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貴方のダンスが見てみたい17
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トマスはそのままラグの真後ろのテーブルに腰掛けると、目の前に赤い爪先の手が別のグラスを置いていった。背後人物を振り返ると、怒ったような顔をしたリリィがいたのだ。
「あんたお酒弱いんじゃなかったの? お水も飲まないであんな化け物みたいに飲む連中に付き合うことないわよ」
「ありがとうございます。でも…… 楽しくて、つい」
毛並みのいい大型犬のように懐っこくへにゃっと無邪気に笑う顔を見て、リリィも気の強そうなと表現される目元をさげて思わず微笑んでしまった。
「リリィさん、笑うと、可愛いですねぇ」
不意を突かれたリリィは素直で真っすぐな青年の甘い口ぶりに、図らずも顔を赤くしてしまった。
「大人をからかわないで」
「俺だってもう成人しています」
リリィはエプロンを外すと隣のテーブルから空いていた椅子を音を立てて引き寄せトマスの隣に座った。
「今日は客が多かったからこんな時間まで手伝ってたけど、私ももう、今日は上がりだわ」
赤毛に巻いていたスカーフもとると、ふわりと甘い香りを漂わせながら長い髪が広がった。赤い色に刺激されるように、少しだけリリィの方に身を寄せると、トマスは丸い優し気な目でじっと彼女を見つめたまま囁く。
「じゃあ、俺におごらせてください。昼間のお礼ってことで。あれ美味しかったな~ おすすめの奴他にもあったら、俺も一緒に食べたいから。美味しいもの頼んで、俺にも食べさせてください」
無意識なのだろうが、下の子気質のこの甘えるような雰囲気は意外と年上の女の人には受けがいい仕草のようだ。
リリィもすっかり寛いだようになり、夜の店内の明かりでは暗い色の瞳に緑の光を探すように覗き込んできた。
「リリィさん、誰のことを探しているの?」
賑やかな先客の一群はラジオから聞こえる音楽に合わせて歌ったり踊ったりをし始めた。目には映っているがそれをどこか遠くに感じながら、トマスはリリィとの二人だけの会話に没頭していく。
「何の話?」
「俺に目の中に、誰かを探している。緑の目の…… 恋人とか?」
酒に酔っているとはいえ、ひどく私的なことに踏み込んだ内容だった。でもリリィは怒らなかった。トマスの性格をなんとなくわかってきて、仕方がないなあというような顔をしている。
人の話し声がざわざわと聞こえるが騒音に過ぎず、互いの声だけが意味を成して聞こえる。
「……兄よ。瞳の色が緑だったのは兄。ここら辺では珍しかったから」
「お兄さん?」
リリィは先ほど自分の分の酒も運んで来ていて、ついでにラグたちに出していた肴からオリーブの実をとると一口かじる。
「亡くなってずいぶん経つわ。年の離れた兄弟だったから。片親だったし、父も早くに亡くなって父親代わりにもなってくれてたのよ。この街をでてサレヘの港の仕事に携わってて、一度だけだけど港が海から敵襲を受けたことがあったの。すぐに近くの軍港から助けは来てくれたから上陸はされなかったけど、港は敵艦からの砲撃で滅茶苦茶になった。兄は巻き込まれてなくなったのよ」
一瞬なんと声をかけていいのかわからなかった。黙ってしまったトマスを察して、年上のリリィは精一杯大人っぽく整えたトマスの柔らかな髪を撫ぜてやった。
「そんな顔しないで。昔の話よ。言ったでしょ。昔はみんな出稼ぎに行っていたって」
昼間リリィが話していたことがありありと頭に甦ってきた。
(お兄さんとの思い出の街が変わっていくのが寂しいんだ…… それでも街に仕事が増えてよかったのは、もっと早くそうなっていたらお兄さんもこの街にいて、死なずに済んだかもしれないって思ってしまったから)
「え、やだ。貴方、泣いているの?」
トマスはテーブルの上にポタポタと鼻先を伝って涙の雫が落ちたことに、わがことながら驚く。
「俺…… 本当だ、俺泣いてる」
「困った子ね。貴方優しすぎるわ」
不意に立ち上がったリリィの豊かな胸にむぎゅっと頭を押しつけられた。普通だったら耳まで真っ赤になって飛び上がって離れるはずのトマスは、酔いが回っていて動きが鈍いせいかされるがまま抱きしめられた。
リリィの香りと暖かなぬくもりに包まれて、旅の疲れもあってこのまま眠ってしまいたいぐらい心地よい。しかし周りからの囃し立てる歓声に少しだけ目が覚めた。
リリィがトマスにだけ聞こえるような声で子守歌の様に穏やかに語る。
「緑の目を見るとね、兄さんを思い出すの。優しくて、強くて、大好きな人だったから。でも写真の一枚もないの。こんな田舎じゃまともに写真も撮れなかったし、いつか撮ろうねっていっててその前に死んじゃったからね。だから目を見るのぐらい、許してね」
自覚するほどぶわっと、トマスのオリーブグリーンの目から熱い涙が湧き上がってきた。
「い、いくらでも見てください! こんな目で良ければ!」
酒を飲むと泣き上戸になるのだな、と周りは暖かく純朴そうな青年を見守っていた。
流石にずっと抱き合っていたら申し訳ないし恥ずかしいと、トマスは身体を失礼にならない程度にゆっくりと引き剥がす。
酒と照れとで耳の先まで赤くなった顔を誤魔化すように、飲み物のお代わりをとりに立ち上がった。
高い位置から騒ぎながらもどこか暖かな人々を見下ろしながら、海風が吹いてくるテラスの方をぼーっと眺めた。火照った身体に時折強く吹き抜ける風があたり心地よい。
粗末なスピーカーから若干割れた音楽のする方を見ると、小さな娘と若い父親が仲良くハチャメチャな動きでダンスをしているところだった。その横では年頃の恋人同士風の男女がいちゃつきながら女性の腰に手を回して一番それらしく踊っている。そして友人同士なのか大口を開けて動くたびに笑いあいながら、下手くそなステップを踏む少女同士のペア。漁師の男たちもお道化て踊っている。
トマスはそんな幸福な光景をみて、昨日までは存在すら知らなかった見知らぬ人々が今はとても大切な人々になったような胸の中の温みを感じていた。
ふと見下ろすと、ソフィアリが瞳を輝かせて上半身でリズムをとるようにしてわずかに揺らしているのがわかった。学校時代から知っているトマスには分かる。ソフィアリはきっと踊りたがっている。うずうずとした身体を長いローブのような上着の下に隠しているが、本当は踊りたいにきまっているのだ。
ダンスの授業が大好きで、園遊会前は授業じゃない時も女の子たちに乞われて教室で踊ったりしていたものだ。
トマスは空のグラスを横から伸びた手に葡萄酒でみたしてもらいながら、今度はラグのとアスターの向かい側にどかっと座る。酔っているせいか日頃はまあ、洗練されている風の動きがかなり雑になっている。
そのまま絡むように、ソフィアリに向かって酔っ払い特有の大声を出した。
「ソフィアリ! 踊りたいんだろ! 踊りなよ」
「あんたお酒弱いんじゃなかったの? お水も飲まないであんな化け物みたいに飲む連中に付き合うことないわよ」
「ありがとうございます。でも…… 楽しくて、つい」
毛並みのいい大型犬のように懐っこくへにゃっと無邪気に笑う顔を見て、リリィも気の強そうなと表現される目元をさげて思わず微笑んでしまった。
「リリィさん、笑うと、可愛いですねぇ」
不意を突かれたリリィは素直で真っすぐな青年の甘い口ぶりに、図らずも顔を赤くしてしまった。
「大人をからかわないで」
「俺だってもう成人しています」
リリィはエプロンを外すと隣のテーブルから空いていた椅子を音を立てて引き寄せトマスの隣に座った。
「今日は客が多かったからこんな時間まで手伝ってたけど、私ももう、今日は上がりだわ」
赤毛に巻いていたスカーフもとると、ふわりと甘い香りを漂わせながら長い髪が広がった。赤い色に刺激されるように、少しだけリリィの方に身を寄せると、トマスは丸い優し気な目でじっと彼女を見つめたまま囁く。
「じゃあ、俺におごらせてください。昼間のお礼ってことで。あれ美味しかったな~ おすすめの奴他にもあったら、俺も一緒に食べたいから。美味しいもの頼んで、俺にも食べさせてください」
無意識なのだろうが、下の子気質のこの甘えるような雰囲気は意外と年上の女の人には受けがいい仕草のようだ。
リリィもすっかり寛いだようになり、夜の店内の明かりでは暗い色の瞳に緑の光を探すように覗き込んできた。
「リリィさん、誰のことを探しているの?」
賑やかな先客の一群はラジオから聞こえる音楽に合わせて歌ったり踊ったりをし始めた。目には映っているがそれをどこか遠くに感じながら、トマスはリリィとの二人だけの会話に没頭していく。
「何の話?」
「俺に目の中に、誰かを探している。緑の目の…… 恋人とか?」
酒に酔っているとはいえ、ひどく私的なことに踏み込んだ内容だった。でもリリィは怒らなかった。トマスの性格をなんとなくわかってきて、仕方がないなあというような顔をしている。
人の話し声がざわざわと聞こえるが騒音に過ぎず、互いの声だけが意味を成して聞こえる。
「……兄よ。瞳の色が緑だったのは兄。ここら辺では珍しかったから」
「お兄さん?」
リリィは先ほど自分の分の酒も運んで来ていて、ついでにラグたちに出していた肴からオリーブの実をとると一口かじる。
「亡くなってずいぶん経つわ。年の離れた兄弟だったから。片親だったし、父も早くに亡くなって父親代わりにもなってくれてたのよ。この街をでてサレヘの港の仕事に携わってて、一度だけだけど港が海から敵襲を受けたことがあったの。すぐに近くの軍港から助けは来てくれたから上陸はされなかったけど、港は敵艦からの砲撃で滅茶苦茶になった。兄は巻き込まれてなくなったのよ」
一瞬なんと声をかけていいのかわからなかった。黙ってしまったトマスを察して、年上のリリィは精一杯大人っぽく整えたトマスの柔らかな髪を撫ぜてやった。
「そんな顔しないで。昔の話よ。言ったでしょ。昔はみんな出稼ぎに行っていたって」
昼間リリィが話していたことがありありと頭に甦ってきた。
(お兄さんとの思い出の街が変わっていくのが寂しいんだ…… それでも街に仕事が増えてよかったのは、もっと早くそうなっていたらお兄さんもこの街にいて、死なずに済んだかもしれないって思ってしまったから)
「え、やだ。貴方、泣いているの?」
トマスはテーブルの上にポタポタと鼻先を伝って涙の雫が落ちたことに、わがことながら驚く。
「俺…… 本当だ、俺泣いてる」
「困った子ね。貴方優しすぎるわ」
不意に立ち上がったリリィの豊かな胸にむぎゅっと頭を押しつけられた。普通だったら耳まで真っ赤になって飛び上がって離れるはずのトマスは、酔いが回っていて動きが鈍いせいかされるがまま抱きしめられた。
リリィの香りと暖かなぬくもりに包まれて、旅の疲れもあってこのまま眠ってしまいたいぐらい心地よい。しかし周りからの囃し立てる歓声に少しだけ目が覚めた。
リリィがトマスにだけ聞こえるような声で子守歌の様に穏やかに語る。
「緑の目を見るとね、兄さんを思い出すの。優しくて、強くて、大好きな人だったから。でも写真の一枚もないの。こんな田舎じゃまともに写真も撮れなかったし、いつか撮ろうねっていっててその前に死んじゃったからね。だから目を見るのぐらい、許してね」
自覚するほどぶわっと、トマスのオリーブグリーンの目から熱い涙が湧き上がってきた。
「い、いくらでも見てください! こんな目で良ければ!」
酒を飲むと泣き上戸になるのだな、と周りは暖かく純朴そうな青年を見守っていた。
流石にずっと抱き合っていたら申し訳ないし恥ずかしいと、トマスは身体を失礼にならない程度にゆっくりと引き剥がす。
酒と照れとで耳の先まで赤くなった顔を誤魔化すように、飲み物のお代わりをとりに立ち上がった。
高い位置から騒ぎながらもどこか暖かな人々を見下ろしながら、海風が吹いてくるテラスの方をぼーっと眺めた。火照った身体に時折強く吹き抜ける風があたり心地よい。
粗末なスピーカーから若干割れた音楽のする方を見ると、小さな娘と若い父親が仲良くハチャメチャな動きでダンスをしているところだった。その横では年頃の恋人同士風の男女がいちゃつきながら女性の腰に手を回して一番それらしく踊っている。そして友人同士なのか大口を開けて動くたびに笑いあいながら、下手くそなステップを踏む少女同士のペア。漁師の男たちもお道化て踊っている。
トマスはそんな幸福な光景をみて、昨日までは存在すら知らなかった見知らぬ人々が今はとても大切な人々になったような胸の中の温みを感じていた。
ふと見下ろすと、ソフィアリが瞳を輝かせて上半身でリズムをとるようにしてわずかに揺らしているのがわかった。学校時代から知っているトマスには分かる。ソフィアリはきっと踊りたがっている。うずうずとした身体を長いローブのような上着の下に隠しているが、本当は踊りたいにきまっているのだ。
ダンスの授業が大好きで、園遊会前は授業じゃない時も女の子たちに乞われて教室で踊ったりしていたものだ。
トマスは空のグラスを横から伸びた手に葡萄酒でみたしてもらいながら、今度はラグのとアスターの向かい側にどかっと座る。酔っているせいか日頃はまあ、洗練されている風の動きがかなり雑になっている。
そのまま絡むように、ソフィアリに向かって酔っ払い特有の大声を出した。
「ソフィアリ! 踊りたいんだろ! 踊りなよ」
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