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第二話
【本日の御予約】 小坪巴 様 ①
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「とうとう四月は一人もお客さん来なかったですね」
バイトの休憩時間――といっても、あまりに暇すぎて常に休憩しているようなモノなのだけれど、あたしと摩子さんの前にミルクティーの入ったカップを並べ終えた凛介が、そんなことを言った。
ようやく見慣れてきた凛介の板前姿。
あたしはあたしで「仕事着にしてよ」と渡された、えらく高そうな袴を着ていて――袴姿のあたしと摩子さん。それに板前姿の凛介が揃うと、ここだけ時間が巻き戻ったような見た目になっている。
摩子さん曰く「雰囲気づくりだよ」とのこと。
その辺の感覚は、良くわからない、というのが正直なところだ。
「なに言ってるのさ凛くん。お客さんなら、みちるちゃんが来てくれたじゃないか」
いきなり名前を呼ばれて、ミルクティーをこぼしそうになった。
危ない……。袴を汚すところだった。
遠慮なく汚して良いと言われているけれど、そんな度胸あたしにはない。
「いや――まぁ、それはそうですけど」
あたしの代わりに曖昧な返事をしてくれた凛介に摩子さんの相手を任せて、改めてカップに口をつける。
お客さんと呼べるかは置いておくとして、確かにあたしは四月の頭にこの店を訪ねた。
世話焼きの彼氏に世話を焼かれて――という形だったから、決して自らの意思ではなかったけれど、確かに自らの足でこの店の戸を潜った。
その時まで、あたしはとある問題を抱えていた。
高校時代から始まった、問題。
はじめこそ悩みだったけれど、悩むことさえ諦めて、放置していた問題。
だが、この店でおもてなしをして貰ったことによって抱えていた問題は一応の解決を見た。
その対価として、あたしはこの店『民宿・うらおもて』でアルバイトすることを選んだのだ。
問題の解決。
……解決。
とはいえ、高校時代からずっとその問題と付き合ってきたあたしとしては――一度は受け入れてしまったあたしとしては、解決した実感は……まだ薄い。
問題が本当に解決したかは、問題が起こらないとわからないから。
しゃっくりが止まったかは、しゃっくりが出るまでわからないのと同じ。
そんな感覚で、そんな状態。
でも、まあ。
今のところ再発は、していない――。
◇◆◇
「心配しなくても四月分のお給料もちゃんと出すからね」
「それはありがたいですけど……本当に良いんですか? みっちゃんをお客さんと数えたとしても、実質売り上げはゼロだった訳でしょう? それに俺は俺で、毎日のように料理の練習と称して食材を使わせてもらってるし……」
「うん。いつもおいしい夕飯をありがとう。お昼ご飯もおいしかったよ」
「いや、だからそうじゃなくてですね……」
凛介と摩子さんの会話は続いていた。
言い淀んだ凛介に、摩子さんが念を押すように微笑む。
「大丈夫、大丈夫。この前みちるちゃんにも言ったけど、この店は趣味と義務を兼ねてやってるだけだからね。
商売人としては失格かもしれないけど、正直なところ売り上げは二の次で良いんだよ」
「趣味と義務を兼ねるって……、なんかおかしな表現ですね」
いつぞやのあたしが言葉にできなかった違和感を、凛介はおかしいと言葉にする。
なんだ。そんな簡単な言葉で表現すれば良かったのか。
「あはは。確かに言葉としてはおかしいかもね。でも実際そうなんだよ」
どうやら猫舌である摩子さんはミルクティーに唇をちょこんと付けて――案の定、ほとんど飲まずにカップを戻した。どこか得体の知れない人だけれど、こういうところは凄く人間味が溢れている。
「この店の先代――つまり私のじいさんの遺言でね。私がこの店と遺産を継ぐことになったんだけど、その条件が店を続けることだったのさ。
まあ、私自身この店を気に入ってるから異論はなかった。だから趣味であり義務でもあるってコト」
「なる、ほど……? って、ん? それじゃもしかして俺たちの給料はおじいさんの遺産から出てたりします?」
「今回みたいに売り上げが少ない時だけね。でもまだまだ腐るほど余ってるし、なんの心配も要らないよ。きっと私の代じゃ使い切れないから」
「うわぉ……」
なおも続く二人の会話から意識を離して、あたしは開け放たれた障子から枯山水の中庭を呆っと眺める。
話の続きに興味が無いとは言わないけれど、どうしても聞きたいとも思わない。
庭の奥には四本の細木が植わっている。
初めてこの店に訪れたときに満開だった左端の枝垂桜はとっくに花が落ちていて、今は左から二番目の百日紅が新芽を伸ばしているところだ。
そこで、はたと気づく。
ああ、そういうことか。
季節によって順々に花が咲くように、粋な工夫が凝らされているんだ――。
バイトの休憩時間――といっても、あまりに暇すぎて常に休憩しているようなモノなのだけれど、あたしと摩子さんの前にミルクティーの入ったカップを並べ終えた凛介が、そんなことを言った。
ようやく見慣れてきた凛介の板前姿。
あたしはあたしで「仕事着にしてよ」と渡された、えらく高そうな袴を着ていて――袴姿のあたしと摩子さん。それに板前姿の凛介が揃うと、ここだけ時間が巻き戻ったような見た目になっている。
摩子さん曰く「雰囲気づくりだよ」とのこと。
その辺の感覚は、良くわからない、というのが正直なところだ。
「なに言ってるのさ凛くん。お客さんなら、みちるちゃんが来てくれたじゃないか」
いきなり名前を呼ばれて、ミルクティーをこぼしそうになった。
危ない……。袴を汚すところだった。
遠慮なく汚して良いと言われているけれど、そんな度胸あたしにはない。
「いや――まぁ、それはそうですけど」
あたしの代わりに曖昧な返事をしてくれた凛介に摩子さんの相手を任せて、改めてカップに口をつける。
お客さんと呼べるかは置いておくとして、確かにあたしは四月の頭にこの店を訪ねた。
世話焼きの彼氏に世話を焼かれて――という形だったから、決して自らの意思ではなかったけれど、確かに自らの足でこの店の戸を潜った。
その時まで、あたしはとある問題を抱えていた。
高校時代から始まった、問題。
はじめこそ悩みだったけれど、悩むことさえ諦めて、放置していた問題。
だが、この店でおもてなしをして貰ったことによって抱えていた問題は一応の解決を見た。
その対価として、あたしはこの店『民宿・うらおもて』でアルバイトすることを選んだのだ。
問題の解決。
……解決。
とはいえ、高校時代からずっとその問題と付き合ってきたあたしとしては――一度は受け入れてしまったあたしとしては、解決した実感は……まだ薄い。
問題が本当に解決したかは、問題が起こらないとわからないから。
しゃっくりが止まったかは、しゃっくりが出るまでわからないのと同じ。
そんな感覚で、そんな状態。
でも、まあ。
今のところ再発は、していない――。
◇◆◇
「心配しなくても四月分のお給料もちゃんと出すからね」
「それはありがたいですけど……本当に良いんですか? みっちゃんをお客さんと数えたとしても、実質売り上げはゼロだった訳でしょう? それに俺は俺で、毎日のように料理の練習と称して食材を使わせてもらってるし……」
「うん。いつもおいしい夕飯をありがとう。お昼ご飯もおいしかったよ」
「いや、だからそうじゃなくてですね……」
凛介と摩子さんの会話は続いていた。
言い淀んだ凛介に、摩子さんが念を押すように微笑む。
「大丈夫、大丈夫。この前みちるちゃんにも言ったけど、この店は趣味と義務を兼ねてやってるだけだからね。
商売人としては失格かもしれないけど、正直なところ売り上げは二の次で良いんだよ」
「趣味と義務を兼ねるって……、なんかおかしな表現ですね」
いつぞやのあたしが言葉にできなかった違和感を、凛介はおかしいと言葉にする。
なんだ。そんな簡単な言葉で表現すれば良かったのか。
「あはは。確かに言葉としてはおかしいかもね。でも実際そうなんだよ」
どうやら猫舌である摩子さんはミルクティーに唇をちょこんと付けて――案の定、ほとんど飲まずにカップを戻した。どこか得体の知れない人だけれど、こういうところは凄く人間味が溢れている。
「この店の先代――つまり私のじいさんの遺言でね。私がこの店と遺産を継ぐことになったんだけど、その条件が店を続けることだったのさ。
まあ、私自身この店を気に入ってるから異論はなかった。だから趣味であり義務でもあるってコト」
「なる、ほど……? って、ん? それじゃもしかして俺たちの給料はおじいさんの遺産から出てたりします?」
「今回みたいに売り上げが少ない時だけね。でもまだまだ腐るほど余ってるし、なんの心配も要らないよ。きっと私の代じゃ使い切れないから」
「うわぉ……」
なおも続く二人の会話から意識を離して、あたしは開け放たれた障子から枯山水の中庭を呆っと眺める。
話の続きに興味が無いとは言わないけれど、どうしても聞きたいとも思わない。
庭の奥には四本の細木が植わっている。
初めてこの店に訪れたときに満開だった左端の枝垂桜はとっくに花が落ちていて、今は左から二番目の百日紅が新芽を伸ばしているところだ。
そこで、はたと気づく。
ああ、そういうことか。
季節によって順々に花が咲くように、粋な工夫が凝らされているんだ――。
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