白に焦がれる紅き誓い

永江寧々

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理由

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雪儿シュエアル、お洗濯終わりそう?」
「あとこれだけやからもう終わる。どないしたん?」

 雪儿が仕事をしているときに杏儿シンアルが話しかけてくることは珍しい。何かあったのだろうかと振り返るも洗濯物を干すよう手で促される。
 後ろに置いてあるベンチに腰かける杏儿はその小さな背中を複雑そうに見つめていた。

「雪儿は……彼をどう思ってる?」
「彼って? 瑞成ルイチェン?」

 洗濯物をパンッと音を立てて水気を飛ばし、物干し竿にかけていく。

「どうも思ってへんけど」
「最近、仲いいでしょ?」
「せやろか? 別に二人でどこ出かけるやないし、来たら話すぐらいやで?」

 確かにそうだ。雪儿は杏儿の目を盗んで瑞成と会っているわけではない。これからもそんなことはしないとわかっている。言うべきか言わざるべきか迷いながらここまで来た。過保護すぎるだろうか。束縛することになるだろうか。嫌われやしないだろうか。杏儿の中にある不安は少しずつ膨らみ、それでも不安より心配が勝った。

「瑞成とあまり親しくなってはいけないのよ」

 振り向いた顔は不思議そうなもので、シーツを持ち上げる手が離れ、かごの中へと戻る。

「彼はマフィアで、平気で人を殺す人間だから。彼と親しくなると事件に巻き込まれるかもしれない」
「でも、黒龍白虎ヘイロンバイシーはこの街の守護者やで? そりゃな、マフィアは聖人とか善人とは言われへんことしとるやろし、ジエちゃんが言うように人も殺すけど、瑞成は優しい人やで。皆にお土産ようけ買うてきてくれるし──」
「それで終わらなきゃ駄目なの。お土産をもらったらありがとうで終わる。外で話し込んだりしちゃ駄目」
「してへんよ」
「夜中に話してたでしょ?」

 知っていたのかと驚きを顔に出す雪儿が杏儿に背を向けてシーツを持ち上げる。立ち上がった杏儿が隣に立ち、雪儿だけで干すには大変なその一枚を手伝うも目は合わない。

「別にやましいことしてたとは思ってないし、雪儿はそんな子じゃないってわかってる。でもね、龍渓は安全な街とは言えない。確かに龍渓は黒龍白虎に守られてる。紫雫楼ししつろうが背盾金を払うことによって安全性は以前より増したかもしれない。でもそれはあくまでも紫雫楼の中での話。外では保証されない。だってあなたには護衛がついているわけじゃないんだから」
「そうやけど……」

 何故素直に頷かないのかがわからず、もどかしくなる。今までなら雪儿はなんでもわかったと頷いてくれたのに今回のことだけはそれを受け入れたくないとでも言いたげに人差し指を突き合わせながらもごもごと話す。

「瑞成が好きなの?」
「ううん。それはない。そういう感情はないねん。ただな、何もされてへんし、優しくしてくれとる人を一方的に拒絶したないなって思っただけ……」

 雪儿の意見は尤もで、これは自分の嫌悪感によるもの。押し付けだとわかっていても万が一の可能性でも潰しておきたい。エゴだとわかっていても雪儿が事件に巻き込まれることだけは避けたい杏儿にとって、雪儿を悲しませても譲れないものだった。

「でも……せやな。姐ちゃんの言うとおりかもしれん。雪儿かて姐ちゃんが事件に巻き込まれたら不安でたまらんやろうし、姐ちゃんも同じやんな」
「ごめんね、雪儿。わかってね」
「わかっとるよ。考え浅ぁてごめんな」

 話してはいけないとは言っていない。話す機会があれば話せばいい。ただしそれは紫雫楼の中の自分の監視下でのことで、自分が見ていない場所で話すことは許さない。それは瑞成にも伝えているが、いまいち効果がない。以前、伝えたことで理解したと思っていたのに、瑞成は相変わらず雪儿を気にかけ、他の香姫こうきたちに向けるよりもずっと贔屓的な態度を取っている。それを香姫たちに言っても『雪儿かわええからしゃーないんちゃう? ウチかて雪儿にはなぁんでもしたりたい思うし』『彼、子供好きでしょ? 雪儿が可愛くて仕方ないんでしょうね』と言うばかりで誰も彼を危険視していない。
 抱きついてくる雪儿を抱きしめ返すと二階から杏儿を呼ぶ声が聞こえた。

「あ、そんなとこにおったんかいな。瑞鳳探しとるで」
「わかった。ありがとう。じゃあ雪儿、お仕事頑張ってね」
「うん!」

 手を振って中へと小走りで戻る杏儿を手を振り返しながら見送ると雪儿は小さく息を吐き出す。

「掃除しよ」

 両手を合わせてパンッと音を鳴らして庭の奥に置いてある竹箒を取って玄関口へと向かう。

「あっという間やなぁ……」

 つい先日まで香月街全体をピンク色に染めていた桜は葉のほうが多くなってきた。春は桜の季節といえど、桜を愛でる時間はとても短い。あれほど美しかった光景が嘘のように色を失う。

梅雨メイユーは嫌やなぁ」

 桜が終わればしつこいほど降り続く雨の時期がやってくる。龍渓では雨は桜と交代するようにやってきて夏と交代で終わる。客足も遠のき、紫雫楼の売り上げが落ちる時期。

「なーに溜息ついてんの?」

 いつもの声に顔を上げるといつもの顔がそこにあることに雪儿の顔に苦笑いが滲む。

「どしたの?」

 そういう顔をすることはほとんどないため何かあったのかと心配する瑞成が目の前にしゃがむとかぶりを振る。

「なんもないけど……瑞成とはあんま仲良うしたらあかんなって思っとるから」
「え……なんで?」
「瑞成はマフィアやもん。危ない職業やんか」
「それは……そうだけど。でも、雪儿のことはちゃんと守るつもりだし、大丈夫だよ」

 かぶりを振る。

「絶対はない。絶対治るとか、絶対守るとか、絶対の約束なんてもんは存在せぇへん。せやからな、外では瑞成とあんま話さんとこ思うねん」
「あー……えっと……」
「勝手に決めてごめんな」

 雪儿が決めたことではないと瑞成はすぐに気付いた。その心配をしているのは雪儿ではなく姉の杏儿。以前から杏儿のこちらを見る視線に怒りが混ざっているのを感じていた。必要時以外話しかけるなと言われたことを無視して話し続けていることが気に入らないのだろう。
 雪儿の本心ではないとしても、彼女はそれを誰かに言われたとは言わない。あくまでも自分でそう決めたと言わんばかりの口ぶり。
 杏儿の心配は間違っていない。マフィアの世界に優しさはない。多くの血が流れ、命が奪われる。受け入れるべきなのだろう。わかっていても、瑞成は素直に頷けなかった。

「わかってるんだけどねぇ。俺はマフィアで、龍家の人間としても瑞成としても恨みはたくさん買ってる。君が俺と親しい仲だって敵に思われれば君に危険が及ぶ可能性はある。その考えは正しいよ。わかってるんだけどなぁ……」

 珍しく笑みを浮かべない瑞成の表情はどこか切なげで、それを見つめながら首を傾げる。 

「雪儿と話してると心が落ち着くんだよねぇ、不思議と。紫雫楼に来る楽しみって雪儿と話せるってのもあるし」
「変な人やなぁ」
「君はね、自分で思ってるよりもずっと魅力的な子だよ。こんな場所で育ちながらも汚れを知らない」
「そない思っとるだけで、雪儿は色々知っとるねんで。皆が思うほど子供やないし、汚い考えかて持っとる」
「雪儿は賢いもんね」

 いつもの得意げな表情ではなく、どこか苦しげに見える表情を見せる雪儿の頬に手を伸ばそうとしたとき、二階のほうから大きな声が聞こえた。

「雪儿!!」

 杏儿の声に驚いて肩を跳ねさせ、声のほうを見上げると怒った顔の杏儿と目が合った。
言われたばかりなのにと慌てる雪儿が瑞成と距離を取る。

「中に入りなさい」
「そ、掃除まだやから……」
「花の飾り付けから始めなさい」

 竹箒を壁に立てかけるとそのまま中へと入っていく。

「すごいな……」

 杏儿には聞こえない呟きをこぼした瑞成はゆっくりと立ち上がり、顔を上げて笑顔を見せながら手を振るも杏儿は彼を睨みつけたまま廊下を歩いていく。
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