愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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ティーナ登校

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「そういやお前、ティーナと喧嘩別れでもしたのかよ?」

 放課後を迎えた教室でリオはアリスに会ってからずっと疑問だったことを問いかけた。
 出さないようにしていた名前をリオが口にするとアリスの苦笑が見えた。

「どうして?」
「だってお前らっていつも一緒だったじゃん。もしかしてティーナ、受からなかったのか?」

 あの一件からティーナは学校に来ていない。そろそろ登校しなければ留年することになることをわかっているのだろうかと心配ではないが、アリスも少し気にかかっていた。
 今更頼まれたところで昔のように兄に頼むつもりはないし、これからの学校生活をティーナと過ごすつもりもない。
 リオが転入してきてからもティーナは登校していないのだからそう思うのも当然だと首を振った。

「受かったよ。ちゃんと在籍してる。ただ、休んでるだけ」
「ズル休みかよ」
「理由は知らない」
「なんでも話す仲のお前が知らないってなんだよ」

 リオにそう言われるほどアリスとティーナは長い時間を共にした。

「もう子供の頃とは違うの。何もかも話すってわけじゃない」

 嘘も隠し事もなしと決めたことがまるで遠い昔のように思える。
 ティーナは嘘つきで隠し事もたくさんあるのに、アリスには絶対に許さなかった。
 そんな平等性のない関係だったのに何が楽しくて一緒にやってきたのだろうと今は不思議に思う。
 味方だと思っていた友人は味方ではなく敵だった。真実だと報告したことが王子の宣誓もあって嘘つきにされてしまったことはティーナには耐え難い侮辱だったはず。
 だとしてもティーナの神経は驚くほど図太い。だからこれほど不登校を決め込むとは思っていなかった。

「ふーん。ならお前、友達いねんだ?」
「いる。ナディア様とアリシア様がお友達なの」
「あのデカい姉妹?」
「そういう言い方しないの。素敵な女性なのよ。リオちゃんの好きなタイプじゃない? 背が高くて、胸が大きくて、肉付きの良い美人だもの」
「ちがッ、あれはアイツの前だからそう言っただけで──」
「あれ? え? 嘘! リオ!?」

 焦るリオの言葉を遮るように響いた大声。噂をすれば影とはよく言ったものだとアリスは一瞬だけ顔を少し歪めた。
 
「嘘! え、どうして!? どうしてリオがここにいるの!? すっごいイケメンになってるし!」
「噂をすればなんとやら、だな」
「え、なになに? 私のこと噂してたの? なんの話?」
「お前とアリスが一緒じゃねぇから喧嘩でもしたのかって聞いてたんだよ」
「えー、そんなことないよ~。ね、アリス?」
「そう、だね」

 喧嘩別れしたわけではないし、喧嘩をしたわけでもない。あれはアリスにとって正しい選択であり、ティーナにとっては裏切りだったというだけ。
 こうして何もなかったかのように話しかけてくるのは演技か、それとも開き直ることにしたからなのか、アリスにはわからない。

「つーかお前ら、まだ同じ髪型してんのかよ。そういうのいい加減卒業しろよ」
「アリスが真似してるだけだよ。私はずーっと前からこの髪型だもん。それこそミドルスクールに入ってすぐこの髪型にしたんだから」

 真似したのはアリスではなくティーナのほう。
 ティーナは前髪を切り揃えるのはダサいと言っていたが、アリスは傷を隠すために額を見せるのは嫌だった。伸ばして前髪を上げるポンパドールを一緒にしようと言うティーナに何度断ったかわからない。
 きっと断らなければ傷のことを聞かれる度にティーナが自慢げにアリスの過去を語っていたのだろうと今はそれが容易に想像できてしまう。

「不登校なのかと思ってた」
「ちーがーうー! 海外旅行に行ってただけ」
「ズル休みかよ」
「だって休みに行くと観光客多いんだもん。ゆっくり観光するためにはズル休みも必要なの」
「まあ、貧乏男爵じゃなぁ」
「ちょっと、貧乏子爵のくせに生意気言わないでよ。聞き捨てならないんだからね」
「いててててッ」

 リオのティーナに対する態度はアリスに向けるものとは違い、まるで男友達と話すような感覚で会話している。
 ポンポンと卓球のラリーのように続く軽口を聞きながらアリスは間に入ろうとはしなかった。

「でもホント、びっくりするぐらいイケメンになったね。身長もすごい高いじゃん」
「まあな」

 リオはアリスにもそう言ってほしかった。
 学校でも昼休みを一人で過ごすと令嬢たちから声をかけられるため容姿は悪くないのだと自負しているが、アリスの口からはまだ一度も褒め言葉が出ていない。
 頭の中では何度も想像したアリスとの会話。『かっこよくなったね』と言うアリスに『惚れんなよ』と返し『お前に嫁の貰い手がなかったら俺がもらってやってもいいぜ』と続く。そして『なにそれ』と笑うアリスに『本気だから』とキメ顔で言う。
 それはリオの中で完璧な物語として完成しているのに、アリスの言葉がなければ始まらない。

「でもアリスはリオみたいなタイプ、好みじゃないんだよね? だってセシル・アッシュバートンみたいな人がいいんでしょ?」
「は?」
「あれ、リオ知らないの? アリスとセシル・アッシュバートンってすごく親密な関係なんだよ。アリスは親友より男を取るタイプだったみたいだし」

 驚いた顔でアリスを見るが、アリスはリオを見ようとはしない。

「で? あれからセシル・アッシュバートンとの仲は更に深まったの? キスはもうした?」
「ティーナやめて」
「なんで? 教えてくれてもいいじゃん。私たち、親友なんだから」

 思ってもないくせにと心の中で毒を吐く。
 言えばリオが不思議に思うし、それを説明しなければならないのも嫌だった。
 全てを正直に話すことができないアリスにとってセシルが絡んだ件で感情を乱すことは不利になるだけ。だからアリスはもう帰ろうと鞄を取ろうとしたのをティーナが手を伸ばして先に鞄を取ってしまう。

「秘密はナシって約束でしょ? まあそれも、とっくに破られちゃったけどね」
「鞄返して」

 含みのある言い方をするティーナを無視して鞄を取ろうとするもティーナのほうが反応が早く、アリスの手は空振りに終わる。

「ねえ、教えてよ。セシル・アッシュバートンとは──ッ!?」

 一歩下がって鞄を高く掲げたティーナの勝ち誇った顔は手から鞄が離れたことで崩れてしまう。

「アリスに呼ばれるのは嬉しいけど、君に呼ばれると吐き気がする」
「セシル・アッシュバートン……」

 呆れた顔でセシルがティーナを見ると肩を竦める。

「登校する気になったんだ? アリスの穏やかな時間が終わっちゃうね。可哀想に」
「は? アリスに迷惑なんてかけてないんだけど」
「自分のことしか考えられない人生を歩んでる君は幸せだろうね」
「そういう言い方しかできないわけ?」
「これでも優しく言ってるほうだよ」
「へえ、じゃあなに? 優しく言うのやめたら死ねとでも言うわけ?」
「さあね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「言えば? 私のこと嫌いなんでしょ? 言えばいいじゃない」

 安い挑発だと思ったのはセシルだけではなくリオも同じ。
 あれから五年の年月が過ぎていようとも人は簡単には変わらない。自分もティーナもそうなのだとリオは実感する。
 声を大にして詰め寄り、セシルに言わせようとするティーナを一瞬だけ見たセシルはすぐに視線をアリスに向けて手を握った。

「アリス、今日は少し寄り道して帰ろう。大道芸が来てるんだって」
「ちょっと! 無視してんじゃないわよ!」

 面倒臭そうにため息をついてティーナに振り返ると今にも舌打ちが飛び出しそうな表情で視線を合わる。

「君のことは嫌いだよ。大嫌いだね。だから君とこうして言葉を交わすなんて無駄なことはしたくないんだ。関わらないくれるかな?」
「……ホント、アンタってムカつく」
「僕もそう思ってる」

 笑顔で告げるセシルにティーナがギリッと歯を鳴らす。
 まだ教室には生徒がいて、これがセシルのファンだった場合、これ以上の暴言は敵に回すことになる。
 アリス・ベンフィールドという後ろ盾がいない以上、ティーナの立場は弱者そのもの。敵は増やしたくなかった。

「おいッ、アリスとまだ話は終わってねんだよ! 勝手に連れてくな!」
「アリスの時間、予約した?」
「あ? 予約だ?」
「僕はしたよ。放課後一緒に帰ろうって。アリスとゆっくり話したいなら予約すれば? ずーっと僕の予定で埋まってるけど、根気強く待ってればどこかで空きが出るかもね」

 バイバイと張り付けた笑顔で手を振るセシルはアリスの鞄とアリスの手で両手を塞いで馬車へと向かった。
 
「何様のつもりなんだよ……あのチビ……。俺も帰るわ」

 アリスがいなくなった途端に帰ると言うリオに眉を寄せるが、先ほどの言葉にティーナは口元をニヤつかせてリオの腕に抱きついた。

「おい、やめろ。なんのつもりだよ」
「いいじゃん、幼馴染なんだし」
「だからなんだよ。関係ねぇだろ。離れろ」

 豊かな胸が当たる感触はあるものの、リオはそれに顔を赤らめることはない。
 もっと焦ってくれれば面白いのにと心の中で舌打ちしながらもティーナは笑顔を緩めない。

「アリスにもっと接近する方法、知りたくない?」
「……あ?」

 振り払おうとした腕を止めたリオはまだアリスが好きなのだと確信したティーナは内心、異常なほどはらわたが煮えくり返るのを感じていた。
 なぜ皆がアリスを気にいるのか。ユーモアもない、可愛くもないアリスなど公爵令嬢という地位を除けばカースト最下位だとティーナは思っている。それなのに異常者と化したシスコンの兄に守られ、皆の憧れである王子にまで気にかけられ、イケメンに成長した幼馴染は未だに片思いを続けている。セシルに至っては人前で堂々と手を握るほど積極的に迫っている。
 誰が見ても面白くはない状態。だが、それをアリスに言えないのはアリスが持つ公爵令嬢という地位と周りを囲む男たちのせい。
 もしアリスに乱暴な言動を放ったことが王子やカイルにバレでもしたら嫌な認識をされてしまう可能性が高く、令嬢たちにとってそれは最も避けなければならないことであるため、誰も不満を本人にぶつけることはできないでいる。
 リオはカイルがこの学校の生徒である間はアリスに下手に近寄ることができない。だが、近くにいればいるほど想いは募るばかり。手を伸ばせば届く距離にいるのに触れることさえ許されない恋をするリオにとって簡単にアリスに触れるセシルは邪魔でしかないだろうと考えたティーナはそのまま腕に抱きついたままカフェテリアへと向かった。
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