愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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密告

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 翌朝、ティーナは家に迎えに来なかった。
 ヴィンセルが迎えに来るとわかっているため誰よりも早く到着しているはずだと思っていただけに姿がないことには驚いた。
 アリスを迎えに来たと言って自分が一番にヴィンセルに挨拶をするような人間なのにと今日来ていないことが不思議で、そして不気味でもあった。

「カイルも一緒なのか」
「悪いか? 俺だって可愛い妹と登校したい気分の日ぐらいあるさ」
「いや、お前はいつも朝早く登校しているから驚いただけだ」
「そういう日もある」
 
 二人で一緒に馬車に乗り込んで三人で学校へ向かう。
 アリスは少し緊張していた。今はちょうど登校時間であるため多くの馬車が走っている。だから強盗に遭うはずがないと思いながらも昨日のあの恐怖を思い出して大きく息を吸い込んだ。

「どうした?」
「いえ、なんでもありません」

 カイルの心配に首を振り、何事もないことを祈りながら馬車に揺られる。
 そして何事もなく到着したことに安堵した。
 馬車から降りる王子たちが姿を見せるザワつきは相変わらずで、昨日のことが公になっているような雰囲気は感じられなかった。
 もしかしたらティーナは昨日の件を怒っているから一緒に登校しなかっただけかもしれないと前向きに考えるアリスの耳に届いたキーンというマイクを通した嫌な音。
 
「ヴィンセル・ブラックバーン、セシル・アッシュバートン・アリス・ベンフィールド──以上の三名は至急学長室まで来なさい」
 
 そこにティーナの名がないのはなぜなのか。
 嫌な予感に鞄の取っ手を握る手に力が入る。
 
「セシル、聞こえたか? お前も学長に呼び出されたぞ。昨日の件についての腸手だろう」
「めんどくさ……」

 遅れて到着したセシルがいつも通りの表情で馬車から降りてきたところをカイルが報告すると欠伸をしたあと、手に持っていたマカロンを一口で頬張る。

「アリス、大丈夫だよ」
「心配ない」
 
 二人の言葉に頷き、三人揃って学長室へと向かった。
 
「ヴィンセル・ブラックバーン、セシル・アッシュバートン、アリス・ベンフィールド、三名到着いたしました」
「入れ」
 
 不機嫌にも聞こえる声色に緊張しながら中に入るとアリスは目を見開いた。
 
「ティーナ……」
 
 呼ばれていないティーナが既に学長室に入り、立っていた。
 
「昨日は大変だったそうだな」

 連絡は昨夜のうちに学長へと報告があったのだろう。
 だから昨日のことを本人たちから聞くために呼んだのであればわかるが、呼び出されていないティーナがなぜ誰よりも先にこの部屋にいるのか、その理由を考えると不安でならない。

「大したことではありません」
「ナイフと銃を向けられるのが大したことではないと?」
「そうです。騎士の訓練ではいかなる状況にも対応できるよう訓練が行われますので、大したことはないと言えます」
 
 学長からの反論はない。
 王族が抱える問題は多く、そこには生死に関わる事件も発生する。自分の身は自分で守らなければならないとの思いから騎士団に入団したヴィンセルの言葉だからこそ学長の言葉に負けない強さがある。
 だから学長もそれを否定はしなかった。
 だが、それはあくまでもヴィンセルへの対応であって、セシルには鋭い目が向けられる。
 
「セシル・アッシュバートン」
「はい」
「昨日の発砲……あれは犯人が撃ったものではなく君が撃ったものだと証言する者が現れた」
「私が銃を所持していなければ起こり得ないことです」
「そうだな」
「学長は僕が銃を所持していたとお思いですか?」
 
 セシルに動揺は見られず、後ろに腕を回したまま凛とした態度で学長を見ている。
 
「君のお父上は大変教育熱心で大層真面目な方だ。君もまた校則違反など見受けられない真面目な生徒だ。生徒会での奉仕活動にも積極的に参加していると聞く」
「恐れ入ります」
「だからこそ不思議なんだ。ここにいるティーナ・ベルフォルンが朝一番にわざわざ私のところまで言いに来たんだ。昨日、君たちと同じ馬車に乗っていて一部始終を見ているとね」
 
 ティーナが朝、アリスの家に迎えに来なかったのは最初からこれが目的で誰よりも先に学校に着いていなければならなかったからだとアリスは顔を歪める。
 自分を邪険に扱い侮辱するセシルを破滅させるには違法者と知らしめるのが一番効果的なのは間違いない。
 ティーナならこうするだろうと想像していたことがそのまま現実になってしまったことは最悪の事態ではあるが、今の状況は完全不利なわけではない。
 ヴィンセルがどう言うかで全てが決まる。まだそれがアリスの中で最後の希望として残っていた。
 
「彼女を嘘つき呼ばわりするつもりはありませんが、なぜ彼女がそんなことを言いだしたのか、僕には理解できません。銃は隣にいるヴィンセル王子でさえ所持申請をし、許可が下りなければ許されないものです。それを伯爵である僕が無許可で所持すると? そのような恐ろしいことは考えたこともありません。家名を汚す勇気は僕にはとても……」
 
 セシルの演技は立派なもので、何も見ていなかったら本当にショックを受けていると信じてしまいそうなほど役者の皮をかぶっている。
 
「彼は間違いなく銃を持ってました! アリスも見ています!」
 
 学長の前で声を張るティーナにアリスは深呼吸を一度。それだけで不思議と心は落ち着き、そしてそれと同時に心の整理もついた。
 
「アリス・ベンフィールド、ティーナ・ベルフォルンはこう言っているが、間違いはないか?」
 
 学長の問いにアリスは顔を上げて首を振った。
 
「いえ、彼は銃など所持していませんでした」
「は、はあッ!? 嘘ついてんじゃないわよ! アンタ、アイツの肩持つっての!? ふざけんじゃ———」
 
 ティーナの言葉を遮るように手を上げた学長の射貫くような目には全てを見透かされているように感じるもアリスは目を逸らさなかった。
 
「セシル・アッシュバートンは銃を見せていないと?」
「はい。彼は強盗が向けた銃口に指を指し込んだだけです」
「ティーナ・ベルフォルンが嘘をついていると言うのだな?」
「はい」
 
 迷うことなく頷いたアリスにティーナの顔が怒りに染まる。
 
「好きだって言われたからって庇ってんじゃないわよ! 調子乗んな! アンタなんかカイル・ベンフィールドの妹だから親しくされてるだけでアンタに魅力があるわけじゃないっての! 勘違いも甚だしいのよ!」
「ティーナ・ベルフォルン、口を閉じろ」
「学長! アリスは嘘をついてます! 私は確かにこの目で見たんです! セシル・アッシュバートンが銃を取り出して強盗に向けて撃つところを! 銃声を聞いた者を探してください!」
「口を閉じろと言ったのが聞こえなかったのか?」
 
 必死の訴えは聞き入れられず、ティーナは震える拳を横に色が変わるほど唇を噛みしめながらアリスを睨み付けている。 

「銃声が聞こえたという報告は私も受けている」
「ほらね!」
「だが」
 
 まだ続きがある言葉にティーナの眉が寄る。
 
「それが彼のものであるとは証明できない」
「私が証人です!」
「証拠はあるのか?」
「は?」
「彼が所持していた銃はなんだった?」
「そんなの知りません! 銃には詳しくないし」
「ならその場に落ちた空の薬莢は回収したのか?」
「……してません……」
 
 ティーナの回答に呆れたように溜め息をつく学長にティーナの苛立ちが伝わってくる。
 証拠がなければ証明は出来ない。それはティーナもわかっているが、ここまで自分が信用してもらえないとは思っていなかった。
 貴族の屋敷が並ぶアンドリース地区のすぐ傍で行われた発砲。静かな夜の中、人々を怯えさせる音が響いたのは間違いない。だが、それが強盗のものなのか、セシルのものなのか判断するには証拠が必要。
 ティーナはその証拠となる物を何一つ提示することは出来なかったのだ。
 
「ヴィンセル・ブラックバーンとアリス・ベンフィールドは持っていなかったと言っている。持っていたと言っているのは君だけだ、ティーナ・ベルフォルン」
「嘘をついてるんです! 友人だから庇ってるだけです! 私は正直に言っています! この国では銃の所持を許されていません! たとえ王子であろうとそれは犯罪です! なのにセシル様は持っていました! セシル様は法を破って銃を所持していたんです! 本当です! 信じてください!」
 
 大声でいくら必死に訴えようと学長が頷くことはなかった。
 
「学長」
 
 ヴィンセルが一歩前に出る。
 
「ヴィンセル・ブラックバーンの名に誓います。セシル・アッシュバートンに銃の所持はありませんでした」
「嘘をつけば家名を汚すことになるぞ?」
「はい」
 
 対峙するように暫く見つめ合ったあと、先に目を逸らせた学長はそのままセシルを見た。

「そうだ! 学長、身体検査をしてください! 彼は腰に銃をさして隠していたんです! 日常的に銃を所持しているとも言っていました!」

 腰にしまうのはアリスも見た。セシルのほうを見てしまいそうになるのをグッと堪えながらティーナの往生際の悪さに眉が寄る。

「セシル・アッシュバートン、身体検査をしてもかまわないか?」
「……かまいません」

 即答しなかったセシルにニヤつきを見せるティーナが腕を組んで仁王立ちする。勝ったと言わんばかりの顔で。

「二人は離れ、両手を上に上げて立っていなさい」 

 ヴィンセルとアリスが指示通りにセシルの傍を離れ、両手を上げて待つ。

「上着を脱ぎなさい」

 指示に従って上着を脱いだセシルの身体はジャケットがないというだけで更に華奢に見える。
 
「回りなさい」

 ゆっくりその場で回るセシルを学長の目が鋭く見つめる。

「触れてもかまわんか?」
「はい」

 腰と足に触れて銃が隠れていないかを確認した学長は何も言わないまま席へと戻り、椅子を回して背を向けた。

「戻って授業を受けなさい」
「はッ!? ちょっと待って! 何で!? これで終わりなんておかしいじゃない! もっとちゃんと調べなさいよ!」
 
 納得がいかないティーナの訴えに学長は睨みで答えた。
 
「誰に口を利いているんだ?」
「ッ! な、なによ! 頭おかしんじゃないの!? アリス、アンタ絶対許さないからね! 覚えてなさいよ!」
 
 身体を怒りに震わせながら勢いよくドアを開けて勢いよく閉めたティーナに呆れながら三人は揃えて頭を下げ、学長室を後にした。
 
「ッ———!」
「アリス大丈夫!?」
「き、緊張しました……」
 
 学長の雰囲気にのまれそうになるのを必死に堪えていたのが今になって膝にきたアリスが地面にへたり込んだ。
 
「とりあえず庭に行こう」
「教室だろう」
「サボる。今から行って注目されるよりいいと思うけど」

 セシルの言い分には呆れるが、ヴィンセルは拒否しなかった。
 
「アリスも共犯だからね」 
「ちょっちょっと! 自分で歩けますから!」
「膝震えてるのにムリだって。大人しくしてないと僕の教室まで連れてくからね」

 見た目に反して強引なセシルに眉を下げながらもアリスは安堵していた。
 セシルが銃を所持しているのは立派な法律違反だが、ヴィンセルが庇ったということはヴィンセルもその所持の理由についてちゃんとしたものがあると思っているのかもしれないとアリスは考える。
 その理由を自分が知ることはないかもしれないが、セシルが無事だったことが何より嬉しかった。

「よいしょっと……大丈夫?」

 庭園に入っていつもの場所に来るとアリスを椅子に下ろしたセシルが足を指差しながらの問いかけにアリスが頷く。

「はい。セシルこそ大丈夫ですか?」
「僕、こう見えてそれなりに筋肉ついてるんだよ。今度見せてあげる、こっそりと、アリスだけに、ね」
 
 耳元で囁くセシルの声に慌てて耳を押さえるとセシルがおかしそうに笑う。

「顔真っ赤にしちゃって、アリスってこういうの免疫ないんだ? 可愛い。ますます好きになっちゃうなぁ」
「か、からかわないでください!」
「からかってないよ。アリスのこと大好きだし、僕のこと餌付けしたんだから責任取ってもらわないと」

 餌付けというワードに見た目小動物っぽいセシルにピッタリだと思いながらも首を振る。
 確実に楽しんでいるセシルの変わり身の速さにアリスの困惑が露わになると余計にセシルは興味を惹かれたように顔を近付けていく。
 それを遮るように二人の顔の間にヴィンセルが手を挟んだ。

「そこまでにしておけ」
「ヴィンセルやきもち?」
「アリスを困らせるな。恩人だろう」

 片眉を上げたセシルが「ふーん」と声を漏らしてヴィンセルを見上げる。

「アリスって呼ぶことにしたんだ?」
「カイルからも許可は得ている」
「へー、女嫌いのヴィンセルが生意気」

 目を細めて挑発的な顔をするセシルを見下ろすヴィンセルが首を振る。
 対峙することがないヴィンセルの対応にセシルが肩を竦めてアリスの横に腰掛けた。

「二人とも庇ってくれてありがとう」
「お前は遊びで法を犯す人間ではないからな」

 ヴィンセルが味方になってくれなければ尋問が始まっていたかもしれない。
 なぜ学長が一人ずつではなく三人同時に呼び出したのかアリスには不思議だったが、切り抜けられたことへの安堵で深く考えはしなかった。
 それよりもアリスにはまだ気になることがあった。
 
「ティーナは一度言い始めると聞かないんです。今日のことで大恥をかいたでしょうし、私やセシル様に大恥をかかせるまでは終わらないと思うんです」
「大恥ねぇ。彼女、恥って言葉知ってたんだね」
「お前のそういう口の利き方が恨みを買うことになるのだとなぜわからない」
「口の利き方がなってない奴にわざわざ丁寧に話してやるほど人間ができてないからだよ」
 
 一度やると決めたことはやり遂げる。それが勉強ならまだしも、大体が仕返しに込められる熱であるため『許さない』と言っていたティーナがこのまま大人しくなるとは思えず、二人に忠告するも二人は大して気にしていない顔で話をしていた。
 
「こっちには王子がついてる。これ以上頼もしい味方いないでしょ」
「そ、れは……そう、ですけど……」
「大丈夫。いざってときは僕が彼女の家を潰してあげるから」
「そ、それは……!」
 
 男爵という称号でさえ気に入らないティーナに没落貴族という不名誉なものは絶対に耐えられないだろう。後ろ指をさされて笑い者にされる。一人や二人ならまだやり返しも言い返しもするだろうが、もしそれが学園中になってしまえばさすがに気の強いティーナでも反撃には出られないはず。
 だからこそ、そうなる前にと何をしでかすかわからない危うさがあるのだとアリスは心配している。
 
「貴族は子供の喧嘩に親が出てくる。なら子供の始末は親がつけないとね」
 
 恐ろしいことを言うと思うも父親もいつもそう言っていた。
 
『ベンフィールドの名を背負っているのだから真っ直ぐ生きなさい』と。
 
 親友であるアリスと比べて自分は身分が低いと泣き喚く娘を可哀相という同情と申し訳ないという贖罪から何でも言うことを聞いて甘やかし続けたベルフォルン男爵。
 あれが欲しいこれが欲しいと言っては買い与え、その甘さ故に調子に乗った娘が公爵家御用達の物さえ欲しがっても手に入れてきた。
 手の出ない物も娘が笑ってくれるのならと無理をしてでも買い与えたその結果、自分の思い通りにならないことを嫌って癇癪を起こす女へと成長した。
 ティーナは何かあれば自分の家が男爵止まりのせいだと両親に怒鳴り散らすようになり、精神的に参った夫妻はベンフィールド家に乗り込んで『アンタが公爵なのが悪いんだ! アンタが公爵だからうちの娘は傷つく! 責任を取れ!』と血走った眼で怒鳴り散らしたことが一度だけあった。
 狂気を感じさせる様子に警察を呼ぶことになり、後日、冷静になった夫妻は一時の感情で乗り込んでしまったことを謝りに来た。
 皆が見守る前で泣きじゃくりながら土下座をする極端な謝罪に両親が困り果てていたのをアリスは今でも鮮明に覚えている。
 
「そうなってもティーナは自分のせいだとは思わない」
 
 両親が憔悴しながら謝りに来た翌日、ティーナは笑顔でこう言った。
 
『うちのパパとママ何か言ってた?』
 
 その時からティーナは少しおかしいのではないだろうかと不信感を持っていたが、両親はティーナに『ベンフィールド家に行ってくる』しか言ってなかったのかもしれないと思い、アリスも大人の事情があるからと『本読んでて気付かなかった』と答えた。
 その時点で距離を置くべきだったのかもしれない。
 
『アリスはいいよね、公爵家の娘に生まれてさ。私なんか男爵家だよ。ツイてなさすぎ。アリスが男爵で私が公爵だったらよかったのに。そしたらバランス取れるじゃんね』
 
 なんのバランスだろうと思いながらも聞かなかった。
 思ったことを黙っていられず、いつも口に出す。それが相手を傷つけることであっても平気な顔で、まるでそれが面白いことであるかのように笑顔で告げる。
 今思えばティーナは狂気の塊のような人間なのだ。
 
「ティーナは———」
 
 ポンッと肩に置かれた手に顔を上げるとセシルが首を振った。
 
「大丈夫、僕に任せてよ」
 
 根拠のない自信ではない笑顔にアリスは一度下を向いてから深呼吸をして顔を上げる。
 考え込んでいても仕方がない。何をしてくるのか想像がつかない以上は対策も何もないのだ。
 差し出された手を取って立ち上がればアリスは二人に送られ教室へと戻った。
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