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第四章

思い出しました

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 城から屋敷に帰り、エリザベートはすぐに自室の本棚で探し物をした。

(確か、トーント童話全集のどこかに……)

 30巻からなる童話集を函から出して中を調べていく。そして、

「あったわ……」

 16巻目の函から、童話本ではないものを見つけた。

「これね、お父様が返すようにと言っていた物は……」

 椅子に腰かけ、中を確認する。

「お母様の、日記……」

 それは、エリザベートの母である、エレノア・スピネルの最後の日記だった。

(お母様の遺品は全て処分されたと思っていたけれど、小さな部屋にしまってあるのを見つけたんだったわ。そして、この日記をこっそりと持ち出した……)

 その日記には、エリザベートが知らなかった驚くべき事が書かれてあり、それを読んだエリザベートは、公爵に日記を読んだ事を話したのだった。そしてその後、毒のせいで記憶を無くしたのだが……、

(……思い出した事、話した方がいいわよね)

 これからもずっと、思い出していないふりを続けるのも一つではあるが、

「これは、話してきちんと区切りをつけるべき事だわ」

 その夜遅くなってから、エリザベートは日記を抱えて父親の執務室へと向かった。




 扉を叩き『エリザベートです』と声を掛けて待つ。

「入れ」

 返事を待って、扉を開ける。
 入室を許可したが、公爵は仕事中のようだった。書類を読み、何か書いている。

(そういえば、最初会った時もそうだったわね。今日は待たないわよ)

「失礼致します、お父様。思い出しましたので、お返しする物を持って参りました」

 執務室の机の前に行きそう言うと、公爵は書き物をしていた手を止め、顔を上げた。

「……そうか……」

 親指と人差し指で、両の目頭を揉み、フーッと息を吐いた。

「エレノアの、日記だな」
「はい。お父様がお母様の遺品をしまい込んでいた部屋から見つけ、持ち出していた物です」

 日記帳を机の上に置き、エリザベートは言った。

「勝手に持ち出し、申し訳ございませんでした。偶然見つけ、どうしても読んでみたくなったのです。お母様もわたくしと同じように、伴侶となる人には別に愛する人がいて、その事をどのように耐えていたのか知りたかったので」
「…………」
「日記を読んで驚きました。お母様より先にフローレンス様が妊娠してしまい、世間体の為に、出産を諦めていたのですから……」

(そう、今日王妃殿下の言葉を聞いて記憶が戻ったのは、浮気相手の方が先に妊娠してしまったら、という言葉を聞いたから。日記にその事が書かれていたのは、お母様が亡くなる少し前だった)



『今日、旦那様からフローレンスが妊娠したという事を知らされた。エリザベートが産まれてからだいぶ経つけれど、わたくしはその後、妊娠はしても出産には至らない事が続いているから、旦那様は彼女に子を産ませたいだろう。
 わたくしと旦那様が結婚する前に、彼女は一度、子を諦めている。結婚できず、子も諦め、それでもずっと旦那様を愛し続けている。
 旦那様はご両親に彼女との結婚を反対され、諦めるしかなかった。わたくしはそんな事情を知っていたけれど、我が家門の為に結婚を断る事はできなかった。
 でも思いのほか、わたくしは幸せに暮らしている。
 エリザベートは可愛いし、公爵家の女主人として仕事もやりがいがある。着飾って社交界に出るのも楽しい。
 公爵夫人としての地位は確立できているから、フローレンスを第二夫人に迎えられても、別にどうってことないような気がする。旦那様はわたくしに遠慮をしているから、わたくしの方から、第二夫人として迎えては、と提案した方がいいだろうか』

『今日、街でフローレンスと偶然出会った。挨拶をしたら、領地から送られて来た珍しい品をちょうど持っていると、綺麗な砂糖菓子をくれた。まだ体型は変わっていなかったけれど、顔色が少し悪いようだった。もしかしたら悪阻で具合があまり良くないのかもしれない。そういう時に、砂糖菓子をちょっと口にすると紛れたりするものだから、その為に持ち歩いていたのだろう。貴重な物だろうと思い一度は断ったが、沢山届いたからと勧めてくれたので、ありがたく頂戴した。
 旦那様に、彼女を第二夫人に迎えてはどうか、という話はしたけれど、その事については何も言っていなかった。まだ、聞いていないのだろうか。まあ、わたくしが彼女に言うのもどうかと思うので、黙っていたけれど』



「……お母様は、フローレンス様から砂糖菓子をもらった事を書いていました。砂糖菓子は、わたくしも時々もらった事があります。王太子教育で辛い思いをした時などにもらって……お母様と一緒だな、と少し嬉しくなりました。その一方で、お父様の事はとても酷く、最低の人間だとしか思えませんでした」
「それで、日記を読んだ事を言いに来たわけだな」
「はい。ちょうどレオンハルト様の事でイライラしていたので、男は女性を何だと思っているんだ、と言いたくて。お母様の日記を読みました、お父様は酷いです、と、わざわざ言いに来ましたね、ここに」
「ああ、そうだな」
「そんな事を言ってもどうしようもないのに、あの時は、とにかく自分の不満をどこかにぶつけたかったんです。完全な八つ当たりでした」
「まったくだな」

 しばし、嫌な沈黙が続く。

「その後、先日話した、レオンハルト様とルチア嬢の情事を目撃してしまい……もう、本当に絶望して帰った時、フローレンス様から砂糖菓子をもらったのです。わたくしが辛い顔をしていたから心配して、元気づけようとくださったのだと思いました。そうして、自室で口にして……わたくしは、血を吐きました」
「…………」
「砂糖菓子には、毒が仕込まれていたのです」
「…………」
「お母様が亡くなったのは突然でした。急に体調を崩したと聞かされておりましたが……本当は、フローレンス様に毒を盛られたのではないですか?」
「……そうだ……」

 絞り出すように、公爵は言った。

「エレノアと結婚する前にフローレンスが妊娠してしまい、私は、彼女に子を諦めるように言った。結婚前に、婚約者以外の女性との間に第一子を儲けるなど、あってはならない事だった。フローレンスも納得したと思っていた」
「納得、できるわけがございません。女性、いえ、他人を、自分にとって都合よく考えすぎですわ」
「……確かに、そうだな」

 呟くようにそう言うと、椅子の背にもたれて疲れたように目を瞑り……少ししてから座り直し、口を開く。

「エレノアから、フローレンスを第二夫人に迎えてもいいと言われはしたが、私は迷っていた。父にフローレンスとの事は強く反対され『彼女と結婚するのならば公爵家は継がせない』とまで言われていたし、エレノアの両親にも『公爵家との縁はありがたいが、娘を不幸にしてまで結びたいとは思っていない』と言われ、公爵家にエレノア以外の女性は迎え入れないとの約束をして結婚したという経緯があったからな。そういう私の態度にフローレンスは、また子を諦めろと言われるのでは、と不安になったのだろう」
「今度は諦めたくないと思い……その為には、お母様が邪魔だったのですね」
「…………」
「偶然を装って出会い、毒入りの砂糖菓子を渡した。そしてお母様は、疑う事なく砂糖菓子を食べ、亡くなった……」
「……あの日エレノアは、街でフローレンスと会ったと話し、早く、第二夫人として迎えると言ってやってくれと……この菓子は希少な糖蜜を使っていて王都では手に入りにくい物だから、エレノアだけで大切に食べるようにと言われたと……彼女とならば、上手くやっていけそうだと笑顔で口に入れ、むせて……エレノアの口からは血が……急いで治療したが、駄目だった」

 一度言葉を切り、公爵は両手をギュッと握りしめて『これは嘘ではない』と言った。

「エレノアは、私に言ったのだ。フローレンスを許すと。許すから、フローレンスを後妻として迎えるようにと。それが、スピネル公爵家の、そしてエリザベートの為になるからと」
「…………」
「嘘ではない! 本当なのだ! 決して嘘では」
「ええ、そうでしょう。疑ってはおりません」

 エリザベートは、公爵をしっかりと見つめて言った。

「だってわたくしも、そう思いましたもの」

 忘れていた記憶。
 ずっと思い出せなかった、死の原因。

「どうせ死ぬのであれば、残る人たちが幸せであった方が良いと」

(だから、思い出さなかったのね……)

 エリザベートの言葉に、公爵はガックリと肩を落とした。


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