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39憧れの人

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「エレッタさん!!!!」

 埃が視界を閉ざした。わたしがせき込んでいると、誰かが檻の前に立って、降りの鉄格子を捻じ曲げた。

「あ?」

 大きなたくましい手が私をそっと抱き上げ、そのまま運ばれていく。見上げると、いつものラーズさんのひげとまっすぐに前を向いた顔。

 来てくれたの? 助けに……

 私は夢中で彼に抱き着いた。

 心の底からほっとした。
 変態でもなんでもいい。彼はわたしを守ってくれる。いつでもどこでも。

 私は目を閉じて、太い腕にしがみつく。

「エレッタ。どこか……怪我をしていませんか?」
 そっと椅子のようなところにおろされた。わたしは固く閉じた目を開ける。

 明るい光が目をさす。

 それに気が付いたのか、ラーズ会長の大きな体が日の光を遮った。

「ええ。私は、けがはないわ」

「よかった。あいつらにひどいことをされていないかと心配で……」

 ラーズ会長は今にも泣きそうな表情を浮かべている。その肩にふわりと降りてきたのは羽ウサギだ。

「うさぎちゃん……」

「この子たちが道を教えてくれた」
 ラーズ会長は優しくウサギをつかんで私の手に置いた。

「恩人だな」
 恩獣ね。柔らかい羽をなでると、緊張していた体がほぐれていく。

「……ありがとう」

「え?」

「助けに来てくれた。こ、怖かったの。私は……」

 安心したためだろう。涙が出てきた。本当に、怖かったの。
 ラーズ会長は何も言わずに私の背をなでてくれる。手の中の羽ウサギは柔らかく、私を包む大きな体は暖かい。

 しばらくして、私はようやく落ち着きを取り戻した。

「そう、そういえば、弟は?ザーレは?」

 同じように檻の中に閉じ込められていた弟はどうなっただろう。

「弟? それは……」

「エレッタ先生!」
 見知った神官の声が焦った声が聞こえる。
「お怪我は? ああ。ちょっとどいてください」

 ラーズ会長を押しのけるようにして神官が私の前に現れる。

「ああ。良かった。先生がご無事で……」

「うん。本当によかったよ」
 のんびりとした声が聞こえた。アークがいつものようにニコニコと笑いながら、私に向かって手を振っている。

「いやぁ、先生が誘拐されたと聞いた時には、どうなることかと……」

 ラーズ会長が動いた。

 こぶしを握りしめた彼は、無言でアークを殴りつける。
 私は息をのんだ。

「ラーズさん」

 慌てたのは神官もだ。呆然とする私と神官の目の前で、ラーズ会長は倒れたアークの襟首をつかんで引きずり起こす。

「やめて」
 私の叫びにラーズ会長は振り返った。

「……こいつはわかっていて、エレッタさんを巻き込んだんだ。いつも、そうだ。アーク、てめえ……」

「……曹長の鉄拳制裁、久しぶりだなぁ」
 殴られてもアークはへらへらと笑う。
「エレッタさんを巻き込むつもりは全然なかったんだよ。これ、本当だから……ほんと……」

 ラーズ会長はうなり声をあげて、こぶしを再び振り上げる。

「暴力反対……うわぁ」

「ごめんなさいね。エレッタさん」
 穏やかなそれでいて凛とした声に私は目を上げた。

 目の前に、私と同じような年恰好の少女が立っていた。辺境軍の制服を着た灰色の髪の少女、遠目でしか見たことがなかったがすぐにわかる。フランカ・レオン総督、この辺境の砦をすべる女性だ。

「フランカ様」
 私は慌てて、頭を下げた。

「ああ、いいのよ。そんなに改まらなくて」
 辺境のアイドルは慌てたように手を振った。
「頭を下げないといけないのはこちらのほう。ごめんなさいね。巻き込んでしまって……怖かったでしょう。ほんとうにごめんなさい」
 灰色の瞳がうやうやしく伏せられる。

「いえいえ、そんな……」
 身分の高い方に、本来なら声をかけることも許されなかった相手に、ここまで丁寧な礼を取られて、わたしのほうこそ恐縮する。それよりも……

「あ、あの、あれは、いいんですか?」
 後ろでぎゃあぎゃあ叫んでいるアークと蹴りを入れているラーズ会長を恐る恐るさした。
 フランカ総督はちらりと二人を見てため息をつく。

「いいのよ。少しは反省してもらわないといけないから。曹長もちゃんと手加減しているし……そうよね、ドライツェン」

 総督の後ろにはものすごく冷たい表情を浮かべたドライツェン神官が控えていた。

「私は、“杖”の命じるままに動くだけですから」
 彼は全く感情をのせない声で返答する。

「ひどいよ、フラウ。親父にも殴られたことがないのに……」
 そこへ、ボロボロにされたアークが倒れこんできた。

「自業自得よ。アーク。また、勝手なことをして」
 フラウの声は冷たかったが、けがを検める手は優しい。

「あいつらに狙われたのは僕だよ。フラウ。僕は被害者なんだ」
 アークは必死で訴える。
「あいつらが僕を吹き飛ばそうとするから、だから……」

「だからって、わざわざ挑発するような真似はしなくてもよかったでしょ。そっと捕縛すればよかったのに、わざわざ花火を爆弾にすり替えるような真似をして。なんで、アークを止めなかったの?」
 これはドライツェン神官に向けられた言葉だ。

「……貴族籍を持ったものが混じっていました。それに、神職も。確実に証拠を押さえてから現行犯で捕まえるのが一番だと、彼が……“杖”の命令は絶対ですから」
 まるで感情を感じさせない声でドライツェンが応える。

「ついでに僕が吹き飛ばされることを期待していたんだよ。彼……これだから、神官は怖い。いや、痛い、痛い、曹長、やめて」

 再び襲い掛かる太いラーズの腕を外そうとしながら、アークが茶々を入れる。
 フラウ提督はため息をつく。

「とにかく、そのせいで、エレッタ先生は怖い思いをされたのよ。わかっているの」

「本当にエレッタさんを巻き込むつもりはなかったんだ。ただね、彼女と曹長との仲を取り持って、みんな幸せになれば……悪かったよ。ごめんなさい」

 ラーズ会長の表情を見て、アークはわたしに謝る。

「アークさん……貴方、“杖”って」

「ああ。まぁ、一応そういうことになってる。辺境限定の称号に過ぎないんだけどね。鬼っ子といったでしょう。その、ねぇ。まぁ、仕方なく」

 彼はドライツェンに同意を求める。ドライツェン神官は冷たくそれを無視した。

 ……この、平凡な顔をした、使えない部下一号が“杖”?

 ああ。わたしの思い描いていた“杖”と“騎士”の物語は何だったのだろう。美形同士の切ない絡みは……ずっとあこがれていた物語が、現実によって浸食されていく。わたしの浪漫が、あこがれが……

「エレッタさん」
 声をかけられて、私は我に返る。
 ようやく気が済んだのだろうか、ラーズ会長の表情は和らいでいた。

「あ、あの、俺は……別に」

 ああ、そうだ。わたしはそっと手を伸ばして、彼の大きな腕に触れた。
 以前の私の憧れは消えてしまったけれど、ここに新しい憧れがある。
 以前の自分だったら思いもしなかった相手だけれど、認めよう。私はこの変態男にときめいている。

「ねぇ、まだお祭り、続いているのよね」
 私の言葉にラーズ会長の表情が揺れる。

「昨日行くことができなかったでしょう。広場に。連れて行ってくださらない? 花の門を見に行きたいの」

 ラーズの戸惑ったような笑いが本物の笑いに代わる。

「わかった。わかりました、先生」

 彼はうやうやしく私の手を取った。まるで、お姫様を相手にするように。

 確かに私は小さくて、彼はちょっぴり困った性癖の持ち主だけれど。
 この土地には似合っているのかもしれない。
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