絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 13:ガード崩しをするものども

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《ヨッグホース》大容量短距離通信規格。排外主義が目立つザナドゥカにおいて、覇権を獲得した数少ない海外発祥の技術。ザナドゥカは通信規制が厳しく煩雑であったこともあり、この通信規格の普及と技術革新を後押しした。ザナドゥカ国内での単距離通信規格の開発競争も起きたが、ヨッグホースを変えるメリットを提示できていないのが現状で、おそらく今後も長く世界標準であり続けると予想される。















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 マーカスの顔から表情が消える。
 コメットクラッシュの殴打の連続がスロウスを襲い、遠ざけ、追い詰める。だが、決定打にならない。距離が開くほど、スロウスの頭を狙うのは難しくなり、堅い動体を打っても手応えを得られない。
 スロウスも相手の動きに呼応して腹を引っ込め、体を曲げ、腰を捻り、時には仰け反ってエヴァン顔負けの後方宙返りを披露した。

「なにッ……!」

 巨躯が見せる軽業にエヴァンはもちろん皆が驚く。
 見事両足で着地を決めたスロウスは、その瞬間、顎を殴られる。それでもロープを体で押すようにして逃れ、続く一撃を避けた。
ソーニャは命令する。

「ロープからはみ出てもいいけどロープから足を出しちゃだめだからね。あと転んでもダメ」

 スロウスはそれならば、と体でロープを引き延ばし、敵の拳を迂回し、リングの中心に舞い戻ろうとする。
 コメットクラッシュの攻撃は緩急を交え、いつの間にか腕の本数が増えたと錯覚させるほど、多彩な方向から拳を繰り出す。コメットクラッシュの軽妙なステップと柔軟な体、腰の回転が合わされば拳の射程距離は伸縮自在だ。
 敵の動きに呼吸を合わせて、水のように隙を掻い潜り、肉薄し、敵の体に強烈な打撃を加え。敵の魔の手は腕であしらって、あるいは拳で迎え撃つ。
 スロウスのほうも、頭以外の攻撃は無視して相手への攻撃に集中する。結果、徐々にコメットクラッシュの拳の着弾率が上がり、一方でスロウスの攻撃頻度も上がる。まるでターン制の戦いのように攻守が入れ替わる場面が増えた。

 マーカスは唸った。

「まさかスロウスの耐久力と瞬発力がこれほどとは思わなかった」

 スタッフもうなずく。

「ですね……。コメットクラッシュはリックさんの整備でスパーリング機体にとどまらず実践に使えるほど生まれ変わったっていうのに。互角の戦いだ」

「――互角、か」

 敵であるスロウスを真正面から捉える視界の端々に、次々とオレンジ色のターゲットマーカーが開花する。視界の中心は、それらのマーカーから遠ざかるように上下左右を繰り返した。と同時に、敵スロウスが点在するマーカーをなぞる様に移動し、拳を突っ込んできた。

 エヴァンが告げた。

「オート防御!」

「作動します!」

 スタッフがC3PCのキーボードを入力する。
 コメットクラッシュの足が完全に静止する、次の瞬間、その足が消えた。目視していた人にとってはそう形容せざるを得なかった。高確率でスロウスに捕まると思われたコメットクラッシュの体は、飛び掛かって来たスロウスの左横に移動していた。
今までの立ち回りが、紙一重だったら、今回の回避は瞬間移動に例えられよう。
 コメットクラッシュのフックが炸裂する。

「左を防いで!」

 主の命と同時にスロウスは一歩引きさがる。飛んできた拳は立てた腕で防げた。

 マーカスは言う。

「オートの出力を下げろ。相互間フィードバック処理が間に合わないとエヴァンの体を傷つける」

 わが子には。

「エヴァン、今は防御に徹して、すきをつけ」

 スタッフには。

「お前たちはニューロジャンクのノイズとエヴァンのバイタルを見過ごすな」

 了解、と答えたスタッフはそれぞれモニターに注目していた。
 リング上では、スロウスが腰をかがめ腕を広げて攻めかかる。

「足を広げて防御を意識して! 相手が左に逃げたら一歩引いて相手を目視して。相手はお前が転ぶのを狙ってるからね」
 
 ソーニャの指示は、進撃するスロウスに特別な支えを付与するようであった。
 対するコメットクラッシュは防御、ではなく攻撃に出た。真っすぐな一撃は、スロウスが差し出す右頬にめり込む。
 エヴァンは突き出す拳から骨と筋肉を伝って、硬い衝撃が心臓に流れ込んでくるのを体感した。
 スロウスの進撃は止まる、だが、伸びる魔の手は止まらない。
 コメットクラッシュは左腕でスロウスの手を押しとどめ、飛び退く。しかし、突き出した方の腕を奪われた。スロウスの脇に挟まれた腕は固定され、藻掻いて抜け出せるものではなくなっていた。
 スロウスの殴打が繰り出される。それは、握った拳をただ振り下ろすだけの実に乱暴で原始的な攻撃。石を使っていた初期人類の似姿。
 コメットクラッシュは自由な腕を傘にして防御に徹するほかなかった。重々しい衝撃音が太い腕を鳴らし、内部の骨が鈍い悲鳴を上げる。
 唸るエヴァンは、全身の筋肉の緊張と体を襲う幻想の衝撃に耐えた。
 その時。

 カーンッ、ゴングが鳴る。

「離れてスロウス!」

 スロウスは命令に従い一足飛びで距離を開いた。
 解放されたコメットクラッシュは体のバランスを保てない様子で、千鳥足の後ろ歩きでコーナーに到着するとロープに体を預けた。
 エヴァンもまた、後ろに重心が崩れ、父に受け止めてもらう。

「いったんギアを外す」

 エヴァンは椅子に座らされ、頭の装置、並びに両手の装具も外してもらった。
 リングに上ったリックは、コメットクラッシュの体を数回触れて熱を確かめると、ウミウシめいた電極を張り付けた。
 マーカスは息の上がった我が子に憂いのまなざしを向けつつ、老人に問う。

「クラッシュの脈拍は?」

「運動水準と時間から計算して正常値の範囲内だ。熱量も取り立てて問題はない。酸素飽和度も十分だ」

 スタッフも。

「神経系の活動電位は正常。信号のノイズも皆無なので。通信とフィードバックに支障は出ないかと」

 リックは別のスタッフと一緒にコメットクラッシュの体に濡れタオルを貼り付け、そっから冷却材を散布。傷を発見すると受け取ったジェルを塗り込み、触診で右肩の異常を確信する。

「棒と縄を持ってきてくれ。肩関節の位置を少し正したい。それとSm用のバンテージも」

「了解しました」

 ソーニャも同じ場所でスロウスの整備をしているが、老人の仕事ぶりが目に留まり、唇を尖がらせた。
 リング外のマーカスは、老人のあまりにも見事な対応とスタッフとの連携に笑ってしまう。

「リック、定年退職したらうちのジムで仕事しないか?」

 リックは受け取った縄をコメットクラッシュの肩に巻き付けつつ言った。

「ワシの老後のことはいいから、せがれを気遣え」

 縄に棒を差し込んだリックはコメットクラッシュの肩を両手で抑え、スタッフたちに棒を捩じらせる。
 マーカスは肩をすくめ、エヴァンに水筒と大きめの錠剤のようなものを手渡した。

「ブドウ糖、頑張ってる頭にご褒美だ」

 エヴァンは錠剤を噛み砕き、水で飲み干す。

「攻撃もさばけてるし狙いも正確だ。このままいけばダウンは取れる」

 エヴァンは水筒の水を頭にかけた。

「ハァ、ハァ……ふぅ……あいつ、顔面でクラッシュのパンチを受けて、立ってた」

「殴られることを承知で突撃して来たんだ。だから耐えられた」

 エヴァンは首を横に振る。

「強くなってる」

「何の手も加えないでSmが強くなるもんか」

 と話を聞いたリックが笑う。

「身体能力じゃない。センスのほう」

 眉を傾げるリックはコメットクラシュの縄をほどき、バンテージで肩を固定する。
 マーカスは顎を撫でる。

「それが本当なら短期決戦だ。集中して相手の隙を狙え。はたから見たらスロウスの戦い方には、まだ付け入る部分が残ってる」

「同調率を上げて」

「だめだ」

 マーカスが否定する。

「どうして?」

「今でもギリギリなんだ。これ以上機体との同調率を上げれば、お前の脳とその中に詰めたニューロジャンクの処理が追い付かず体が壊れる」

「そんなことない!」

 敵を前にしてから初めて声を荒げたエヴァン。彼の興奮と疲弊を示唆するのは鼻の下を伝う血だった。
 マーカスはわが子の顔にタオルを投げる。

「冷静さを失ってる今、正常に運用できるとは思えん」

「でも、このままじゃ」

 エヴァンはタオルを握りしめ、歯を食いしばる。
 マーカスは短い思案をまぶたの裏で見つめた。

「俺の判断で続行が危険だと思ったら試合を中止する。それでいいなら」

 一瞬目を丸くしたエヴァンは、父に向って即座に答えた。

「わかった」

 リックがリングから身を乗り出す。

「待て全部聞いてなかったが……小僧が無理する必要はない」

 マーカスは手の平を突き出し、老人の言葉を遮る。

「一度始まった戦いは最後まで全力でやり通すのがうちのポリシーなんだ」

 リックは食い下がる。

「だが子供の健康がかかっているなら見過ごすわけにはいかん。まだ、12、3の子供にこれ以上の負担は酷だ」

 エヴァンは言う。

「もう14だ」

「ほぼ変わらん!」

 老人と若人は睨み合う。スタッフもうなずく。

「そうですよ。同調率を上げればそりゃあSmの攻撃精度も上がりますが。その分、Smの負荷も選手に流れてくる。未発達の脳とニューロジャンクじゃ、情報統合と通信が混乱して、むしろパフォーマンスが低下する」

 マーカスは皆の顔を一巡する。どれも険しい眼差しだった。

「息子の責任は俺がとる。これ以上の議論はなしだ」

「ワシはそこまで頼むつもりは」

「リック」

 マーカスの強いまなざしに対し、リックは。

「どうなっても知らんぞ」

 スタッフも納得できない。
 意思を曲げなかった父親の視線を受けとって、エヴァンはうなずく。
 掲げられたヘットギアの内側と、それを受け止める少年の頭の双方に生える突起は、先端を点滅させる。その強烈な光は、これまた双方についていた穴が、空気を噴射してから受け止めた。
 ヘッドギアの金具がエヴァンの頬から顎下を掬い上げ、密着する。
 マーカスに耳打ちされたスタッフは一瞬目を大きくすると、うなずいた。
 ゴングが鳴る。
 スタッフがタブレットを弾く。

「同調率25%拡大!」

 エヴァンは思い出す。
 戦いの前、ソーニャが話していたことを。その時、父は驚いていた。





「なんだって……それで町を出るって?」

「そう……マイラを助けたいの」

 あの時、少女はその顔に似つかわしくない深刻な表情を浮かべていた。身の丈に合わない闇を背負っているのが分かった。
 エヴァンは強く胸が締め付けられた。それは今まで味わったことのない類の痛み。まるで細い茨に心臓を縛られたような鈍くて重い感覚。
 その苦痛の元凶が目の前に実在していたら拳で打ち砕けたのだろうか。だが痛みの源はこの身の内に宿る心そのもの。それは知っていた。
 心のそれを何かの言葉や形で明確にすることはできない。けど、やるべきことは直ぐに決まった。
 戦いによって少女の運命が決まるというなら、決して少女が傷つかない選択であるべきだ。

 廊下で父に尋ねる。

「ねぇ……もし僕がマイラのところへ行ったら。助けられるかな」

 父は立ち止まると、振り返ることなく言った。

「……無理だ」

 エヴァンは、無数の傷を数えるように握りしめた手を見つめた。

「けど……戦うなら、何かを懸けないと本気になれないよ」

 そこで初めて父は振り返る。





 コメットクラッシュの頭部のレンズが光を揺らす。
 スロウスが放つ渾身の右ストレートが空気を鳴かせ、コメットクラッシュの肩に届いた。
 エヴァンは、過熱した血が肩から全身に流れる感覚を味わう。少年が腰を捻ると、コメットクラッシュが動きをまねる。
 傍から見てもコメットクラッシュの体が殴打されたのは確実だった。
 ソーニャも致命の一撃であることを期待する。
 だが。コメットクラッシュは、伸びる敵の腕に肌をこする様にして移動し、すれ違いざまに敵の顎を殴りつけた。
 突撃していたスロウスは前のめりで、しかも殴打のため体をひねっていた。相手の拳によってバランスを崩し、たたらを踏む。

「スロウス!」

 ソーニャの叫び。
 エヴァンも声を大にした。

「こっからが本番だ!」

 少年の軽快なフットワークに呼応するコメットクラッシュの足さばき。ただでさえ冴え渡っていた攻撃がさらに切れ味を増し、放つ拳に引き裂かれた空気が甲高い音を結ぶ。
 立て直しに一瞬を要したスロウス。その一瞬が致命的だった。
 コメットクラッシュのパンチを防ぎ、隙をついて防御を解くつもりだったスロウスは、自身の攻守の切り替えの一瞬の間を、コメットクラッシュの拳にこじ開けられ、胸に打撃を食らう。
 スロウスは足を前後に開き、耐え忍ぶ。
 コメットクラッシュが拳を差し向ける。
 今まで何度も見たフォームにスロウスは素早く反応。相手の背後に回り込むためか前へ踏み出した。
 だが、コメットクラッシュは踏み込みを突如止め、片足を軸に方向転換すると、別角度からの攻撃を仕掛けた。
 ソーニャは。

「防いで!」

 スロウスは胴体を捻り、交差した腕をコメットクラッシュに向け、重い一撃を受け止める。
 レントンが目を見張る。

「フェイント!」

 エヴァンは唸り、攻撃を繋げる。
 ソーニャは双方の攻防の速さについていけず戸惑ってしまう。何か命令を下さなければ、と思って唇が震えるが結局言葉にならない。意味のない激励なら言わないほうがいい。もし、スロウスがミスを犯せば、そのまま押し込まれる。あと1ダウンで負けが決まる。
 レントンがマーカス陣営に近づき、リックの隣に並ぶ。

「なあ、コメットクラッシュのヤツ、いきなり強くなってねえか?」

「コメットクラッシュが強くなったんじゃない。操縦者の小僧が残りの全てをつぎ込んどるんだ」

「というと?」

「……見てみろ?」

 レントンは老人が顎で示した少年を見る。
 エヴァンの動きは、まるで、あらかじめ決めていた動きをそっくりそのまま繰り出しているように無駄がない。実際はアドリブの連続だ。けど、動きより目につくのは鼻から伝う血の色だろう。

「すごいな」

「ああ、だが、最初の頃より、動きが鈍い」

「あれで?」

「見てなかったのか?」

「リングに集中してた」

 リックは喉を鳴らしてから言う。

「今のエヴァンはコメットクラッシュと受け渡す情報量を多くしているんだ」

「それってオーバーラリーってやつか? 聞いたことがある。確か、かなり操縦者に負担を強いるとか。気絶したり、最悪……」

「死に至る。オーバーラリーは操縦者の意図した行動をSmが正確に再現するため、操縦者とSm相互の情報交換の密度と量を増やす行為だ。エヴァンに流れ込んでくるのは、コメットクラッシュの体の動き、衝撃、その他諸々の機体全体の活動情報。それらの情報をエヴァンは瞬時に自分の頭で処理し、次にとるべき反応を算出してコメットクラッシュに送り出す。その結果コメットクラッシュは、エヴァンの動きと彼のイメージ、言い換えればエヴァンの理想に近い動きを可能な限り再現できる。だが、Sm同士の戦いで発揮される反射神経の情報量と受け渡し頻度は膨大だ。常人じゃすぐに根を上げるほどの負担だろう。そのうえ高速で頭を使って次の行動を算出しなきゃならん。これに関して言えば思考力というより、今までの経験に裏打ちされた条件反射がものをいう。つまり今のエヴァンは最初よりも何倍も頭と体を使うことを強いられているんだ」

 言っててリックは少年の苦痛を思い辛い表情になる。
 レントンも事の重大さに表情を暗くする。

「大丈夫なのか? 坊主は」

「大丈夫なわけねえ。下手したらマーカスが保安兵にしょっ引かれる」

「なら今のは聞かなかったことにする」

「すまん、そうしてくれ」

「でも、そこまでしてもスロウスにダメージが通ってるように見えないが」

「一撃一撃はそうかもしれん。しかし、確実にダメージは蓄積している。どんなにタフな機体でも完全無欠にはなれない。雨垂れが石を穿つのと一緒だ。それが固い拳の連撃ともなれば……着実にズタズタになっていく筋肉にスロウス自身の行動が追い打ちをかけて破断を招く。いずれ動けなくなるだろう」

「それじゃ、もしスロウスが勝っても結局ソーニャを守れなくなるんじゃないのか?」

「今日明日で現地に到着するわけじゃない、だろ?」

「まあ、最長で二日がかりを予定している」

「だったら、道中の間に回復できるようワシが整備する。まあ、勝てたらの話だが」

 リックは厳しい顔になった。






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