一瞬の夏~My Momentary Lover~

clumsy uncle

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第2章 ありがとうを言いたくて

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 健太郎は美江の家を立ち去る前に、この部屋に入ってからずっと気になっていた、この部屋のテーブルのことを尋ねた。

「お母さん、1つだけ聞いていいですか?下世話なことですけど、この家、今はお母さんだけお住まいのはずなのに、何でこのテーブルは4人掛けなんですか?」
「私、今は3人で暮らしてるのよ。娘が亡くなった後すぐ、再婚したの。新しい旦那とは、今の仕事で出会ったんだけど、奥さんを亡くして、1人娘を連れて私のところに来たのよ。すごく勉強する子でね、以前、奈緒が目指していた大学に現役で合格して、今は大学院に行ってるのよ。そして、来年からは国の研究機関から働くことになったのよ」

 美江は、再婚し連れ子として自分の娘になった子の話を、自慢げに語ったが、一息置いて、自分に言い聞かせるかのように語りだした。

「確かに、奈緒には色々無理難題を言ったこともある。泣かせてしまったこともある。けど、それはすべて、彼女の将来の幸せにつながることだから。実際に今の娘は、勉強を頑張った結果、将来を嘱望される立場を手に入れたわけだし」

 そう言って美江は椅子から立ち上がると、テーブルの上の紅茶を片付けながら、訥々と語った。

「私は中川にいる頃、毎日が退屈だし、憂鬱だった。旦那の田舎だったんだけど、私のようなヨソ者にとにかく冷たくてね。着ている服とか、話している言葉とかを、興味半分でネタにされて、陰口叩かれて。おまけに地元の婦人会に無理やり入れられてね、姑ぐらいの歳のおばあちゃん達に色々いびられたり、毎週、懇談会という名前のお茶のみ会に付き合わされたり……もう、思い出すだけでも、腹が立って仕方がないのよ。おまけにろくな学習塾も無いし、周りの子達も勉強しない子が多いし。奈緒がずっとあそこにいた方が、不幸になったと思うわ」

 美江は、怒りに震えながら、中川町に居た当時のことを回顧していた。
 奈緒が、東京での勉強漬けの生活が苦痛だったように、美江にとっては中川町での生活が苦痛だったようである。

「わかりました。僕らはそろそろ帰ります。突然の訪問、大変失礼しました。ただ、このお盆休みに、楽しい思い出を一緒に作ってくれた奈緒さんには、心から感謝しているんです。一言、お礼を言わせてください。ありがとうございました」
 そう言うと健太郎は立ち上がり、深々と頭を下げた。

「奈緒さん、来年のお盆には、この世に戻ってくると思います。その時、良かったら、会いに来ていただけますか?ただ、その時は、余計なことは言わず、ありのままの奈緒さんの気持ちを聞いてあげてくださいね」

 そう言うと、健太郎は同席していたみゆきの背中を叩いた。

「じゃあ、みゆきさん、帰ろうよ。すみません、どうもおじゃましました」
「お、おじゃましました。すみません、先輩がどうしてもお母さんに会いたいというから……」
 みゆきは、申し訳なさそうな様子で、健太郎と一緒に頭を下げた。

「合唱部には変な人がいたのね。付き合わさせられたみゆきちゃんも、大変だよね」
 美江は、腰に手を当てて呆れ顔で話すと、みゆきは頭をかいて苦笑いした。

「それではこれで……あ、ありゃ!?ま、まずい」
 健太郎が入り口のドアを閉めようとした丁度その時、突然強烈な尿意に襲われた。

「どうしたんですか?」
 みゆきは、突然青ざめたような顔をした健太郎を、目を丸くして見つめた。

「ト、トイレに……行きたい。すみません、トイレお借りしてよろしいですか?」

「まあ、トイレ位なら、良いですけど、どうぞ。」
 そう言うと、美江はトイレのドアを開けてくれた。
 健太郎は、せっかく履いたばかりの靴を脱ぎ、トイレに駆け込んだ。

 用を足しながら、健太郎は真正面にある、飾りや写真などが置かれた棚に目が行った。
 何枚かの写真のうち1枚はちょっと画像が古く、その他は健太郎の見たことのない女の子。おそらく再婚相手の連れ子を撮影したと思われる、比較的最近の写真のようである。
 たった1枚の古い写真……そこには、若かりし日の美江と、当時の旦那である剛、そして父母に手をつながれた女の子が中央に写っていた。
 写真の真下には、「1995年 奈緒・小学校入学」とだけ書いてあった。
 美江には、まだ、奈緒への愛情が残っているのだろうか?十分な確信はないが、それだけが美江と奈緒を繋ぐ、細い命綱であるように思えた。

 トイレを出ると、健太郎は美江に一礼し、出口へ向かった。
 すると、美江は腕組みしながら、健太郎を睨みつけながらつぶやいた。

「あの、去り際に申し訳ないけど……お兄さん、やっぱり一度病院に行った方がいいと思うわよ。奈緒の霊を見て、霊と一緒に遊んでたなんて。しかもそのことを、わざわざ私に言いにくるだなんて。常識じゃ考えられないからね」

 健太郎は、とどめを刺すかのように投げつけられた美江の侮辱的な言葉に、震える拳を握りしめ、グッと怒りをこらえながらも、笑顔で美江の方を振り向いた。

「まあ、そうかもしれませんね。ただ、僕がこうやって真剣に話をしているのに、あなたには全然分かってもらえなくて、それがすごく残念でした。とにかく、来年のお盆、中川にある金子さんのコンビニにいらしてくださいね。そこで、全てがわかると思います」

 それだけ告げると、玄関のドアを閉め、部屋の外で待っていたみゆきに声をかけた。
「さ、帰ろう。悪いな、時間を取らせちゃって」

「せ、先輩。眉間にしわが寄っていて、ちょっと怖いですよ」

「良いんだよ。俺が言いたいことは皆話したから。あとは、お母さんがどう解釈するか、だ。僕の話を分かってくれると、良いんだけどな」

 それだけ言うと、健太郎はポケットに手を突っ込み、スタスタと南阿佐ヶ谷駅へと急ぎ足で歩き去っていった。

「ちょ、ちょっと先輩、私を置き去りにしないでくださいよ!」
 みゆきは慌てて、駅へと急ぐ健太郎の背中を追いかけた。
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