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<四> 傍にいるから
12 傍にいるから
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うわの空で授業を聞き流しながら迎えた放課後、瑛斗は校内の図書館へ向かった。
渡り廊下から英語準備室を窺うが、窓に明かりは見えなかった。
宿題をどうにか終わらせ、視聴覚ブースで適当な映像を物色しながら果てしなく長く感じられる時間をやり過ごしていると、受付カウンターの辺りが少し騒々しくなった。振り返ると国語の教師がカウンターの司書と話をしている。
職員会議が終わったことを察するや、瑛斗は大急ぎで荷物を片づけた。
図書館を出て渡り廊下を通りながら英語準備室の方を見る。電気はやはりついていない。瑛斗は下足室で靴に履き替えて校舎を出た。
すっかり陽が落ち、空が真っ黒に染まったグラウンドには、部活の様子を見にきた教員が既に何人か現れている。
グラウンドを横目に瑛斗は校庭を通り抜けると、校門を出て、足を止めた。
校門脇の塀に寄りかかり、ひたすら待った。
何をするでもなくただ延々と、学校を出ていく人を睨みつけるような目で確認する。何人かの教師と幾人もの生徒が、こちらをチラチラと見ながら通りすぎていく。
もう間もなくすれば夏の始まりが訪れようとする頃なのに、なんだか肌寒い夜だった。
冷たい風がただ突っ立っている瑛斗の体を容赦なく冷やしていく。
手の甲をこすりながら空を見上げてみる。濃い灰色の雲が暗い夜空を覆っていて、月も星も見当たらない。
カキーン、カキーン、と金属バットでボールを叩く甲高い音が遠くの方で響いている。グラウンドの奥の、高いネットの向こうには野球部専用のグラウンドがあり、二年間ともに闘った野球部の部員たちが、夏の大きな目標に向けて切磋琢磨している。
三十分以上が経過し、人通りもほとんどなくなりかけた頃、クリーム色のジャケットを着た三田先生が足早に校門を出てきた。
瑛斗は反射的に壁から体を離し、背筋を伸ばした。
俯き加減の先生は門を出るなり気配を察した様子でこちらに視線を向け、それからこぼれ落ちそうなほどに目を見開いて立ち止まった。
向かい合ったままの瑛斗たちの間に、重い沈黙が流れた。
今日は車じゃないんだ?
どうして車じゃないの?
これからどこへ……またあそこへ行くの?
そう尋ねてしまいたい衝動に強く駆られながら、声に出すまでの勇気が出ない。
瑛斗の感情が伝わったのかどうかはわからないが、居たたまれなさそうに先生が目を逸らした。
足を踏み出すと先生は二、三歩後ずさりした。瑛斗はとっさにその手を取った。
先生の手は、長時間屋外に突っ立っていた瑛斗の手よりもずっと冷たかった。
握った手を強引に引っ張って歩き出す。
慌てた様子の小さな声が「藤代くん……っ」と呼んだ。
「藤代くん、どこに……どこ行くの」
「先生んち」
瑛斗は大股で歩きながら、まっすぐに前を向いたまま答えた。
「先生を家まで送る」
「なんで」
「なんで?」
立ち止まり、先生を見た。ぎょっとした様子で再び後ずさりしようとするのを、繋いだ手を引っ張って留めた。
「あいつのところに行かせたくないからに決まってるじゃん」
言葉を失う先生の手を強く握り、瑛斗はなおも言った。
「しゅーちゃんにこれ以上悲しそうな顔させたくないからに決まってるじゃん」
先生の震える唇が言葉を発する前に、瑛斗は再び歩き出した。すぐにまた「藤代くんっ」と小さな声が聞こえた。
「手、離して」
「やだ」
「離して。誰かに見られたら」
「見られたら困るの? 俺のこと。生徒だから? あいつとあんなところ歩くのは平気なのに?」
「平気じゃないよ」
怒ったような口調は自分たちの足音にかき消されそうなほどに小さかった。わずかに震えてもいた。
「つらいよ……もうやめようって何度も何度も思ったよ」
先生はとうとう立ち止まり、俯いた。
繋いだ手の甲の上に、温かい水滴がぽたりと落ちてきた。
衝動的に腕を伸ばした。小柄な先生がますます小さく見えて、このままでは先生が消えてしまうのではないかと、そんな不安に駆られていた。
抱き締めようと腕を回すと、そっと押し返された。離して、と言いたげに手を引こうとする先生に、瑛斗は懇願するように言った。
「あいつに、もう行かないって連絡して。だったら手を離すから」
ぴくり、と体が震えたのが、繋いだ手から伝わってきた。
そんな震えなど消してしまいたくて、瑛斗はその細い指に自分の指を絡めた。
「あいつに会う必要なんてなくなるぐらい、俺がしゅーちゃんの傍にいるから」
再び手の上にしずくが落ちた。瑛斗は祈るような気持ちでささやきかけた。
「俺がしゅーちゃんのこと、ちゃんと守るから。だから連絡して。もう会わないって」
先生はうつむいたまま顔を上げなかった。
うつむいたまま無言でわずかに頷いた。
瑛斗は恐る恐るその手を解放した。
先生はその場で携帯電話を操作し、何らかのテキストメッセージを誰かに送った。送信し終えて電話を鞄にしまうと、両手で顔を覆った。
しばらく動かなくなった先生を、瑛斗はただ傍に佇み、黙って見つめていた。
車のライトが近づき、瑛斗たちの横を通りすぎた。先生は手で目元を拭い、やっと顔を上げた。
背中にそっと手のひらをあてがって促すと、先生はかすかに頷き、歩き出した。
薄暗い歩道の上で瑛斗の隣を歩きながら、先生は何度も鼻を啜り、指先で顔を拭った。
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