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茶飲み友達
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「アリス、拉致りますわよ」
「一緒に来なさい」
「え? えっ!? ええっ!? な、なんですかー!?」
昼休みはヴィンセルが迎えに来る。セシルもきっと一緒だろう。
だがそれを待つこともなくナディアとアリシアに手を引っ張って連れていかれる。
「アリス!?」
向かいから歩いてくるヴィンセルが手を引かれて連れていかれるアリスに驚いた顔をする。手には相変わらずハンカチ。
「ヴィンセル様、今日のランチはアリス抜きでしてくださいな。今日はわたくしたちと一緒に食べますの」
「ごきげんよう」
「そういうことなのでごめんなさい! あ、鞄と一緒に置いている袋はセシルに渡す本日のパンです! 大変申し訳ないのですが、セシルに渡してください! お願いします!」
嫌がっていない様子を見ると友人なのだろうと安堵したヴィンセルはアリスの教室に入ってアリスの机を聞き、一緒にかけてあった袋の中に入っている紙袋を取って庭園へと駆け足で向かった。
「現行犯逮捕ですわね」
「ええ、そうですわよ。全て吐くまで帰れないものと思いなさい」
「な、なにがなんだか……」
寄付額によって自由が許されている学校では庭園の一部を専用として作り、自由に使えるようになっている。
ナディアたちも親の寄付金によって自由を獲得した姉妹。
二人の姓を使った【アボット庭園】と名付けた場所に入り、椅子へと座らされると目の前のテーブルには既に食事が用意されていた。
「食事をしながら聞きますわよ」
「私、今日はお菓子持ってきてなくて……」
「あら、お菓子がなければ料理を食べればいいじゃない」
「そ、そうですけど……」
「聞きたいことが山ほどありますの」
「ええ、山ほどね」
二人の笑顔にギラつきを感じ、恐怖を覚えながらも逃げることが許されないアリスは観念して食事に手をつけた。
「ん、これ美味しいです!」
「ただのミニキッシュですのに」
「一口サイズのキッシュいいですね、セシル様のおやつに良さそう」
「そこですわ!!」
アミューズから始まるコース料理。一口サイズの小さなキッシュを食べながらセシルの名を口に出すとナディアが大声を上げた。
あまりの大声にアリスは椅子から尻が浮くほど大きく身体を跳ねさせ、口から心臓が飛び出るのではないかと思った。胃に入れたキッシュが出るのではないかとも。
「ナディア様?」
「いつの間にセシル様とお近付きになりましたの?」
セシル推しだと言っていたのを思い出してアリスは目を閉じる。
尋問が始まるのだけは避けたい。
せっかく美味しいコース料理が出てくるのだからゆっくりと味わいたいと鼻から息を吐き出す。
「先日、兄にパンを届けに行った際に庭園に入ることを許可していただいて……その……パンをひどく気に入ってくださって……そこから少し仲良く……? させていただいています」
仲良しと言うとアリスの首が傾く。
アリスが思う仲良しの定義にはセシルとの関係は当てはまらない。
それでも話をし、名前で呼び合い、セシルのためにお菓子も焼けばランチも作る。
これで仲良くないというほうが嘘だと思い、続けた。
「本人は餌付けされたと……」
「チッ、やっぱり餌付け作戦で行くべきでしたわね」
「ナディア様、舌打ちされまし──」
「セシル様が大のお菓子好きなことは知っていましたのよ! あんな華奢な身体で食事回数が多いことも! 三時になるといつもカフェテリアでブルーベリーマフィンやクランベリーベーグルにたっぷりのクリームチーズを塗って食べることや、そのときのお供はいつもオレンジジュースであることも知っていましたの!」
もはやストーカーレベルではないのかと心の中で思うだけに留めては、そこまで好きなのかと驚いた。
「マカロンやクッキーを持ち歩いているのも知ってますの!」
「でも一度断られてましたわね」
「断られ──」
「そうですの!」
バンッとテーブルを叩いたせいで置かれたオードブルの中身がテーブルに溢れた。
チーズとバジルソースが散る白いテーブルクロスを慌てて使用人が交換する。
「何が入ってるかわかんないからいらないって断られましたのー! 何も入れてませんわ! わたくしの愛しか入っていませんのよ! それなのに一瞬見ただけでそっぽ向いて断るなんてあまりにもひどすぎますわー!」
「始まった。こうなると長いんですのよ。ごめんなさいね」
「あ、いえ……ナディア様、大丈夫ですか?」
「ほっといてぇ!」
「気にせず食べましょ」
使用人の一人がテーブルに伏せて泣くナディアの身体を持ち上げ、その間にテーブルクロスが新品に替えられる。
ゆっくりと伏せに戻されたナディアの泣き声が辺りに響くのをアリシアはいつものことだと言って気にしなかった。
新しく運ばれてきたオードブル。爽やかなバジルの香りが良いと目を細めて一口食べるとアリスは目を瞬かせる。
「お二人のシェフは良いシェフですね。バジルの香りが強くも弱くもないし、塩味がちょうど良くてパンに乗せても合いそうです。ここにピンクペッパー乗せて──」
「あなた本当に料理が好きですのね」
「楽しいんですよね、料理やお菓子作りって」
「手順が多すぎて自分でやろうなんて思いませんわね」
「やってみると意外とってことありますよ」
貴族令嬢らしからぬ趣味であることはわかっているが、やはりこうして美味しい物を食べてインスピレーションを受ける瞬間が楽しかった。
「あなたはどうしてセシル様にパンを食べていただけましたの?」
「兄のおかげだと思います。カイル・ベンフィールドの妹だから大丈夫だと」
顔を上げたナディアの顔はメイクが落ちてひどいことになっている。
それに気付いた使用人が慌ててメイクを落として新しくメイクを施す。
「グスン……羨ましいですわ」
鼻にハンカチを当てられブーッと大きな音を立てて鼻をかむ。
「みっともないですわ」
引いていると一目でわかるアリシアの表情に苦笑しながらナディアの呼吸が整うのを待った。
「アルフレッド様とはお近付きにならなかったのかしら?」
「アルフレッド様は私のようなのはタイプではありませんから」
「アリスは美人ってタイプではありませんものね」
「そうですね」
アリシアのような美人顔であればよかったと思ったことが何度あっただろう。
何度鏡を見ても美人とは程遠い。背も低ければ顔も地味。化粧でなんとか誤魔化しているだけの顔に自信はない。
「でもお目当てのヴィンセル・ブラックバーンとお近付きになれたのでしょう?」
「お目当て……」
ナディアたちは普段は上品な侯爵令嬢なのだが、恋バナになると言葉選びを間違える節がある。
「私が迷惑をかけているだけなんです」
「あら、その細腕に怪我をさせたのだから責任を取るのは当然ですわ」
「わたくしなら傷者にされたお嫁に行けないと言って泣きじゃくるぐらいしますわね」
「ナディアの涙は安売りしすぎてもう価値もありませんわよ」
「安売りなんてしていませんわ!」
「女の涙はここぞというときに武器として使うためにあるの。一度クッキーを断られただけで子供のように泣きじゃくるようでは価値なんてないも同然じゃありませんの」
「いざというときの武器として置いてても、そのいざというときに出てこなければ意味ありませんもの」
「そこは泣けるようにしておけばいいだけのこと。男より賢い頭はそういうときに使いますのよ。まあ、ナディアには難しいことでしょうけど」
大笑いするアリシアと怒るナディアの間に挟まれたアリスは両側で起きる喧嘩を止める術を知らないため、とりあえず少ないオードブルを完食した。
次に出てきた温かいオードブルをゆっくり完食しては喧嘩が終わるのを待った。
「そうですわ!」
言い合いの途中で閃いたように声を上げたナディアが両手を合わせて目を輝かせてアリスを見る。
「アリスの捻挫が治るまではヴィンセル王子がご一緒なのでしょう? わたくしたちが協力してアリスの恋を成就させるというのはどうかしら?」
「えッ!?」
「それいいですわね! アリスは一度、ちゃんとした恋をしたほうがいいですわ」
「ちゃんとした恋って……お二人と同じような感覚でいるつもりですけど……」
「違いますわ」
「違いますわね」
ハッキリ否定されると眉が下がる。
セシル推し、アルフレッド推し、ヴィンセル推しだと思っていたアリスにとってその否定は少しショックだった。
「確かに熱量は違いますけど──」
「違うのは熱量ではなく、あなたの閉じきった心ですわ」
「閉じているつもりはないのですが……」
「では想像してごらんなさい。あなたが焼いたパンをヴィンセル王子に渡そうとしたら何が入ってるかわからなくて怖いからいらないと断られましたの。はい、想像スタート」
目を閉じて想像するのは庭園に足を踏み入れてヴィンセルにパンを渡すシーン。
歪んだ顔でいらないと言うヴィンセルを想像するアリスをナディアとアリシアはジッと見ていた。
歪め歪め、泣け泣けと思っている二人の思いに反してアリスは何度か頷きを見せた。
「ちょっと! 何してますの!? 何を納得したみたいに頷いてますの!?」
大きな手で肩を掴んで揺さぶるナディアの強い力にアリスの視界が乱れる。
「い、いえ、あのッ、断られても、当然、かなって、思って、しまって、受け入れて、ましたッ」
揺らされる気持ち悪さに襲われながら答えるアリスの目がグルグルと回る。
それをアリシアが止めるとアリスは今食べた物が出てきそうなのを口を押さえることで堪えた。
「アリスの悪いところですのよ、それ」
「そうですわ。最初から悪い結果ばかり考えているから頑張れないんですのよ?」
二人の言葉がアリスの胸に槍を刺す。
確かに恋愛小説を読むばかりでアリスは恋に前向きになろうとしなかった。
自分は地味で変わりようがないからと鏡を見てため息をつくだけで、変わろうと努力したことさえなかった。
そのせいで兄が勧めてくれた物を地味だから似合わない、キレイな人なら似合うと断り続けていた。
「料理をするとき、どうせ美味しく作れないだろうけどって思いながら作りますの?」
「いいえ」
「美味しく作るって思いながら作るのでしょう?」
「はい」
「それと同じですわよ。可愛くなる、キレイになるって思いながら努力するんですの」
返す言葉もないとアリスは俯くが、それを許さないというようにナディアが肩を掴んだ。
なんでも勢いが良すぎるナディアの掴み方はいつも痛い。
それでも真っ直ぐに見つめる紫の瞳を見ると目が逸らせなくなる。
「もしやり方がわからないのならわたくしたちが協力しますわ」
「それいいですわね! アリス変身大作戦ですわね!」
「相変わらずネーミングセンスがありませんわね、アリシア」
「そういうナディアは当然、アリスを驚かせるような素敵なネーミングを考えついてますのよね?」
「もちろんですわ! その名も、アリスビューティートランスフォームグレートストラテジー、ですわ!」
言ってることは同じだと思うアリスと呆れて苦笑も滲ませず引いた顔をするアリシア。
空を指差してポーズを決めるナディアの絶対的自信をまず見習うべきだとアリスは思った。
「セシル様とお近付きになれるあなたが羨ましいですわ」
「よろしければセシルに聞いて一緒にランチを──」
「いけませんわ」
「え?」
「ええ、いけませんわね」
「え?」
喜ぶと思ったアリスは二人の反応が真逆であることに首を傾げる。
「それはルール違反でしてよ」
「ルール?」
いつの間にルールなどできていたのだろうと目を瞬かせるアリスの前でアリシアが人差し指を立てる。
「誰かの紹介ではなく自分の努力で認知してもらうのがルールですの」
「一度断られただけで泣くような女が認知を受けるのは無理でしょうけど」
「なんですの!? 今日はすごく嫌味な女になってますわよ!?」
「あなたに紹介してもらえば夢は叶うでしょうけど、それでは意味がありませんもの」
「喜びも半減ですわよね」
「ええ、そうですの」
努力して掴み取るのが彼女たちのやり方なのだと感心する。
彼女たちとティータイムをするといつも推しの話と美容の話ばかり。
どこどこの美容師の腕が良いとか、化粧品はどこのが良いとか、コルセットのサイズがどうのと。
アリスはカイルが見つけてきた化粧品を使っているだけなため自分では何も考えたことがなかった。
「自分でやることが大事ですのよ」
「何事もね」
ベンフィールドもそういう教育を受けて育ってきたのに、アリスは自分への投資はしてこなかった。
大切なのは自分を磨くことではなく、公女としてのマナーや教養とばかり思ってきたから。
努力してきたのはピアノ、勉強、お菓子作りや料理、マナーなど。
どうすれば自分がもっと可愛くなるとか美人になるかなど考えてもこなかっただけに笑顔で語るナディアたちが眩しく見えた。
「あの、もしよろしければ私にも教えていただけませんか? 自分磨きの方法」
アリスのお願いに二人は顔を見合わせたあと、手を握り合って笑顔を見せる。
「もちろんですわ!」
「協力させていただきますわ!」
二人は地味なアリスを変身させたいとずっと思っていた。
磨けば輝けるのになぜそこに目を向けないのかという疑問を抱えて焦ったい思いをしていたが、それも今日で終わり。
まるで自分に良いことがあったように笑う二人にアリスも嬉しくなって笑った。
「一緒に来なさい」
「え? えっ!? ええっ!? な、なんですかー!?」
昼休みはヴィンセルが迎えに来る。セシルもきっと一緒だろう。
だがそれを待つこともなくナディアとアリシアに手を引っ張って連れていかれる。
「アリス!?」
向かいから歩いてくるヴィンセルが手を引かれて連れていかれるアリスに驚いた顔をする。手には相変わらずハンカチ。
「ヴィンセル様、今日のランチはアリス抜きでしてくださいな。今日はわたくしたちと一緒に食べますの」
「ごきげんよう」
「そういうことなのでごめんなさい! あ、鞄と一緒に置いている袋はセシルに渡す本日のパンです! 大変申し訳ないのですが、セシルに渡してください! お願いします!」
嫌がっていない様子を見ると友人なのだろうと安堵したヴィンセルはアリスの教室に入ってアリスの机を聞き、一緒にかけてあった袋の中に入っている紙袋を取って庭園へと駆け足で向かった。
「現行犯逮捕ですわね」
「ええ、そうですわよ。全て吐くまで帰れないものと思いなさい」
「な、なにがなんだか……」
寄付額によって自由が許されている学校では庭園の一部を専用として作り、自由に使えるようになっている。
ナディアたちも親の寄付金によって自由を獲得した姉妹。
二人の姓を使った【アボット庭園】と名付けた場所に入り、椅子へと座らされると目の前のテーブルには既に食事が用意されていた。
「食事をしながら聞きますわよ」
「私、今日はお菓子持ってきてなくて……」
「あら、お菓子がなければ料理を食べればいいじゃない」
「そ、そうですけど……」
「聞きたいことが山ほどありますの」
「ええ、山ほどね」
二人の笑顔にギラつきを感じ、恐怖を覚えながらも逃げることが許されないアリスは観念して食事に手をつけた。
「ん、これ美味しいです!」
「ただのミニキッシュですのに」
「一口サイズのキッシュいいですね、セシル様のおやつに良さそう」
「そこですわ!!」
アミューズから始まるコース料理。一口サイズの小さなキッシュを食べながらセシルの名を口に出すとナディアが大声を上げた。
あまりの大声にアリスは椅子から尻が浮くほど大きく身体を跳ねさせ、口から心臓が飛び出るのではないかと思った。胃に入れたキッシュが出るのではないかとも。
「ナディア様?」
「いつの間にセシル様とお近付きになりましたの?」
セシル推しだと言っていたのを思い出してアリスは目を閉じる。
尋問が始まるのだけは避けたい。
せっかく美味しいコース料理が出てくるのだからゆっくりと味わいたいと鼻から息を吐き出す。
「先日、兄にパンを届けに行った際に庭園に入ることを許可していただいて……その……パンをひどく気に入ってくださって……そこから少し仲良く……? させていただいています」
仲良しと言うとアリスの首が傾く。
アリスが思う仲良しの定義にはセシルとの関係は当てはまらない。
それでも話をし、名前で呼び合い、セシルのためにお菓子も焼けばランチも作る。
これで仲良くないというほうが嘘だと思い、続けた。
「本人は餌付けされたと……」
「チッ、やっぱり餌付け作戦で行くべきでしたわね」
「ナディア様、舌打ちされまし──」
「セシル様が大のお菓子好きなことは知っていましたのよ! あんな華奢な身体で食事回数が多いことも! 三時になるといつもカフェテリアでブルーベリーマフィンやクランベリーベーグルにたっぷりのクリームチーズを塗って食べることや、そのときのお供はいつもオレンジジュースであることも知っていましたの!」
もはやストーカーレベルではないのかと心の中で思うだけに留めては、そこまで好きなのかと驚いた。
「マカロンやクッキーを持ち歩いているのも知ってますの!」
「でも一度断られてましたわね」
「断られ──」
「そうですの!」
バンッとテーブルを叩いたせいで置かれたオードブルの中身がテーブルに溢れた。
チーズとバジルソースが散る白いテーブルクロスを慌てて使用人が交換する。
「何が入ってるかわかんないからいらないって断られましたのー! 何も入れてませんわ! わたくしの愛しか入っていませんのよ! それなのに一瞬見ただけでそっぽ向いて断るなんてあまりにもひどすぎますわー!」
「始まった。こうなると長いんですのよ。ごめんなさいね」
「あ、いえ……ナディア様、大丈夫ですか?」
「ほっといてぇ!」
「気にせず食べましょ」
使用人の一人がテーブルに伏せて泣くナディアの身体を持ち上げ、その間にテーブルクロスが新品に替えられる。
ゆっくりと伏せに戻されたナディアの泣き声が辺りに響くのをアリシアはいつものことだと言って気にしなかった。
新しく運ばれてきたオードブル。爽やかなバジルの香りが良いと目を細めて一口食べるとアリスは目を瞬かせる。
「お二人のシェフは良いシェフですね。バジルの香りが強くも弱くもないし、塩味がちょうど良くてパンに乗せても合いそうです。ここにピンクペッパー乗せて──」
「あなた本当に料理が好きですのね」
「楽しいんですよね、料理やお菓子作りって」
「手順が多すぎて自分でやろうなんて思いませんわね」
「やってみると意外とってことありますよ」
貴族令嬢らしからぬ趣味であることはわかっているが、やはりこうして美味しい物を食べてインスピレーションを受ける瞬間が楽しかった。
「あなたはどうしてセシル様にパンを食べていただけましたの?」
「兄のおかげだと思います。カイル・ベンフィールドの妹だから大丈夫だと」
顔を上げたナディアの顔はメイクが落ちてひどいことになっている。
それに気付いた使用人が慌ててメイクを落として新しくメイクを施す。
「グスン……羨ましいですわ」
鼻にハンカチを当てられブーッと大きな音を立てて鼻をかむ。
「みっともないですわ」
引いていると一目でわかるアリシアの表情に苦笑しながらナディアの呼吸が整うのを待った。
「アルフレッド様とはお近付きにならなかったのかしら?」
「アルフレッド様は私のようなのはタイプではありませんから」
「アリスは美人ってタイプではありませんものね」
「そうですね」
アリシアのような美人顔であればよかったと思ったことが何度あっただろう。
何度鏡を見ても美人とは程遠い。背も低ければ顔も地味。化粧でなんとか誤魔化しているだけの顔に自信はない。
「でもお目当てのヴィンセル・ブラックバーンとお近付きになれたのでしょう?」
「お目当て……」
ナディアたちは普段は上品な侯爵令嬢なのだが、恋バナになると言葉選びを間違える節がある。
「私が迷惑をかけているだけなんです」
「あら、その細腕に怪我をさせたのだから責任を取るのは当然ですわ」
「わたくしなら傷者にされたお嫁に行けないと言って泣きじゃくるぐらいしますわね」
「ナディアの涙は安売りしすぎてもう価値もありませんわよ」
「安売りなんてしていませんわ!」
「女の涙はここぞというときに武器として使うためにあるの。一度クッキーを断られただけで子供のように泣きじゃくるようでは価値なんてないも同然じゃありませんの」
「いざというときの武器として置いてても、そのいざというときに出てこなければ意味ありませんもの」
「そこは泣けるようにしておけばいいだけのこと。男より賢い頭はそういうときに使いますのよ。まあ、ナディアには難しいことでしょうけど」
大笑いするアリシアと怒るナディアの間に挟まれたアリスは両側で起きる喧嘩を止める術を知らないため、とりあえず少ないオードブルを完食した。
次に出てきた温かいオードブルをゆっくり完食しては喧嘩が終わるのを待った。
「そうですわ!」
言い合いの途中で閃いたように声を上げたナディアが両手を合わせて目を輝かせてアリスを見る。
「アリスの捻挫が治るまではヴィンセル王子がご一緒なのでしょう? わたくしたちが協力してアリスの恋を成就させるというのはどうかしら?」
「えッ!?」
「それいいですわね! アリスは一度、ちゃんとした恋をしたほうがいいですわ」
「ちゃんとした恋って……お二人と同じような感覚でいるつもりですけど……」
「違いますわ」
「違いますわね」
ハッキリ否定されると眉が下がる。
セシル推し、アルフレッド推し、ヴィンセル推しだと思っていたアリスにとってその否定は少しショックだった。
「確かに熱量は違いますけど──」
「違うのは熱量ではなく、あなたの閉じきった心ですわ」
「閉じているつもりはないのですが……」
「では想像してごらんなさい。あなたが焼いたパンをヴィンセル王子に渡そうとしたら何が入ってるかわからなくて怖いからいらないと断られましたの。はい、想像スタート」
目を閉じて想像するのは庭園に足を踏み入れてヴィンセルにパンを渡すシーン。
歪んだ顔でいらないと言うヴィンセルを想像するアリスをナディアとアリシアはジッと見ていた。
歪め歪め、泣け泣けと思っている二人の思いに反してアリスは何度か頷きを見せた。
「ちょっと! 何してますの!? 何を納得したみたいに頷いてますの!?」
大きな手で肩を掴んで揺さぶるナディアの強い力にアリスの視界が乱れる。
「い、いえ、あのッ、断られても、当然、かなって、思って、しまって、受け入れて、ましたッ」
揺らされる気持ち悪さに襲われながら答えるアリスの目がグルグルと回る。
それをアリシアが止めるとアリスは今食べた物が出てきそうなのを口を押さえることで堪えた。
「アリスの悪いところですのよ、それ」
「そうですわ。最初から悪い結果ばかり考えているから頑張れないんですのよ?」
二人の言葉がアリスの胸に槍を刺す。
確かに恋愛小説を読むばかりでアリスは恋に前向きになろうとしなかった。
自分は地味で変わりようがないからと鏡を見てため息をつくだけで、変わろうと努力したことさえなかった。
そのせいで兄が勧めてくれた物を地味だから似合わない、キレイな人なら似合うと断り続けていた。
「料理をするとき、どうせ美味しく作れないだろうけどって思いながら作りますの?」
「いいえ」
「美味しく作るって思いながら作るのでしょう?」
「はい」
「それと同じですわよ。可愛くなる、キレイになるって思いながら努力するんですの」
返す言葉もないとアリスは俯くが、それを許さないというようにナディアが肩を掴んだ。
なんでも勢いが良すぎるナディアの掴み方はいつも痛い。
それでも真っ直ぐに見つめる紫の瞳を見ると目が逸らせなくなる。
「もしやり方がわからないのならわたくしたちが協力しますわ」
「それいいですわね! アリス変身大作戦ですわね!」
「相変わらずネーミングセンスがありませんわね、アリシア」
「そういうナディアは当然、アリスを驚かせるような素敵なネーミングを考えついてますのよね?」
「もちろんですわ! その名も、アリスビューティートランスフォームグレートストラテジー、ですわ!」
言ってることは同じだと思うアリスと呆れて苦笑も滲ませず引いた顔をするアリシア。
空を指差してポーズを決めるナディアの絶対的自信をまず見習うべきだとアリスは思った。
「セシル様とお近付きになれるあなたが羨ましいですわ」
「よろしければセシルに聞いて一緒にランチを──」
「いけませんわ」
「え?」
「ええ、いけませんわね」
「え?」
喜ぶと思ったアリスは二人の反応が真逆であることに首を傾げる。
「それはルール違反でしてよ」
「ルール?」
いつの間にルールなどできていたのだろうと目を瞬かせるアリスの前でアリシアが人差し指を立てる。
「誰かの紹介ではなく自分の努力で認知してもらうのがルールですの」
「一度断られただけで泣くような女が認知を受けるのは無理でしょうけど」
「なんですの!? 今日はすごく嫌味な女になってますわよ!?」
「あなたに紹介してもらえば夢は叶うでしょうけど、それでは意味がありませんもの」
「喜びも半減ですわよね」
「ええ、そうですの」
努力して掴み取るのが彼女たちのやり方なのだと感心する。
彼女たちとティータイムをするといつも推しの話と美容の話ばかり。
どこどこの美容師の腕が良いとか、化粧品はどこのが良いとか、コルセットのサイズがどうのと。
アリスはカイルが見つけてきた化粧品を使っているだけなため自分では何も考えたことがなかった。
「自分でやることが大事ですのよ」
「何事もね」
ベンフィールドもそういう教育を受けて育ってきたのに、アリスは自分への投資はしてこなかった。
大切なのは自分を磨くことではなく、公女としてのマナーや教養とばかり思ってきたから。
努力してきたのはピアノ、勉強、お菓子作りや料理、マナーなど。
どうすれば自分がもっと可愛くなるとか美人になるかなど考えてもこなかっただけに笑顔で語るナディアたちが眩しく見えた。
「あの、もしよろしければ私にも教えていただけませんか? 自分磨きの方法」
アリスのお願いに二人は顔を見合わせたあと、手を握り合って笑顔を見せる。
「もちろんですわ!」
「協力させていただきますわ!」
二人は地味なアリスを変身させたいとずっと思っていた。
磨けば輝けるのになぜそこに目を向けないのかという疑問を抱えて焦ったい思いをしていたが、それも今日で終わり。
まるで自分に良いことがあったように笑う二人にアリスも嬉しくなって笑った。
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