愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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素直になれない

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「おはよう、アリス」

 教室に入ると真っ先に挨拶をしてきたのはティーナだった。
 リオと何か言い合いをしていたようでリオが「話はまだ終わってねぇぞ!」と怒鳴っている。

「ねえ、知ってた? リオの想い人の話」
「ティーナ! 言ったらお前が女でも容赦しねぇからな」
「なに? 殴るっての? 男が女に暴力振るうわけ?」
「その自慢の顔、歪ませたくなきゃ黙ってろ」
「こわーい。アリスの前だからってイキらないでよ」

 リオが本気で怒っている。それでもティーナは怯えるフリをしてアリスの後ろに隠れてリオを笑う。

「ねえねえアリス、リオってね、アンタのことが大好きなのよ! キャーッ! 幼馴染の恋って本当にあるのね!」

 教室中に響き渡るほどの大声で告げたティーナにリオがカッとなり、机を薙ぎ倒しながらティーナに詰め寄るもティーナは足速に移動する。

「なーに怒ってんのよ! 自分じゃ告白できないから私が手伝ってあげたんじゃない!」
「黙れ! 容赦しねぇって言ったよな? 覚悟できてんだろうなぁ!」
「アリス助けて! リオがすごい怒ってるの! こわーい! ねえねえ、リオがアンタのこと好きだって知ってた?」

 またアリスの後ろへと隠れると耳元でクスクス笑いながら問いかけるティーナに振り返ったアリスは笑顔もなくティーナを見た。

「知ってた」

 ハッキリと肯定したアリスにその反応は予想外だったのかティーナが一瞬固まる。

「へ、へー! 知ってたんだぁ! 知ってたのに応えてあげなかったの? それって結構残酷じゃない? アリスってそういうタイプだったんだねー!」
「私が気づいてただけでリオちゃんから告白されたわけじゃないもの」
「えー、でもさぁ、普通はさぁ、応えてあげるくない? だって勇気がなくて告白したくてもできないだけかもしれないのに。気付いてる人間がチャンス与えるのって優しさだと思うんだけどなー?」

 リオ・アンダーソンという男を気に入らない人間は多い。転入初日から最悪の印象を植え付けたリオがアリス・ベンフィールドに恋をしている事実を面白おかしく聞いている者は多かった。
 誰もティーナの暴走を止めようとせず、興味にニヤつきながら見ている。
 今までならその光景を気にすることはなかったアリスだが、今日はやけにその光景が目につき癪に触った。

「普通は人が言うなって言ったことは言わないと思うけど」
「は?」
「普通は人が怒ってる時点で止めるし、怒らせたのが自分なら謝ると思うけど」
「……なに? 私に説教してるつもり? 何様なの?」
「何様なのはそっちでしょ。手伝ってあげたとかチャンスを与えるのが優しさだとか、相手がそれを望んでないのに余計なことして。それって善意じゃなくて悪意しかないでしょ?」

 急に強気に出るようになったアリスにティーナの表情が怒りで歪んでいく。
 いつも後ろに立って引き立て役になっていたアリスが自分に真っ向から反抗してくることが気に入らない。

「人が人を好きになることってからかうほど面白いこと? それこそ普通に、自然なことだと思うけど、ティーナもあなたたちもそうじゃないのね。恋をしたことがないの?」

 座って見ているだけのクラスメイトに問いかけるように見回すと笑っていた者たちが下を向いて自分は関係ないという態度を取る。

「リオちゃんが誰を好きでも、それをからかう資格なんて誰にもない。ましてや勝手に伝えるなんて最低な人間のすることだよ」
「私が最低な人間だって言いたいの?」
「そうだよ。ティーナがしたことは最低な行為。それを正当化しようとするティーナは最低だよ」
「ッ! 偉そうに上から言ってんじゃないわよ!」

 言いきったアリスに右手を振り上げたティーナの手が頬に当たる前にアリスが掴んだ。

「ッ!? このッ……生意気なのよ!」

 振り上げられた左手も掴まれると驚きに目を見開くティーナをアリスが対峙するように見つめる。

「リオちゃんに謝って、ティーナ」
「は? 謝る? どうして私が謝らなきゃいけないのよ! 私は手伝ってあげたのよ! リオにチャンスを与えてあげたのよ! 感謝こそすれ謝れなんて言われる筋合いないから!」
「いつもいつもそうやって自分を正当化して、都合の悪いことは全部人のせいにするのやめたほうがいいよ。ティーナのそういうとこ大嫌い」
「ッ!? アンタごときが私を嫌いなんて口にしてんじゃないわよッ!」

 意外にも力があるアリスの手を振り解けない苛立ちから足を上げたティーナの蹴りがアリスの腹部に入り、そのまま後ろへと倒れそうになったアリスをリオが受け止める。

「アリス大丈夫か!?」
「ゲホッゲホッ……! だい、じょうぶ……平気」

 渾身の力を込めた蹴りの痛みに何度かむせ返るも深呼吸を繰り返して立ち上がるアリスの背を支えるリオはアリスが完全に立ち上がってからティーナに歩み寄り

「なによ。アリスが悪いんだか──ッ!?」

 ティーナの言葉を遮るように思いきり拳を頬に叩きつけた。
 軽い身体は簡単に宙に浮き上がり、そのまま後方の黒板へと背中を強打させる。
 背中をぶつけた際に頭を打ち付けたティーナは床へと倒れ、そのまま意識を失った。
 教室中に響き渡る悲鳴と廊下へ逃げ出す生徒たち。
 大騒ぎになった教室に教師たちが駆けつけ何事だと声を上げる。

「アリス、保健室行くぞ」
「大丈夫。心配しな──キャッ! ちょ、ちょっと、リオちゃん! 大丈夫だってば!」

 急に抱え上げられた感覚に反射的に首に腕を回すも保健室は大袈裟だと言い、降ろしてもらおうと胸を押すがリオにその気はなく足を進めて保健室へと歩いていく。

「リオ・アンダーソン!」

 後方で教師の声がする。

「止まりなさい!」
「アリスを保健室に連れてくんだよ!」

 リオが抱えている相手がアリス・ベンフィールドだとわかった教師は怒り顔もどこへやら止めることはしなかった。
 アリスに何かあればあのうるさいカイルが出てくる。
 教師も面倒なことはお断りだとリオを見送ることにした。

「どうしたの? 捻挫?」
「捻挫じゃねぇよ」

 抱えられて入ってきたアリスに保険医が驚き、椅子から立ち上がって早足で寄ってくる。
 アリスをベッドに下ろしたリオはティーナの行為を思い出して舌打ちを鳴らし、保険医はリオに説明を求めた。

「ティーナのバカがアリスの腹を蹴ったんだよ」
「お腹を蹴られたの!?」
「大丈夫ですよ」
「とりあえず横になりなさい。内臓はとても弱いんだ。痛みはない?」
「大丈夫です」
「本当に?」

 疑っていると目で訴える保険医にアリスは苦い顔をしながら「少し痛いです」と答えた。

「お兄様を呼ぶ?」
「まさか。お兄様は一人で大事にしてしまいますから。少し休んだら教室に戻ります」
「一時間ぐらい寝ていなさい」
「はい」

 来たばかりなのに一限目を休むことになってしまったと目を閉じるアリスだが、ガタッと傍で鳴った音に目を開けるとリオが椅子を引っ張ってベッドの側に置いて座っていた。

「リオちゃんは戻って」
「トドメさしてこいってことか?」
「ちーがーう。暴力はダメってお兄様に言われたでしょ?」
「正当防衛だ」
「リオちゃんがされたわけじゃないのに」
「お前が蹴られたのに我慢なんざしてられるか」

 リオもよくアリスにちょっかいをかける嫌がらせをしていたが、後悔と反省を涙と共に伝えた。
 問題を起こせば退学だとわかっていたが、リオは我慢できなかった。
 頬を叩かれたのであればまだ我慢もできたのだが、腹を蹴られるという紳士でもしないような行動に出たティーナに我慢できず拳を叩きつけた。
 女の顔を殴るという最低の行為もリオにとっては大事ではなく相手が女だろうと容赦はしない。

「ありがと、リオちゃん」

 リオの人生にありがとうとお礼を言われた経験はあまりにも少なく、どうにもくすぐったく感じた。

「別に。俺がムカついたからやっただけだし」
「保健室まで連れてきてくれたこと」
「あ、ああ、別にこんぐらい普通だし。お前に何かあるとカイルがうるせーからな」
「そうだね」

 保険医が伝えずともこの問題は必ずカイルの耳に入るだろう。生徒会に入れた一年がカイルに伝えるはずだ。
 駆けつけてまたドアを壊すのではないかとアリスは少し心配していた。

「出席日数足りないと留年するよ?」
「生徒会に入ってるから点数は足りる」
「関係ないよ」
「うるせーな、お前の指示なんか聞かねぇぞ。お前は黙って休んでろ」

 ティーナが気を失ったことは大したことではない。頭をぶつけた音と衝撃から脳震盪を起こしたことは確実で、それが問題にならないはずがないとリオも覚悟はしている。
 アリスが蹴りを受けた以上はアリスを守ったことにはならずカイルとの約束も破ったことになる。だからカイルが守ってくれるとは思っていないし、父親への謝罪を今から考えておかなければならないとさえ考えていた。
 だが後悔はない。父親には申し訳ないと思っているが、リオにとってあの場でティーナを殴らず保身のために我慢していれば間違いなく後悔していた。
 だからリオはカイルに聞かれても隠すことなく答えようと決めた。

「顔色悪いぞ」
「大丈夫だよ。多分びっくりしただけ」
「ホントかよ……」
「ホントだよ。刺すような痛みじゃないから大丈夫」

 そう言ってから十分後、アリスは眠りに落ちていた。

「……アリス?」

 静かに声をかけても反応はない。

「なんでお前がいいんだろうな」

 アリスはお世辞にも美人とは言えない。ほとんど化粧をしないせいもあるのかもしれないが、地味顔。
 両親は整った顔をしており、良い所は全て兄のカイルが持っていってしまったとからかったこともあった。

『公爵令嬢のくせにブス!』
『お前だけブスなんておかしいだろ!拾われた子じゃねぇの?』
『ノロマ! ガリ勉! ブス!』

 思い返せば最低な子供だった。
 好きなくせに優しくできなくて、からかうことで接点を持っているつもりでいたのだ。
 普通に話しかければよかっただけなのにそんな簡単なことができなくて、いつもアリスに嫌な顔をされた。
 それでも子供の頃はアリスが自分を認識していることや自分のかけた言葉で反応していることが嬉しかった。独りよがりな子供だった。
 だから国外へ出て生活しなければならない間、何度もアリスのことは忘れようと思った。もう二度と近付いてはいけないのだとも。
 だが、結局はできなかった。母親が死んだことで帰国が許され、同じ学校に入ることも許可された。声をかけないことだってできたのにアリスを見つけてすぐに声をかけたのだ。
 意思の弱さに自分でも引いた。でも予想外にアリスは自分の存在を受け入れてくれて笑顔さえ見せてくれた。
 涙が出そうになるほど嬉しかった。

「素直になれなくてごめん」

 ダメだとわかっているのに口から出るのはいつも乱暴な言葉ばかり。家に帰って毎日頭を抱えてベッドの中で丸くなる。
 明日こそは、明日こそは、と毎日気合を入れるのにアリスを見るだけで心拍数が上がって、考えている言葉とは正反対の言葉ばかり出てきてしまう。
 アリスの反応がなければこんなにもちゃんと口にできるのにと情けなさと共に唇を噛み締める。

「アリス……」

 穏やかに眠るアリスの唇に目が行くとリオはそれに引き寄せられるように身体を傾けるが

「それって犯罪じゃない?」

 後ろから聞こえた声に慌てて立ち上がり振り向くとセシルが立っていた。

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