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智洋ルート後日譚
over the moon 11
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昼休みの残りを屋上で過ごし、やはり訪れることのない亮太について考えながら寮に戻ると、幸広は寮監に外出届を出して街に出た。
平日だが、他の学校は休みのところも多く、高校生にも大学生にも声を掛けられる。適当に遊びながら時間を潰し、日を変えて夜にも会えそうな女性を物色しながら、何かが違うという感じが終始付きまとう。
それは、今までにも感じてはいたことだったが、自覚していたものとは少し異なるようだ。もとより幸広はひととき暇つぶしと性欲の解消のためにと割り切って相手を選んでいる。恋愛をしたことがないわけではないが、それだって終わりのあるものだと知っていたし、恋愛する年齢に達する前に、人として誰かに心を許すこと依存することがもう恐怖でしかなくなってしまっていた。
ただ、ひとりきりでいるのは辛い。
大勢の中で、誰かの視線を感じていられるだけでもいいから、孤独じゃないという実感が欲しい。
強がりじゃなくて、それを体現しているかのような浩司が幸広にとって特別になるのは当然の成り行きだった。
見るな、触れるな、話し掛けるな。言葉ではなく瞳で体でそう表す。それでも一度懐に飛び込んできた者は徹底的に守ろうとする。そんな姿に憧れ、憎まれ口で誤魔化しながらも傍にいた。
それは学園内という限られた場所ではあれど、そのオーラに触れているだけで何かが満たされていたのだと思う。
今までだって長期休暇には離れていたというのに、どうも今回は勝手が違う。
後腐れなさそうで、それなりに好みに合っている一人と密かに約束を取り付けると、夕飯に間に合うぎりぎりの時間に幸広は帰り着いたのだった。
意外なところで接点を見つけて、満は驚いていた。金曜の放課後、生徒会執行部を訪れた際に一応と口にしてみて、「ああ、同じ清優出身でしたね」と軽やかにタイピングしながら副会長の携にあっさり言われたのだ。
清優学園は私立の中高一貫なのだから、そこから星野原本校に受験し直したということなのだろう。和明と携もそうなのだから、勿体無いなといくら満が思っても珍しいことではないのかもしれない。
幸広と携にとっては受験勉強など大したことではないのだろうし、和明にとっては浩司に会うためという奇想天外な目標があったわけだが。
「そっか、和くんにも訊けば良かったのか」
顎に手を当てて、遠回りしたなあと満が吐息していると、携がモニターから視線を飛ばした。
「いや、和明は知らないと思いますよ。大体、中学に上がったばかりでケツに卵の殻くっつけているような子供から見たら最上級生なんて大人みたいに見えるじゃないですか。だから余程のことがない限り、部活で関わりがない先輩のことなんて覚えていないはずです」
説明されて、それもそうかと思う。ただ満はずっと地元で星野原にしか通っていないから、多少の年齢差なんて垣根を越えて地元の若者は知っているというだけなのだろう。
隣に佇んでいる隆生ともども座るように促されて、ゆっくりと出勤してきたウォルターが英明、携、満、隆生へと紅茶を振る舞ってくれた。
「森本先輩、って呼ぶのは、知っている人には違和感があるかもしれません」
一口飲んでから、静かに携が口を開く。
「少なくとも卒業するまでの一年間、朝原先輩でした。それは間違いないです」
名字が違う、というと単純に親の離婚が考えられて、皆は押し黙った。ただ、と携が続けていく。
「凄くではないけれど目立っていたというか、話題に上りやすい人だから俺も知ったんですが、まあそれは今と変わらない女性遍歴ですかね。それでも今まで大したトラブルなく過ごせているのは、相手を選ぶ目が確かなのとあしらい方が巧いからなんでしょうけれど……それよりも、もっと裏の噂があって」
珍しく言い淀み、携はラップトップの液晶を閉じてから言葉を選ぶように首を左右に僅かに傾げ、もう一口紅茶を飲んだ。
「本人に確かめたわけじゃないし、だからあくまでも噂です」
もう一度前置きして、他言無用だと意志の強い瞳でぐるりと一堂を見回す。無言で皆が頷くのを待ってから、更に声を落とした。
「小学生の時に、母親が事故で亡くなり、すぐに父親は再婚したとかで。母親こそ違うものの、血の繋がった一つ下の妹が突然現れたと聞きました。そして、参観日などで学校に来る新しくて若い母親が、まるで恋人のように先輩に接していて、あれは絶対にデキていると、そうまことしやかに言われていたんですよ」
携の言ったことを噛みしめるように、各々が淡々とあるいは顔を顰めてしばしの時を過ごした。
湯気の立たなくなったティーカップの中身を飲み干し、携は囁くように付け足す。
こんなの、絶対に和明には言えません、と。
他に行く宛もなかったし、元々気に入りの場所だったしというのもあって、幸広は昼食が終われば屋上で過ごし、その後部屋で勉強することもあれば気まぐれに街に行くこともあった。
ただし、夕食時には必ず寮には帰って来ていたし、あの封筒の件にさえ触れなければ、満と接する態度も他の大勢へのものと変わらずにこやかなものだった。
だから、いくら鈍感と言われていても、満にだって解ってしまっていた。幸広が本音で話せる相手も、心を開く相手も、ここには居ないのだと。
いつか見た、浩司や和明に向けて思わず漏れた笑顔。それくらいがきっと本当の表情で、後は満に見せた怒りの顔。それ以外の、淡い笑みは作りものなのだと。
満の机の引き出しには、別の封筒に入れた紙幣が手つかずのままだった。
外泊届を受け取り、ついつい物問いた気に満は幸広を見つめてしまった。
「なに? またおせっかい?」
不穏な色を湛えた瞳で幸広が笑う。
「あのこは」
もしかしたら、と微かな可能性だった。まさかと耳を疑った後輩が、なにかしら変化をもたらしてくれるんじゃないかと縋りたかった。
別に今までだって殊更に幸広の生活態度を咎めたりはしていなかったが、どうしても先週の面会の件が尾を引いてしまって吹っ切れずにいる。
「さあな」
約束した訳じゃないからと幸広は言い、昼食後にまた屋上へと足を運んでからそのまま外出してしまった。
平日だが、他の学校は休みのところも多く、高校生にも大学生にも声を掛けられる。適当に遊びながら時間を潰し、日を変えて夜にも会えそうな女性を物色しながら、何かが違うという感じが終始付きまとう。
それは、今までにも感じてはいたことだったが、自覚していたものとは少し異なるようだ。もとより幸広はひととき暇つぶしと性欲の解消のためにと割り切って相手を選んでいる。恋愛をしたことがないわけではないが、それだって終わりのあるものだと知っていたし、恋愛する年齢に達する前に、人として誰かに心を許すこと依存することがもう恐怖でしかなくなってしまっていた。
ただ、ひとりきりでいるのは辛い。
大勢の中で、誰かの視線を感じていられるだけでもいいから、孤独じゃないという実感が欲しい。
強がりじゃなくて、それを体現しているかのような浩司が幸広にとって特別になるのは当然の成り行きだった。
見るな、触れるな、話し掛けるな。言葉ではなく瞳で体でそう表す。それでも一度懐に飛び込んできた者は徹底的に守ろうとする。そんな姿に憧れ、憎まれ口で誤魔化しながらも傍にいた。
それは学園内という限られた場所ではあれど、そのオーラに触れているだけで何かが満たされていたのだと思う。
今までだって長期休暇には離れていたというのに、どうも今回は勝手が違う。
後腐れなさそうで、それなりに好みに合っている一人と密かに約束を取り付けると、夕飯に間に合うぎりぎりの時間に幸広は帰り着いたのだった。
意外なところで接点を見つけて、満は驚いていた。金曜の放課後、生徒会執行部を訪れた際に一応と口にしてみて、「ああ、同じ清優出身でしたね」と軽やかにタイピングしながら副会長の携にあっさり言われたのだ。
清優学園は私立の中高一貫なのだから、そこから星野原本校に受験し直したということなのだろう。和明と携もそうなのだから、勿体無いなといくら満が思っても珍しいことではないのかもしれない。
幸広と携にとっては受験勉強など大したことではないのだろうし、和明にとっては浩司に会うためという奇想天外な目標があったわけだが。
「そっか、和くんにも訊けば良かったのか」
顎に手を当てて、遠回りしたなあと満が吐息していると、携がモニターから視線を飛ばした。
「いや、和明は知らないと思いますよ。大体、中学に上がったばかりでケツに卵の殻くっつけているような子供から見たら最上級生なんて大人みたいに見えるじゃないですか。だから余程のことがない限り、部活で関わりがない先輩のことなんて覚えていないはずです」
説明されて、それもそうかと思う。ただ満はずっと地元で星野原にしか通っていないから、多少の年齢差なんて垣根を越えて地元の若者は知っているというだけなのだろう。
隣に佇んでいる隆生ともども座るように促されて、ゆっくりと出勤してきたウォルターが英明、携、満、隆生へと紅茶を振る舞ってくれた。
「森本先輩、って呼ぶのは、知っている人には違和感があるかもしれません」
一口飲んでから、静かに携が口を開く。
「少なくとも卒業するまでの一年間、朝原先輩でした。それは間違いないです」
名字が違う、というと単純に親の離婚が考えられて、皆は押し黙った。ただ、と携が続けていく。
「凄くではないけれど目立っていたというか、話題に上りやすい人だから俺も知ったんですが、まあそれは今と変わらない女性遍歴ですかね。それでも今まで大したトラブルなく過ごせているのは、相手を選ぶ目が確かなのとあしらい方が巧いからなんでしょうけれど……それよりも、もっと裏の噂があって」
珍しく言い淀み、携はラップトップの液晶を閉じてから言葉を選ぶように首を左右に僅かに傾げ、もう一口紅茶を飲んだ。
「本人に確かめたわけじゃないし、だからあくまでも噂です」
もう一度前置きして、他言無用だと意志の強い瞳でぐるりと一堂を見回す。無言で皆が頷くのを待ってから、更に声を落とした。
「小学生の時に、母親が事故で亡くなり、すぐに父親は再婚したとかで。母親こそ違うものの、血の繋がった一つ下の妹が突然現れたと聞きました。そして、参観日などで学校に来る新しくて若い母親が、まるで恋人のように先輩に接していて、あれは絶対にデキていると、そうまことしやかに言われていたんですよ」
携の言ったことを噛みしめるように、各々が淡々とあるいは顔を顰めてしばしの時を過ごした。
湯気の立たなくなったティーカップの中身を飲み干し、携は囁くように付け足す。
こんなの、絶対に和明には言えません、と。
他に行く宛もなかったし、元々気に入りの場所だったしというのもあって、幸広は昼食が終われば屋上で過ごし、その後部屋で勉強することもあれば気まぐれに街に行くこともあった。
ただし、夕食時には必ず寮には帰って来ていたし、あの封筒の件にさえ触れなければ、満と接する態度も他の大勢へのものと変わらずにこやかなものだった。
だから、いくら鈍感と言われていても、満にだって解ってしまっていた。幸広が本音で話せる相手も、心を開く相手も、ここには居ないのだと。
いつか見た、浩司や和明に向けて思わず漏れた笑顔。それくらいがきっと本当の表情で、後は満に見せた怒りの顔。それ以外の、淡い笑みは作りものなのだと。
満の机の引き出しには、別の封筒に入れた紙幣が手つかずのままだった。
外泊届を受け取り、ついつい物問いた気に満は幸広を見つめてしまった。
「なに? またおせっかい?」
不穏な色を湛えた瞳で幸広が笑う。
「あのこは」
もしかしたら、と微かな可能性だった。まさかと耳を疑った後輩が、なにかしら変化をもたらしてくれるんじゃないかと縋りたかった。
別に今までだって殊更に幸広の生活態度を咎めたりはしていなかったが、どうしても先週の面会の件が尾を引いてしまって吹っ切れずにいる。
「さあな」
約束した訳じゃないからと幸広は言い、昼食後にまた屋上へと足を運んでからそのまま外出してしまった。
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