愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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公開プロポーズ

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「席まで送ってくれなくてもよかったのに」
「僕が送りたかったんだ」

 リオが学園長室に行った後、セシルは教室前ではなく教室の中まで入ってアリスを席にエスコートした。
 大袈裟すぎると苦笑するアリスに笑顔を向けるセシルはリオが消えたことで上機嫌に変わっている。
 二人が言い合いをするため嫌でも起きてしまったアリスは二人の会話に羞恥と呆れを感じて耐えられなかった。
 セシルの真っ直ぐな想いは嬉しい。だがリオをバカにしてほしくはない。
 リオは好かれにくい人間で嫌われやすい。だから友人と呼べる人間はいなかった。
 アリスとしてはリオに友達ができてくれれば嬉しいが、あの言動では難しいことはわかっている。
 セシルは意外にも気が強く、教師でさえ怖がっている睨みも態度もセシルは一切気にしない。
 二人が仲良くなってくれれば、と思っても二人にその気はない。
 セシルが自分のテリトリーに入れるのは認めた相手だけ。カイル、ヴィンセル、アルフレッドだけ。異性はアリスのみ。
 だからこそ余計にアリスに依存しつつある。セシルのファンがいる教室の中までアリスを送ってしまうのも一秒たりとも離れたくないから。

「アリス、こないだはごめんね。一生記憶に残るデートにするって約束したのに僕のせいであんなことになって」

 ここで話すつもりかと驚いたが、詳しい内容は言わなかった。

「え、なに? あの二人デートしたの?」
「セシル様がアリス様とデートしたってこと?」

 セシルファンのザワつきが耳に痛い。

「セシル、その話はまたランチのときにでも……」
「本当はすぐに謝らなきゃって思ってたんだけど、ごめんね」

 謝る必要はない。アリスは巻き込まれた側だが、セシルもそうなのだ。セシルにはなんの責任もない。それでもセシルが見せる表情と声色に馬車を降りてからもずっと気にしていたのだと伝わってくる。

「セシル、あれはセシルが気にするようなことは何もないから謝罪は必要ないし、気にしないで」
「でも、台無しになっちゃったから。せっかく君のご両親に認めてもらえたデートだったのに」

 ザワつきが大きくなり、声を震わせ泣いている女子生徒もいる。
 
「セシル、教室に戻ったほうが──」
「リベンジさせてほしい」 
「リベンジ?」
「そう、一生の思い出になるデートのリベンジ」

 セシルの言葉に笑ってしまったアリスは握られた手をそっと握り返して首を振った。

「あれはもう一生忘れられない思い出になったよ。あれはあれで良かったんだと思う」

 あの誘拐事件がなければ犯人は今もどこかに潜んでいて、セシルを狙っていたはず。
 セシルが銃を持っていたのは何か起きたときのためだが、あの男の前では震えているしかできなかった。
 アリスがいなければいつ発見されたかもわからず、発見されるかどうかもわからなかった。
 セシルの過去、アリスが銃を扱えること、それは互いが知られたくないこと。それを知ったこと、誰にも話せないようなことを経験し、もう二度とセシルがあの男に脅かされることはないのだから。
 怪我もなく終わった事件。アリスはあれで良かったのだと心から思っていた。

「……やっぱり君が好きだ」

 ハッキリと告白したセシルがアリスにキスをすると廊下にまで響き渡るほどの悲鳴が上がった。
 アリスとセシルの仲についてはずっと囁かれていた。毎日毎日一緒に過ごしている二人は絶対に付き合っていると言う者とカイルが交際を許すはずがないのだから絶対にありえないと言う者。
 誰も二人の関係に証拠を出せなかったため付き合っていない可能性もあるとファンにとっては希望だったことも、この瞬間に崩れ落ちた。
 貴族の間ではデートをするだけなら男が申し込んで女が受けるだけで成立するためおかしな話ではないが、キスは恋人でなければしない。
 何より、セシルの言葉がアリスへの好意を明確に表している。
 まさか教室でされるとは思っておらず、驚きに固まるアリスが動くまでセシルは唇を離さなかった。

「セ、セシル!」

 ハッとして顔を引いたアリスに合わせてセシルも顔を引くが、表情は対照的なものだった。

「やっぱり君が好きだ。君を僕の妻に迎えたいし、僕の妻は君しか考えられない。本当に……心から愛してる」

 嫌だと泣き崩れる女子生徒の悲鳴をセシルは気にもしていない。

「セシル、そういう話はこんな場所じゃなくて……」
「ごめん、そうだね。でも、今のこの気持ちを君にちゃんと伝えたかったんだ」

 学校での公開告白にロマンなどない。門から玄関へと続く道の真ん中にある大噴水の前でならまだロマンもあったかもしれないが、ここは教室。
 周りから聞こえるのは祝福の声ではなくざわめきと悲鳴。これもまた一生の思い出となるのだろうと思うが、今はそれを微笑ましく思うことはできず苦笑しか浮かばない。

「またお昼休みに迎えにくるよ」

 この話もきっとカイルの耳に入ってしまうのだろうと思うと気が重かった。
 教室に戻ろうと廊下へ向かうもセシルの足が途中で止まる。

「ん? やあ、アボット嬢」
「ナディア様……」

 ナディアとアリシアが廊下に立ってこっちを見ていた。さっきのセシルの発言を聞いていたのだろう、顔が青くなっている。
 まだ仲直りができていないアリスにとってナディアにショックを与えた今の状況はマズイが、セシルの気持ちはセシルにしか止められないため、なんと声をかけていいのか分からなかった。

「悲鳴と泣き声の阿鼻叫喚に何事かと思って来てみたのですが、なるほど、セシル様の公開プロポーズでしたのね」
「プロポーズじゃないよ。それはまだ」
「愛を囁くことはプロポーズも同然ですわ。愛を囁いておきながら指輪を渡さないなんて紳士の片隅にも置けないようなことはしないでしょう?」
「指輪はもう用意してあるんだ」
「サイズをご存じでしたの?」
「僕が何度アリスと手を繋いだと思ってるの?」
「あら、お惚気さんですの? わたくしお腹いっぱいですわ」
「ごめんね。今日は彼女に惚れ直しちゃって気分が良いんだ」
「それはそれは」

 セシルはナディアからの好意には気付いている。アリシアはもちろんナディアの気持ちを知っている。それでも二人は遠慮せず話をする。
 ナディアにとってセシルはただの推しだったはず。それなのに今はそう言いきれないほど青い顔で震えている。
 
「セシル様…………結婚、なさい、ますの?」
「アリスが受け入れてくれればね。婚約すっ飛ばして結婚したいと思ってる」

 ナディアの心情は教室の中で泣き崩れている女子生徒と同じだった。

「ど、どうしてアリスですの?」
「ちょっとナディア」
「だ、だってアリスが好きなのはヴィンセル様ですのよ!?」

 軽いパニックを起こしているナディアの言葉にザワつきは大きくなる。

「ヴィンセル王子のことが好きなのにセシル様と仲良くしてたってわけ?」
「ズルい女ね」
「リオのこともでしょ?」
「最低」

 わざと聞こえるように言っているだろう女子生徒にアリスが振り返ると顔を逸らす。
 今までならアリスは俯いて聞こえないフリをしていたが、不思議ともう怖くはない。俯いて聞こえないフリをして傷つきながらの平穏はもう欲しいと思わなかった。
 聞こえるように言い、目が合ったのだから面と向かって言えばいいのにそうしない相手のほうがよっぽど最低だと思った。

「だから?」

 セシルも同じだった。 

「アリスがヴィンセルを好きなことと僕がアリスを好きになることになんの関係があるの? 好きな人がいる女性を好きになっちゃいけないの?」
「そ、そういうわけではありませんが……」
「アリスが誰を好きでも関係ない。僕はアリスがアリスだから好きになったんだ。誰かになんでアリスなの、なんてバカにしたような聞かれ方したくないね」
「バカにしたわけでは──ッ!」

 セシルの冷たい目にナディアは一瞬心臓が止まったような感覚を覚えた。

「まあ、君の気持ちなんてどうでもいいけど。誰が何を言おうと僕はアリスを愛してるし、アリスを妻に迎えたい気持ちは変わらないから」

 ナディアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
 遠くから見つめているだけでよかった、今日もあそこで生きていると思うだけで幸せだった気持ちは一度近くで話せただけで、認識されていると分かっただけで欲深くなってしまった。
 もっと話したい、もっと知りたい知ってほしい、触れたい──と。
 セシルを先に推していたのは自分で、アリスは興味さえなかったのに今は誰よりもセシルと仲が良く、仲が良いという言葉では足りないほど親しくなっている。
 それがナディアの嫉妬を加速させていった。
 そしてそれはセシルが最も嫌悪する感情。
 話すようになった頃はナディアのサバサバした感じに好感を抱いていた。しかし今は失望さえ感じている。

「どいて」

 涙を流すナディアに罪悪感を抱くことはなく、セシルはドアを塞いでいるナディアに邪魔だと告げ、アリシアがナディアを引っ張ることで道を開けさせた。

「ごめんね」

 振り返ったセシルがアリシアに謝るとその意を解したようにアリシアは首を振った。

「アリス、また今度お茶しましょうね」
「あ、はい……」

 アリシアの態度は変わらない。ナディアはこちらを見ない。
 恋愛になると人間関係が拗れる。友達だった人は友達ではなくなることがあり、当事者同士も気まずくなることがある。
 小説の中で何度も読んだ状態にまさが自分が陥るとは思っていなかった。
 セシルからの求愛を断ればもう話すこともできなくなるかもしれない。
 婚約者なんていなくてもいい。誰かに本気で好かれなくてもいい。そう思っていたのに、そうはいかない。
 いつまでも兄は傍にはいないし、変わらない人生など存在しない。
 変化が怖いアリスにとって恋は無用のものだった。

「どした?」

 本鈴が鳴る前に戻ってきたリオが教室の中で女子生徒だけが泣いている状況がなぜなのか理解できず首を傾げるも声をかけるのはアリスにであって他の者には聞かない。

「ううん、なんでもない」

 リオの気持ちもまた自分に向いていることでセシルが焦っているのかもしれないと思うと苦笑しながら首を振ることしかできなかった。
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