん中で雰囲気をぶち壊すほどの怒声と罵声を浴びせるだろう。想像するだけで羨ましかった。
「結局悪役令嬢っぽい事は出来ませんでしたね」
「そんなのなったところで何の意味ないわよ」
グサッと心臓に矢が刺さった。
生まれ持った才能がある女は違うと嫉妬にも似た感情で視線を送ると見透かされたような笑みが向けられ慌てて視線を逸らした。
「ここにいたのか」
「フレデリック様!」
クロヴィスの声がしたのにリアーヌは勢いよく立ち上がってフレデリックの名前を呼びながら振り返った。
「昨日は濃密な夜でしたわね!」
「リアーヌ嬢、それでは語弊がある……」
「リアーヌと呼んでください!」
「そういうわけにはいかないと断ったはずだ」
「でも彼女のことは呼び捨てにしてますでしょう?」
「彼女とは幼馴染だからであって君は違う」
「じゃあ彼女にしてくださいませ!」
「それも断ったはずだ!」
腕を絡めるだけだったのがいつの間にか真正面から抱きつくようになっており、昨日の夜に何があったのかリリーは少し気になった。
フレデリックはハッキリ断ってはいるがリアーヌに諦める様子はなく、それどころか日に日に積極さが増している。
「お久しぶりです、クロヴィス様」
「ああ、久しぶりだな」
恋はそう簡単に諦められるものではない。それを如実に物語るコレットの瞳。ダメだとわかっているとコレットは言っていた。それでも頭と心は別物で、本人を前にしてしまえば再燃などあっという間なのだろう。
逆に自分はどうだ?とリリーは自身に問いかけてみるもコレットのように頬を染める事も身体がもじつくこともない。胸がドキドキ高鳴る事もなく。本当にこの胸にある気持ちは恋なのか?と疑ってしまう。
「レポートは終わったのか?」
「はい。帰る時間までまだ少しありますので川に行こうって話になりました」
「ここの川はとても美しいが、この先から流れが急に速くなっている。落ちたら最後、流されてしまうぞ」
「気をつけます」
クロヴィスの注意にコレットが頷いて二人にも教えるがリアーヌは聞いていない。リリーはわかったと手を上げてクロヴィスを見たが重なった視線はすぐに逸らされた。
———まーだ怒ってるわけ? ホンット中身は子供なんだから!
あからさまな無視とこっちへ来ようともしない事に肩を竦めるとリリーは自分だけでも川を楽しもうとハンカチを地面に敷いてその場に腰かけた。
「いじけてるの?」
セドリックの声だとすぐにわかった。優しい声だがどこかニヤつきを感じる癪に障る声に振り向けばご名答。
「あの馬鹿王子はいつまで怒ってるわけ?」
「ムード台無しにされたんだから暫くは怒ってるだろうね。初めてキスが出来たかもしれないのに誰かさんがくだらないこと言うから台無しになっちゃったしね」
「キスの予定はなかったの」
「でも見つめ合ったんでしょ?」
「見つめ合ったらキスするの?」
「そりゃそうだよ」
———チャラい。
あるわけないと言おうとするもセドリックにとってキスなど挨拶のようなものかと自己完結して投げかけるのをやめた。恋愛に対して考えが緩いセドリックとは意見が合わない。
「キス出来なかったら拗ねるの?」
「した事なかったら拗ねるかもね。だって次はいつになるかわからないわけだし? いつでも出来るような相手ならいいけど、そうじゃないからねぇ?」
「おだまり」
誰の事を言っているのかなど聞くまでもないいやらしい言い方にリリーの目が半分閉じられた。
「キスしたくなかったの?」
キスがしたいとかしたくないとかではなく、あそこでキスすべきだったという考えに至らなかっただけ。あのまま余計な事は聞かずに黙って目を閉じていればクロヴィスがしたかもしれない。後々そう思っただけでその瞬間は何も考えていなかった。
「好きなんでしょ?」
何度も繰り返した自問自答では好きという答えは出たし、皆にも言った。
恋をすれば一日中相手の事を考えているものだと思っていたが実際は意外にもそうではなく、普通に過ごしている。
「未成熟な二人の恋の結末を見守る方の気にもなってほし———」
「おだまりと言ったのが聞こえなかったの?」
ガッと頬を掴む手はか弱いレディの手ではなく立派な武人の手と間違えるほど強く大きいもので、セドリックは思わず黙り込んだ。このまま軽口を叩けば間違いなくミシミシと聞こえてくるだろう。自分の顔から。それを避けるためには両手を顔の横まで上げて降参ポーズを取るしかないこともセドリックはわかっていた。
「イケメンが台無しになったらどうしてくれるのさ」
「イケメン(仮)かイケメン(笑)で過ごしたらいんじゃない?」
「ダサすぎる!」
「じゃあ大人しく黙ってなさいよ。鼻の骨折って騎士団長に告げ口するわよ。セドリック・オリオールは騎士の誓いも忘れて女の子と遊びまわってるって」
「僕を殺したいの?」
「その口を閉じさせるためなら何だってしてやる」
イーッと歯を見せて不機嫌な顔を見せるリリーだが、すぐ目を見開いてセドリックの腕を掴んだ。
「いたい! ちょっとなに! 自分の力知ってる⁉」
「昨日わかった事って何?」
痛みを和らげるように自分の腕を撫でていたセドリックの表情が無へと変わって立ち上がった。
「それは内緒だよ」
「どうして私にだけ?」
「君が狙われてるからだよ」
「私が狙われてるなら教えてくれてもいいじゃない!」
「ダメだ」
冗談ではなく本気で教える気がないのは表情を見ればわかる。聞いても無駄だと雰囲気が物語っていた。
「クロヴィスに似たね」
「一緒にされると困るかな」
「すごーい、双子みたーい」
顔の横で両手を揺らして棒読みで一緒にするリリーは自分だけが知らされない事実に大きな溜息を吐いた。
「命を狙われるプリンセスってヒロインの常だよね」
「プリンセスじゃない。公女」
「次期プリンセスじゃないか。それを守る王子。悪役令嬢ならこうはいかないね」
「おだま……あっ!」
「残念でした」
嫌がらせのようにヒロインだプリンセスだと言う相手を睨み付けながらもう一度掴もうとした頬はスッと後ろに逸れて掴むことが出来なかった。
昔は顔だけは可愛かったのに今はその顔さえ可愛く思えず腹が立つ。
「教える気がないならさっさと消えて」
「言われなくてもほら」
指をさすような声に振り向けばコレットが手招きし、リアーヌはフレデリックと一緒に来た道を歩いていくのが見えた。馬車の出発に遅れないようにというクロヴィスの指示だと気付き立ち上がった。
「あっ! セドリック先に行ってて!」
「リリーちゃん⁉」
立つと同時に吹いた風がリリーの髪を揺らし、地面に敷いていたハンカチが宙に舞い上がり、リリーは慌ててハンカチを追いかけた。
「クロヴィス!」
下調べをした際に覚えた地図を思い出したセドリックは慌ててクロヴィスを呼びに走った。
「なに?」
「もし僕が戻ってこなかったら応援を———ってクロヴィス⁉」
「もし俺が戻らなかったら応援を呼べ!」
セドリックが言おうとした言葉をそのままクロヴィスが使うとリリーを追いかけていった。
「リリー! リリー!」
リリーよりもクロヴィスの方が足が速いためいつ追いついてもおかしくはないはずなのに姿が見えない。風に従って動くハンカチが真っ直ぐ飛んでいくとは限っておらず、道を逸れたのかもしれないと考え、一度足を止めて名前を呼ぶが返事は聞こえない。
「ハンカチごときに何をしているんだあの馬鹿は……」
ハンカチなど飛んでいってしまったのなら諦めて新しい物を買えばいいのにとわざわざ追いかけていったリリーに苛立っていた。
「向こうか」
バシャっと水を叩くような音が聞こえた方へと走り出すクロヴィスの頭の中は追いついた時にリリーに放つ嫌味でいっぱいだった。また喧嘩になるとわかっているが、ハンカチ一枚を追いかけたリリーへの苛立ちはリリーにぶつけずにいられなかった。
「まったく」
何度も叩く音が聞こえ、段々その音が近くなる。
水面に落ちたハンカチを木の棒で引き寄せようとしている姿が想像出来るが公爵令嬢がすることかと怒る気も失せて笑ってしまう。
「もうちょっと……もーちょ……っと……!」
大きな木を曲がるとクロヴィスの想像通り、リリーは木の棒で岩に引っかかったハンカチを取ろうとしていた。ここがさっきまでいた浅瀬なら靴を脱いで入るぐらいの事はリリーならしたはずだ。だがここは流れが速く、しかも深い。入るのは危険と判断して木の棒で引っ掻けようとしているのだが、水を吸ったハンカチは重く、しかも岩にしっかりと張り付いているせいで動いてくれない。
「リリー・アルマリア・ブリエン……リリー!」
暫く眺めていたクロヴィスの表情は柔らかいものだったが、そろそろ叱らなければと表情を険しく変え、腕を組みながら声を上げようとした瞬間、リリーの傍にあった木から飛び出してきたローブを着た者の手が川に身を乗り出しているリリーの背中を強く押した。
驚きに声も出ないリリーは振り向くのが精一杯で、同じように驚いた顔をしているクロヴィスが視界に入ったがすぐに視界は水中へと変わり目を開けていられなくなった。
「クソッ!」
身軽に石に飛び移って向こう岸へ渡ってしまう犯人を追いかけるか迷ったが、身体はすぐに川へ飛び込んだ。
「クロヴィス!」
「リリー!」
大きな音が二回響いたのを頼りに遅れて追いついたセドリックとフレデリックは川の中でリリーを掴まえるも流されていくクロヴィスを見つけた。
この速さの中を追いかけようとしても流されるのがオチで助けられる保証はない。あらゆる訓練を受けているクロヴィスなら———と考えるもそれも何の確証もない話でセドリックの眉間にシワが寄った。
「セドリック、あれ取ってくれ」
岩に引っかかっているリリーのハンカチを指差せば身軽に岩に飛び乗ってハンカチを取り、戻ってきた。
「……おい、コレ……」
「……間違いないね」
顔を見合わせ目つきを変える二人は急いで来た道を戻っていった。
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