白に焦がれる紅き誓い

永江寧々

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嫌な男2

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ジエちゃんに会いたがっとる人って唐志龍タン・ジーロンやろか?」
「だろうね。あそこにいたのもその話だったのかもしれないし」
「……ジエちゃんに言うん?」
「そりゃね。伝えないほうが危険だよ」

 杏儿シンアルはどこに行っても人気で、雪儿シュエアルにとってそれはとても誇らしいことではあるのだが、同時に不安の種でもある。
 妹である自分から見ても杏儿シンアルは輝いていて、今が一番の女盛りと言われるのも納得できるほど魅力的だ。紫雫楼ししつろうでなければ数えきれないほど言い寄られていただろう。自分の欲望を抑え、香姫こうきという存在を尊重してくれる客が多い紫雫楼ししつろうだからこそ杏儿シンアルは真面目に働けていると雪儿シュエアルでも思う。だからこそ、あんな男に杏儿シンアルの人生に踏み込んでほしくない。

「大丈夫だよ、雪儿シュエアル。夏祭りの日にここで起きたことは辰龍シンロンの耳に入ってる。杏儿シンアルがうちの香姫こうきだってことも奴は知ってるから手出しはさせないはずだ」
「……やとええけど……」

 黒龍白虎ヘイロンバイシーが縄張りとしていようとも、龍渓ロンシーという街が腐敗していることに変わりはない。マフィアは正義ではなく悪。彼らは正義のために動いているのではなく、自分たちの面子を守るために動いているだけ。
 今日初めて辰龍シンロンに会った雪儿シュエアルに彼を信じろと言ったところで難しいことは瑞鳳ズイホウもわかっている。だから何も言わず、繋いだ手を離さないまま歩いていく。
 辰龍ズイホウは自分の恋人ではあるが、甘い男ではない。彼が茶香里ちゃこうりの担当である以上、対峙すれば杏儿シンアルを守る理由はないのだ。それは瑞鳳ズイホウも不安視している。瑞成ルイチェン辰龍シンロン相手にどこまで対峙できるのか。それも想像がつかない。

「なーに不安になってんだい? お前らしくないじゃないか」
ジエちゃんは繊細やから。猛虎邪蛇メンフーシエシェのときも一番に連れて行かれそうになったし……唐志龍タン・ジーロンって人は茶香里ちゃこうりの権力者なんやろ? また紫雫楼ししつろうが襲われたらどないしよ……」
瑞成ルイチェンがそのままにするはずないだろ? この話は瑞成ルイチェンにもしておくし、お前がちまちまと心配したところで意味はないよ」
「せやけど……」

 杏儿シンアルに何かあったらと考えると不安は増えるばかり。
 雪儿シュエアルという人間は自分の明日のことは気にしない。もし明日紫雫楼ししつろうを一人で放り出されても前を向くだろう。だが、杏儿シンアルが一人で放り出されたら狼狽始める。

「お前たちはよく似てるよ」
「姉妹やもん」
「もっと良いとこ似たらどうなんだい」
雪儿シュエアルのええとこはニャンジエちゃんからもらったもんやで?」

 当たり前のように言う雪儿シュエアルに笑いながら「そうだね」と言葉を返す瑞鳳ズイホウの中にも不安はある。だが、今は考えても仕方ない。杏儿シンアル瑞成ルイチェンに話をする以上にできることはないのだ。

(つくづく無力だよ)

 昔は何が起きても不安にはならなかった。拳には自信があるし、何度だって戦ってきた。それで解決できていたのだ。だが、時代の流れによって世界が変わり始めた。拳と技一つで戦っていた人間はいつしか武器を手にするようになった。刃物を持ち、それが今は銃へと変わった。銃に拳で対抗することはできない。それを奪おうと駆け出した瞬間に撃たれて倒れるのがオチだ。
 一人で紫雫楼ししつろうを守っていた自分を誇らしく思う時代はもう終わったのだと、猛虎邪蛇メンフーシエシェの事件で深く感じるようになった。あの日の屈辱は一生忘れないだろう。

「そんなんさぁ、辰龍シンロンに任せてればいいじゃん」

 昼過ぎにやってきた瑞成ルイチェンに話してみてわかったのは期待するだけ無駄だったということ。
 あからさまに面倒だと顔に出して指で挟んだ煙草を揺らしながら肩を竦める。面倒事が嫌いなのは知っているため予想の範疇だったが、それにしても顔が気に入らないと瑞鳳ズイホウはカンッと机にキセルを打ちつけた。

雪儿シュエアルがここにいても同じことが言えるんだね?」
雪儿シュエアル関係ないじゃん。これは俺と瑞鳳ズイホウのビジネスの話。俺の愛し子持ち出すのは卑怯なんじゃない?」
杏儿シンアルが関わってる話だ。雪儿シュエアルにも関係ない話じゃない。あの子はシンアルが事件に巻き込まれるんじゃないかって不安になってる」
「それを解消するのは俺の役目。ここで話を聞かせて不安にさせる理由はないよね?」
「お前が任せろって言ってくれりゃあ済む話でもあるんだけどねぇ?」
茶香里ちゃこうりの担当は辰龍シンロンで俺じゃない」
「担当だなんだって──」

 違う違うと手と首を両方振って瑞鳳ズイホウの言葉を遮った瑞成ルイチェンは目の前のローテーブルにドンッと足を乗せて組んだ。

「兄弟だし担当は関係ないって思ってるかもしれないけど、全然関係あるから。大アリだから」
「仲良くないだけだろ」
瑞鳳ズイホウってもっと賢いんだと思ってたぁ」
「学がない女に何言ってんだか」

 辰龍シンロンから色々聞かされているため知らないわけではないが、肩を竦めるだけにして頬杖をついた。

「担当区域ってのはさ、営業職のそれとは違うんだよ。兄弟であろうと口出しは許されない。許されるのは父親だけ。香月街こうげつがい担当の俺が辰龍シンロンの担当区域である茶香里ちゃこうりに手出し口出ししようもんなら拳の雨が降るのは容易に想像がつくでしょ?」
「その茶香里ちゃこうりの人間がうちの香姫こうきに手を出すかもしれないんだよ。無関係じゃないだろう」
「かも、なんて曖昧な言葉で辰龍シンロンに話したところで相手にされないのは目に見えてる」
「もしこれが雪儿シュエアルならお前は動くんだろ?」
「相手が狙ってるのは杏儿シンアルじゃん」

 こういう話になると瑞成ルイチェンに仮の話は通用しない。兄どころか家族が好きではない瑞成ルイチェンにとってこの相談は聞き入れ難いもので、辰龍シンロンに話してみるとそれすら言うつもりはなかった。

「なーんで自分で言わないの?」
辰龍シンロンの性格を知ってるお前が言うのかい?」
「ま、そうだよね」
唐志龍タン・ジーロンが来てたってことは杏儿シンロンの話も出たかもしれないしね」

 あくまでも想像でしかないが、夏祭りのあとに話していたことでそれを辰龍シンロンがどう受け止めるかが問題。愛と仕事は全くの別物だと割り切って考えることができる相手に甘えは通用しない。
 厄介なことが起きないことを祈るしかできない状況がもどかしくてたまらない瑞鳳ズイホウは大きく息を吐き出した。
 コンコンとノックの音が聞こえ、瑞鳳ズイホウが返事をするとドアが開いた。

「ちょっとだけ、入ってもええ?」

 遠慮がちに顔を出した雪儿シュエアル瑞成ルイチェンが少し気まずい顔をするも「おいで」と声をかけて手を伸ばす。その手を握って歩み寄る雪儿シュエアルの表情にいつもの明るさはなく、顔を覗き込むと苦笑が向けられた。

「どうかした?」
「あんな、あの……ジエちゃんのこと……やねんけど……」

 瑞鳳ズイホウにはビジネスとは言ったが、雪儿シュエアルに頼まれると瑞成ルイチェンは弱い。雪儿シュエアルは基本的に欲がない。まるでそういう教えの中で育ってきたかのように何も欲しがらない。だからこそ自らお願いを口にされるとなんでも叶えてやりたくなってしまう。だが、今回は少しややこしい。雪儿シュエアルのお願いだとしても。

「ん?」
ジエちゃん、茶香里ちゃこうりで店出さんかって誘われたやんか? でもハッキリ断った。せやのに相手はまだ諦めてへんくてな、諦める気もないっぽいねん」
「うん」
「だからな、雪儿シュエアルが言いに行こうと思うねんけどな、瑞成ルイチェン……一緒について来てくれる?」

 予想外の言葉に怪訝な顔をする瑞成ルイチェンの手を両手で握る雪儿シュエアルの表情は不安げで、そういう顔をすること自体が珍しい。
 唐志龍タン・ジーロンという男が厄介な男であることを聞いてしまったせいだろう。

「何を言いに行くつもり?」
「あの肉饅頭はジエちゃんやなくて雪儿シュエアルが作ったって。あん人が欲しいんはジエちゃんとジエちゃんが作ったと思っとる肉饅頭やろ? 作ったんが雪儿シュエアルやって知ったらジエちゃんに用はないって思うかもしれへんし」

 その期待も彼女の中で僅かな物でしかないのは表情から伝わってくる。雪儿シュエアルは賢い。ああいう大人の狡猾さも理解しているし、反論の内容も大体は予想がついているだろう。それでも一縷の望みに賭けたいと考えていた。だから瑞成ルイチェンは言い放った。

雪儿シュエアルに作らせた肉饅頭を杏儿シンアルが作ったことにして杏儿シンアルに売らせるだけだよ。そんな汚いこと考える大人に大事な肉饅頭の権利を持ってかれてもいいの?」

 雪儿シュエアルもわかっていた。それでも、何か策がないか必死に考えを巡らせて出した答えだった。甘い考えだとわかっていたが、ハッキリ言われると落ち込んでしまう。

「君を傷つけたいわけじゃないんだよ、雪儿シュエアル。ただ、相手が相手なだけにこっちも守らなきゃいけないルールがある。それはわかってくれる?」
「うん」
茶香里ちゃこうりの人間は利益重視の人間が多いから真相がどうかなんてのはどうだっていいんだ。だからね、君が言ったところで解決にはならないし、彼らは諦めない」

 子供の自分にできることは少ない。だからこそ瑞成ルイチェンに頼もうとした。個人的な頼みがずるいことはわかっている。瑞鳳ズイホウを見ると黙って頷いているのを見て、諦めることにした。
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