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七章 高等学校最後の年

8.エミリア様の後悔と角の行く先

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 高等学校から帰ると、普段ならばマウリ様がわたくしに飛び付いてくるのだが、今日は違った。青いお目目に涙をいっぱいに溜めたエミリア様が、マウリ様よりも一歩先にわたくしに飛び付いて来たのだ。
 その状態でマウリ様も受け止めるとなると、エミリア様が間に挟まれて潰れてしまうかもしれない。マウリ様もそのことに気付いたのだろう、必死に止まってわたくしの膝にこつんと頭をぶつけて立っていた。
 抱き付けなかったのが悔しかったのか、マウリ様の蜂蜜色の目がエミリア様を見上げるが、エミリア様はわたくしに抱っこされたままでぽろぽろと涙を零していた。

「わたくち、おねえさま、しっかくかもちれない……」
「エミリア様、どうしたのですか?」
「わたくし、たねをみてたら、どうしても、これをおはなにいれたらどうなるかかんがえてしまって……」

 エミリア様は今朝の畑での騒動を反省しているようだ。泣きながら一生懸命言葉を紡ぐ。

「いれてはいけないことは、わかってた。でも、いれたかったの! いれてちまったの! わたくち、ライネやダーヴィドがおおきくなって、はたけしごとをするようになっても、おはなにたねをいれてはメッていえない」

 小さな両手で顔を覆って泣き始めてしまったエミリア様を片腕で支えて、わたくしはハンカチを出して顔を拭いて差し上げる。垂れて来た洟も拭いていると、エミリア様はひっくひっくとしゃくり上げていた。

「エミリア様はとても危険なことをしました」
「はい……ごべんだざい……」
「だからと言って、ライネ様やダーヴィド様が鼻に種を詰めようとしたら、自分がしてしまったから注意できないということはありません」
「え? わたくち、おこられたのよ?」

 怒られてしまったから自分にはライネ様やダーヴィド様が同じことをしても止める権利はないと思い込んでいるエミリア様に、わたくしは優しく語り掛ける。

「自分がしたときに怒られて、どれだけ危険なことか分かったでしょう? そのことをライネ様やダーヴィド様に教えればいいのです」
「わたくち、おちえていいの?」
「エミリア様は、自分がしたときに怒られた、怒られるような危険なことなんですよってことを伝えればいいのです。自分の経験を活かして伝えるというのも、注意の仕方としてはありなのですよ」

 涙を拭いて、鼻をかませると、エミリア様はすっかり立ち直った表情をしていた。垂れていた蜂蜜色の眉毛は凛と持ち上がり、青いお目目はまだ涙に濡れていたが、しっかりとわたくしを見詰める。

「わたくちがちておこられたから、ライネとダーヴィドにも、メッていっていいのね?」
「そうですよ。絶対にしてはいけません、と教えてあげてください」
「わかったわ!」
「エミリア様は素晴らしいお姉様ですね」
「わたくち、すばらちい!」

 自信を取り戻したエミリア様を抱っこから降ろすと、ずっと待っていてくれたマウリ様を抱き締める。マウリ様はわたくしに抱き上げられて、ぎゅっとわたくしにしがみ付いていた。

「エミリアにしっとしちゃった……」
「エミリア様は大事なお話があったのです」
「エミリアがあんなに傷付いてたのに、しっとしてしまう私は、嫌なお兄様だ」

 マウリ様はマウリ様で自己嫌悪に陥っているようで、抱き締めてわたくしは子ども部屋までマウリ様を運ぶ。

「全然嫌なお兄様じゃないですよ。マウリ様がそれだけわたくしのことを特別に思ってくださるということでしょう? わたくしは嬉しいです」
「アイラ様は私のこと嫌いにならない?」
「大好きですよ」

 ソファに座って膝の上にマウリ様を乗せて話をするのだが、マウリ様は確かに体が大きくなっていた。そろそろ抱っこは嫌がる年になるのではないかと思うのだが、まだ抱っこされていてくれるのだから、何も指摘しないでおく。
 マウリ様がもう抱っこされなくなると、寂しく思うのはわたくしの方な気がする。
 抱き締められて話をして満足して膝から降りて行ったマウリ様を追い駆けて、わたくしはミルヴァ様の座っている子ども部屋のテーブルの傍に来た。勉強の途中で抜けて来たマウリ様は、勉強に戻るところだった。

「サロモン先生、マウリ様とミルヴァ様にお話があるのですが、お勉強はどのくらいで一区切りしますか?」
「そろそろおやつの時間なので、休憩にしようと思っていました。おやつの後はヨウシア様が来てくださる日ですし」
「分かりました」

 ヨウシア様が来て下さる日は早めにおやつにすることになっている。おやつから夕方までの二時間程度を休憩しながらわたくしたちは歌の指導を受けていた。長時間かかるのは人数が多いからだ。
 エミリア様とライネ様は一緒になって参加している気になっているだけだが、マウリ様とミルヴァ様を中心に、わたくしとハンネス様とフローラ様にもヨウシア様はしっかりと指導をしてくれていた。わたくしたちに才能の片鱗を見付けたのかどうか分からないが、ライネ様とエミリア様が混ざっていても何も言わないし、あれ以来誰も仲間外れにされるようなことはなくなっていた。

「よーてんてーくる!」
「エミリア様は眠いのではないですか?」
「わたくち、おきてる!」

 心配するヨハンナ様に元気よく答えたエミリア様だったが、おやつを食べるときには頭がぐらぐらしていた。

「エミリアは心配事があって、お昼ご飯の後に眠れなかったのよ」
「今日はエミリアはヨウシア先生の練習はお休みして、寝ていた方がいいかもしれないね」
「いーやー! よーてんてーとうたうー!」

 自分が鼻に種を詰めてしまったことで早朝からお医者様が呼ばれて、ピンセットで種を取り出すという大騒ぎになってしまったことを、エミリア様なりに深く受け止めて反省して、わたくしが帰るまで待っていたようなのだが、そのせいでエミリア様がお昼寝をしていないとは思わなかった。眠そうに目が閉じかけているエミリア様だが、必死に起きていようと頑張っている。
 エミリア様のことは心配だったが、わたくしはこの場で話さなければいけないことがあった。

「マウリ様とミルヴァ様の角は成長に合わせて生え変わるそうです。今回も色が変わっていたので、もう角に血は通っていなくて、生え変わりの時期だったようです」
「良かったですわ……。角が取れてしまって動転してすみませんでした」
「急にミルヴァとマウリの角が取れてしまったら、それは驚くよ、スティーナ」
「心臓に悪かったです。ドラゴンの成長のことをもっと学ばねばなりませんね」

 スティーナ様とカールロ様に報告はできた。大事なのはこの後だった。

「エリーサ様がドラゴンの角を加工してみたいと仰っているのです。大事な角なので、記念に取っておきたいというお気持ちもあるかもしれませんが、マウリ様とミルヴァ様はどう思いますか?」

 最初に角の所有者であるマウリ様とミルヴァ様に聞くと、クッキーサンドを食べながら顔を見合わせている。

「わたくし、エリーサ様が必要なら差し上げていいわ」
「アイラ様、何を作るの?」
「それはわたくしたちと相談して決めようと仰っていました」
「アイラ様や私たち家族のものを作るなら、私もあげていい」

 ミルヴァ様の答えはあっさりとしていて、マウリ様の方はわたくしや家族のことを思いやった優しい返事だった。お二人の了承は取れたので、マウリ様とミルヴァ様の保護者のカールロ様とスティーナ様に話を向ける。

「マウリ様とミルヴァ様の角をエリーサ様にお渡ししてよろしいでしょうか?」
「俺はマウリの要望が通るなら構わないよ。エリーサ様とエロラ様にはお世話になっているしな」
「わたくしも構いませんわ。記念に取っておくよりも、役に立った方が嬉しいですもの。魔法具として手元に置けるかもしれませんからね」

 カールロ様とスティーナ様からも快い了承が得られた。
 安心していると、ゴトンッという音が響いて、横を見ればエミリア様が眠りそうになってテーブルに額を強打して泣き出していた。

「エミリア!? 大丈夫ですか!?」
「びええええええ! いだいよおおおおお!」
「もう限界だったんだな。俺が抱っこしてやろう。眠っていいからな」
「いやああああああ! よーてんてーとうだうー!」
「俺が嫌なのか!?」
「よーてんてー!」

 眠いし、打ち付けた額は痛いし、パニック状態になっているエミリア様に、椅子から降りたマウリ様とミルヴァ様が並んだ。二人で手を握り合って歌い出す。
 優しい旋律の子守歌に、泣き喚いて暴れていたエミリア様が大人しくなる。エミリア様はカールロ様に抱っこされたまま眠っていた。
 子ども部屋の衝立の向こうのベッドにエミリア様を寝かせると、エミリア様は小さな鷲の姿になってベッドの上で丸くなってすやすやと眠っていた。起きたときにヨウシア様の指導が終わっていたらショックを受けてまた泣いてしまうのかと思うと、なんだか気の毒になる。
 エミリア様には今日は色んなことがありすぎた一日だった。

「歌の練習を始めよう……ん? 今日は小さいのが一人少なくないか?」

 ヘルレヴィ家にやってきてピアノの椅子の高さを調整しているヨウシア様は、エミリア様の不在に気付いていた。

「エミリアはあさからたいへんで、おひるねができなくて、いまねむっているの」
「ねぇね!」
「ライネもエミリアがいなくてさびしいわよね」

 フローラ様が説明すると、ヨウシア様はあまり気にしていない様子でそれを聞いていたように見えた。
 その日、歌の指導が終わっても、エミリア様が目を覚ますまでヨウシア様は「お茶のお代わりを」と言ってヘルレヴィ家にいてくれて、エミリア様が起きたら一曲だけ歌を歌わせて帰って行った。

「よーてんてーと、おうた、ちたの」

 満足そうなエミリア様に、ヨウシア様の優しさを知ったようでわたくしは嬉しかった。
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