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 教会の鐘が戦争の終わりを告げてからしばらくして、オールテア王国第三兵団団長であるブラッドリーにも、王宮への招集命令の通達が届いた。
 あれからこの野戦病院も大分落ち着き、今やここに残る者はわずかばかりであった。
 家に戻る者、仕事を探し方々に散る者、そしてここ辺境の地に根を張り生きる覚悟をした者、バラバラではあるが、それぞれが新しい人生を歩み始めていた。
 中には看護をしていた者と結ばれ、この地で暮らし始めた者もいる。
 そんな中、パトリシアは最後までこの施設で暮らし、最後の一人になるまで見届けようと決めていた。



「パトリシア。遅くとも明後日にはここを離れ、王宮に出向くことになった」

「そうですか、わかりました。ここは最後まで私が見届けさせていただきます。最後の一人になるまで、ちゃんと私が見送ります。最初からその覚悟でいましたから、安心してください」

「いや、それには及ばない。ここはカイルに任せようと思う。カイルはグリッド辺境伯爵の元で私兵として入団することになっているし、辺境伯爵殿の了承も得ている。だから、君が心配することは何もないよ」

「では、私は自分の意思でここに残ります。看護婦が勝手にやったことです。どうか気にしないでください」

「パトリシア。君の思いには頭が下がるばかりだ、感謝する。だが、ここに居る者の身の振り方は粗方決まりが付いた。皆も納得してくれている。だから、その……」

 拳を握りしめるように力を込め、少しだけ頬を紅潮させたブラッドリーだったが、思い切ったように口を開く。

「パトリシア。一緒に王都へ行ってほしい。そして、私の隣にずっといてほしいんだ」

 ブラッドリーの言葉に驚き言葉を無くすパトリシアの手を取り、自分の胸に引き寄せるように導くと、そのまま彼女を自分の腕の中に包み込んだ。

「そばに居て欲しい。これからもずっと、私にはパトリシアだけだ」

 愛する人の腕の中で、聞きたかった言葉が彼の口から告げられる。幸せを感じないわけがない。喜んでいいはずなのに、パトリシアの胸は言い表せない想いが込み上げてきた。
 愛する人に望まれて、求められ隣に居られること。これ以上の幸せはないはずなのに。
 身分の差故、信じ切れない自分がいるのだ。

「ブラッドリー様。でも、私ではあなたの妻には相応しくありません。あまりに格が違いすぎます」

「なんてことを! そんなことないと言っただろう? 私は三男で爵位も関係ないし、自由の身だ。だからこそ騎士になり前線に赴いたんだ。大丈夫、心配ないよ。それとも私の事が信じられないか?」

「いいえ、そんなことは決して!」

 パトリシアは頭をふるふると横に振り、否定して見せた。

「ならば、私を信じてついて来てくれるね? 何の心配もしなくて良い。私がついている」


 パトリシアは彼の言葉をやっと信じることができた。
 嬉しさと安心感で力がぬけそうになり、足元がふらついてしまった。それをブラッドリーが抱きかかえるように支え、満面の笑みで笑い出す。


「パトリシアはたまにドジをする。そこが可愛いところだけど。そんな可愛いところは誰にも見せたくは無いな。ずっと腕の中に閉じ込めたくなってしまう」

 ブラッドリーは抱きしめたままパトリシアの顎を上げ、口づけをしようと顔を近づけてくる。

「ブラッドリー様!! お待ちください! あの、私のわがままを聞いて欲しいのです」

「わがまま? パトリシアが我がままなんて珍しい。いや、初めてだな。いいよ、何でも言ってごらん」

 ニコニコ笑顔でパトリシアを見つめるブラッドリーに、居住まいを正して答える。

「私はここで、最後まで皆を見送りたいと思います。そしてその後、実家に一度戻りたいのです。もう二年近く連絡が取れていないので。私が送った手紙の返事が来ないところを見ると、私の手紙自体が届いていないのかもしれません。今更戻ったところで居場所も無いでしょうが、それでも一度顔を見て家族の無事を確認したくて」

「そうか、返事が……。戦で国中が大変な時だ。手紙よりも戦地への物資供給の方が重要だったから、きっとどさくさに紛れてしまったんだろう。だが、パトリシアの顔を見ればきっと安心するさ。早く帰ってやると良い」

「はい、そうさせてもらいます」

「パトリシア。全て終わったら、団長としての務めを終えその任を解かれたら、迎えに行く。必ず迎えに行くから、それまで待っていてほしい」
 
「はい。ブラッドリー様をずっとお待ちしています」

 交わしたふたりの約束は口約束でしかない。どちらかが違うと言えば果たす義務もないほどの弱いもの。だが、想いあうふたりの気持ちは今までとは違う。
 不確かな関係を案じていたパトリシアも、今はブラッドリーの言葉を信じることができる。
 
 きっと大丈夫。彼となら、うまくいく。確証などないが、そんな思いがパトリシアを優しく埋め尽くしていった。



 先にブラッドリーを王都まで見送ると、最後の一人になるまでパトリシアは施設に留まり続けた。
 
あの日、早馬に乗って知らせに来てくれたカイルと、共に怪我人を世話し続けていたミーナは互いに想いあい、この地で新居を持つと言う。
 農家の息子である彼は跡取りではないため、実家に戻ったところで兄の元で農家の稼ぎ手として一生を終えることになる。それならば愛する人と共にこの地で暮らしたいと、自らグリッド辺境伯爵家の私兵に志願し入団することになったのだ。
 そんなカイルに送られて、グリッド辺境伯家へ挨拶に向かった。
 パトリシアが辺境伯爵夫人と顔を合わせたのは半年以上前。色々とお世話になった礼を最後に告げたいと頼み、出立の日に会う事が叶った。

 初めて来た辺境伯爵邸はとても大きく、国境を守るべき要塞と言った言葉がピッタリの館だった。
 パトリシアが着くと夫人自らが出迎えてくれ、辺境伯爵との目通しの橋渡しをしてくれた。忙しい伯爵とはほとんど挨拶のみで、そこからは夫人との茶会が始まった。


「パトリシアさんとは一度病院でお会いしたきりで、何の助けも出来ずに気になっていたのです。ごめんなさいね」

「いえ、そんな。物資を分けていただき、本当に感謝いたします」

「いいえ、本来なら子爵令嬢のあなたがするような事ではなかったはずなのに。国や貴族達があまりにもずさんだったために、あなた達に苦労をかけてしまって。
 私にできることは何でも言ってね、出来る限りの援助は惜しまないつもりよ」

「ありがとうございます。そのお気持ちだけで救われます」

「で? これから、どうするおつもり?」

「一度実家に戻ろうと思います。一年以上連絡が取れずにいましたので。今更戻っても居場所は無いでしょうが、それでも家族の無事を確認したいですし」

「そう、ご実家に……。ご実家は確か、オランド子爵家? あまり社交の場ではお見掛けしたことがないのだけれど?」

「我が家は領地も小さく貴族とは名ばかりで、平民と変わらないような暮らしをしておりましたので社交界に出る余裕などなくて。ですから私も、お恥ずかしながら社交界デビューはしていないんです」

「そうでしたか。そう……。その後は? どうするおつもり?」

 少しばかり深く聞き込んでくる夫人を不思議に思いながら、それでも嘘を吐くわけにはいかないと恥じらいながら答えた。

「あの、実は。ブラッドリー様が迎えに来てくださることになっておりまして、その……」

 パトリシアはきっと赤くなっているであろう顔を俯き隠した。

「ブラッドリー様が? まあ、そうなの。それは素敵ね」

 夫人の声は言葉とは裏腹に抑揚のない、声を押し殺したような感じで、共に喜んではくれないことが声色でわかった。
 しかしそれも当たり前だとわかっている。身分差があり、ブラッドリーの家族に認めてもらえないかもしれないことも想定済みだ。
 それでも、一緒にいたいと言ってくれたその想いがパトリシアを強くしてくれる。

「格の違いはわかっているつもりです。それでも、私は彼の言葉を信じたいのです」

 力強く前を見据え語るパトリシアに、夫人はやさしくほほ笑んだ。

「ねえ、パトリシアさん。良かったらこの地に残って、ここで働かない? 何なら私の侍女としてそばにいてもらってもいいのよ。私のそばで行儀見習いとして淑女教育を受ければ、これから先の未来も違って来るわ。何なら私自身があなたの後見人になってもいいわ。ねえ、そうしない?」

 夫人がなぜここまで親身になってくれるのかパトリシアにはわからなかったが、それでも実家に戻って様子を確かめたい思いは変わらず、夫人の誘いを丁寧に断った。

「本当に、何かあったら私達を頼ってちょうだい。あなたの献身的な行動を私たちは決して忘れないわ。だから、何があっても自分を信じて、強く生きてね。
 私はいつでもあなたの味方よ。いつでもここに来て良いのよ」

 最後までパトリシアのことを本気で心配してくれる夫人に感謝を告げると、辺境伯家が用意してくれた馬車に乗り、オランド子爵家の領地へと旅立った。

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