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act07.魔女の査問会・第三幕

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プーシュカ・イヴァノヴァ・エフスターフィイ。

誰もが溜息を吐くほどの美貌を持ち、そのいでたちはまるで人形のように完成されている。
豊かな胸に柳の様な細い腰は異性ならば当然すぐに目を奪われ、同性ですら羨む程である。

そんな彼女が社交界で魔女と呼ばれ忌み嫌われる原因は、何よりも見た目にあった。

溌剌はつらつと輝く銀色の髪と、磨いた鉱石の様に輝く銀色の目。
どんなに美しくとも、女性らしい魅力を湛えた肢体をしていたとしても。

ただその髪と目を持って生まれた事だけが、許されなかった。



古い御伽噺に、銀色の毛と瞳を持つ悪魔の話がある。

―――帝国の領土がまださほど大きくなかった時代。

とある村に銀の髪と目を持つ、非常に美しい男がいた。
男は人を助け、導き、道を照らす善人だった。
男を慕う人々は日々増えていき、男の言葉は次第に力を増していく。
気が付けば男は指導者として、村を率いていった。

誰もが男をほめそやし、彼に助けを求めた。
男は依然変わらず人々を助け、尽くし続ける。
次第に、男を利用しようとする村人も現れた。
男は村人に言われるがまま働き、自身の財産を奪われ、どんどん痩せ細り、やつれていく。
男はそれでも人々を助け、尽くし続ける。

やがてある吹雪の夜、村に野盗が押し寄せた。
男はひとり立ち向かったが、村人たちは殺されるのを恐れて男に続こうとしない。
男は野盗と懸命に戦うも、武器もなく痩せ細った体ではどうしようもなかった。

男が倒れたとき、野盗は村人のひとりが手引きしていたことを知る。
男を殺して、新しい指導者に成り代わるために。

男はとうとう怒り狂い、銀色の毛と瞳を持つ醜悪な悪魔となった。
悪魔は野盗と手引きした村人を殺し、魂を喰らう。

悪魔となった男に怯え震えた村人たちは、自ら悪魔に魂を差し出した。
そうして村人たちは悪魔の影となって、永遠に悪魔に従い続けるようになった。

誰も居なくなった村を捨て、悪魔は影を従えて夜の世界を歩き出す。

―――雪が降る夜。魂を喰われたものは、影となって悪魔にずっと従い続けなくてはいけない。
悪魔は眷属を増やし、夜の世界を闊歩する。
悪魔を蔑ろにしてはいけない。悪魔はただ、仲間を求めているだけなのだ。



その話はかつて本当にあったことだと、代々親から子へと語り継がれる。
今では最後の一文だけがとり上げられ、なかなか遊びから帰らない子供や、いつまでも眠らない子供の躾けの話に使われているに過ぎない。

だが、そのおとぎ話を聞かされ育ってきた帝国の人々にとって銀色は、悪魔の色だった。

当然ながら銀食器や銀細工などは古くから流通しているし、銀糸の衣服も作られている。
ただしそれはおおよその場合、魔よけという意味で使われていた。

特に、小さな子供には必ず銀糸を入れた服を着けさせる。
『この子供はあなたの仲間ですよ』と訴え、悪魔に魂を狙われないために。


―――『悪魔を蔑ろにしてはいけない』

それもまた、帝国の古くから続く慣習の一つである。



ただ銀髪銀目を持ったからといって蔑むのは少々浅慮が過ぎるのだが、それでも帝国人の中で銀髪銀目で生まれてくる子供は滅多にいない。
中には生まれてくることもあるかもしれないが、大抵の場合、のだろうか…その辺りは不明であり、少なくとも市井で生まれたという記録はない。

だが、時折…銀髪銀目と類まれな容姿を持って生まれるのが、エフスターフィイ家だった。












「プーシュカ嬢…よもや私は、貴女が古いおとぎ話のように不可思議な力で魂を吸い取り、人心を惑わし、狂乱を起こさせたとまでは思ってはいない」

金髪に青い目…そこにいるだけで華やかに彩られるニコライの端正な顔が、しっかりとプーシュカを見据えた。

「確かにその…貴女のその目映まばゆい容姿によって心奪われる事もあるだろうが、それが原因で人が殺し合いをはじめたという事もないだろう」
「恐れ入ります」

突然何を言いだしたんだ?という表情は出さず、プーシュカは軽く会釈する。

「だが、それでも数多くの疑問が貴女にはある。…式典や祭典以外では決して表に出ない貴女が、何故今回の舞踏会には参加された?…グロース夫妻と違い、貴女とポルタヴァ卿の間には一切の繋がりもないだろう?」

例えばキーロフかユーリーが、自身のパートナーとして連れてきたというのならまだ話は分かる。
エフスターフィイ家はオルラン家直属の臣下であり、深い交流がある。
オルラン兄弟に直接招待状が行ったのも、彼らの父であるオルラン公爵と繋がりを持ちたいがため、という推測は簡単にできるからだ。
事実として、オルラン兄弟はプーシュカと違い社交期には…他の貴族よりは頻度が少ないものの、それでも必要な場合にきちんと顔を出している。

だが。いくらオルラン家と繋がりがあるからと言って、プーシュカと近づきたいと思う貴族がいないのもまた事実だ。
それは自他ともに解っているからこそエフスターフィイ家には極力招待状は出されないし、また、エフスターフィイ家も何かしらの用事で断りをいれる事が暗黙の了解だった。

それが、今回に限って――よりにもよって惨劇が起きた舞踏会に参加した事が、貴族たちの不安を一層広げることとなった。

「招待状を頂いたからです、殿下」
「それは…ポルタヴァ卿から、直接?」
「はい。」

プーシュカは、ゆっくりと袖から封筒を取り出す。
オルラン兄弟に出されたものと全く同様のものだった。

「本来ならばわたくしも通例に倣い、お断りするつもりでした。」
「だが、断らなかった。…一体何故?」
「オルラン伯爵から、今回は同席して欲しいと要請がありましたので。」

その言葉に、それまでプーシュカの声に耳を傾けていた観衆がざわざわと騒ぎ始める。
「キーロフが?」
ニコライがキーロフの方へと顔を向けると、キーロフはうっすらと口元を歪める。
「オルラン家の臣下たる私が、その要請を拒否する事はできません。理由は以上です」
「…成程、よくわかった。」

命令だから、と言われてしまえば、そこにどんな意図があろうと追及することは難しい。
彼女自身の口から、断るつもりだったとまで言明されている。

「…と、なると、気になるのはポルタヴァ卿だ。何故突然、プーシュカ嬢を誘いを出したのかということだ。…彼が生きていれば証言もできただろうが…」

死人に口なし、これでは追及のしようがない。

「…当日、ポルタヴァ卿には直接挨拶をしたはずだな。その時、気になる様子はなかったか?」
「いいえ、殿下。…強いて言えば、これは私の主観に過ぎませんが『まさか来るとは思わなかった』…という驚愕はあったように思います」

多少の笑い声がそこかしこで上がった。
笑いどころではないのだが、無理もないだろう。

「了承の返事は事前に出したのだろう?…それでも来るかどうかは半信半疑だったということか」
「致し方ない事かと」
「…まあいい。それで?招待状でもいい、ポルタヴァ卿からは何か指示を出されなかったか?」
「はい、殿下。挨拶の折…オルラン伯爵のパートナーとしてお受けしましたので、主賓としてポロネーズを踊って欲しい、と。…それ以外については特に、何もございませんでした」

その指示については、立場を考えれば当然の事だ。
皇族と遠縁である公爵家の人間であるキーロフを、侯爵であるポルタヴァが差し置くことなどできる筈もない。
調書にもその後ワルツ、カドリールと続けてキーロフと踊っていたという証言がある。

「成程…、それから貴女はグロース夫人と挨拶を交わした。ポルタヴァ卿以外…招待客で挨拶を交わしたのは、彼女だけだろう?初対面とはいえ、何故彼女に?」
ニコライが詰め寄るも、プーシュカは淡々と答えていく。
「これといった確かな理由はございません。彼女が私たちを物珍しげに見ていたから…という程度です」
「…それならば、他の招待客も同じだったのでは?」
「そうですね…『魔女』としてではなく、と言葉を変えれば宜しいでしょうか?」
プーシュカがふわりと微笑むと、ニコライがハッとして顔を赤くし、俯いた。
「す、すまない。…成程…失礼した。続けてくれ」
「はい、殿下」
プーシュカは真顔に戻って、また淡々と続ける。
「その後オルラン伯爵、ユーリー士爵と共に退出いたしました。…用事が済んだ様でしたので」
「用事?…体調不良ではなく?」
またキーロフの方へ振り向く。にんまりと笑っている。
「ああ…ええと、はい、殿下。体調不良もありました」
プーシュカが思い出したように付け加え、そのまま何事もなかったかのように続ける。

「恐れながら、私にはポルタヴァ卿にも…その他の招待客でいらっしゃっていた皆様にも、思う所はございません。それはユーリー士爵も同じでしょう。…惨劇を起こす動機も、道理も、手だても、何一つとしてございません」
「本当にただ、巻き込まれただけだと?」
「その通りです、殿下。これもあくまで私の主観にすぎませんが、私にはどうも『魔女の仕業にしたい』第三者が場を整えた様にしか思えないのです」

ざわ、と、動揺が広がる。

「元々ポルタヴァ卿を狙って…もしくはポルタヴァ卿の招待客の中の誰かを、彼の舞踏会を利用した第三者が引き起こし、その罪を私、さもなければグロース夫妻…この場合は生き残った方という意味ですが…彼等に当てつける。そう考えるのが自然だとはお思いになりませんか?」

プーシュカは淡々と…無抑揚に続ける。

「確かに私もグロース夫妻も、オルラン伯爵、士爵も…あの場で生存した我々はいかにも怪しいでしょう。ですが、それは誰が生存したとしても同じではないでしょうか」
「だ、だがしかし、それでは、」
査問会の意味がない…と言いたげな顔で、ニコライはプーシュカを見つめる。
「埃くらい、打てば誰にでも出てきます。魔女であるから…他国から来たから…派閥が違うから。それらは怪しむ理由にはなるでしょう。ですが怪しいからきっとそうだ、そうに違いないと視野を狭めて、それで何になりますか?解明されていない原因を探るのを止めて、簡単に済ませてしまいたい理由があるのでしょうか?…原因を、解明されたくない事情がおありとか?」
「ぶ、ぶ、無礼な!」
カストールが再び、顔を真っ赤にして立ち上がる。
また休憩前と同じ流れだな…と、誰かがこぼす。
「小娘が、貴様、我々が貴様らに、え、え、冤罪をかけようとしているとでも言いたいのか!」
「そう解釈して頂いて結構です、カストール卿。」
しかし、プーシュカはカストールを真正面から見つめる。
「宣誓いたしました通り、私は嘘偽りは口にいたしません。…私は、我々は、無実です」

毅然と、胸を張って宣言する。

「しゃあしゃあと…!」
カストールが顔を真っ赤にし、壇上へと向かっていく。
「貴様らが起こしたのだろうが!あの惨劇を!国家転覆をはかって!お前たち全員がグルとなって、ポルタヴァを…皆を殺して回ったのだろう!」
「私に…それをする理由があると?」
「当然だ!貴様にはそれをするだけの理由があるだろう!エフスターフィイ家の銀色の魔女…貴様の体には悪魔を宿しているのだから!」

カストールの怒気を孕んで血走った眼がプーシュカを睨みつける。

「原因が必要なら告げてやる。…貴様が生きている、その事がすべての原因だ!」
「…流石にそれは、荒唐無稽が過ぎるのでは?そんなことで私が何故…」

今にも殴りかかってきそうなカストールに物おじせず、プーシュカは首を傾げる。

「復讐だ!…長きに渡り疎まれ蔑まれ、とうとう耐えかねて起こした!違うか!?」
「お待ちを、カストール卿。貴方が何を仰りたいのかわかりません…復讐?何の、誰に対してです?」
「しらじらしい…それとも、そういう風に言えと言われたか?…あの場にいた招待客は全て、かつてエフスターフィイ家の人間に冤罪をかけ、殺そうとした者たちばかりだったじゃないか!」

カストールの怒声に、プーシュカが目を見開く。

「え…?」

驚愕で、頭が真っ白になる。
そんな話は、一度だって聞いたことがない。

「しらばっくれるな、魔女めが。それともその体で男をたぶらかし、何も知らないという顔で毒を盛ったのか!…若い娘ならば温情を貰えるとでも、そう思ったか!」

停止するプーシュカに詰め寄ろうとした時。
やはりと言えばいいのか、それとも当然と言えばいいのか…
黒い影が二つ、カストールとプーシュカの間に現れた。

「そこまでに、カストール卿」

頭上から、いたって静かな声が響く。
ふざけた笑顔が消え、ただ無表情に…異質な程に感情をそぎ落としたかのような爬虫類の顔がそこにあった。
「彼女は幼少の頃よりオルラン家で預かり、育っている。エフスターフィイ家については一切、知らされていない」
「嘘を吐くな、そんな筈がないだろう!…でなければ、何故また同じことが起きるのだ!…これは、あの時の…再来ではないか!」
一瞬にして青ざめるカストールに、キーロフはそのまま続ける。

「やはり…、カストール」

「…?」
何を言っているのかわからない、とカストールが狼狽える。

「貴公もなかなかの役者だ。…だが、これではっきりした」
「?な、何が…」

カストールから目を離し、ニコライに向かう。
「なんだ、一体…どういう事だ、キーロフ!」
「殿下…漸く尻尾を掴みましたよ。…今回の件で、我々に罪を擦り付けようとした犯人が誰か」
「ほ、本当か!?それは誰なんだ!すぐに…」
「残念ながら、既にお亡くなりです」
「は?」
一瞬、理解ができないといった驚きを浮かべた後…みるみるその表情を変えていく。
「…まさか、貴公、冗談じゃすまないぞそれは、…本当に…?」
青ざめるニコライに、キーロフはまたにこりと笑顔を作る。
どす黒いその目に、照明の光がちらちらと揺れた。

「ポルタヴァ卿ですよ。そもそも、―――それ以外ないじゃないですか」
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