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第19話 第六章 疑惑②

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 アネモイは、苔むした地下道を、八時間は歩き続けている。吸う空気はかび臭くて、いい加減外の空気が恋しくなってきた。
 古い地下道は、普段人が頻繁に利用している感じは全くせず、時折ネズミが数匹すれ違うのみだ。
(複雑な造りだ。コレは、代弁者が用意したというよりは、元々あるものだな)
 手元の用紙に、精密な図形を書き込んでいく。変身能力の使い手である彼女にとって、物の構造を読み取るのは朝飯前である。
 己が作成した用紙を広げ、その出来栄えに納得したように頷いた彼女は、
「ん?」
 三メートルほど先にあるT字路の右側から、光が漏れ出ているのを発見する。
 出口か! と、流行る気持ちを抑え、T字路の角を右に曲がった。光は天井から漏れ出ており、暗闇を明るく照らしている。
 慎重に足音を立てぬように近づき、真上を覗き見ると、真っ白い壁が見える。人の気配を探るが、どうやらいないようだ。
 アネモイは、ゆっくりと天井を押し開ける。拍子抜けするほど、軽い力で天井は開き、するりと地下道から室内へと侵入した。
 随分と広い空間だ。このスペースならば、百人ほどの人間が集まっても、十分くつろげるだろう。
「真っ白い壁に、開放的な造り。地図から考えるに、ここはプリウか。まさか、あの森からこんな場所に通じているとはな」
 遅い時間帯のようだ。日はとっくに暮れており、この建物もしっかりと戸締りがされていた。彼女にとっては、余計な騒ぎを起こさずに済んで、運が良かったと言えるだろう。
 アネモイは、好都合だとばかりに、建物の中をくまなく調べた。けれども、有益な情報は、一つも出てこずため息が漏れる。
(地下道が発見できただけでも、良しとすべきか)
 痕跡を残さないように慎重に建物の外へ出ると、夜の涼やかな風が全身を駆け抜けていった。少しでも、風をその身に感じたくて、甲冑姿から黄緑色のワンピース姿へと変身する。
「ああ、格別に空気が美味しく感じるな」
 伸びをして、町へ繰り出す。探索は明日にするとして、今日は宿に泊まろうと心に決める。
 朝の早い港町だからか、この時間帯に人はあまりいない。おかげで、鼻の下を伸ばした男達に絡まれることもなく、快適そのものだ。
「あ」
 思わず、建物の影に隠れる。人気の少ない通りに、馬に乗った男が現れた。ただの男であれば、見向きもしないが、黒髪のやや背の高い人間には、見覚えがあった。忘れもしない。今日の昼頃に、アネモイと戦ったあの男だ。
(この町にいたのか。……ここで始末すると目立つな)
 どのみちあの男は、調査には関係がない。立ち去ろうと背を向きかけた時、
「秋仁」
 と呼ぶ声が聞こえて動きを止めた。
「遅かったわね」
「ああ、今日は大変だったよ」
 男が話している相手は、宿の二階の窓枠に腰かけた女である。姿は見知らぬが、その声と雰囲気に見覚えがあった。
(あの女は、もしや)
 カリムが商業都市フラデンで、ボロボロの状態で帰還した時の話だ。その時、彼は言っていた。妹のサンクトゥスに出会ったと。
 ――長い黒髪の女がそうだ。彼女は人間の男と一緒に、行動を共にしていた。
 カリムの口から悩ましげに吐き出された言葉が、鮮明に蘇る。疑いから確信へ。
 目は鋭さを帯び、アネモイの口からは呪いの言葉が吐き出された。
「サンクトゥス。カリム様の妹君でありながら、道を違えた者。私のカリム様を悩ませ、愛情を独り占めする憎き女。貴様だけは、絶対に許しはしない」
 むき出しの殺意をぶつけるのは、まだ早い。彼女は、今度こそ背を向けると、夜の闇へ溶け込むように去っていった。
 ※
 ニコロから過去の話を聞かされた日の夕方。黒羽は、夕陽を眩しそうに手で遮りながら言った。
「情報を整理しよう」
 巣へと戻る鳥達が、鳴き声で夜の訪れを告げている。大通りは、帰宅する人々でごった返しており、さながら人の洪水と呼べる有様だ。黒羽達は、そんな大通りから逃れるように、家と家の隙間にある小道にいる。
「今日一日、散々情報収集した成果はありません。彩希ちゃんはどうでありますか?」
 恐らく騎士の真似をしたニコロを、彩希は冷ややかに睨む。
「私もないわね。隣にいる変態を、捕まえて町の入り口に吊るせば、代弁者が釣れるんじゃないかしら」
「まだ、根に持ってるのかい。ごめんね。もうしないと約束しよう。だから、笑顔を見せてくれないかい」
 ニコロの言葉を完全に無視し、彩希は黒羽に問いかけた。
「あなたは?」
「いや、全くと言っていいほど情報がない。ただ、冒険者の人から気になる情報を聞いた」
「気になる情報?」
 眉根を寄せる彩希に頷くと、黒羽は目を瞑り冒険者の話を思い出す。
「ドラゴンを狩る人間がいる、と冒険者の間で噂になっているらしい」
「ああ、その話は俺も知っている。だからどうした。そいつは間違いなく代弁者の野郎だろうよ」
 ニコロを肩をすくめた。黒羽は、そうだろうと肯定した上で、核心に入った。
「目撃証言が、一致しない。ある人は男だったと言っていたが、別の人に聞けば女だったと証言する人もいるんだ」
「夜にでも目撃して、勘違いしたんじゃねえのかよ」
「いいや。中には、昼時に荒野ではっきりと目にした人もいる。そこで思ったんだが、代弁者は変装が得意なんじゃないか?」
 強い風に揺れた髪を抑えた彩希は、腕を組み納得した様子になる。
「テレビで似た話を見たわよ。スパイの男が、変装して敵地に潜入するシーンが凄かったわ」
「てれび?」
「あ、いや。異世界の娯楽道具かな。まあ、方法は分からないが、魔法とかで変装はできるのか?」
 ニコロは大通りを歩く女性にウインクし、口を開いた。
「できるかもしれねえ。実際、各国の諜報員は、魔法を応用して変装することもあるらしい。でもよ、大事なことを忘れているぜ。代弁者は、ウロボロスを使うために、バーラスカを服用してるんだ。そうなると、魔法の力はほとんど使えなくなってると、考えるのが自然じゃねえか」
 その通りである。黒羽は、可能性の灯が消え、がっくりとしたが、当の本人がその灯を消さなかった。
「あ、いや待て。俺を育ててくれたセラオのオジサンが、言ってたな。代弁者は、初めて会った時、瞳の色が違っていたって。高魔力の魔法を扱えるヤツは、体内の魔力濃度が高まると、瞳の色が変わる現象があるが、てっきり俺はそれだと思ってた。……でもよ、そう。おかしいんだ。だって、親父を殺すことができた時点で、ヤツはあの頃からすでにバーラスカを飲んでたはずだから、常に魔力欠乏症に近い状態だったはずだ」
 三人は顔を見合わせた。
 代弁者には影武者がいた、セラオのオジサンの記憶違いだった等々、推理を確実なものにするには、まだ情報が足りないが、間違いないと三人は頷いた。
「もし、ヤツが魔法の力を使わずに変装が得意だと仮定すれば、この町にいる可能性だって考えられる」
「あり得るわね。秋仁に興味を抱いていたわけだし、近くで監視しているかもしれないわ」
 すぐ近くの大通りを歩く人々が、急に恐ろしい化け物に変わったように見えた。
 露店で魚を売る中年男性。真っ黒に日焼けした肌を撫でながら、談笑する専業主婦。性別すら欺けるのならば、どこにいたって不思議ではない。
「待て、落ち着け。このままじゃ町を歩くのだってままならない。もう少し、考えてみよう」
 懸命に知恵を絞り合った。言葉を重ね、嫌になるほど代弁者で頭がいっぱいになった頃、黒羽はふと思い出す。
 ファマのアジトに行った時、代弁者がまるでこちらの居場所を知っていたかのようなタイミングで登場したことに。
「待て、そうだ。ニコロ、ヤツと会った時、アイツは計ったようなタイミングで現れただろう」
 ニコロは、黒羽が言いたいことがすぐにわかった。あの場所にいた黒羽達を、偶然見つけたとは考えづらい。となれば、情報を仕入れられる立場にいた誰かになっているのではないか?
「俺達の居場所を知っていたとすりゃ、ギルドマスター、冒険者、宿の店員、騎士団辺りが怪しいな」
「どうして騎士団を疑う?」
「知り合いがいるって言ってたろ。こまめに連絡を取り合っていた。昔からのダチだし、ヤツの筆跡なのは間違いないから、そいつは犯人じゃねえ。でも、もしかすると、騎士に成りすました代弁者がいて、手紙を盗み読んだかもしれねえ」
 だいぶ的が絞れてきた。暗闇の中に、光明が差した気持ちになり、黒羽は拳を握りしめ、ニヤリと笑う。
「おし。じゃあ今から宿の店員、ギルドマスター、冒険者を調べよう。騎士団は……すぐには調べられないか」
「いいや、そうでもないぜ。豊潤の森で起きた異変を調べるために、派遣されているらしい。そっちは、俺が行ってくる」
 方針が決まれば、後は行動あるのみだ。翌日の夕方に、落ち合う約束をして、二手に分かれた。
 太陽が沈んだ後、風もなく静かな夜が過ぎてゆく。しかし、それはプリウの住人達の話。黒羽と彩希は、巨悪に立ち向かうことになる。
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