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23 公女
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私が抜けたのは壁の上に作られた通路で、そこから下の道や広場が見えた。道では顔に染料を塗りたくった人たちが暴れている。そして、嬉しそうに悲鳴を上げながら、子供や若者が逃げ回っていた。
「あれは何ですか?」
「あれは魔人です」
「はぁ」
どう見ても、大人の鬼ごっこにしか見えない。私と同じように高いところや窓からその様子を見物している人も多い。
「おい、真面目に追い込めよ」
広場の奥で椅子に座って、腕組みをして指示を出しているのはラーズだった。ちょうど私のいる場所の斜め下あたりで、とても不機嫌そうに眉をひそめていた。
「何やってるんだ。そこ」
魔人役の男がかわいい女の子を捕まえようとしているのを見て、怒鳴りつけている。
「いいじゃないですか。会長。この娘もまんざらじゃないし」
振り返った娘の笑顔が見えた。
「よかねぇ。ここは、出会いの場じゃないんだぞ。これは訓練。まじめな訓練なんだ」
「またまた、お堅いことを」
「そうですよ。会長。ちょっとくらい……会長だって好みの子、いるでしょう?」
「ほら、ちっちゃくてかわいい子がたくさん」
笑いが起こる。
「だから、もっと真剣にやれ。本物の魔人はなぁ」
「だから、真剣ですって。ほら、会長、あの子なんてかわいい……」
いきなり、私のほうをさされて、みんなの顔がこちらを向いた。
ラーズ会長と目が合う。
「あ、エレッタ先生……」会長は固まった。
変態……小さい子供の好きな……ただの変態……私は頭の中で繰り返す。
それでも。
私は小さく手を振った。
ラーズはしばらく反応をしなかったけれど、周りの人からつつかれて我に返ったように軽く片手をあげた。
周りの人たちが慌てている。ここでは聞こえない音量で何かをせわしくささやいているようだ。
その時笛が鳴った。これだけざわついている広場の中でよくとおる音だった。
会長の視線が外れた。
「エレッタ先生、ここにいましたか」
ユウ先生が私の隣に割り込んできた。どうやらここは一番の観戦場所だったようだ。いつの間にか周りは人でいっぱいになっている。
「ユウ先生、これから何があるのですか?」
魔人役の人たちが集まってくる。
「魔人が大魔人になるのです」ユウ先生は大まじめで説明する。「なので、神殿騎士たちが来て、退治します」
「はぁ」
「町の人、みんな逃げました。だから……」うん? よくわからない。
「それじゃぁ、打ち合わせ通りに行くぞ」
広場の反対側から現れたのは、神殿騎士の一団だった。手に武器を持って……なかった。魔人役の男たちが、それまでふざけていた態度を一転させて騎士と向かい合う。いつの間にか先ほどまで下の広場にいた人たちが周りに詰め掛けていた。
「何をするんです?」
私はそばに来た人に尋ねた。
「これから玉割をするんだよ」男は下をさした。「あの棒の先についた球をそれぞれ取り合って戦うんだ」
下で男たちが一本の棒の周りに円陣を組んで、守るような配置についている。それは騎士団側も同じだ。
「互いに防御と攻撃に分かれて、あの球を取り合う」
「大丈夫なのかしら」
私は心配になる。どう考えても、ラーズ商会の人たちと神殿騎士では戦力が釣り合わない。神殿騎士たちは一騎当千といわれる人たちだ。一人で一軍団相手に戦ったという伝説もある。いくら退役軍人といえ、騎士と戦うのは無謀なのでは。
「ラーズさん、心配ですか?」ユイ先生が不思議な笑いを浮かべる。
「いえ。いえ、ええ。心配だわ。だって相手は騎士様なのでしょう?騎士と一般人では勝負にはならない」わ……私の言葉は途切れた。
目の前で、男たちが殴り合いをしていた。対等に……
あら? 神殿騎士って恐ろしく強いと聞いていたのに。
ラーズ商会の男たちが作る壁に阻まれて、もがいている騎士の姿に思わず口が開いてしまう。
あらあらあら……
「がんばれ」「そこだ」「一発」
周りがどちらを応援しているのか不明なヤジを送っている。
本当に心配することなどなかった。しばらくして、私は思い出した。この場所で今、魔法が使えないということを。
なるほど。確かに肉体の力だけで勝負すれば、神殿騎士も辺境の民も差はないのだ。むしろ魔法を使うことに慣れている騎士たちのほうが不利なのかもしれない。
ラーズ商会の攻め手が騎士たちの守る棒に襲い掛かっている。そして、こちらの棒にも騎士たちはとりつき、その場で殴ったり蹴ったり。
何がどうなっているのか。興奮した観客も飛び入りで参加しているようで、競技にすらなっていないような……
「先生。見て」
ユイ先生が私の服をつかんだ。
「フラウ様。ほら、見て」
「フラウ? え?」
それって、ラーズ会長が崇拝しているとかいう女性の名前だったような。
私のいるちょうど反対側の建物の上に少女が立っていた。周りを外見だけで強いとわかる護衛が固めていたので、かなり目立つ。この距離ではわかりにくいのだが、灰色の髪なのだろうか。銀髪というにはくすんだ色の髪のようだ。
「フラウ様。辺境の導き手。杖の守護者よ。かわいいのです」
ユウ先生の声が上ずっている。お気に入りの歌手の話をするみたいに甲高い声だった。私は目を凝らして、その守護者とやらを観察する。じっくりと見なくてもわかる。フラウ様は美少女に違いない。遠めに見てもその小さな動き一つ一つが洗練されている。漂う雰囲気が全然違う。周りの反応から見ても、彼女に気づいた一部の反応からしても、美少女以外にあり得ない。
「ああ。生でフラウ様を見られるなんて……最近はめったに姿を見ることができないのです……」
競技者たちも一斉に振り返って、彼女に手を振っている。中でも熱心に手を振っているのはラーズ会長だ。
小さくて、かわいいのが、大好きな……変態……。
何だろう。腹立たしさを通り越して、悲しくなってきた。
どう考えても、フラウ様のほうが私よりもかわいい。あんな人を引き付けて熱狂させる才能は私にはない。
同じように、小さいなりをしているというのに……
私は、彼女に勝てない。
「エレッタ先生、どうしましたか?」
「あ、目にゴミが入ったみたい……」
私はこっそりと涙をぬぐった。
「あれは何ですか?」
「あれは魔人です」
「はぁ」
どう見ても、大人の鬼ごっこにしか見えない。私と同じように高いところや窓からその様子を見物している人も多い。
「おい、真面目に追い込めよ」
広場の奥で椅子に座って、腕組みをして指示を出しているのはラーズだった。ちょうど私のいる場所の斜め下あたりで、とても不機嫌そうに眉をひそめていた。
「何やってるんだ。そこ」
魔人役の男がかわいい女の子を捕まえようとしているのを見て、怒鳴りつけている。
「いいじゃないですか。会長。この娘もまんざらじゃないし」
振り返った娘の笑顔が見えた。
「よかねぇ。ここは、出会いの場じゃないんだぞ。これは訓練。まじめな訓練なんだ」
「またまた、お堅いことを」
「そうですよ。会長。ちょっとくらい……会長だって好みの子、いるでしょう?」
「ほら、ちっちゃくてかわいい子がたくさん」
笑いが起こる。
「だから、もっと真剣にやれ。本物の魔人はなぁ」
「だから、真剣ですって。ほら、会長、あの子なんてかわいい……」
いきなり、私のほうをさされて、みんなの顔がこちらを向いた。
ラーズ会長と目が合う。
「あ、エレッタ先生……」会長は固まった。
変態……小さい子供の好きな……ただの変態……私は頭の中で繰り返す。
それでも。
私は小さく手を振った。
ラーズはしばらく反応をしなかったけれど、周りの人からつつかれて我に返ったように軽く片手をあげた。
周りの人たちが慌てている。ここでは聞こえない音量で何かをせわしくささやいているようだ。
その時笛が鳴った。これだけざわついている広場の中でよくとおる音だった。
会長の視線が外れた。
「エレッタ先生、ここにいましたか」
ユウ先生が私の隣に割り込んできた。どうやらここは一番の観戦場所だったようだ。いつの間にか周りは人でいっぱいになっている。
「ユウ先生、これから何があるのですか?」
魔人役の人たちが集まってくる。
「魔人が大魔人になるのです」ユウ先生は大まじめで説明する。「なので、神殿騎士たちが来て、退治します」
「はぁ」
「町の人、みんな逃げました。だから……」うん? よくわからない。
「それじゃぁ、打ち合わせ通りに行くぞ」
広場の反対側から現れたのは、神殿騎士の一団だった。手に武器を持って……なかった。魔人役の男たちが、それまでふざけていた態度を一転させて騎士と向かい合う。いつの間にか先ほどまで下の広場にいた人たちが周りに詰め掛けていた。
「何をするんです?」
私はそばに来た人に尋ねた。
「これから玉割をするんだよ」男は下をさした。「あの棒の先についた球をそれぞれ取り合って戦うんだ」
下で男たちが一本の棒の周りに円陣を組んで、守るような配置についている。それは騎士団側も同じだ。
「互いに防御と攻撃に分かれて、あの球を取り合う」
「大丈夫なのかしら」
私は心配になる。どう考えても、ラーズ商会の人たちと神殿騎士では戦力が釣り合わない。神殿騎士たちは一騎当千といわれる人たちだ。一人で一軍団相手に戦ったという伝説もある。いくら退役軍人といえ、騎士と戦うのは無謀なのでは。
「ラーズさん、心配ですか?」ユイ先生が不思議な笑いを浮かべる。
「いえ。いえ、ええ。心配だわ。だって相手は騎士様なのでしょう?騎士と一般人では勝負にはならない」わ……私の言葉は途切れた。
目の前で、男たちが殴り合いをしていた。対等に……
あら? 神殿騎士って恐ろしく強いと聞いていたのに。
ラーズ商会の男たちが作る壁に阻まれて、もがいている騎士の姿に思わず口が開いてしまう。
あらあらあら……
「がんばれ」「そこだ」「一発」
周りがどちらを応援しているのか不明なヤジを送っている。
本当に心配することなどなかった。しばらくして、私は思い出した。この場所で今、魔法が使えないということを。
なるほど。確かに肉体の力だけで勝負すれば、神殿騎士も辺境の民も差はないのだ。むしろ魔法を使うことに慣れている騎士たちのほうが不利なのかもしれない。
ラーズ商会の攻め手が騎士たちの守る棒に襲い掛かっている。そして、こちらの棒にも騎士たちはとりつき、その場で殴ったり蹴ったり。
何がどうなっているのか。興奮した観客も飛び入りで参加しているようで、競技にすらなっていないような……
「先生。見て」
ユイ先生が私の服をつかんだ。
「フラウ様。ほら、見て」
「フラウ? え?」
それって、ラーズ会長が崇拝しているとかいう女性の名前だったような。
私のいるちょうど反対側の建物の上に少女が立っていた。周りを外見だけで強いとわかる護衛が固めていたので、かなり目立つ。この距離ではわかりにくいのだが、灰色の髪なのだろうか。銀髪というにはくすんだ色の髪のようだ。
「フラウ様。辺境の導き手。杖の守護者よ。かわいいのです」
ユウ先生の声が上ずっている。お気に入りの歌手の話をするみたいに甲高い声だった。私は目を凝らして、その守護者とやらを観察する。じっくりと見なくてもわかる。フラウ様は美少女に違いない。遠めに見てもその小さな動き一つ一つが洗練されている。漂う雰囲気が全然違う。周りの反応から見ても、彼女に気づいた一部の反応からしても、美少女以外にあり得ない。
「ああ。生でフラウ様を見られるなんて……最近はめったに姿を見ることができないのです……」
競技者たちも一斉に振り返って、彼女に手を振っている。中でも熱心に手を振っているのはラーズ会長だ。
小さくて、かわいいのが、大好きな……変態……。
何だろう。腹立たしさを通り越して、悲しくなってきた。
どう考えても、フラウ様のほうが私よりもかわいい。あんな人を引き付けて熱狂させる才能は私にはない。
同じように、小さいなりをしているというのに……
私は、彼女に勝てない。
「エレッタ先生、どうしましたか?」
「あ、目にゴミが入ったみたい……」
私はこっそりと涙をぬぐった。
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