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人形であること

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「クラリッサ、こちらがイルーゴ王子だ」

 顔合わせだけでもと言われ、承諾するしかなかった婚約者候補との顔合わせ。目の前に立つ男はデイジーが言っていたように世界で最も美しいとそのオーバーすぎる噂を真実に変えるほど整った顔をしていた。

「イルーゴです。初めまして、クラリッサ王女」
「お会いできて光栄です」

 親のいる前で二人が交わした会話はそれだけ。互いに自ら口を開くことはなく、親同士が上機嫌そのもので話し込んでいる間、二人は見つめ合うこともせずテーブルの上に置かれているグラスを見ていた。

「イルーゴ、何か気の利いたことを話しなさい」
「え? ああ……今日は、良い天気ですね」
「え?」
「イルーゴッ」

 誰に会っても第一声は『お美しい』だったクラリッサにとってイルーゴの言葉は予想外のもので、驚きのあまり笑顔を作れなかった。
 呆れたように顔に手を当ててため息をつく父親を横にイルーゴは外を見る。

「ここは自然が多くていいですね。うちは街の真ん中にあるから景色が良くなくて」
「王女を褒めなさいッ」
「え? ああ……えっと……お元気そうですね」
「イルーゴッ」

 クラリッサを数秒見つめてから発したのは容姿ではなかった。ましてや褒めてもいない。数秒間悩んだ結果がそれかと父親は頭を抱えてテーブルに突っ伏したい気分だった。

「フェンスター王、よろしいではありませんか。クラリッサは美しいという言葉には贅沢にも聞き飽きておりまして、こうして媚びない言葉をくれる男性にときめきを覚えるかもしれません」
「いやはや、我が子ながら情けない。女性一人満足に褒めることができないのですから……」
「イルーゴ王子はご自身の美しさを理解している。誰を見ても野菜にしか見えないのかもしれませんな」
「ちゃんと人に見えてますよ」
「……ハハハッ! これは失敬! 娘は王子の目にどのように映っておるのだろうか?」

 怒らないのは父親がイルーゴ王子とどうしても結婚させたいから。絶世の美男美女の間に生まれてくる子供は男だろうと女だろうと美しいに決まっていると鼻息荒く意気込んでいるのだ。だからイルーゴ王子がなんと言おうと結婚させるつもりらしい。

「美人ですね」
「わーっはっはっはっはっ! それは結構結構!」
  
 王子の一言に上機嫌に拍車がかかる。

「それで、王子はこちらに婿という形で入ることには納得してくれているのかな?」
「ああ、まあ、別にいいですよ。国は兄が継ぐので楽なほうがいいし」

 なんとも頼りない相手だとクラリッサは思ったが、鼻息荒く頬を染めて迫ってくる男よりずっといいと思った。少し前なら婿に取る形を問題として捉えていたが、今はもうどっちでもいいと思うようになった。

「小腹が空いたんで街にでも出ませんか?」

 立ち上がったイルーゴがクラリッサを見て手を差し出すもクラリッサは困った顔をする。そこにすぐ隣にいた父親がイルーゴの尻を叩き「クラリッサ王女は外へは出られないと言っただろう!」と怒った。

「そうだっけ? じゃあずっと家の中で過ごしてるんですか?」
「この子は身体が弱いもので」

 滑らかに出てくる嘘にイルーゴが首を傾げる。

「身体が弱いことと家の中で過ごすことって関係あります?」
「外で菌をもらってきては困るからな」
「免疫力つけさせるって点でも外には出したほうがいいと思いますけど」
「病気になってからでは遅いのだ」
「鳥籠の中の鳥か……可哀想に」

 眠たげな表情のまま吐き出した声はのんびりとしているが、的確にクラリッサの父親を責めていた。自尊心の高い人間がこれで苛立たないわけがないが、父親は怒りも見せずに笑顔を見せている。

「この子にはそれが合っているのだ。理解してやってくれ」
「……そうなんですか?」
「ええ」

 作った笑顔で即答したクラリッサは自分が一瞬でも隙を見せれば面倒なことになるのではないかと思ったため何を答えるにも迷わないことにした。父親が望むように生きていけば辛いことは何もないと思うようにしたのだ。
 この美しい男性と結婚すれば美しい子供が生まれて父親はずっと機嫌良く生きてくれる。それが一番だと考えた結果だ。縋る場所はもうない。この人が婿に来るのでは逃げ場もない。振り返る場所のないクラリッサに逃げ道などなかった。

「散歩しませんか?」
「ええ、喜んで」

 差し出された手を取って部屋を出て行くとすぐに手を離された。そのまま勝手知ったるように庭へと向かっていくのを黙ってあとをついていく。
 
「クラリッサ王女、一つ聞いてもいいですか?」

 花畑の近くで立ち止まった王子が足を止めて振り返る。

「どうぞ」
「結婚したいですか?」

 突然の問いかけにクラリッサは驚くもすぐに頷いた。

「その割には俺に興味なさそうですけどね」
「イルーゴ王子も私に興味なさそうに見えますよ?」
「どんな人か知らないし」
「私もです」
「確かに……」

 どういう人なんだろうと興味よりも不思議さが勝っている今、クラリッサはこの結婚を事務的なものとして受け止める覚悟だけはあった。

「美しいって言葉、聞き飽きました?」
「言っていただけると嬉しいですよ」
「俺はもう聞き飽きました」

 言われ慣れた言葉だろうとクラリッサの中で彼に対して同情が生まれる。

「美しいからなんだって感じなんですよね。俺の中身知らないでしょって」
「そうですね」
「中身まで美しいと思われてるみたいで嫌なんですよ」

 クラリッサも全く同じだった。外見が美しいからといって中身まで美しいわけではない。ドロドロに渦巻く真っ黒な感情が存在していることを隠して中身まで美しい人間であるかのように生きなければならないことが辛かった。
 彼らにとって美しさとは利点でもあり欠点でもあった。

「結婚するかもしれない相手なんで言っときますけど、俺めちゃくちゃ面倒くさがりで、趣味は寝ること。食べることにはあんまり興味もないし、剣術も大したことない。頭も良くないし、気の利いた話もできない。話すのも得意じゃないから楽しい思い出は作れないと思いますのであしからず」
「期待してませんから」
「助かります」

 お返しにと自分のことを話すことはやめておいた。自分も相手も親に言われて結婚するだけで好き合って結婚するわけではないのだから互いのことを詳しく知る必要などない。

「子供、何人産む予定ですか?」
「父は男の子を最低でも二人、女の子は──」
「美しい子が産まれるまで?」

 初対面の人間に見抜かれているようじゃ終わりだとフッと笑うクラリッサから空へと顔を上げた王子が「あーあ」と声を漏らす。

「子供は親の玩具じゃないけど親の言いなりになってるほうが人生楽だからそう生きるしかないって辛いですよね」
「そうですね」
「俺の兄はすごく優秀だけど自分のことには無頓着で、いつか絶対潰れるタイプなんですよ。長男だからって家族に頼ることもできなくて一人で抱え込んで、自分に大丈夫、やれるって言い聞かせるタイプ」

 何が言いたいんだろうとイルーゴを見上げるとふと顔がこちらを向いた。

「あなたもそうでしょう?」

 まるで傍で見てきたように決めつけた言い方をするイルーゴにクラリッサは何も言えなかった、そのとおりすぎて。

「俺は頼りないし、頼ってくれとも言えないけど、自分の意見ぐらいは言えるようになったほうがいんじゃないですか?」
「私は……」
「俺は婿になるから鑑賞用王女鑑賞パーティーなんてくっだらない催しをやめさせることはできないですけど、あなたがやめたいって言えば援護射撃ぐらいはするつもりなんで」

 あのパーティーは本当にくだらないと思う。毎日毎日やめたいと思いながら生きてきた。でも今はイルーゴのその言葉を素直に喜ぶことができなかった。なぜか否定された気持ちにさえなったのだ。

「これが私の生き方ですから」
「可哀想に」

 哀れに思うのなら思えばいい。誰に同情されようと生き方はもうこれしか残っていないのだ。自分の存在を証明するためには表に立つ必要がある。あれがなくなれば生きている意味もなくなる。

「そういえば、もうすぐ誕生日だそうですね」
「ええ、二十歳になります」
「若いですよね、二十歳。俺なんかもう二十七歳ですよ」
「どうして結婚を?」
「良い相手が見つからなかったもので」
「その美しさで?」
「この美しさだから、ですよ」

 言いたいことはわかるだろうと言わんばかりの言い方にクラリッサは静かに三回頷いた。
 美しいからこそ誰でもいいというわけにはいかなくなる。男であろうと相手の家柄も容姿も親が選別する。認められる相手でなければならず、好きな相手を作ったとしても認められなければ別れるか、駆け落ちかの二択。そんなことができるほど愛した人がいなかったイルーゴはようやく親が結婚相手を決めた。それがクラリッサだったというだけ。二人は同じ理由で親に結婚させられようとしているのだ。

「まあ、結婚するってなったら仲良くしましょう」
「そうですね」
「俺、体力も性欲もあんまりないんで子供に期待かけられるのプレッシャーなんです」
「父に言っておきます」
「助かります」

 面白い人だと思った。普通は相手に良い印象を持ってもらおうとして少しは話を盛るものではないのかと思っていたクラリッサにとってここまであけすけに事を話す人間はいなかった。惚れた様子もなければ夫婦としてのあり方も語らない。変だが、面白い人だった。

「でも結婚するとき、私は二十五歳です。二十歳ほど若くはありませんよ」
「俺も五歳年取ってるんで俺からすれば若いままですよ。あなたはまだ二十代だけど俺はもう三十代突入してるんで、今より余計に子供望めなそうだ」
「頑張ってくださいね」
「そこそこに……」

 この人とだったら上手くやっていけるのではないかと思った。嫌な部分を見せて本当の自分はこういう人間だと思わせる相手のほうが媚びる人間よりずっと信頼できる。
 婿がどういう生き方をするのかは知らないが、鬱陶しくなくていいだろうと思った。

「あそこってダークエルフの森ですか?」
「……そうですよ」
「行ったことは?」
「ありません」

 即答しすぎたことにクラリッサは思わず目を閉じた。あからさまな反応は行ったことがあると答えているようなもので、上唇を噛んで息を止める。

「ここに来る馬車の中で、婿に入ったらしきたりに従えって口うるさく言われたんですよ」
「そうですか」
「ダークエルフと人間は相入れないから関わるな。どれだけ興味を持っても森には近付くなって」

 世界中でそういう教えなのだろうとエイベルの話を聞いて思っていたクラリッサは父親世代の言葉に呆れてしまうが、エイベルがああだったことを思えば結局は相いれないのかもしれないと納得しつつあった。

「うちにはダークエルフの森がないんでわからないんですけど、人間もダークエルフもバカだなって思います」
「バカ……?」

 両者を貶すイルーゴにクラリッサが首を傾げる。

「教科書しか読んでないからそれ以上の事情は知らないけど、戦争を起こしたのは何百年も前の話で、今の世代が戦争をしたわけじゃないのに今の世代まで憎み合ってるってバカだと思いません? なんで恨みがそこまで続くのかがわからないんですよね」
「……先祖を大切に思うから、とか?」
「恨むことが先祖を大事に思うってことですか?」
「それは……わかりません。私は教育を受けていないので、内容も知らないんです。父はダークエルフを憎んでいて、近付くなと言うばかりですから」
「昔戦争し合った国でも今は仲良くしている国なんてたくさんあるのに、時代遅れだなって思いますよ。バカなんだろうなって」

 ハッキリとバカを繰り返すイルーゴにクラリッサがふふっと笑う。それは面白かったからではなく本当にそうだと思ったからで、互いに過去のことは水に流せなくても今の時代に引き継ぐことではないと決断し合えれば手を取り合って生きていけたのにと思ってしまう。その悲しみを隠すために笑いがこぼれた。

「子供が生まれたらダークエルフに近付くなって教えます?」
「ええ」
「王女もバカですね」
「そうですね」

 貶されている感じはしなかった。だから怒りは湧いてこない。バカであることは間違いない。バカだから騙された。バカだから失敗を繰り返す。バカだから学習できない。バカだから……と何百回も繰り返した反省はなんの価値もない。自分もきっと父親と同じことを繰り返してダークエルフを遠ざける立場になるのが容易に想像がつくのだから。

「結婚したら雲隠れしてのんびりしたいですね」
「子供が主役になるまでは難しいですね」
「薬の調合みたいに器の中で材料合わせたら子供できる時代が来ませんかね? そしたら女性も出産の痛みに苦しむことないのに」
「来るといいですね」

 五年後、自分はこの人と結婚するのだろうとなんとなくだがそう思った。
 両家の親は何が合っても我が子を結婚させたい意思があり、子供はそれに抗う気力を持っていない。確定事項のようなものだ。

「両親が覗いてるんで手でも繋いでおきます? うちの親めちゃくちゃ口うるさいんで、それらしいことしておかないとまた怒られる」
「腕を組むのではなく?」
「うちは祖父母が手を繋ぐタイプだったんです。腕を組むのは上品すぎる、手を繋げって散々言われてきました」
「じゃあ手で」

 後ろに目でもついているのだろうかと思ったが、黙ると親の声が聞こえたため納得して手を繋ぎ、振り返れば確かに父親が二人立っていた。
 うんうんと頷きながら笑顔で満足げにこちらを見つめてくる二人を見て、クラリッサは希望もない将来のことをぼんやりと考えていた。
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