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嘘と真実
しおりを挟む「君と過ごす馬車の中は快適だ。こんな気分はいつぶりか」
「光栄です」
もうすぐ家に着いてしまう。
ヴィンセルが積極的に話しかけてくれたおかげで馬車の中は無言地獄にならずに済んだ。
寡黙な人だと思っていたのはただのイメージであって、実際はよく喋る人。
ティーナと同じことは言いたくはないが、新しい情報がたくさん得られた時間だった。
「着いてしまったな」
ゆっくりと馬車が止まったことでヴィンセルが呟く。
その言い方がまるでこの時間が終わることを惜しんでいるように聞こえて、アリスの胸が甘く締め付けられる。
「今日は本当にありがとうございました」
「明日の朝また迎えに———」
「アリス! アリス大丈夫か!?」
勢いよく開いたドア。御者ではない。強盗が開けたときのことを思い出して一瞬身構えるも勢いよく入ってきた見慣れた顔と勢いのあるハグのおかげですぐにその緊張も吹き飛んだ。
いつもは勘弁してほしいと思うことも、今はそれに酷く安堵する。
「警察から連絡があった。ヴィンセルの馬車が強盗に遭ったとな。逃げたもう一人の犯人は兄様が草の根分けてでも探し出して中央広場に全裸で吊るしてやるからな。そのあと腹を裂いて引きずり出した腸で──」
「カイル、妹に聞かせていいものじゃないだろ」
ヴィンセルの注意にハッとしたカイルは感情的になっていたせいで我を失っていたと咳払いをし、アリスの髪を優しく撫でる。
「怪我はないな? お前が怪我をしていたら兄様もお前と同じ場所に傷をつけようと思っていたところだ」
「絶対にやめてください、大袈裟です。ヴィンセル様とセシル様が守ってくださいましたから」
「セシルは格闘の心得があったか。意外だな」
ドキッとするアリスにヴィンセルが声をかける。
「カイル、挨拶がまだ終わってないんだが」
「ああ、すまないな。妹が世話になった。いや、世話をさせてやったんだったな。感謝しろよ。気を付けて帰れ。じゃあな」
「あ、おい!」
長居させるつもりはないと早口で別れの挨拶を告げたカイルはそのままアリスを抱きあげて身軽に馬車を降り、本当にそのまま階段を上がって中へと入っていった。
もう少しちゃんとした別れ方をしたかったと溜息をつきながらヴィンセルは馬車を出した。
「アリス、一体何があったんだ?」
部屋に入るまで運ばれ、ベッドに下ろされようやく一息つく。
「警察の方から説明があった通りです」
「二人組の男、一人はナイフで一人は銃。銃の男が逃げたんだな?」
「はい」
「男はなぜ発砲した?」
アリスの心臓が痛いほど速くなる。
銃を撃ったのは犯人ではなくセシル。なぜ撃ったのか———それがわかるのはセシルだけでアリスにはわからない。
あの男はきっと撃つ気はなかった。下町で暮らす貧しい民の一人だろう。貴族を脅して金品を奪うことだけが目的だった。馬車は一台、後続車はなし。中に乗っているのが学生だと知っていたのなら脅しだけで十分だと思っていたはず。それなのにセシルは撃ってしまった。怯えた弾みなどではなく、明確な意思を持って撃った。
だがそれをカイルに言えるはずがない。話せばセシルが銃を所持していたことがバレてしまうのだから。
「わかりません。怖くて、ずっと下を向いていたんです。ごめんなさい……」
アリスは生まれて初めて兄に嘘をついた。
言えばきっとカイルはセシルに事実確認を行う。友人としてではなく、聖フォンスの生徒会長として行うだろう。
カイルは真面目で不正は絶対に許さない。それは生徒だけではなく教師にもそうだ。
だからこそアリスはセシルを差し出すなんてことは絶対にできなかった。
自分はきっと間違っている。それがわかっていてもアリスは今回のことは絶対に隠し通すと決めたのだ。
「それでいいんだ。お前が何も見ていないのが幸いだ。可愛いお前が下衆共に目をつけられては困るからな。汚い物なんて見る必要はない」
兄の声色からわかる。嘘だとバレているのだと。それでも問い詰めない兄に感謝した。
もしかすると明日、何か起こるかもしれない。
ヴィンセルはセシルを糾弾しなかったし、カイルはアリスに嘘をつくなとは言わなかった。それでももう一人が黙っていないはず。
発砲があり、駆け付けた警察が事情聴取を行った相手はあのヴィンセル・ブラックバーンだ。馬車の中には同乗者三名。セシルを嫌うティーナは全てを暴露するかもしれない。いや、きっとするだろう。そうなれば間違いなくセシルは尋問を受けることになる。
それだけでもティーナは勝った気になるのだ。自分を侮辱し、邪魔をするセシルがいなくなれば全てが思い通りになると思っているのだから。
明日、もしティーナが真実を話した際、セシルが何と答えるかわからないだけに心配でならなかった。
「あの強気なティーナが強盗に噛み付かなかったとはな」
「……そうですね」
ティーナの本性はわかっている。今更驚くことはない。
だが、やはり辛かった。自分は男爵だからとそういうときにだけ引き、アリスを公爵令嬢だと言って差し出そうとした。
それによってアリスの身に何かあってもティーナはきっと『仕方ない』で終わらせるのだろう。自分は悪くない、強盗に遭ったんだから仕方ないじゃないかと自分を正当化する。
そんな光景が容易に想像できてしまう時点で友達ではないのだ。
「……ティーナと……少し距離を置くべきだと思っています」
「正しい判断だな」
「縁を切るべきだとも思っているのですが……」
「一歩ずつ進めばいい。一気に進むと後戻りできなくなる。一歩ずつ進みながら自分の気持ちを整理すればいいんだ」
「そうですね」
「お前はいつだって兄様の自慢の妹だ。賢くて可愛い自慢の妹だ」
この判断には時間がかかりすぎたぐらいだと思ってはいるが、それでも家族から言い聞かせられて決断したわけではなく、自らの判断で兄に告げた妹をカイルは評価していた。
ティーナ・ベルフォルンは妹の親友には相応しくない。そもそも卑しいベルフォルン家とベンフィールド家が釣り合うわけがないとカイルはずっと思っていた。カイルだけではなく両親もそうだ。
男爵でありながら乞食のような生き方をするベルフォルン家には貴族としてのプライドがない。そのくせサロンには参加して世界の全てを知っているかのような顔で話をする。
ベルフォルン男爵は実に不愉快な男、というのがカイルの感想。吐き捨てるように父親にそう言ったことがある。
父親は『そういう人間の相手をするのも勉強になるだろう』と笑っていたが、カイルはそうは思わなかった。
それでもサロンで良い顔をしていたのはティーナ・ベルフォルンとアリスが親友だったから。
アリスがその関係に終止符を打つのなら自分も良い顔をする必要はないとカイルは笑う。
「お前にはアリシアやナディアがいる」
「そうですね」
アリシアとナディアとはずっと一緒にいるわけではない。互いに美味しいお茶やお菓子を見つけたら持ち寄ってティータイムをする茶飲み友達というだけ。
気を使う相手ではあるし、アリスにとって一番心を許せたのがティーナだっただけに自分が判断せざるを得なくなったのは残念極まりないこと。
それでも、やっぱりと期待することはない。
明日のティーナの行動次第では打って出なければならないと覚悟さえ決めているのだ。
「もしものときは、愚かな妹だと見放してくださいね」
「何があろうとお前を見放したりするものか。お前が困ったときは兄様が助けてやる。お前が迷ったときは兄様が背中を押してやる。お前が前に進めないときは兄様が一緒に立ち止まってやる。お前が何もわからなくなってしまったときは兄様が導いてやる。ずっとそう言ってきただろ?」
いつだって兄は妹に背中を見せて立つ男だった。
何があっても『兄様が』と言って守ってくれた。
真っ直ぐで優しくて強くてかっこいい自慢の兄。そんな兄の自慢の妹になりたいのに、アリスは今日、法を犯すセシルを庇ってしまった。
それに後悔していない時点で自慢の妹になどなれはしないと苦笑する。
「お兄様は私の自慢の兄です」
「当然だ。お前の兄だからな」
胸を叩いて笑うカイルの手を握って額に当て「ありがとうございます」と呟いた。
「アリス、明日の朝は俺も一緒に馬車に乗ろう」
「お仕事はよろしいのですか?」
「お前に何かあったらどうする」
「ヴィンセル様が一緒ですし……」
「兄様が一緒は嫌か?」
黙って首を振る以外に方法はなく、頭を撫でる兄にぎこちない笑みを向けながらも頭の中は明日の心配でいっぱいだった。
翌朝、ティーナはカイルが一緒であることに喚くだろう。それを無視して行けば学校で何を言い出すかわからない、それも不安の種となり、アリスを悩ませる。
「今日はもう休みます」
「それがいい。ゆっくり休め」
額にキスを受け、頭を下げて部屋に戻ったアリスは明日、何事もなく一日が終わるよう神に祈った。
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