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第一話
【本日の御予約】 紫乃原みちる 様 ①
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「みっちゃん。それはもう、いつもの事で片付けちゃダメだよ」
窘める風に、うんざりするような正論を凛介は吐き出した。
ほとんど聞き流しながら、あたしは緩慢な動きでテーブルに着く。眼前には「あとは食べるだけですよ」とでも主張するかの如く、完璧な朝食が用意されている。
「なにか飲む?」
「……水」
はいよ、と声がして凛介が冷蔵庫に向かって行く。その大きめの背中を、あたしは呆っと眺める。
架条凛介とは高校時代からの付き合いになる。
多様性という言葉が尊重されつつある現代ではあるけれど、よりにもよってあたしなんかと親交を深め続けた酔狂な人物だ。
趣味と特技が料理ということもあって髪は染めないし、伸ばさない。肌も焼かなければ指輪やピアスとも無縁。背は一八〇に届きそうな高身長。整った目鼻立ちにはいつも笑顔が引っ付いていて、優し気な雰囲気がにじみ出ている好青年……だと思う。
偶然か、はたまた教師に仕組まれたのか地元の進学校で三年間同じクラスになり続け、果てには同じ大学に合格した。そしてそれを機に凛介の方から告白された。
他にも魅力的な女子はたくさん居ただろうに……。
と、いまでも思うところがあるのだけれど、断る理由も思いつかなくて、あたしは告白を受け入れた。
その後いろいろあって、今はこうして同棲生活をしながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
「あっ、ごめん。ミネラルウォーター切らしてた」
「べつに水道水で良いのに」
あたしがそう言うと、凛介は眉を『八』の字に曲げた。
「麦茶があるから、これで我慢して」
あたしは頷く。
どうしても水が飲みたかったって訳じゃない。
どうしてもなんて感情は、あたしには無いんだから。
受け取った麦茶を一気に飲み干すと、凛介は何も言わずに二杯目を注いでくれた。それからあたしの対面に移動して、ようやく椅子に腰を落ち着かせる。
「さっきの話に戻るけどさ。そろそろ専門の人に相談した方が良いと思うんだ」
さっきの話ってなんだろう。
寝起きだからか思考のチャンネルが上手く切り替わらない。
「やっぱり掛布団が消えるなんて普通じゃないよ」
「ああ……」
……まだその話が続くのか。
トーストを齧ったばかりだったあたしは、わざと急がず時間をかけて口の中を空にしてから、言う。
「専門家って言ったって誰に相談するのよ。病院? それとも警察? どこに相談したところで物がなくなるなんて相談は、あたしのうっかりで片付けられて終わりでしょ」
「うーん……。それは、まあ。みっちゃんの言う通りかもしれないけど」
難しい口振りをして、凛介は困ったように顔を下げた。
困らせるつもりはなかったんだけど――と、あたしは再びトーストに齧りつく。
困らせるつもりも何も、どうだっていいのだ。あたしはとっくに諦めているんだから。
そんなことよりも、たかがトーストをなんでこんなに美味しく焼けるのか、そっちの方が気になる。同じ食パンで同じトースターを使っても、あたしが焼くと絶対にこうはならないのに。
「――ってことになるのかな」
「え――――? ごめん、聞いてなかった」
「こういう場合、みっちゃんの悩みは〝怪奇現象〟ってことになるのかな、って」
全く別の事を考えていたあたしに気を悪くした風もなく、凛介は再び言葉を紡いでくれた。
なるほど。怪奇現象か。確かにしっくりくる表現ではある。
「そうね。そういう事になる……かもね」
でも、だからなんだって言うのか。
怪奇現象だからって、病院から特効薬が貰える訳じゃない。
怪奇現象だからって、警察から捜索隊が出動する訳じゃない。
結局のところ『相談するだけ無駄』という事実は変わらないのだ。
それとも霊験あらたかな神社にでも行って、お祓いして貰えとでも言うつもりだろうか。まあ、それで凛介の気が済むのならあたしに断る理由はないけれど――。
「うん。怪奇現象って事なら、なんとかなるかも」
「……はい?」
思ってもみなかった言葉が返ってきて、ヘンなところから声が出た。
なんとかなるかもって、いったい何がなんとかなるっていうんだろう。
凛介が言うところの怪奇現象が『解決する』って意味には思えない。だとすると、相談する相手に心当たりがあるって意味になるのか?
「バイト先の店長なんだけどさ。ちょっと変わり者というか、すんごいひねくれ者なんだけど――こういう怪奇現象に詳しい人なんだよね」
「ちょっとなのかすんごいなのか、どっちかにしてよ。ていうか凛介のバイト先って普通の民宿でしょ? ……なんか、すごく胡散臭い」
率直な感想を返すと、凛介は露骨に苦笑した。
思った事を思ったまま口にしてしまうのはあたしの悪い癖だが、今回に限って言えばあたしは悪くないと思う。こんな曖昧な紹介をされたら誰だって似たような感想を抱くはずだ。ましてや話の内容が内容なのだから。
「気持ちはわかるけどね。でも悪い人じゃないから一度会ってみてよ。病院とか警察よりはまともな相談が出来ると思うし、それに今日は新入生のサークル勧誘なんかがあるから講義は午前だけ。時間的にもちょうどいいでしょ」
「えっ、なに。今日行くって話なの?」
「みっちゃんサークル入ってないし暇でしょ? それとも何か用事ある?」
「……用事は特にないけど」
そういう事じゃない……と、あたしは小さくため息を吐いた。
しかしここで明確に断れないあたり、つくづくあたしには自分の意思ってモノが無いのだと再認識させられる。
だからどうって訳でもないけれど。
「じゃあ決まりって事で。俺は先に行って話を通しておくから、みっちゃんは講義が終わってからゆっくりおいで。店の場所は携帯に送っておくね」
凛介がそう言うなり、隣の部屋であたしの携帯がピロリンと鳴った。仕事が早いというか、ここまで早いと全部計算ずくなんじゃないかと思えてくる。
……凛介はいつもあたしの事を考えてくれる。
あたしはなんにも返せないのに。
結局、いろいろ考えるのが億劫になって、あたしは「わかった」と頷いた。
窘める風に、うんざりするような正論を凛介は吐き出した。
ほとんど聞き流しながら、あたしは緩慢な動きでテーブルに着く。眼前には「あとは食べるだけですよ」とでも主張するかの如く、完璧な朝食が用意されている。
「なにか飲む?」
「……水」
はいよ、と声がして凛介が冷蔵庫に向かって行く。その大きめの背中を、あたしは呆っと眺める。
架条凛介とは高校時代からの付き合いになる。
多様性という言葉が尊重されつつある現代ではあるけれど、よりにもよってあたしなんかと親交を深め続けた酔狂な人物だ。
趣味と特技が料理ということもあって髪は染めないし、伸ばさない。肌も焼かなければ指輪やピアスとも無縁。背は一八〇に届きそうな高身長。整った目鼻立ちにはいつも笑顔が引っ付いていて、優し気な雰囲気がにじみ出ている好青年……だと思う。
偶然か、はたまた教師に仕組まれたのか地元の進学校で三年間同じクラスになり続け、果てには同じ大学に合格した。そしてそれを機に凛介の方から告白された。
他にも魅力的な女子はたくさん居ただろうに……。
と、いまでも思うところがあるのだけれど、断る理由も思いつかなくて、あたしは告白を受け入れた。
その後いろいろあって、今はこうして同棲生活をしながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
「あっ、ごめん。ミネラルウォーター切らしてた」
「べつに水道水で良いのに」
あたしがそう言うと、凛介は眉を『八』の字に曲げた。
「麦茶があるから、これで我慢して」
あたしは頷く。
どうしても水が飲みたかったって訳じゃない。
どうしてもなんて感情は、あたしには無いんだから。
受け取った麦茶を一気に飲み干すと、凛介は何も言わずに二杯目を注いでくれた。それからあたしの対面に移動して、ようやく椅子に腰を落ち着かせる。
「さっきの話に戻るけどさ。そろそろ専門の人に相談した方が良いと思うんだ」
さっきの話ってなんだろう。
寝起きだからか思考のチャンネルが上手く切り替わらない。
「やっぱり掛布団が消えるなんて普通じゃないよ」
「ああ……」
……まだその話が続くのか。
トーストを齧ったばかりだったあたしは、わざと急がず時間をかけて口の中を空にしてから、言う。
「専門家って言ったって誰に相談するのよ。病院? それとも警察? どこに相談したところで物がなくなるなんて相談は、あたしのうっかりで片付けられて終わりでしょ」
「うーん……。それは、まあ。みっちゃんの言う通りかもしれないけど」
難しい口振りをして、凛介は困ったように顔を下げた。
困らせるつもりはなかったんだけど――と、あたしは再びトーストに齧りつく。
困らせるつもりも何も、どうだっていいのだ。あたしはとっくに諦めているんだから。
そんなことよりも、たかがトーストをなんでこんなに美味しく焼けるのか、そっちの方が気になる。同じ食パンで同じトースターを使っても、あたしが焼くと絶対にこうはならないのに。
「――ってことになるのかな」
「え――――? ごめん、聞いてなかった」
「こういう場合、みっちゃんの悩みは〝怪奇現象〟ってことになるのかな、って」
全く別の事を考えていたあたしに気を悪くした風もなく、凛介は再び言葉を紡いでくれた。
なるほど。怪奇現象か。確かにしっくりくる表現ではある。
「そうね。そういう事になる……かもね」
でも、だからなんだって言うのか。
怪奇現象だからって、病院から特効薬が貰える訳じゃない。
怪奇現象だからって、警察から捜索隊が出動する訳じゃない。
結局のところ『相談するだけ無駄』という事実は変わらないのだ。
それとも霊験あらたかな神社にでも行って、お祓いして貰えとでも言うつもりだろうか。まあ、それで凛介の気が済むのならあたしに断る理由はないけれど――。
「うん。怪奇現象って事なら、なんとかなるかも」
「……はい?」
思ってもみなかった言葉が返ってきて、ヘンなところから声が出た。
なんとかなるかもって、いったい何がなんとかなるっていうんだろう。
凛介が言うところの怪奇現象が『解決する』って意味には思えない。だとすると、相談する相手に心当たりがあるって意味になるのか?
「バイト先の店長なんだけどさ。ちょっと変わり者というか、すんごいひねくれ者なんだけど――こういう怪奇現象に詳しい人なんだよね」
「ちょっとなのかすんごいなのか、どっちかにしてよ。ていうか凛介のバイト先って普通の民宿でしょ? ……なんか、すごく胡散臭い」
率直な感想を返すと、凛介は露骨に苦笑した。
思った事を思ったまま口にしてしまうのはあたしの悪い癖だが、今回に限って言えばあたしは悪くないと思う。こんな曖昧な紹介をされたら誰だって似たような感想を抱くはずだ。ましてや話の内容が内容なのだから。
「気持ちはわかるけどね。でも悪い人じゃないから一度会ってみてよ。病院とか警察よりはまともな相談が出来ると思うし、それに今日は新入生のサークル勧誘なんかがあるから講義は午前だけ。時間的にもちょうどいいでしょ」
「えっ、なに。今日行くって話なの?」
「みっちゃんサークル入ってないし暇でしょ? それとも何か用事ある?」
「……用事は特にないけど」
そういう事じゃない……と、あたしは小さくため息を吐いた。
しかしここで明確に断れないあたり、つくづくあたしには自分の意思ってモノが無いのだと再認識させられる。
だからどうって訳でもないけれど。
「じゃあ決まりって事で。俺は先に行って話を通しておくから、みっちゃんは講義が終わってからゆっくりおいで。店の場所は携帯に送っておくね」
凛介がそう言うなり、隣の部屋であたしの携帯がピロリンと鳴った。仕事が早いというか、ここまで早いと全部計算ずくなんじゃないかと思えてくる。
……凛介はいつもあたしの事を考えてくれる。
あたしはなんにも返せないのに。
結局、いろいろ考えるのが億劫になって、あたしは「わかった」と頷いた。
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