愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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リオ・アンダーソン

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「今日からこのクラスに入るリオ・アンダーソンだ。挨拶しなさい」
「リオ・アンダーソン」

 よろしくの一言もない挨拶にアリスは頭を抱えたくなった。
 セシルのクラスに入らなかったのはよかったが、それでもこんな態度を毎日見なければならないのかと思うと頭痛がする。

「君の席は……」
「アリス・ベンフィールドの隣がいい」
「えっ?」
「お前、向こう座れよ」
「ちょっとリオちゃん!」

 アリスの隣の席の男子生徒に顔を寄せて圧をかけ、本来の自分が座るはずだった席に移動させようとするリオに思わず立ち上がって叱るもリオは一度アリスを見ただけで言葉は返さず鼻を鳴らすだけ。
 下町で見る不良のような人間は貴族の中でも珍しく、教師も生徒もその雰囲気に委縮して何も言おうとせず、男子生徒は自分の鞄を胸に抱えてリオに用意されていた机に早歩きで向かった。
 ドカッと乱暴な音を立てて椅子に座ったリオにアリスは頬を叩いてやりたい気分になった。

「ベンフィールド君、君は知り合いのようだから彼のお世話を頼むよ」
「えっ!? そ、それはちょっと──!」
「俺ら幼馴染なんでコイツに頼ります」
「それはいい! よろしく頼むよ!」

 押し付ける理由があってラッキーだと言わんばかりに上機嫌になった教師に呆れながらも嫌だとは言えず、伸ばしかけた手を引っ込めて横目でリオを睨む。

「少しでもバカなことしたらお兄様に報告するから」
「俺を監視させるためにお前のクラスに入れさせたんだよ。お前のだーい好きなお兄様がな」

 兄ならやりかねないとため息をつき、鞄に入れていた小さなメモ帳を取り出したアリスはそれにペンを走らせる。

「おい、何書いてんだよ」

 明らかに授業で使うノートではないことに怪訝な表情を見せるリオが伸ばしてくる手をメモ帳で叩いてそのまま見せた。

「これはお兄様への報告ノートにする。リオちゃんが初日の挨拶をちゃんとしなかったこと、席を勝手に決めたこと。横柄横暴な態度を取ったこと。これ全部お兄様に報告するからね」
「愛しのお兄様へのチクり虫は今も健在なようだな」
「チクり虫呼ばわり……っと」
「おい、やめろ! 虫食わされたらどうすんだ!」

 小声で話していたアリスに対して大声を出すリオがメモ帳を奪うもアリスが人差し指を立てて静かにするよう注意し、次に警告する。

「静かにして! 皆の邪魔になるでしょ! 破いたらお兄様に泣きつくから!」
「お前がそれをチクったら俺は制服破かれるんだぞ」
「じゃあ大人しくして。品行方正に過ごせばお兄様は何もしない。優しい笑顔でリオちゃんを可愛がってくれるから」

 笑顔で手を出すアリスに歯を食いしばりながらメモ帳を返した。

「変わってねぇな、お前」
「リオちゃんもね」

 昔は何でも兄に報告していた。嬉しいことも嫌なことも全部。それも兄がこの学園に入ってからはほとんどなくなって、なんでもない穏やかな日々を過ごしているように振舞っていた。
 実際、アリスは穏やかな日々を過ごしていた。特別なイベントがあるわけでもなく、授業を受けて、友達とお茶をして帰り、ティーナのわがままに振り回されるだけの日々。
 何の代わり映えもしない毎日をアリスはそれでいいと思っていた。

「相変わらずの貧乳──あぶっ!」

 それがリオ・アンダーソンが帰ってきただけで穏やかから遠ざかっていくのを感じながらアリスは侮辱的な発言はメモ帳に書かない代わりにでリオの頬を思いきりそれで叩いて胸ポケットにしまった。

「真面目に授業受けなかったらさっきの発言、報告するから」
「それだけは勘弁してください」

 ベンフィールド家はあまり感情的になることは少なく、一番感情を変えるカイルも上手くコントロールしながら生きている。
 家族の中でもアリスが一番怒りという感情から遠く、何かあればアリスの代わりにカイルが怒っていたため、アリスが怒る必要がなかった。
 だが、リオが帰ってきたのであれば兄が監視できない以上は自分が怒って諌めるしかない。
 いつだったか、カイルが言っていた。

『リオ一人の責任で家が潰れる可能性もある。アイツは貴族でありながら子息であることの責任を自覚できていない。俺はまだアイツに情けをかけたほうだ』と。

 リオ・アンダーソンは自分の言いたいことを言って、やりたいことをやる。幼い子供のような感覚で今も生きている。
 アリスにとってリオはトラウマ的存在に近いものではあるものの、カイルがいる今年度は問題なく過ごせるだろうとそこまで心配はしていない。
 ただ、毎日こうして顔を合わせて口うるさく言わなければならないことに既に嫌気が差している。
 同じクラスの生徒の中には「アリス・ベンフィールドってあんな性格だったのか」と驚いている者もいて、大人しいイメージだったアリスを「本性が出た」と言う者もいた。

「アリス、教科書見せろ」
「その鞄の中には何が入ってるの?」
「お前の頭を食べるための鞄だーあぶっ!」

 机の上に置いた鞄を開けて何も入っていないのを見せながらくだらない冗談を言うリオの頬を今度は教科書でぶった。 
 セシルにとった失礼な態度もちゃんと謝らせなければならないと考えながら机をくっつけるとリオの前に教科書を置いた。

「ノートとペンは?」
「ない。あと写すわ」
「写す用のノートとペンは?」
「ない」

 ノートもペンも出していない相手に勉強する気がないことはよく伝わっているため、それも報告ノートに書きこんだ。

「アリス、ランチ行こ……げえっ!」

 いつものようにランチに誘いに来たセシルが見せるあからさますぎる嫌な顔にリオが笑う。
 微笑みではなく嫌味な笑顔にアリスは眉を寄せながら立ち上がり、ランチボックスを持った。

「よお、アッシュバートン」
「リオ、昨日の失礼な態度をセシルに謝って」
「は? なんで俺が?」
「お兄様のご友人なの」

 チッと舌打ちが聞こえ、不満げな表情を隠しもしないまま「悪かったな」の一言を呟くように言った。それでは謝罪になっていないと口を開きかけたアリスの手を掴んで軽く自分のほうに引き寄せたセシルはにっこり笑ってリオを見た。

「カイルが手綱を握る犬の中の一匹っぽいから許してあげる。これ以上関わることなんてなさそうだし、アリスとのランチタイムを削って君の相手をするほど僕は暇じゃないから」
「んだとテメェ……」
「アリス、行こう。今日は二人きりでご飯食べようよ」
「二人? 生徒会の会議はないの?」
「あるんじゃない? でも今日はアリスと食べたいから」

 手を繋いで歩いているだけなのに突き刺さる視線が痛い。どこを歩いていても存在するセシルのファンが強い眼差しでアリスを睨みつけているのだ。

「俺の可愛い妹の手を握って歩く坊ちゃんはどこのセシル・アッシュバートンだ?」

 庭園の近くでかけられた声にヒッと声を漏らしたアリスは慌ててセシルから離れて振り返った。
 相変わらず恐ろしい笑顔を見せるカイルにさっきのリオと同じような表情を向けるセシル。

「今日はどうしたの? 仕事ないの?」
「リオが余計なことをしていないかの確認ついでに久しぶりに皆で昼食でもと思ってな」
「ヴィンセルも?」
「ああ」
「いいの? ブチギレてたじゃん」
「いつまでもアホに怒っているほど俺も子供じゃない。紳士なら話し合いで分かり合わなくてはな」

 何十年経っても同じことを言っているのだろうと容易に想像がつくアリスはカイルに肩を抱かれながら庭園へと強制的に連れていかれる。

「ちょっと! 今日はアリスと二人で食べる予定だったんだけど!」

 セシルの言葉を無視するカイルに舌打ちをしてセシルも後を追った。

「やっほー」

 先に到着していたアルフレッドとヴィンセル。円卓を囲む時はいつもヴィンセルの隣はカイルとアリスが挟むようにして座っていたが、今日は先にカイルとセシルが間に挟むように座り、アリスはセシルとアルフレッドの間の席に座った。
 チラッとヴィンセルを見るとバッチリ目が合う。
 感情のままに帰ってしまった無礼な行動を謝らなければと思うが、皆がいるこの場所で謝るのは違うとアリスは開きかけた口を閉じた。
 カイルはああ言ったが怒っていない保証はない。事実、カイルは未だにリオを許していないのだから。
 話し合いで分かり合うと言っただけで許したとは言っていない。
 そこがカイルの恐ろしいところだとアリスは一人苦笑する。

「そういえば、二年生に転校生来たんだよね?」
「ああ」
「知り合いなんだって?」
「そうだ」
「どういう知り合い? イケメンだって花たちが言ってたけど」
「聞きたいか?」

 カイルの笑みに全員がゾッとした。その笑みだけで、なんとなくわかる気がしたアルフレッドは「聞きたい」という言葉が喉で引っかかって出てこない。

「僕は聞きたいね。あの礼儀知らずな男がどういう関係なのか」
「バカッ、セシル! こういう笑顔のカイルがどれだけヤバい話するかわかってるよね!?」
「だから聞きたいんじゃん。僕、アイツのこと大嫌いだから」

 アリスがリオをリオ“ちゃん”と呼んでいることも気に入らないセシルはアルフレッドが焦るのも無視してカイルを見た。
 テーブルに乗せられたアリスのランチボックスを勝手に開けてサンドイッチを頬張る。
 よし、と手を叩いたカイルはシェフが運んできた焼きたてパンを一つ手に取って頬張ると設置していた黒板にチョークを走らせた。
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