愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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同情か親切か

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 夕飯時、何かを考え込むように一点を見つめて固まっているアリスにカイルが声をかけた。

「アリス、どうした?」
「え?」
「え?じゃなくて、何か考え事か?」
「あ、いえ、別に……」
「別にって感じじゃないだろ。何か悩みがあるなら兄様に言え。お前の悩み事は兄様が解決してやるから」

 兄だけではなく両親までもが手を止めて注目していることに気付くとアリスはナイフとフォークを置いて口を開く。

「リオちゃんの──……アンダーソン家が馬車を手放したって知ってる?」
「ああ」

 当たり前のことのように反応するカイルにアリスはやはりかと納得するが、母親は知らなかったようで驚いた顔をしている。
 貴族が馬車を手放すことは不便でしかない。所持する領土が大きければ大きいほど足がなければ困るのだから。
 だが、国外追放を受けたアンダーソン家が手放した領土は少なくない。
 必要時には馬車を呼ぶつもりなのだろうかと考えるもアリスはあの二人の暮らしが気になっていた。

「どうして手放したのかしら?」
「贅沢する必要はないって話し合ったらしいの」
「資金繰りに苦労していると聞いたよ」
「残っている領土を考えれば収入はだいぶ減ってるだろうからな」
「色々売りに出しているとも聞いた」
「目利きは確かだからな、アンダーソン子爵が所持する絵画は値打ちがあるものばかりだ。売れば少しは足しになるだろ」

 他人事なのだから当然だが、カイルの素っ気ない答え方にアリスは寂しくなる。
 過去にリオから受けた仕打ちを忘れたわけではないが、根には持っていない。アリスは許しているがカイルは許していない。
 だから情報が入ってきていても驚くこともなければ心配もしない。

「馬車を一台手配してあげるのはどう?」

 母親の言葉にカイルが鼻で笑う。

「資金繰りに苦労してるって言葉、聞こえなかったか?」
「聞こえた。だから馬車を用意してあげたらどうかって提案したの」
「その馬車の維持費は誰が負担するんだ? うちか? それとも母上の個人資産からか?」
「馬車の維持費ぐらい私が負担したっていい。何もしないなら黙ってなさい。そうやって生意気な口ばかり聞いてるとパイに顔突っ込ませるわよ」
「ハッ、没落寄贈なんて珍しくもなんともない世の中だ。アンダーソン家はもともと没落していたようなもの。今更どうなろうと本人たちも焦ってはいないだろうさ」
「どうしてこんな性格の腐った子に育っちゃったのかしら?」
「良い遺伝子は全て妹のために置いていたからな」 
「ああ、そうね。アリスがあなたに似なくて本当によかった」

 親子でありながら相性の悪い二人にアリスは父親と顔を見合わせて首を振る。

「私もお母様と同じ提案をしたの。お父様にお話してみるわって。でも、リオちゃんは望んでなかった。自分たちでやっていくって」
「聖フォンスは学費だけでも相当な額だ。学校を変わったほうが楽にはなるだろうが……」

 リオは転校を望んではいない。転校してしまえばアリスに会えなくなってしまうから。
 だが、自分が学校を変わることで父親が楽になるのならと考えて了承する可能性はある。
 愛する妻を、愛する母を失った親子の絆は強く、互いが互いのためを思っている。だからきっと父親も息子に学校を変わってほしいとは言い出さないような気がしていた。
 自分が苦労をしてでも息子にはあの学校を卒業させると思っているだろう。
 アンダーソン子爵の人柄を思い出すと胸が締め付けられる。

「お兄様、何かリオちゃんの……アンダーソン家のためになる制度はないの?」
「ないわけじゃないが、リオはその制度を利用することは難しいな」
「どうして?」
「素行の問題だ。アイツは転入してくるまでパブリックスクールにいた。本来ならそれだけで素行調査に問題はないと出るはずなんだが、リオは違った。アイツは向こうでもそれなりに暴れていたらしく、そういう生徒には補助が下りない」
「で、でも、そういう制度は困ってる生徒のためのものでしょ?」
「将来性のある生徒のためだ」
「リオちゃんはないって言うの? なんのための、誰を助けるための制度なの?」

 興奮するアリスを落ち着かせようと頭を撫でるカイルだが、今にも泣き出しそうに眉を下げるアリスを見て肩を抱いた。
 腕を摩り、頭に頬を乗せればどうしたものかと出る溜息。

「今のままでは融資も通らないだろうしな」
「銀行はシビアだ。貴族が相手だろうと返済計画がなければ融資はしない。リオが聖フォンスに通い続けるなら絵画に彫刻だけでなく家も売って小さな家に住むべきだろうさ。二人で今の家は大きすぎる」
「贅沢な暮らしは必要ないと親子で話し合ったのならそれもいいかもしれないな」
「でも、あの場所は家族の思い出が詰まってるのに……」
「死者のために生者が苦しむことを死者は望まない。アンダーソン夫妻はリオの卒業を願っているだろうし、子のためにできることを選んだほうがいい」
「苦労知らずのお坊ちゃんが言うじゃない」
「苦労知らずの母親と違って俺は外の世界とも繋がってるもんでね」
「シンディー、やめなさい」

 絡んでも面倒なことにしかならないとわかっているのに絡む妻を注意するとカイルが片方の口端を上げて嫌味な笑みを浮かべる。
 目の前にあるミートパイを皿ごと息子の顔に押し付けてやりたい気持ちを抑えて食事を再開する。

「うちが融資をしてもいいが──」
「受け取らないだろうな」
「だろうね」
「リオちゃんもそう言ってた」

 アリスには想像もついていなかったことを二人は一瞬で想像がついたらしく、同時に頷いて同じように息を吐き出した。

「四十分かけて歩いて登下校するの。四十分よ? 私だったら足が折れてる」
「まだ若いと言えどしんどいだろうな」
「そうか?走れば二十分だ。二十分ぐらい走れるだろう」
「だったらあなたも明日からそうしなさい」
「してもいいが、俺は生徒会長だ。走って登校するなんてみっともない真似はできないんでね。母上こそ少し走ったらどうだ? 最近少し食べ過ぎなんじゃないか? 顔が──っと、淑女として正しい振る舞いではないなぁ、母上」

 食べ過ぎの自覚がある母親が持っていたナイフを投げようとするのを指差して指摘すると止まるが思いきり舌打ちをされる。
 完璧な淑女と名高いシンディー・ベンフィールドの姿とは思えない表情とは正反対の表情で笑うカイル。

「いい加減にしなさい。そんなに言い合いがしたければ外に行け」

 父親の一喝に黙り込んだ二人は同時にフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
 普段ならこれも仲が良い証拠だと言ってアリスも父親も笑うのだが、今はそういう気分にはなれない話題の途中。

「あのね、だから私、明日からの登下校、リオちゃんと一緒にしようと思うの」
「アリス、そんなことしてやる必要がどこにある」
「困ってるの」
「歩けば着く」
「朝から四十分も歩きたくない」
「リオは平気なんだ」
「私が平気じゃない! 気になっちゃうの!」
「気にしなくていい。リオにはリオの事情がある。お前が関わるべきことじゃないし、お前が悩んだところで現実は変わらない」
「でも馬車に乗せてあげるぐらいできる」

 言いたいことがあるのだろうが兄として我慢しているカイルが唸り声を上げながら乱暴に髪をかき乱してから改めてアリスを見る。

「アリス、兄様は──」
「分け与えられる物があるのにどうしてそうしちゃいけないの?」
「リオはお前に何をした?」
「そんなのもう気にしてない」
「俺は気にしてる」
「お兄様の意見は知らない。私が受けたことを私が許してるのにどうしてお兄様が厳しくするの?」
「また同じことにならないとは限らないからだ」
「ならない」

 もう二度と同じことは起こらない。リオは泣くほど反省していたし、間違えばその場でちゃんと謝ることもできるようになった。
 焦るとパニックになってつい出てしまう言動も指摘するだけで直すのだ。
 エレメンタリースクールのときのような出来事は繰り返さないと断言するアリスにカイルが眉を寄せる。

「人間は簡単には変われない。だからリオは反省もせず愚行を繰り返し続けているんだ」
「私が言い聞かせる」
「必要以上に接触をするな」
「お兄様に命令されることじゃない」
「俺はお前を心配してるんだ。お前がまた階段から落ちるなんてことがあれば俺は今度こそリオを殺すぞ」
「お兄様……」

 冗談ではないその言い方にアリスは何も言えなくなってしまう。
 カイルはキレると何をするかわからない。アリスどころか両親でさえも想像がつかないのだ。
 アリスのためならカイルは命さえも投げ出すほど溺愛している。アリスがまた傷付けられるようなことがあればカイルが人を殺すというのも想像できないわけではなかった。

「カイル、むやみに物騒な言葉を使うべきではないよ」
「俺も言いたくて言ってるわけじゃない。人に優しくできることはアリスの長所だが、相手を選ぶべきだ」
「そうだな。だが、人に手を差し出すのは悪いことじゃない。お前が反対しているのはアリスの気持ちを無視した個人感情のせいだ。馬車で登下校するだけで何が起こる。お前が目を光らせているんだろう?」
「当然だ」
「ならチャンスは与えるべきじゃないか? 力を持つものは寛容であらねばならない。わかるな?」

 チッと思いきり舌打ちをしたが父親は怒らなかった。それが父親である自分に向けられているものではなく言い返せない己にしたものだとわかっているから。

「アリス」
「はい」
「リオ君のこと、少し気にかけてあげなさい。言葉ではなく感情を読み取ってな」
「はい」

 言葉で気にかけると恩着せがましくなってしまうことはアリスもよくわかっている。過去に何度もティーナに言われたからだ。
 アンダーソン家がベンフィールド家からの支援を望んでいない以上はアリスから何を提案したところで親子揃って受け入れることはしないだろう。
 だから表情や言動から様子を読み取っておけと言う父親の言葉に強く頷いた。

「必ず向かいに座ること。隣には座らせるな」
「わかってる」
「手を繋がれそうになったらビンタしろ」
「しない」
「ならパンチだ」
「しない」
「脛を蹴飛ばせ」
「しないってば」
「ならキスされたらどうするつもりだ!?」
「お兄様に言うわ」
「……良い子だな」

 笑顔になったカイルのチョロさに両親は呆れ、肩を竦める。
  
「兄様はいつでもお前の味方だからな」

 味方だと言うなら最初から全面的に味方でいてほしいと思うのはわがままだろうかと考えるアリスだが、問いかけたところでどうせ論破されるのはわかっているのだからと何も言わずに食事を再開する。
 リオのために自分ができることはなんだろう。
 部屋に帰ってからもアリスは答えの出ない悩みを一人考え続けていた。
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