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三章
クシナダの身分証
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マンハイム採用試験を余裕で合格し、クシナダは冒険者になった。試験場からロビーに戻り、ヴァレリアから身分証を作るための必要書類を受け取る。クシナダをロビーの指定席に座らせて、筆記用具と書類を渡すとクシナダは機嫌よく書類を書き始めた。テーブルに上がろうとするトトを空いている椅子に座らせて俺も隣に座って様子を見る。何も書かずにクシナダが固まった。字は書けるはずなんだけど、どうした?
「……クシナダ?」
俺が留守にしている間の宿題として、クシナダには文字の練習をさせている。まあ、日記のようなものだ。いつも依頼を終わらせてマンハイムからエイラに戻った後、寝るまでの間にクシナダと一緒に読んだりしている。街で買った簡素なノートには、その日何をして、どんなことを思ったかを書くように言っていた。クシナダは俺の言ったとおりにしてくれていて嬉しかった。ただ、俺に内緒にしていた魔法の練習のことは一切書いてなかったけど。まあ、それはもういいか。
クシナダには俺と同じように言語理解の技能があったみたいで、俺が教えるまでもなく会話と読み書きはできていた。クシナダの字は少し丸文字になっているが、読みやすい字を書く。だから、マンハイムへの登録書類も問題なく書けるはずなんだけど、なぜか難しい顔をして俺を見上げた。
「御主人、ここ」
そう言って右手にペンを持ったまま、人差し指で書類の一部を指し示す。そこ、名前を書くところだぞ?
「どうした?お前の名前はクシナダじゃないか」
クシナダが小さく首を振る。いや、あなたの名前はクシナダですよ?
「違うの、ここ」
「ん~?そこは苗字を書くところだな」
「うん」
クシナダが指さしている場所をよく見ると、苗字を書く欄になっている。何を悩んでいるんだか。
「クシナダ=スミス。他に無いだろ?」
だって俺の娘なんだから。眉間にしわを寄せていたクシナダがきょとんとして、そして笑顔を浮かべて頷いた。
「……うん!」
「わっ、あぶね!」
いきなりクシナダが抱きついてきたので椅子から落ちそうになる。なんとか踏ん張って、クシナダを受け止めた。
「えへへー」
俺の胸に顔をうずめ、ちらっと俺を見上げてまた顔をうずめる。
「なんだよクシナダ?」
「えへへー、なんでもないよ!」
クシナダが俺を見上げて笑っている。何が嬉しいんだか。俺はクシナダを椅子に座らせて、右手にペンを持たせてやった。顔はにやけたままだけど、クシナダはまた書類の続きを書き始めた。
うん、あとは悩むことないだろ。クシナダが書類を書き終わるまで隣で見ててやるか。
「ほんと、仲いいわね」
受付業務に戻ったヴァレリアが俺達に声をかけてくる。カウンターに目をやると、ヴァレリアが両手で頬杖をついて俺達を眺めていた。どこから持ってきたのか、ショールを羽織っている。
「そうか?」
「ええ。クーちゃんが羨ましいわ」
ヴァレリアは微笑みながら俺から視線を外し、クシナダを見つめる。クシナダは鼻歌交じりに書類を書き進めていた。
「クシナダ、ゆっくりでいいぞ?」
「うん!」
「……ほんと、羨ましいわ」
ヴァレリアに視線を戻すと、ふふふと笑いかけてくる。なんだよ、優しい顔もできるんじゃないか。さっきみたいなキャバ嬢より、そっちのほうがいいよ、絶対。
「ちょっとヴァレリア、ちゃんと仕事しなさいよ」
「はいはい」
カウンターの奥にある台所から、両手にトレーをもってスザンヌが出てくる。トレーの上には湯気を立てるマグカップと、大皿に盛った焼き菓子が乗っていた。ヴァレリアをからかいながら、スザンヌが俺達のほうへ歩いてくる。
「悪いな、スーちゃん。お茶淹れてくれたのか」
「スーちゃん言うな。気にしないで、私も飲みたかったから」
クシナダを挟んでスザンヌも椅子に座る。テーブルの上に乗せたトレーには、マグカップが3つ乗っていた。トトの分は小さなお椀に入っている。紅茶のいい香りがするけど、俺の分まで淹れてくれたのか。
「俺の分も?」
俺がそう言うと、スザンヌはころころと笑ってこう答えた。
「3人分も4人分も一緒よ」
「……ありがとな」
「いえいえ」
あまりしゃべるとクシナダの邪魔になるな。俺がクシナダに目をやると、スザンヌも同じようにクシナダを見つめていた。
クシナダが書類を書き終えるまで、そう時間はかからなかった。いつの間にか、窓から差し込んでくる日差しが夕日に変わり始め、ロビーの中がオレンジ色に染まっていく。
クシナダから書類を受け取って見直しをしていると、依頼を終えた冒険者達が少しずつマンハイムに帰ってきた。帰ってきた連中にクシナダが挨拶をすると、みんな目じりを下げるのが面白い。お、強面のデニスまで。ジョエルは相変わらず爽やかだね。
「クシナダ、よく書けたな」
「えへへー」
ざっと目を通したけど間違っているところは無かった。クシナダの頭を撫でて立ち上がる。
「ヴァレリアに渡してくるから、スーちゃん達とお茶飲んで待ってろよ」
「クーちゃんも行く」
「すぐそこだからいいよ。ほら、お茶が冷めるぜ?」
自分の書類だから自分で出したいんだろうな。でも、せっかくスザンヌがお茶を淹れてくれたんだしゆっくりしてろって。クシナダが俺とスザンヌの顔を交互に見つめる。スザンヌも頷いてクシナダの頭を優しく撫でた。
「ユート君もああ言ってるし、身分証ができたら一緒に行こ?」
「うん!じゃあ、御主人お願いね。でも、身分証ができたらクーちゃんが行くまで待っててね?」
「ああ、ちゃんと呼ぶから、ゆっくりしてろ」
「えへへー、うん!」
俺は右手に書類、左手に湯気の立つマグカップを持って受付に向かった。俺と入れ違いに、報酬を受け取った冒険者達がクシナダの元へ向かっている。うん、うちの子大人気だね。
受付の前は冒険者達が列を作って並んでいた。依頼の納品待ち行列だ。シンディが忙しそうに報告を受け、ヴァレリアも手伝っている。
しばらくかかりそうだな。俺は列に並びながら、スザンヌが淹れてくれた紅茶をすすった。うん、美味しい。
「御主人、お行儀悪いの!」
スザンヌや冒険者達に囲まれていたクシナダが、目ざとく俺を見つけて叱ってくる。ロビーの中に冒険者達の笑い声が響いた。俺はそっぽを向いて紅茶をすする。だって冷ましたらスザンヌに悪いじゃないか。いつの間に来たのか、トトが俺の足元で俺を見上げていた。
「ユート、さっきの手が飛んでくるよ?」
「……それは勘弁だ」
あんなもんで殴られたら死んじまう。紅茶をすするのをやめて、近くにあったテーブルにカップを置く。トトが笑いながらするするっと俺の肩に上がってきた。
「降りろよトト」
「イヤだよ、ここ落ち着くんだから。見晴らしもいいしね」
そんなことを言いながら、器用に俺の肩の上に座っている。俺は乗り物じゃないってのに。トトと雑談をしながら待っていると、少ししてから順番が回ってきた。ヴァレリアとシンディが、俺達を見て笑っている。
「ユート君、似合うわよ」
「ふふ、ほんと。兄弟みたい」
トトが気を良くして俺の頭を肉球でぽんぽんしてくる。俺は苦笑しながらヴァレリアに書類を渡した。俺から書類を受け取り、ヴァレリアがカウンターの奥へ引っ込む。俺の後ろに納品待ちの行列が続いているので、俺はトトを乗せたまま脇に避けて待つことにした。シンディがまた忙しそうに冒険者達の相手をしている。
3人ほど納品を済ませた頃、ヴァレリアが真新しい身分証を持ってカウンターに出てきた。クシナダの身分証ができたみたいだな。クシナダを呼ぼうと振り返ると、冒険者達が人だかりを作っていた。うん、いつもの光景だな。夕方に帰ってくると、いつもあんな感じでクシナダの周りに人が集まっている。
「クシナダ、身分証ができたぞ」
笑いながら声をかけると、人だかりが割れてクシナダが飛び出してきた。スザンヌの手を握って走ってくる。だから走ると危ないって。
「転ぶなよ」
「大丈夫だよ、御主人!」
クシナダが上機嫌で俺の足に抱きつく。俺をゴールにするな。こら、スザンヌもヴァレリアも笑うなって。俺はクシナダを足から引きはがして、ヴァレリアの方を向かせた。
「ほら、ヴァレリアから身分証もらえって」
クシナダが俺を見て頷き、ヴァレリアの方へ駆け寄る。ヴァレリアもカウンターから出てきてクシナダの手前でしゃがみ込んだ。クシナダがヴァレリアから両手で大事そうに身分証を受け取り、俺を振り返ってぴょんぴょん跳ねる。
「御主人!ほら見て!クーちゃん冒険者になったよ!」
「ああ、おめでとう」
「うん!クシナダ=スミスだって!スミス!スミス!」
変な喜び方だな。俺は苦笑しながらクシナダの頭をくしゃくしゃと撫でる。ヴァレリアとトトはくすくすと笑っていた。
「クーちゃん、やったね」
スザンヌも笑いながらしゃがみ込む。そして、腰の鞄から空のパスケースを取り出した。
「はい、これお祝いね。身分証汚しちゃったらイヤだもんね」
「わー、スーちゃんありがとう!お揃いだね!」
「ええ、私のと同じ、お揃いだよ」
「えへへー」
スザンヌがクシナダの真新しい身分証をパスケースに入れる。うん、俺の時はくれなかったくせに。後で俺も買いに行こう。あ、そういや財布もまだ買ってないや。クシナダの財布も一緒に買うか。
その後、マンハイムの有志(主に女性陣)達の提案により、クシナダの合格祝いが開かれることになった。主役がクシナダなので、飲み会というより食事会という感じだったが、みんなクシナダのために時間を割いてくれたのが嬉しかった。
休暇中のマリアもわざわざ来てくれて、クシナダの合格を自分のことのように喜んでくれた。遅くまで依頼に行っていたドミニクも、同行させていた新人を連れて顔を出してくれた。みんな疲れてるだろうに、いいやつらだ。
「御主人」
「ん?」
「冒険者っていいね」
「冒険者ってより、マンハイムだからいいんじゃないか?」
「うん!」
「お!ボウズよく言った!」
「ドミニクお前、呑みすぎだ!」
しかもその酒、テオロス帝国で買ったやつ。持ち込むなよそんなもん!
「小僧、祝いの席で呑まんのは野暮ってもんよ」
デニスのおっさんも悪い酔いしてやがる。あーあー、他の連中も酒瓶開けて!
「おい、誰かこのおっさんども止めろよ!」
「あははー、無理だよユート君。がんばってねー」
「だははは!」
「がははは!」
あーもう、このダメ人間ども!俺の魔法で酔いを醒ましてやろうと思っていると、クシナダが俺の上着をくいくいと引っ張ってきた。
「楽しいね、御主人!」
右手で俺の上着を掴み、左手は隣に座ったスザンヌの右手を握って、クシナダがニコッと笑った。いろいろあったけど、まあ、よかったよな。うん。
「クシナダ」
「なあに?」
クシナダの右手を握って笑いかける。
「これからもよろしくな」
「……うん!」
クシナダのための食事会は、いつの間にかマンハイムの飲み会に変わっていたが、クシナダは最後まで楽しんでいたようだ。俺はというと、クシナダが俺とスザンヌの手を握っているもんだからいろいろと冷やかされてしまった。いや、うん、今日は我慢しよう……。
「……クシナダ?」
俺が留守にしている間の宿題として、クシナダには文字の練習をさせている。まあ、日記のようなものだ。いつも依頼を終わらせてマンハイムからエイラに戻った後、寝るまでの間にクシナダと一緒に読んだりしている。街で買った簡素なノートには、その日何をして、どんなことを思ったかを書くように言っていた。クシナダは俺の言ったとおりにしてくれていて嬉しかった。ただ、俺に内緒にしていた魔法の練習のことは一切書いてなかったけど。まあ、それはもういいか。
クシナダには俺と同じように言語理解の技能があったみたいで、俺が教えるまでもなく会話と読み書きはできていた。クシナダの字は少し丸文字になっているが、読みやすい字を書く。だから、マンハイムへの登録書類も問題なく書けるはずなんだけど、なぜか難しい顔をして俺を見上げた。
「御主人、ここ」
そう言って右手にペンを持ったまま、人差し指で書類の一部を指し示す。そこ、名前を書くところだぞ?
「どうした?お前の名前はクシナダじゃないか」
クシナダが小さく首を振る。いや、あなたの名前はクシナダですよ?
「違うの、ここ」
「ん~?そこは苗字を書くところだな」
「うん」
クシナダが指さしている場所をよく見ると、苗字を書く欄になっている。何を悩んでいるんだか。
「クシナダ=スミス。他に無いだろ?」
だって俺の娘なんだから。眉間にしわを寄せていたクシナダがきょとんとして、そして笑顔を浮かべて頷いた。
「……うん!」
「わっ、あぶね!」
いきなりクシナダが抱きついてきたので椅子から落ちそうになる。なんとか踏ん張って、クシナダを受け止めた。
「えへへー」
俺の胸に顔をうずめ、ちらっと俺を見上げてまた顔をうずめる。
「なんだよクシナダ?」
「えへへー、なんでもないよ!」
クシナダが俺を見上げて笑っている。何が嬉しいんだか。俺はクシナダを椅子に座らせて、右手にペンを持たせてやった。顔はにやけたままだけど、クシナダはまた書類の続きを書き始めた。
うん、あとは悩むことないだろ。クシナダが書類を書き終わるまで隣で見ててやるか。
「ほんと、仲いいわね」
受付業務に戻ったヴァレリアが俺達に声をかけてくる。カウンターに目をやると、ヴァレリアが両手で頬杖をついて俺達を眺めていた。どこから持ってきたのか、ショールを羽織っている。
「そうか?」
「ええ。クーちゃんが羨ましいわ」
ヴァレリアは微笑みながら俺から視線を外し、クシナダを見つめる。クシナダは鼻歌交じりに書類を書き進めていた。
「クシナダ、ゆっくりでいいぞ?」
「うん!」
「……ほんと、羨ましいわ」
ヴァレリアに視線を戻すと、ふふふと笑いかけてくる。なんだよ、優しい顔もできるんじゃないか。さっきみたいなキャバ嬢より、そっちのほうがいいよ、絶対。
「ちょっとヴァレリア、ちゃんと仕事しなさいよ」
「はいはい」
カウンターの奥にある台所から、両手にトレーをもってスザンヌが出てくる。トレーの上には湯気を立てるマグカップと、大皿に盛った焼き菓子が乗っていた。ヴァレリアをからかいながら、スザンヌが俺達のほうへ歩いてくる。
「悪いな、スーちゃん。お茶淹れてくれたのか」
「スーちゃん言うな。気にしないで、私も飲みたかったから」
クシナダを挟んでスザンヌも椅子に座る。テーブルの上に乗せたトレーには、マグカップが3つ乗っていた。トトの分は小さなお椀に入っている。紅茶のいい香りがするけど、俺の分まで淹れてくれたのか。
「俺の分も?」
俺がそう言うと、スザンヌはころころと笑ってこう答えた。
「3人分も4人分も一緒よ」
「……ありがとな」
「いえいえ」
あまりしゃべるとクシナダの邪魔になるな。俺がクシナダに目をやると、スザンヌも同じようにクシナダを見つめていた。
クシナダが書類を書き終えるまで、そう時間はかからなかった。いつの間にか、窓から差し込んでくる日差しが夕日に変わり始め、ロビーの中がオレンジ色に染まっていく。
クシナダから書類を受け取って見直しをしていると、依頼を終えた冒険者達が少しずつマンハイムに帰ってきた。帰ってきた連中にクシナダが挨拶をすると、みんな目じりを下げるのが面白い。お、強面のデニスまで。ジョエルは相変わらず爽やかだね。
「クシナダ、よく書けたな」
「えへへー」
ざっと目を通したけど間違っているところは無かった。クシナダの頭を撫でて立ち上がる。
「ヴァレリアに渡してくるから、スーちゃん達とお茶飲んで待ってろよ」
「クーちゃんも行く」
「すぐそこだからいいよ。ほら、お茶が冷めるぜ?」
自分の書類だから自分で出したいんだろうな。でも、せっかくスザンヌがお茶を淹れてくれたんだしゆっくりしてろって。クシナダが俺とスザンヌの顔を交互に見つめる。スザンヌも頷いてクシナダの頭を優しく撫でた。
「ユート君もああ言ってるし、身分証ができたら一緒に行こ?」
「うん!じゃあ、御主人お願いね。でも、身分証ができたらクーちゃんが行くまで待っててね?」
「ああ、ちゃんと呼ぶから、ゆっくりしてろ」
「えへへー、うん!」
俺は右手に書類、左手に湯気の立つマグカップを持って受付に向かった。俺と入れ違いに、報酬を受け取った冒険者達がクシナダの元へ向かっている。うん、うちの子大人気だね。
受付の前は冒険者達が列を作って並んでいた。依頼の納品待ち行列だ。シンディが忙しそうに報告を受け、ヴァレリアも手伝っている。
しばらくかかりそうだな。俺は列に並びながら、スザンヌが淹れてくれた紅茶をすすった。うん、美味しい。
「御主人、お行儀悪いの!」
スザンヌや冒険者達に囲まれていたクシナダが、目ざとく俺を見つけて叱ってくる。ロビーの中に冒険者達の笑い声が響いた。俺はそっぽを向いて紅茶をすする。だって冷ましたらスザンヌに悪いじゃないか。いつの間に来たのか、トトが俺の足元で俺を見上げていた。
「ユート、さっきの手が飛んでくるよ?」
「……それは勘弁だ」
あんなもんで殴られたら死んじまう。紅茶をすするのをやめて、近くにあったテーブルにカップを置く。トトが笑いながらするするっと俺の肩に上がってきた。
「降りろよトト」
「イヤだよ、ここ落ち着くんだから。見晴らしもいいしね」
そんなことを言いながら、器用に俺の肩の上に座っている。俺は乗り物じゃないってのに。トトと雑談をしながら待っていると、少ししてから順番が回ってきた。ヴァレリアとシンディが、俺達を見て笑っている。
「ユート君、似合うわよ」
「ふふ、ほんと。兄弟みたい」
トトが気を良くして俺の頭を肉球でぽんぽんしてくる。俺は苦笑しながらヴァレリアに書類を渡した。俺から書類を受け取り、ヴァレリアがカウンターの奥へ引っ込む。俺の後ろに納品待ちの行列が続いているので、俺はトトを乗せたまま脇に避けて待つことにした。シンディがまた忙しそうに冒険者達の相手をしている。
3人ほど納品を済ませた頃、ヴァレリアが真新しい身分証を持ってカウンターに出てきた。クシナダの身分証ができたみたいだな。クシナダを呼ぼうと振り返ると、冒険者達が人だかりを作っていた。うん、いつもの光景だな。夕方に帰ってくると、いつもあんな感じでクシナダの周りに人が集まっている。
「クシナダ、身分証ができたぞ」
笑いながら声をかけると、人だかりが割れてクシナダが飛び出してきた。スザンヌの手を握って走ってくる。だから走ると危ないって。
「転ぶなよ」
「大丈夫だよ、御主人!」
クシナダが上機嫌で俺の足に抱きつく。俺をゴールにするな。こら、スザンヌもヴァレリアも笑うなって。俺はクシナダを足から引きはがして、ヴァレリアの方を向かせた。
「ほら、ヴァレリアから身分証もらえって」
クシナダが俺を見て頷き、ヴァレリアの方へ駆け寄る。ヴァレリアもカウンターから出てきてクシナダの手前でしゃがみ込んだ。クシナダがヴァレリアから両手で大事そうに身分証を受け取り、俺を振り返ってぴょんぴょん跳ねる。
「御主人!ほら見て!クーちゃん冒険者になったよ!」
「ああ、おめでとう」
「うん!クシナダ=スミスだって!スミス!スミス!」
変な喜び方だな。俺は苦笑しながらクシナダの頭をくしゃくしゃと撫でる。ヴァレリアとトトはくすくすと笑っていた。
「クーちゃん、やったね」
スザンヌも笑いながらしゃがみ込む。そして、腰の鞄から空のパスケースを取り出した。
「はい、これお祝いね。身分証汚しちゃったらイヤだもんね」
「わー、スーちゃんありがとう!お揃いだね!」
「ええ、私のと同じ、お揃いだよ」
「えへへー」
スザンヌがクシナダの真新しい身分証をパスケースに入れる。うん、俺の時はくれなかったくせに。後で俺も買いに行こう。あ、そういや財布もまだ買ってないや。クシナダの財布も一緒に買うか。
その後、マンハイムの有志(主に女性陣)達の提案により、クシナダの合格祝いが開かれることになった。主役がクシナダなので、飲み会というより食事会という感じだったが、みんなクシナダのために時間を割いてくれたのが嬉しかった。
休暇中のマリアもわざわざ来てくれて、クシナダの合格を自分のことのように喜んでくれた。遅くまで依頼に行っていたドミニクも、同行させていた新人を連れて顔を出してくれた。みんな疲れてるだろうに、いいやつらだ。
「御主人」
「ん?」
「冒険者っていいね」
「冒険者ってより、マンハイムだからいいんじゃないか?」
「うん!」
「お!ボウズよく言った!」
「ドミニクお前、呑みすぎだ!」
しかもその酒、テオロス帝国で買ったやつ。持ち込むなよそんなもん!
「小僧、祝いの席で呑まんのは野暮ってもんよ」
デニスのおっさんも悪い酔いしてやがる。あーあー、他の連中も酒瓶開けて!
「おい、誰かこのおっさんども止めろよ!」
「あははー、無理だよユート君。がんばってねー」
「だははは!」
「がははは!」
あーもう、このダメ人間ども!俺の魔法で酔いを醒ましてやろうと思っていると、クシナダが俺の上着をくいくいと引っ張ってきた。
「楽しいね、御主人!」
右手で俺の上着を掴み、左手は隣に座ったスザンヌの右手を握って、クシナダがニコッと笑った。いろいろあったけど、まあ、よかったよな。うん。
「クシナダ」
「なあに?」
クシナダの右手を握って笑いかける。
「これからもよろしくな」
「……うん!」
クシナダのための食事会は、いつの間にかマンハイムの飲み会に変わっていたが、クシナダは最後まで楽しんでいたようだ。俺はというと、クシナダが俺とスザンヌの手を握っているもんだからいろいろと冷やかされてしまった。いや、うん、今日は我慢しよう……。
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