完結‼️翡翠の歌姫は 後宮で声を隠す〜特殊な眼を持つ歌姫が、2人の皇子と出会い、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る

雪城 冴

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百章 パラレルワールド

4-15 奇襲

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 それから数日。
 雪が積もり多少予定が遅れていた。

 軍は、炎辰の独断で出陣していた。
 今日から敵の射程範囲に入る。そのことが兵士たちの緊張を強くしていた。

 一部の非戦闘員は要塞に残っていたが、翠蓮は自分の言葉通り軍に随行していた。
 結局あれ以来、炎辰に接触していなかった。彼の真意は分からぬままだ。

(私が行かないと言ったら、どうするつもりだったの――?)
 都に返してくれたのだろうか。
 それとも、行かないという回答は、はなから彼の中にはなかったのか。

 どちらにしても、翠蓮は自分の歌の行く末を見届ける覚悟だった。


 野営地に着き、夜が訪れる。
 前線軍の戦況が悪くなって以来、兵達は静かだった。寝ている者もいるが、多くは目をつぶっているだけだろう。
 張られた天幕も焚き火も、いつも通りのはずだった。違うのは雪があるということ。

 雪は音を消す。
 風の音も、人の気配も、すべてを鈍らせる。

 故郷で見慣れているはずの、懐かしい雪景色。ちらちらと舞う白を見ながら、翠蓮は胸の奥が落ち着かなかった。

 遠くで、馬が一度だけ鼻を鳴らす。
 それに混じり何か聞き慣れない音がした。
 何人かが剣に手を添え、飛び起きる。

 またたく間に、荷車に火が燃え広がった。

「火矢だ!!」

「敵襲ー!!」

 覆面をした敵があちこちから飛び出す。
 悲鳴や怒号、鎧がぶつかるような音が上がる。安全なはずの後衛で、戦闘に慣れていない兵たちは散り散りになっている。

 角笛の鳴音が耳をつんざく。

「立て直せ!!」
 後衛隊長の叫びに、兵たちは陣を固めようと走り出す。

「非戦闘員は、陣の中ほどへ!!」
 誰かの声が耳に届く。
 動かなければ――分かっているのに、翠蓮の足は凍ったように動かない。
 
 剣や槍を手にした男たちが三人、正面から突っ込んでくる。

(動いて――)
 翠蓮は震える手で護身用の短剣に手をかけるが、構えるより早く誰かの背中で視界が覆われた。

「遅くなり申し訳ありません」

(誰――?)

隼鋒ジュンホウと申します。蒼瑛殿下より仰せつかっております」
 この中にあってもぶれない冷静な声。
 蒼瑛が秘密裏に手を廻した護衛だった。


(蒼瑛さまが……)


「まだ同胞がいるのですが、奇襲で反応が遅れています……」

 彼は正確な剣捌きで敵をなぐ。
 影がうめき声とともに左右に倒れた。

「陣までお連れしたいのですが……」
 新たに数人が襲いかかり、隼鋒は半歩下がる。

「お先に……お行きくださ……っ!」
 声から余裕が消える。多勢に無勢。押し負けるのは時間の問題だ。

(私のせいだ……)

「私に構わないで……!」
 悲痛な叫びが雪に吸い込まれる。


 ――突然、馬のいななきが耳をかすめた。
 敵が弾かれる。
 火の粉を切り裂くような鋭い踏み込み。
 炎辰だった。

 無駄がない。
 一太刀で一人、二太刀目で次を牽制し、三太刀目は「近づくな」という線を引く。
 全てを一瞬で計算し、敵の動線を潰していく。


「将軍! ご無事ですか!」
 慌てた様子で二、三人の精鋭が走り込む。

「時間を稼げ」
 短く告げた炎辰の視線は、翠蓮を一度だけ捉え、すぐに戦場全体へ戻った。
 
 精鋭達は、めいを受け四方に散る。

 炎辰エンシンの気迫に、数で勝るはずの敵は、じりじりと後退りしている。

 将軍の比類なき力に、兵士たちに士気が戻る。わずかに安堵の空気が流れた。


「翠蓮さま。さぁ、お急ぎくださ――」

 油断を見せた隼鋒の首元に、敵の刃がかする。よろめく隙をつき、留めの一手が伸びた。

「危ない!」
 翠蓮は考えるより先に短剣を放り、その手で隼鋒の背を押していた。
 重心を失った身体が転がる。

 半身を起こすと、血に濡れた剣が目に入る。
 咄嗟に身をよじり軌道を避ける。急所は外せたが、ひやりとした感触が左肩に触れた。

「っ……!」
 鋭い痛みが走り、背中ごと雪に倒れ込む。左肩を押さえると、熱が手に伝わった。
 仰向けの視界に、上から突き刺すように剣が迫ってくる。
 死を覚悟した刹那、頭に浮かんだのは――
「必ず帰ってくれ」と言った蒼瑛の優しい声。


――約束を、守れなくてごめんなさい

 しかし、訪れたのは痛みではなく、低いうめき声と、人が雪に倒れる音だった。

 恐る恐る目を開くと、敵は雪に伏し、背中に剣が突き刺さっている。
 少し離れた場所には馬上の炎辰。

 彼が放った剣で、敵を倒したのだとようやく理解できた。

「大丈夫か」
 その声に翠蓮が息を吐こうとした瞬間――
 炎辰が何かを察し、反射的に馬を蹴った。

 身を翻し、彼が翠蓮の前に躍り出た時――
 鋭く空を破る風切り音。鈍い衝撃音が重なった。

 炎辰の身体が、弾かれたように揺れた。

 手綱を握っていた手が、力なく開く。

 仕留めんとするように二本目の矢が放たれ、弓なりにしなった身が、空に投げ出される。
 
 その動きの一つ一つが、ゆっくり、あまりにもゆっくりで――
 周囲の喧騒も怒号も全てが消える。
 鎧ごと地面に叩きつけられる音だけが耳に残った。

 白い雪が赤に侵される。

「い……や……」
 自分の声だと気づくまで、少し間があった。

 耳に周囲の音が戻ると同時に、地が揺れるような大群の足音が迫る。


「中衛、展開――!!」
 劉剣リュウケンの号令ともに、兵がなだれ込む。

「退け、退けーー!!」
 圧倒的な数に、敵は闇に押し返された。

 翠蓮の視界には、もう炎辰しか映っていなかった。
 足がもつれるように傍に寄る。
 矢が二本、右腕と胸に刺さっている。
 

「誰か……」
 人を呼ぼうとするが声がかすれ、身体ががたがたと震える。
 
 ふと、手首に熱を感じる。炎辰の指が翠蓮に触れ、かすかに力を込めていた。

「肩を……」
 雪の冷気に、彼の白い息が切れ切れに霞む。

「痛むのですか」
 問いかけに、炎辰は小さく首を横に振った。
 その視線が自分に向けられていることに気づく。

(違う――)

 彼の目は翠蓮の肩を見ていた。自分の傷を気にしているのだと分かった瞬間、胸の奥が強く抉られた。

「どうして……」
 後はもう、声にならなかった。
 涙が溢れそうになるのを必死に押し戻す。

 劉剣リュウケンが馬から飛び降り、炎辰の側に腰を下ろす。

「なぜ一人で動いた!」
 劉剣は自分が痛みを引き受けたように眉をしかめ、怒りを声に表す。
「くそっ!」

 
 慌ただしく応急処置が行われる。矢を折り止血が済むと、到着した担架に数人で炎辰を移動する。
 それでも、炎辰の手は翠蓮を離さない。


 劉剣は一度背を向けた。その肩は揺れている。
「翠蓮、俺は軍を指揮する。炎辰についてやってくれ。
軍医、彼女にも手当を」
 翠蓮は、ただ頷くことしかできなかった。
 炎辰の手を、強く握り返しながら。




    
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