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会席料理
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「立花さん、ちょっと相談乗ってもらえませんか?」
中園からそう言われるのはこれが初めてではない。上司として部下の悩み相談を受けるのも仕事のうちと認識はしているが、柊は「悪い」と断った。
「すごく悩んでるんです」
「仕事についてか?」
「はい」
「辞めるとか?」
「それも考えています」
それが嘘であることは表情を見ればわかる。中園の嘘は見抜きやすい。典型的な型に嵌め込まれた女であり、柊はこういう女の相手はし慣れていた。誰かからパワハラを受けているわけではなく、仕事が遅ければ誰かがフォローに回り、本人には言っていないが移動の話も出ている人間が辞めたいと思う理由がない。
「会議室に行くか?」
そう言えば返ってくる答えは一つ。
「お食事しながらじゃダメですか?」
思ったとおり。
中園は過去にも柊が合コンの日にあえて相談を持ちかけてきたことがあった。
今日は朝から『悪いが、今日は何があろうと定時で上がらせてもらう』と言ってあったため、こうして声をかけてきたのだろう。
「食事しながらでいい相談ならアイツらにしてくれ」
「立花さんに聞いてもらいたいんです! 本当に悩んでて……」
じわりと涙を滲ませるのさえ演技だとわかる。こんな風に自在に涙を操れる女はすごいと本気で感心する。だからといって心揺らぐこともない。
「今日は皆で飲みに行くって言ってんだけど中園も来る? 悩み聞くぞー」
「立花さんも来てください」
そっと伸びてきた手から逃れるように鞄を持って立ち上がる。
「今日はデートとか?」
瑠璃川のニヤつきにニヤつきを返す。
「会席料理食うんだわ」
「え、どこの!? まさか……燐?」
「家で食うんだわ」
「弁当?」
頭上の電球が光らない瑠璃川の頭を静電気を立てるように撫でると柊が笑顔を見せる。
「大和撫子はいいぞ、瑠璃川。お前も頑張れ」
「え、まさか……」
「中園の悩み聞いといてやってくれ。お疲れさん」
そのまま颯爽と帰っていった柊に興奮していたのは瑠璃川だけで中園は面白くないを表情に出して拳を握りしめていた。
「んんッ……ふー……」
足早に帰ってきた玄関ドア前。いつもなら鍵を開けて「ただいま」と言うが、今日は違う。自宅だと言うのに玄関前で深呼吸をしてからインターホンを押した。
「立花様、お待ちしておりました」
「お世話になります」
互いに打ち合わせをしたわけではないが、行けなかった店に行ったつもりでやろうと勝手に行動した柊に椿は合わせようとしていた。
「ようこそお越しくださいました。お鞄、お預かり致します」
中に入ると靴を脱いでから鞄を預け、上着も預ける。中からは既に良い匂いが玄関まで漂っていた。期待値が上がる。
普段は開きっぱなしのドアが閉まっている。それも演出の一つだろうか。椿がそっとドアを開けると目を見開き、足が止まった。
この家に和室はない。リビングにはダイニングテーブルとソファーとコーヒーテーブルがあったはず。でも今、柊の視界に広がっているのは間違いなく洋室。
「今日のことをお話したら三森さんと大神さんが手伝ってくださいました」
張り替えたわけじゃない。フローリングの上に畳が置いてあるだけ。その上には立派なローテーブルがあって、ソファーとダイニングテーブルが見えないように立っている衝立がまた和を作り出している。
「足元、お気をつけください」
置いただけの畳であるため段差に気をつけながら上がって席につく。久しぶりの畳の感触。でもここは自宅。違和感しかないこの状況さえ自分が仕事に行っている間に色々動いて作り上げてくれた物だと思うとニヤつきが止まらなくなる。
「一つずつお出ししましょうか」
それをどうするか考えていた。一緒に食べるのが理想的だが、きっとこの料理は椿が考えに考え抜いた物。食事しながら食べるべきではないのではないか。たが、椿の渾身の作だからこそ一緒に食べたい。その考えも譲れない。
「味見でお腹いっぱいとか?」
一瞬、椿の動きが止まった。図星だ。そうじゃないかと思っていた。椿の性格上、前日に完璧な味付けをマスターできたとしても当日も不安になるに決まっている。慣れた料理ではないからこそ不安になる。そして失敗は許されないと気負ってもいる。
予想どおりの答えにクスッと笑う柊に椿は恥ずかしそうに袖で顔を隠した。
「一つずつ説明してくれるか?」
「かしこまりました」
そう言うと今日この瞬間のために用意した食前酒のグラスが運ばれてくる。
「私はお酒のことはわかりませんので、三森さんと大神さんにお聞きしました」
献立を考える上で最も重要な食前酒。色合いや季節感を考えて選び、先付が運ばれてくる前に少し口を付ける物。
置かれた食前酒を持って一口飲む。
「さすが三森。美味い」
「どうして三森さんだと?」
「大神にまだこの酒は選べないだろ」
「まあ。大神さんが聞いたら悲しみますよ?」
「事実だし」
甘すぎず、かといって口の中に残るほど辛くもない。何を食べても邪魔しないすっきりとした味わいの日本酒。
「先付でございます。手前から食べ進めてください」
所謂お通し。和食器に乗せられた小さな三品。湯葉、白子、ゆず、大根、アンコウの肝。漠然と食べるのではなく一つ一つに集中して味わう。食材がなんなのか、どういう調理法か探りながら食べるのは楽しい。取引先との駆け引き中に出される会席料理とは違い、一つずつ味わって食べることができる。
少量の先付け。食べきってしまうのが惜しいと感じるほどあっという間になくなってしまう。
食べ終え、酒に手をつけての休憩。それから少しして吸い物が出てきた。
「吸い物は箸洗いとも呼ばれております。本格的な料理の前にお箸とお口の中を綺麗にするための物ですね」
「これは?」
「海老しんじょです」
すまし仕立ての汁物。箸洗いと呼ばれているのは初めての情報。透き通った出汁の中には飾り切りされた大根や人参、海老しんじょまで入っている。
酒と同じようにそっと一口喉に通すと見た目は水のように透き通っているのにしっかりと出汁が出ており、味噌汁のように口の中に何かが残ることはなく確かに口の中が洗い流されていく。
「お造りでございます。淡白な白身や貝類からどうぞ」
刺身。小さめに切られたマグロ、ほたて、はまち、甘エビ、鯛が二切れずつ乗っている。
「お酒はいかがなさいますか?」
「んー……いや、今はいい。合うだろうけど強いわけでもないから酔いたくない」
酒があれば今よりもっと楽しめるだろう。でも酔っ払って上機嫌で食べ進めたくない。パクパクと菓子を食べるように食べていいものではない。目の前に出てくるこれらは明日の夕飯として気軽にリクエストできる物ではなく、椿が一週間考えに考え抜いて作り上げた物。三口で飲み干した食前酒だけで充分だった。
旬を味わえる刺身は身がしっとりとしていて甘味もあって歯応えがしっかりしている。
次はどれを食べようと迷い箸をしたくなる。
少しは急いだほうがいいのか、ゆっくり食べたほうがいいのか。キッチンを見るとこちらを見ている椿と目が合った。
「ごゆっくりどうぞ」
考えを読まれたことに驚いた顔をする柊に椿が笑顔を見せる。
急いでは勿体無い。椿が自分のためだけに考えてくれた物だ。味わわなければ罰が当たる。
食材一つ一つを味わい尽くす。それが礼儀。
「アンコウと小芋の炊き合わせでございます」
先付ではアンコウの肝の和物が出てきた。今度は粗。何かを甘く炊いている匂いがしていたため煮物として出てくるとは思っていたが、身よりも先に粗が出てくるとは思っていなかった。次は残った身だろうかと楽しみになる。
炊き合わせと言ったが小芋は味が染みていないように見え、六方に切られた小芋を見せるように鉢を持ち上げた。
「小芋の味付けは?」
「少し蒸したあと、出汁で軽く煮てあります」
「綺麗だな、小芋。料亭で見たことある形だ」
「六方に切っただけですよ」
丸い小芋を六方になるよう切っただけ。作った本人はそう言うだろう。でも柊は料亭で出てくるようなことを家で椿がしてくれたことが嬉しかった。一つ一つにかけられた手間は軽い物ではない。どれも丁寧に作られてある。
あら炊きにはしっかりと味が。里芋はほんのりと出汁を感じながら舌の上では本来の素材の味を。噛む度に襲いくる幸せと一緒に飲み込む。
「焼き物はお肉にしました」
「椿って肉食うの?」
キョトンとした顔をする椿がすぐに笑いだす。
「お魚もお肉も食べますよ」
「そうだよな。ごめん、なんか変なこと聞いた」
「本当に」
どんなイメージを持たれているのだろうとおかしくなった椿はまだキッチンで笑っている。
和食にだって肉は使われている。それこそ炊いたり揚げたり焼いたりと様々。何も洋食だけに使われる物じゃないのになぜそんなことを思ったのか、柊は自分でも不思議だった。
「おお、自分で焼くのか」
運ばれてきた一人用の鉄板の下には青い固形燃料が置かれている。そこに火をつけて鉄板が熱されている間に椿が肉と野菜が乗った皿を運んでくる。
霜降りの肉が二枚。薄切りカボチャが一枚と椎茸が一つ。焼いた肉と一緒に食べる用だろう葉物。少ないように見えるがまだ出てくることを考えると丁度いい。
「好みの焼き加減は人それぞれですからね。私はプロではないので美味しく仕上げる自信がない、というのが本音ではありますが」
「嬉しいよ」
この日のために買ったのだろう。今日のために柊は三森に『値段は気にせず必要だと言った物は全部買ってくれ』と言っていた。
給料もボーナスも独り身には多すぎるだけの額をもらっており、ここの支払いより高い買い物はしないため貯金はある。今日のこの材料も特別高い物が使われているわけじゃない。肉に関しては自分で焼くため椿は味見用として食べてもいないはず。請求される金額など想像する必要もない。
「何にコメントすればいいかわからん。カボチャってこんな甘かったっけ? 椎茸ってこんなに味が濃厚だっけ? 肉の脂ってこんなあっさりと溶けてくもんだったか?」
一つずつ焼いて食べる度にその美味さに感動する。今までいかに適当に食事をしていたのか思い知らされるほど素材の味に感動する。
何も知らない、まともに味わったこともないような感想を口にする恥ずかしさはあるが言葉が勝手に口を突いて出てくる。
その様子を嬉しそうに目を細める椿は安堵に胸を撫で下ろした。
この焼き物が最後の最後まで決まらなかった。魚にするか肉にするか。お造りも炊き合わせも魚なのだから焼き物は魚にせず肉にしてもいい。でも魚で揃えたほうがバランスが良いかもしれない。どっちが好きだろう。どっちのほうが喜んでもらえるだろう。ずっと考え続け、昨日は献立で頭がいっぱいで眠れなかった。
結果、肉を出したわけだが三森と大神に相談して肉を調べてもらい購入した物で正解だった。
「ヒレ酒はいかがですか?」
「あー……食べ終わってから外で飲むってのはどうだ? 寒い中で飲んだことないんだよ」
「すぐに冷えちゃいますよ?」
「いいんだよ。食べ終わったあとの余韻に浸りながら飲む。決定な」
「かしこまりました」
これも椿は味見が出来ないためプリントアウトしてもらったレシピに従って作った物。
外は凍えるほど寒い。十二月に入ってグッと寒くなった。身体をあえて冷やして酒を飲むのも乙なものかもしれないが、風邪を引かないかが少し心配だった。それでも今こうして食事を楽しんでくれている相手が食後も楽しんでくれようとしているのを心配で邪魔をするわけにもいかず従うことにした。
中園からそう言われるのはこれが初めてではない。上司として部下の悩み相談を受けるのも仕事のうちと認識はしているが、柊は「悪い」と断った。
「すごく悩んでるんです」
「仕事についてか?」
「はい」
「辞めるとか?」
「それも考えています」
それが嘘であることは表情を見ればわかる。中園の嘘は見抜きやすい。典型的な型に嵌め込まれた女であり、柊はこういう女の相手はし慣れていた。誰かからパワハラを受けているわけではなく、仕事が遅ければ誰かがフォローに回り、本人には言っていないが移動の話も出ている人間が辞めたいと思う理由がない。
「会議室に行くか?」
そう言えば返ってくる答えは一つ。
「お食事しながらじゃダメですか?」
思ったとおり。
中園は過去にも柊が合コンの日にあえて相談を持ちかけてきたことがあった。
今日は朝から『悪いが、今日は何があろうと定時で上がらせてもらう』と言ってあったため、こうして声をかけてきたのだろう。
「食事しながらでいい相談ならアイツらにしてくれ」
「立花さんに聞いてもらいたいんです! 本当に悩んでて……」
じわりと涙を滲ませるのさえ演技だとわかる。こんな風に自在に涙を操れる女はすごいと本気で感心する。だからといって心揺らぐこともない。
「今日は皆で飲みに行くって言ってんだけど中園も来る? 悩み聞くぞー」
「立花さんも来てください」
そっと伸びてきた手から逃れるように鞄を持って立ち上がる。
「今日はデートとか?」
瑠璃川のニヤつきにニヤつきを返す。
「会席料理食うんだわ」
「え、どこの!? まさか……燐?」
「家で食うんだわ」
「弁当?」
頭上の電球が光らない瑠璃川の頭を静電気を立てるように撫でると柊が笑顔を見せる。
「大和撫子はいいぞ、瑠璃川。お前も頑張れ」
「え、まさか……」
「中園の悩み聞いといてやってくれ。お疲れさん」
そのまま颯爽と帰っていった柊に興奮していたのは瑠璃川だけで中園は面白くないを表情に出して拳を握りしめていた。
「んんッ……ふー……」
足早に帰ってきた玄関ドア前。いつもなら鍵を開けて「ただいま」と言うが、今日は違う。自宅だと言うのに玄関前で深呼吸をしてからインターホンを押した。
「立花様、お待ちしておりました」
「お世話になります」
互いに打ち合わせをしたわけではないが、行けなかった店に行ったつもりでやろうと勝手に行動した柊に椿は合わせようとしていた。
「ようこそお越しくださいました。お鞄、お預かり致します」
中に入ると靴を脱いでから鞄を預け、上着も預ける。中からは既に良い匂いが玄関まで漂っていた。期待値が上がる。
普段は開きっぱなしのドアが閉まっている。それも演出の一つだろうか。椿がそっとドアを開けると目を見開き、足が止まった。
この家に和室はない。リビングにはダイニングテーブルとソファーとコーヒーテーブルがあったはず。でも今、柊の視界に広がっているのは間違いなく洋室。
「今日のことをお話したら三森さんと大神さんが手伝ってくださいました」
張り替えたわけじゃない。フローリングの上に畳が置いてあるだけ。その上には立派なローテーブルがあって、ソファーとダイニングテーブルが見えないように立っている衝立がまた和を作り出している。
「足元、お気をつけください」
置いただけの畳であるため段差に気をつけながら上がって席につく。久しぶりの畳の感触。でもここは自宅。違和感しかないこの状況さえ自分が仕事に行っている間に色々動いて作り上げてくれた物だと思うとニヤつきが止まらなくなる。
「一つずつお出ししましょうか」
それをどうするか考えていた。一緒に食べるのが理想的だが、きっとこの料理は椿が考えに考え抜いた物。食事しながら食べるべきではないのではないか。たが、椿の渾身の作だからこそ一緒に食べたい。その考えも譲れない。
「味見でお腹いっぱいとか?」
一瞬、椿の動きが止まった。図星だ。そうじゃないかと思っていた。椿の性格上、前日に完璧な味付けをマスターできたとしても当日も不安になるに決まっている。慣れた料理ではないからこそ不安になる。そして失敗は許されないと気負ってもいる。
予想どおりの答えにクスッと笑う柊に椿は恥ずかしそうに袖で顔を隠した。
「一つずつ説明してくれるか?」
「かしこまりました」
そう言うと今日この瞬間のために用意した食前酒のグラスが運ばれてくる。
「私はお酒のことはわかりませんので、三森さんと大神さんにお聞きしました」
献立を考える上で最も重要な食前酒。色合いや季節感を考えて選び、先付が運ばれてくる前に少し口を付ける物。
置かれた食前酒を持って一口飲む。
「さすが三森。美味い」
「どうして三森さんだと?」
「大神にまだこの酒は選べないだろ」
「まあ。大神さんが聞いたら悲しみますよ?」
「事実だし」
甘すぎず、かといって口の中に残るほど辛くもない。何を食べても邪魔しないすっきりとした味わいの日本酒。
「先付でございます。手前から食べ進めてください」
所謂お通し。和食器に乗せられた小さな三品。湯葉、白子、ゆず、大根、アンコウの肝。漠然と食べるのではなく一つ一つに集中して味わう。食材がなんなのか、どういう調理法か探りながら食べるのは楽しい。取引先との駆け引き中に出される会席料理とは違い、一つずつ味わって食べることができる。
少量の先付け。食べきってしまうのが惜しいと感じるほどあっという間になくなってしまう。
食べ終え、酒に手をつけての休憩。それから少しして吸い物が出てきた。
「吸い物は箸洗いとも呼ばれております。本格的な料理の前にお箸とお口の中を綺麗にするための物ですね」
「これは?」
「海老しんじょです」
すまし仕立ての汁物。箸洗いと呼ばれているのは初めての情報。透き通った出汁の中には飾り切りされた大根や人参、海老しんじょまで入っている。
酒と同じようにそっと一口喉に通すと見た目は水のように透き通っているのにしっかりと出汁が出ており、味噌汁のように口の中に何かが残ることはなく確かに口の中が洗い流されていく。
「お造りでございます。淡白な白身や貝類からどうぞ」
刺身。小さめに切られたマグロ、ほたて、はまち、甘エビ、鯛が二切れずつ乗っている。
「お酒はいかがなさいますか?」
「んー……いや、今はいい。合うだろうけど強いわけでもないから酔いたくない」
酒があれば今よりもっと楽しめるだろう。でも酔っ払って上機嫌で食べ進めたくない。パクパクと菓子を食べるように食べていいものではない。目の前に出てくるこれらは明日の夕飯として気軽にリクエストできる物ではなく、椿が一週間考えに考え抜いて作り上げた物。三口で飲み干した食前酒だけで充分だった。
旬を味わえる刺身は身がしっとりとしていて甘味もあって歯応えがしっかりしている。
次はどれを食べようと迷い箸をしたくなる。
少しは急いだほうがいいのか、ゆっくり食べたほうがいいのか。キッチンを見るとこちらを見ている椿と目が合った。
「ごゆっくりどうぞ」
考えを読まれたことに驚いた顔をする柊に椿が笑顔を見せる。
急いでは勿体無い。椿が自分のためだけに考えてくれた物だ。味わわなければ罰が当たる。
食材一つ一つを味わい尽くす。それが礼儀。
「アンコウと小芋の炊き合わせでございます」
先付ではアンコウの肝の和物が出てきた。今度は粗。何かを甘く炊いている匂いがしていたため煮物として出てくるとは思っていたが、身よりも先に粗が出てくるとは思っていなかった。次は残った身だろうかと楽しみになる。
炊き合わせと言ったが小芋は味が染みていないように見え、六方に切られた小芋を見せるように鉢を持ち上げた。
「小芋の味付けは?」
「少し蒸したあと、出汁で軽く煮てあります」
「綺麗だな、小芋。料亭で見たことある形だ」
「六方に切っただけですよ」
丸い小芋を六方になるよう切っただけ。作った本人はそう言うだろう。でも柊は料亭で出てくるようなことを家で椿がしてくれたことが嬉しかった。一つ一つにかけられた手間は軽い物ではない。どれも丁寧に作られてある。
あら炊きにはしっかりと味が。里芋はほんのりと出汁を感じながら舌の上では本来の素材の味を。噛む度に襲いくる幸せと一緒に飲み込む。
「焼き物はお肉にしました」
「椿って肉食うの?」
キョトンとした顔をする椿がすぐに笑いだす。
「お魚もお肉も食べますよ」
「そうだよな。ごめん、なんか変なこと聞いた」
「本当に」
どんなイメージを持たれているのだろうとおかしくなった椿はまだキッチンで笑っている。
和食にだって肉は使われている。それこそ炊いたり揚げたり焼いたりと様々。何も洋食だけに使われる物じゃないのになぜそんなことを思ったのか、柊は自分でも不思議だった。
「おお、自分で焼くのか」
運ばれてきた一人用の鉄板の下には青い固形燃料が置かれている。そこに火をつけて鉄板が熱されている間に椿が肉と野菜が乗った皿を運んでくる。
霜降りの肉が二枚。薄切りカボチャが一枚と椎茸が一つ。焼いた肉と一緒に食べる用だろう葉物。少ないように見えるがまだ出てくることを考えると丁度いい。
「好みの焼き加減は人それぞれですからね。私はプロではないので美味しく仕上げる自信がない、というのが本音ではありますが」
「嬉しいよ」
この日のために買ったのだろう。今日のために柊は三森に『値段は気にせず必要だと言った物は全部買ってくれ』と言っていた。
給料もボーナスも独り身には多すぎるだけの額をもらっており、ここの支払いより高い買い物はしないため貯金はある。今日のこの材料も特別高い物が使われているわけじゃない。肉に関しては自分で焼くため椿は味見用として食べてもいないはず。請求される金額など想像する必要もない。
「何にコメントすればいいかわからん。カボチャってこんな甘かったっけ? 椎茸ってこんなに味が濃厚だっけ? 肉の脂ってこんなあっさりと溶けてくもんだったか?」
一つずつ焼いて食べる度にその美味さに感動する。今までいかに適当に食事をしていたのか思い知らされるほど素材の味に感動する。
何も知らない、まともに味わったこともないような感想を口にする恥ずかしさはあるが言葉が勝手に口を突いて出てくる。
その様子を嬉しそうに目を細める椿は安堵に胸を撫で下ろした。
この焼き物が最後の最後まで決まらなかった。魚にするか肉にするか。お造りも炊き合わせも魚なのだから焼き物は魚にせず肉にしてもいい。でも魚で揃えたほうがバランスが良いかもしれない。どっちが好きだろう。どっちのほうが喜んでもらえるだろう。ずっと考え続け、昨日は献立で頭がいっぱいで眠れなかった。
結果、肉を出したわけだが三森と大神に相談して肉を調べてもらい購入した物で正解だった。
「ヒレ酒はいかがですか?」
「あー……食べ終わってから外で飲むってのはどうだ? 寒い中で飲んだことないんだよ」
「すぐに冷えちゃいますよ?」
「いいんだよ。食べ終わったあとの余韻に浸りながら飲む。決定な」
「かしこまりました」
これも椿は味見が出来ないためプリントアウトしてもらったレシピに従って作った物。
外は凍えるほど寒い。十二月に入ってグッと寒くなった。身体をあえて冷やして酒を飲むのも乙なものかもしれないが、風邪を引かないかが少し心配だった。それでも今こうして食事を楽しんでくれている相手が食後も楽しんでくれようとしているのを心配で邪魔をするわけにもいかず従うことにした。
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