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Into the Water

1・このままどこかに

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「私が行方不明扱いになっていたとき……私はある孤児院にいた。ιUMaタリタはそこでの、私の……一応は仲間だった。あいつのことは最後まで理解できなかったけど」
 由真の言葉を暫く咀嚼してから、星音はおずおずと口を開いた。
「孤児院って……でも」
「私は孤児じゃないのに、どうしてそこにいたかって?」
 星音は頷いた。星音が知っている由真の家族の情報は少ない。全員が無能力者だということは知っている。でも由真がいなくなってすぐに捜索願が出されていたことも情報としては知っているのだ。自分の子供が能力者だったからと言って放り出す人たちではない、という由真自身の言葉も聞いた。だからこそその二つが結びつかなかったのだ。
「それが、この話をしたくなかった一番の理由なんだけどね。でも……星音になら、話してもいいかなって思った」
「由真さん……」
「でも、途中で話せなくなるかもしれない。そのときは――許してほしい」
 星音は頷いた。本当は知りたいけれど、それは由真を傷つけてまで聞き出すことではないということはわかっていた。けれど由真の誕生日のとき、「私の何を知ってるの」と言った由真は、確かに誰かに話を聞いて欲しいと思っているように見えたのだ。
「じゃあ小一のとき、私が能力者だってわかってからの話になるか……。私は小学校の検査で能力者だってわかるまで、自分も、周りも無能力者だって思ってた。大抵の人はわかってからも急に掌返しをしてきたりはしなかったけど――」



 家でも学校でも、表面上はいつもと変わらない日々が過ぎていった。それまでの由真の友人は、友達が能力者だからと言って急に暴力を振るったり暴言を吐くような人たちではなかった。けれど能力者への恐れは拭い去れず、そしてそれを感じ取った由真が自ら全てを遠ざけたが為に、静かに、波が引いていくように由真は孤立していった。――もっとも、幼馴染の梨杏だけは別だったが。
「ねぇ由真、ちょっと助けて欲しいんだけど」
「何?」
 由真は梨杏のことも遠ざけようとしていた。けれど遠ざけようとすればするほど梨杏が近付いてくるので、最終的には半ば諦めるように、それでも以前よりは冷淡な態度で接していた。
「明日の音楽のテストやばいんだって」
「へぇ」
「いやだから」
「何?」
「だから私に鍵盤ハーモニカ教えてください」
「そんなん楽譜通りに鍵盤叩けばいいだけじゃん」
「それは楽譜が読める人の台詞じゃん! そういうの『おうぼう』って言うんだよ!」
 由真は溜息を吐いた。梨杏がやろうと思えば自力で何とかできるのはわかっている。けれど何かと口実をつけて由真に話しかけてくるのだ。
「で、何ができないわけ?」
「きらきら星の、きらきらひかるーおそらのほーしーよー、まではいいんだけど、そのあとがわかんなくなっちゃうの」
「歌はできるの?」
「うん。まーばーたーきしてーはみんなーをみーてーる、でしょ?」
「じゃあ歌いながら弾いてみたらいいよ」
「吹きながらじゃ歌えないじゃん!」
「じゃあ吹くとこだけ私がやるから」
 鍵盤ハーモニカのホースを付け替えて、由真は横から梨杏の動きに合わせて息を吹く。
「できた! できたよ由真!」
「じゃあそれを最初から最後まで通してやってみて」
 歌はできるのだから、逆に歌って余計なことを考えない方が意外に弾けたりするものだ。梨杏は考えすぎて混乱していただけだった。
「歌いながらできたら、自分で吹いてるときでも歌ってるつもりでやればいいよ」
「うん! ありがと由真!」
 梨杏が問題なく吹けるようになったので、由真は片付けて家に帰ろうとした。すると梨杏が慌てて由真を止める。
「一緒に帰る!」
「一人で帰れるでしょ……」
「家近いんだから一緒でいいじゃん」
 梨杏のしつこさに丸め込まれて、結局二人で帰ることになった。本当は一人になりたいのに、梨杏ももしかしたら自分を恐れているのかもしれないと思いながらも聞くことができていないのに、梨杏はいつもしつこいほどに由真につきまとってきた。
「でも私この後ピアノのレッスンあるんだけど」
「家に帰ってから行くんじゃないの?」
「梨杏のせいで出るのが遅くなったからそのまま行く」
「でも教室家の近くだからあんまり変わらないじゃん。ていうか最近、由真いろいろやってない? ピアノとバレエは前からやってたけど、水泳と何か塾にも行ってるって」
 由真は頷いた。放課後の時間はほとんどないに等しかった。ピアノとバレエは小学校に入る少し前からやっていたけれど、つい先日、そこに塾が二つと水泳が加わったばかりだ。その理由を由真は母親から聞いていた。
 ――『能力者だと、将来的に苦労するかもしれないから』
 能力者であっても実力が抜きん出ていれば夢を叶えることができる。けれどまだその夢は決まっていない。選択肢を増やすために今から色々な技能を身につけさせておこう、というのが由真の母親の考えだった。
「最近由真と遊べなくてつまんない……」
「他の子と遊んだら?」
「やだ! 由真がいいんだもん!」
「何で私なんか……」
 そんな会話をしているうちにピアノ教室の前に着き、由真は梨杏に背中越しに手を振って中に入っていった。習い事はどれ一つとして自分の意志で決めたものではなかったが、ピアノとバレエはそれほど嫌いでもなかった。けれど由真が能力者であることに起因する歪みは確かに忍び寄ってきていたのだった。

 初めはバレエ教室でのことだった。教室ではひとりひとりロッカーが割り当てられていて、レッスンのときは貴重品以外の荷物はそこにしまっておくことになっていた。家に帰ってから教室に行っていた由真はレッスン着やシューズを入れた袋とは別に、大して中身の入っていないお気に入りのポシェットを入れていた。しかしある日、レッスンを終えてロッカーを開けると、そのポシェットに誰かがマジックで落書きをしていたのだ。由真はそれをレッスン着とシューズを入れていた袋に押し込んで、誰にも何も言わずに教室を後にした。それから数週間後に、由真がそのポシェットを使わなくなったことに気が付いた兄に尋ねられたが、由真はただ笑って、「何だか飽きちゃった」と答えた。誰にも言わなかったのは何故だったのかわからない。由真はただ、ポシェットなら代わりがあるからいいのだと思っていた。
 学校ではノートを誰かに破られていて、それから由真は大切なものは全て持ち歩くようにした。学校に置いておけば誰に何をされるかわからない。犯人が誰かもわからず、大人に相談しても無駄だと思っていた。能力者に対するいじめに対して親身になってくれる無能力者の大人はほとんどいない。あるいは家族なら真剣に聞いてくれたのかもしれない。けれど由真の両親や兄が動いたところで他の大人は動かない。自分の身は自分で守ろうと思っていた。そしていつも由真を気にかけてくる梨杏のことも――心の奥では疑っていた。
 それでも由真が自分の持ち物から目を離さないでいる限り、穏やかに日々は過ぎていった。自分の殻に閉じこもっていれば傷つくこともない。そして何度冷たくあしらっても由真を諦めない梨杏の存在は大きかったし、冷淡な態度を取って梨杏に「おうぼうだ」と怒られるのが少し楽しいと思っていた。家でも、兄はよくゲームに由真を誘い、兄が大人げない勝ち方をして由真が勝てるまで勝負を挑むという日常が繰り広げられていた。

 そして二年近くが過ぎ、初めてのクラス替えで由真と梨杏は別のクラスになった。それまで無能力者の梨杏が傍にいたために影を潜めていた由真へのいじめは、梨杏と離れたことで苛烈さを増した。
「お前能力者ブルームなんだろ!? バケモノがなんで平気な顔して学校来てんだよ!」
 押しつけられたゴミ捨て当番を適当にこなしていた由真に、同じクラスの男子たちが話しかけてきた。由真は彼らを一瞥したが、反応するだけ無駄だと思ってそのまま通り過ぎようとした。けれどそれが彼らには気に入らなかったらしい。
「何だよその目付き! 能力者のくせに!」
 三白眼で目付きが鋭いのは生まれつきだ。能力者であることと同じくらいどうにもならないことで言いがかりをつけられ、ゴミ捨て場に向かって由真は投げ飛ばされた。男子たちは有り余った体力を消費するかのように、自分たちを正義のヒーローに、由真を敵に見立てて、持っていた棒などを由真に振り下ろした。
 由真は一切の抵抗を見せなかった。そのときは抵抗して勝てるほど強くはなかったし、何もかもがどうでも良かったのだ。ただぼんやりと空を仰いで、いつになれば終わるんだろうかと思っていた。どうせそのうち向こうが飽きて解放されるのだ。
 けれどそこに乱入してくる命知らずがいた。当時はまだ背中まで髪を伸ばしていた梨杏が、怒鳴り声を上げながら由真と男子たちの間に割って入った。
「お前、無能力者のくせに能力者を庇うのかよ!」
「能力者かどうかは関係ない! 由真は私の友達なんだから!」
「おい聞いたか!? こいつあんなバケモノなんかと友達なんだってさ!」
 男子たちは今度は一斉に梨杏を攻撃し始めた。由真は慌てて梨杏の服の裾を引く。
「梨杏……もういいから」
「よくない! 何が成敗よ! こっちが成敗してやるわ!」
 梨杏は掃除の途中だったのか、何故か持っていた箒で応戦し始める。やがて騒ぎを聞きつけた教師が駆けつけ、男子たちは職員室に連れて行かれた。
「梨杏……?」
「大丈夫、由真? 立てる?」
 梨杏が差し出した手を、由真はやんわりと断った。
「……汚いから。ゴミだらけだし」
「由真……」
「もう私に話しかけなくてもいいし、助けてくれなくてもいい」
「何それ。別に私由真に頼まれたから話しかけてんじゃないし。私の勝手じゃない」
「でも、梨杏まで傷つくことはないよ」
 由真は呆然としている梨杏を置いて、教室へ戻った。自分を庇って誰かが傷つくことは嫌だった。それがたとえ梨杏が自分でやり始めたことであっても、自分が無能力者でさえあれば普通に過ごせたであろう梨杏の日常を狂わせるのは嫌だった。



 小学三年生の夏のこと。父方の伯父が亡くなり、由真たちは家族で父の実家へ赴いた。大人たちは通夜や葬式にまつわる様々な準備などで忙しくしていて、由真と由真の兄・浩大こうたは放っておかれる形になっていた。暇なので、浩大が持ってきていた漫画を読んだり、二人でトランプをしたりして過ごしていた。
「由真。お母さんたちまだやることがあるらしいから、そろそろ寝ようか」
「うん」
 夜遅くなっても大人たちの慌ただしさは変わらなかったから、由真の家族に割り当てられた客間に布団を敷いて二人は眠りにつくことにした。けれど枕が違うせいか、暫くすると、由真は夜中なのに目を覚ましてしまった。ついでだからお手洗いにでも行こうと思い、客間を出て一階に降りると、大人たちの話し声が聞こえてきた。大人の秘密の会話は聞いてはいけない。そう思ったが、自分の名前が聞こえた気がして由真は思わず立ち止まった。
「浩大くんは優秀だし、いいけど……由真ちゃんは……あの子能力者って本当なの?」
 それは叔母の声だった。由真は元来人見知りだったためそこまで親しくしていたわけではなかったが、これまで正月にはお年玉をくれ、家に遊びに行くと優しくもてなしてくれる人という印象だった。父が何かを答えたようだが、その声は小さく、扉越しでは聞き取れなかった。
「どんな能力なの?」
「それがまだわからないんだよなぁ。でも一生わからないままの人もいるって言うし」
 由真の父は家族の中では比較的暢気な性格で、由真が能力者と知って、通り一遍のことは調べたようだが、それ以降は特に何かをするでもなかった。
「どんな能力かわかるようにする検査もあるっていうし、受けさせたら? わからないままなんて怖いじゃない」
「怖いってお前、由真はまだ子供だし、優しい子だからどんな能力でも悪用なんてしないさ。それに、毒にも薬にもならない能力だっていっぱいあるんだし」
「それでも……能力者なんて、いつ暴走するかわからないし。小さい子が事故を起こしたことだってあるのよ?」
「ここまでわかってないんだからきっと、普通には出ない能力なんだと思うけどなぁ。だったら俺たちと変わらないじゃないか」
「兄さんはそう言うけど、私も、子供たちも怖がってるのよ。だから今回は旦那に任せて置いてきたけど」
「でもなぁ……ああいう検査、子供にトラウマが残る可能性もあるって聞いたから嫌なんだよなぁ。お前がお前の子供を大事に思うように、由真だって俺の子供なわけだし」
「もう、兄さんはいつもそうやって暢気なんだから!」
 由真は何のために階段を降りたのかも忘れ、足音も立てずに客間に戻った。兄は由真が出て行ったことにも、戻ってきたことにも気付かずに寝ている。家族で一番暢気なのは父だが、兄も同じくらい楽天家だった。だから六歳違いのこの兄の傍にいれば安心できるところはあったのだが、今は由真と兄の間に渡れないほどに深い川が横たわっているようだった。此岸と彼岸。無能力者と能力者。たった一日の出来事で、ただ能力者だとわかっただけで世界はひっくり返った。

(きっと……私なんていない方がみんな幸せだった)

 由真は膝を抱えて、そう思った。
 自分が能力者でなければ、自分がいなければ、母が自分を沢山の習い事に通わせてお金を使うこともなかったし、叔母は怯えなくて済んだし、父は叔母に詰られずに済んだ。この家には兄の浩大がいる。由真がいなくなってもきっと誰も困りはしない。

(だったらどうして……どうして私は生まれてきたの?)

 いるだけで誰かを不幸にしてしまうような自分が、どうしてこの世に生まれてきてしまったのだろうか。梨杏だってそうだ。梨杏が由真を庇って由真を傷つけようとする人たちの攻撃を代わりに受けていることもあることは知っていた。自分がいなければ優しい梨杏のことだ、きっと誰とでも上手くやっていけただろう。今頃沢山の友達に囲まれて笑っていたのかもしれない。

(私がいたらみんなが悲しむなら……このままどこかに消えてしまいたい)

 由真は心の底からそう願った。それが自分自身へのあまりに強い呪いに変わってしまうことにも気付いていなかったのだ。
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