空想落下症

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春の日は落ち、夜が来る

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 文芸部の部室を出ると、陽はすでに山の端ににじんでいくところだった。

 これからのことについて考えるのは明日にしようと解散し、暗くなりつつある通りをひなたの手を引いて歩く。
 いつもの通学路のなにが面白いのか、彼女の視線はあっちへこっちへ忙しい。

「わ、電気が勝手についた! ね、ね、ユウくん見た? びっくりだよ!」

 じじ、と音を立てて灯る街灯にさえはしゃいでいる。まるで子どもだな、と微笑んでから思い至った。

「ひなた、見るのはじめてかもしれないね」
「うん! たぶんはじめて。もしかしたら幼稚園生のときに見てるかなあ?」
「どうだったかなあ」

 ひなたが知る外の世界の知識は、小学生のあいだにはひとつも増えなかった。空想の力が強まることを恐れたひなたの両親が、彼女を本もテレビもない、外の世界と隔絶された部屋に閉じ込めたからだ。
 もちろん、夜の道を歩くことなんて許されなかった。

 ――去年は学校と家の往復だけでいっぱいいっぱいだったもんなあ。

 目にするもの、触れるもの、すべてに興味津々なひなたはまるで小学生のようで。すこし目を離すとすぐに空想に足を踏み外してしまうものだから、俺もハルさんも慌てたものだ。

 ――ああ、だからこれからのこと、か。

 振り返れば、俺もひなたも日々を過ごすことに慎重になって、ただただ足元ばかりを見つめていた。
 けれど一生そうしているわけにはいかない。これからのことを、これからどうして生きたいかを考えるのは、悪く無いことのように思える。

 帰り際、小野がひなたにルーズリーフを手渡していた。『これからのこと』と書かれた一枚の紙。

 ――小野は「何か書けそうなら書いてみてください」って言ってたしな。出来るできないは後で考えれば良いし。

「ひなた、あの紙だけど」

 明るい未来を思い描こうと口を開いたとき、ひなたが「あ」と声を弾ませた。

「お家、電気ついてる! ハルさんもう帰ってるのかな?」

 視線をやれば、確かに家の玄関に明かりがついている。春の日暮れはのんびりとしているから、いつもであればこの時間に帰っていてもおかしくはないけれど。

「遅くなるって言ってたのにな」

 足取りを弾ませるひなたの隣で、俺は何となく胸騒ぎを感じながら家へと急いだ。

「たっだいまー!」
「ただいま」

 ひなたの元気な声と俺の声が薄暗い玄関によく響く。

「ああ、帰ってきたか」

 居間ではハルさんがソファにもたれて立っていた。

「ハルさん、なにしてたの。座らないの?」

 近寄ったひなたが不思議そうな顔をするのも当然だろう。
部屋の電気こそついていたが、テレビ画面は暗いまま。キッチンに火の気はなく、調理の最中ですこし休憩をとりにきたという風でもない。

 ただ、何もせずソファにもたれてぼうっとしていたようにしか見えなかった。

「うん、そうだね。座ろう。優とひなたもちょっと座ってほしい」
「はあい」
「ああ」

 ――これは絶対に何かある。

 そう感じ取りながらも言われた通りに俺とひなたはソファに座る。向かい合って全員が腰を落ち着けたのを確認してから、ハルさんがため息をひとつ。

「今日、ひよりとひなたのことで連絡があったよ」

 予想はしていた。けれど今日、担任教師たちと話したときの会話から学校がハルさんに連絡をするにはまだはやいと思っていた。

 ――相談する、といった俺たちを信用していないのか。

 教師への不信がじわりと頭をもたげるのを感じながら、ハルさんに確認する。

「ハルさんに、学校から?」
「いいや。ひよりの今の保護者からと、兄さんたちから」
「ひよりの、保護者……」

 ひなたが驚いたようにつぶやくけれど、彼女が生まれ育った町、両親の所有する家屋のある土地ではないこの町の中学校に通っている以上は、保護者もまた近くにいるということだ。

 ――でもその相手からハルさんに連絡があるなんて。

 学校側がひよりの保護者を把握しているのだから、遅かれはやかれその正体は俺たちにも知れるはずと思っていた。けれど向こうからハルさんにコンタクトを取ってくるとは予想外だった。

「ひなたとひよりのものすごく遠縁の親戚の人。ふたりにとってはおばあちゃんの兄妹の子ども、って言ってたな」
「おばあちゃんの、兄妹の子ども……? うーん、聞いたことないなあ」

 ひなたが幼いころの記憶をなぞって、首をかしげている。幼稚園までは家族同然で暮らし、小学生の間はひよりを預かって兄妹のように過ごしていた俺の記憶にも無いのだから、付き合いのある相手ではなかったはずだ。

「それ、もう他人だろ」
「まあね。そう思うけど、ひより自身とその親戚の人が納得していて、ひよりの両親が異議を唱えないならそれこそ他人の私たちには口出しができないんだよ」

 ハルさんが疲れたように髪をかきあげる。疲れたように見えるのは気のせいじゃないはずだ。

 遅くなると言っていた仕事を無理に切り上げて帰って来たせいだけじゃなく、精神的な疲労が大きいのだろう。
 疲れた顔のハルさんを見つめて、ひなたも暗い顔だ。不安からだろう、つないだ手がぎゅっと握られた。ひなたの声ににじむ不安を消せないだろうかと握り返す。

「ひよりちゃんが住んでるお家のひと、良くないひとたちなの?」
「良くない……いいや、たぶん良い人たちなんだろうね、ひよりちゃんにとっては」
「ひよりにとっては? それってどういうことだ」

 ハルさんにしては歯切れが悪い。けれど悪い人ではないという。ならばどういうことなのか。
 たずねれば、ハルさんは「うーん」と唸って窓に目を向けた。

「そうだねえ」

 言葉を探しているのだろうか。暗い窓の外を見つめる目にはいろいろな感情が入り乱れているように見える。
 電気の光では払えない夜の暗さが影を落としているのか、いつもさっぱりとして若々しいはずのハルさんの横顔は、ぐっと年を重ねたように感じられた。

 ――言ったら怒られるだろうから言わないけど。

 ついうっかり怒らせたくなってしまうほどの重苦しい沈黙を破って、ハルさんが口を開く。

「あなたたちはまだ大人じゃない、けどもう子どもじゃないからそのまま伝えるよ。ひよりちゃんの保護者のひと
ね、私の職場に来たんだ」
「えっ。職場って、内水面センターに?」

 県職員のハルさんは、県の内水面センターで働いている。河川の生物についての展示もあり、一般公開もされている施設だから職場に行くこと自体は有り得るだろう。けれど。

「職場に、ハルさんに会いに行ったの? ひなたの保護者だからって?」
「そう。学校の誰かから、優とひなたの保護者が働いている場所を聞いたんだって。それで、居ても立ってもいられなくて会いに来たらしいよ。受付で『木許か矢野を出してくれ』って言ったらしくてね」

 ――保護者の働き先。昨年の学校生活のなかで会話にあがったこと、あったかもしれない。何気ない会話のなかでもらした情報が、ハルさんに迷惑をかけたなんて……。

 ショックで俺の顔は青ざめていたのだろう。ハルさんが困ったように笑いながらひらりと手を振った。

「そこまでは問題なかったんだよ。受付に居合わせた職員が気を利かせて空いてる会議室に通してくれたおかげで、ほかの来館者や職員にも迷惑はかからなかったからね」

 今度お礼にご飯奢れば済む話さ、と言うハルさんの表情は明るく、本当に気にしていないようだ。
 けれど、それもすぐに曇ってしまう。

「職場は問題なかったんだけど、相手がね。ひよりちゃんから聞いた色んな話で、ひなたちゃんのことを悪者みたいに思い込んでいてねえ」

 そう前置きしてハルさんが語ったのは、確かに当事者に聞かせるべきか悩むような話だった。





 
 県が管理する内水面センターは、町の東側を流れる川沿いにある。淡水の水性生物について調査研究をするための場所で、知識の普及のためという名目で一般人も入れる研究機関だ。

 ひなたが発症するまでは木許家と矢野家の全員で訪れては、幼い優やひなた、ひよりたちが魚のエサやりをし、水槽の魚を眺めていた。
 無料で入館できるけれど展示されているのは一見、地味な川魚ばかり。そのためいつものんびりとした空気が流れるセンターがことさらひと気の無くなる平日の昼過ぎにその夫婦はやってきた。

「木許さん、ここは良いから二階の小会議室に行って」

 受付を担当している年配の女性事務員が呼びにきたとき、ハルはバックヤードで資材の確認をしているところであった。

「どうしました? 今日は使用予定なかったと思ったんですが」

 今朝、共有した連絡事項には会議室の使用は入っていなかったはず。そう思い首をかしげたハルの耳に顔を寄せ、女性は困ったように言葉をにごす。

「その、受付にいらした来館者のご夫婦が『木許さんか矢野さんはいますか』って聞いてきてね。どんなご用事かたずねても『同じ保護者の立場から、言わなければいけないことがあるんです』って繰り返すばかりで。すこし、興奮されているようだったから後藤くんが『会議室に案内します』って」

 騒いでいる相手は夫婦でハルを呼びつけているらしい。
 急かされるままハルは会議室へと小走りに向かう。

 その途中、職員用の階段をあがったところで大柄な人影に出くわした。

「後藤くん」
「木許さん、来ましたか」

 先に立って歩き出したのはハルの同期、後藤大樹だ。その名の通り大きな木のような彼をぱたぱたと小走りに追いかけながら、ハルは声をひそめる。

「会議室に連れてってくれたって。ありがとう」
「いや、たまたま居合わせて良かったです。このあとも同室させてもらえますか」

 ぱたり。思わぬ申し出にハルは足を止め、頭ひとつぶん高いところにある後藤の顔を見上げた。

「……そんなに、ヤバそうな相手?」
「いえ、一見するとふつうのご夫婦なんですが」

 同じく立ち止まった後藤が言葉をにごす。いつも真っ直ぐに見下ろしてくる彼が視線を逃がす、その行為がよけいにハルの不安をかきたてた。

「ちょっと、いえ、多少……いや、なんというか、妄信的な姿勢が見受けられて俺が心配だといいますか」

 妄信的。ハルの脳裏にひなたの両親の姿がよぎる。

 優が小学生にあがって間もないころ、兄夫婦の家を何度か訪れた。
 ひなたとともに内に籠りつつあった矢野家の親ふたりを説得する間、優とひよりの世話を買って出たのだ。
 そのときにちらりと覗いたひなたとひよりの両親の姿が、まさに妄信的であった。

 ――娘を手放したくないからって、閉じこもるのはね……。もうひとりの娘のことも考える余裕なくなっていたし。

 それならば、相手がどのような行動に出るか想像がつかない。体格の良い男性である後藤が同室してくれるならば、不用意な暴力の抑止力としては十分だろう。

「そっか。ありがと」

 ハルはことさら軽く言って、高い位置にある男の背中を叩いて歩き出す。
 たどりついた会議室の扉を開ければ、一組の夫婦がハルに視線を集めた。

「こんにちは。木許です。私に何か御用だと伺いましたが」

 歳のころは還暦を越えるかどうか。はやくに亡くなったハルと兄の両親であり、優にとっての祖父母であるふたりよりもいくらか年かさだろう。
 品の良い身なりをした老夫婦は、ひとの良い笑顔を浮かべてハルに歩み寄って来た。

「ああ、あなたがあの子の姉妹の保護者の方か」
「木許さん、とおっしゃるのね。私たちは良田です。ご存知かしら、ひよりちゃんの保護者を任されている者よ」
「良田さん。ええ、ひよりさんは幼少期に何度かこのセンターに遊びに来ていましたから」

 小学生のひよりの面倒を見ていたことは伏せて、ハルは頷いた。

「おお! 幼いひよりは一段とかわいらしかっただろうねえ」

 夫がそう言うと、夫人が「ええ、ええ」と目尻のしわを深める。

「あの子は今でもとても良い子で、愛らしいですもの。だからこそ、私はあの子のことが不憫でならなくって」

 笑顔を一転、涙をにじませた夫人はハンカチで目元を抑えて訴える。

「あなた、あの子のお姉さんの保護者をしておいでならご存知でしょう? あの子がどんなにか苦労をしてきたか。あの子の心がどんなにか傷ついているか」
「どうでしょうね。他人が慮れるのは想像の範疇でしかありませんから」

 ハルの反応は夫人の思う通りではなかったらしい。ややむっとしたようににらまれたが、ハルはするりと視線を外す。

「それよりも、あなた方はひよりさんとどのようなご関係なのでしょう。あの子はまだ中学生になったばかり。赤の他人が保護者になれるとは思えないのですが」

 問いかけた先は夫のほうだ。夫人よりはまだこちらのほうが落ち着いて会話ができる、と判断してのことだった。
 話を振られた夫は「ああ」と大きくうなずいた。

「半年ほど前ね、あの子から突然、連絡があったんだ」

 彼は当時を思い出すように目元をほころばせる。

「『保護者になってほしい』なんて急に言われてね。最初は私たちも驚いたものだったが、聞いてみればなんとも可哀そうな子じゃないか。だというのに自分で道を切り拓いて生きていこうという姿が健気でねえ。妻と話合ってひよりちゃんを家で面倒見ることに決めたんだよ」
「ひよりさんが、自分で……ちなみに、どういった理由で親元を離れたかは聞いていますか?」

 ハルのなかにあるのは小学生までのひよりの記憶だ。幼いころは家族に甘え、両親がひなたのことばかりに傾倒するようになってからは優にべったりと甘えていた姿。

 ――優が中学生になるとき、ひなたを連れて実家を離れるあの日。ひよりは優にすがりついて、泣いて引き留めようとしていたっけ。

 兄の家に優たちを迎えに行ったのはハル自身だったため、記憶に残っていた。この世の終わりのように涙を流し、ひとつ年上の幼馴染にすがる姿。優のいる場所では哀れに泣きぬれていた少女は、自身の姉の姿を見て視線を険しくしてはいなかっただろうか。

 記憶をたどっていたハルの耳に、夫人の感情的な声が飛び込んだ。

「理由は明白でしょう! あの子の姉がずいぶんとわがままを言って家族はバラバラ。幼いころからひよりちゃんはずいぶんと寂しい思いをしたんでしょう。そのうえひよりちゃんがお兄さんと慕う大切な幼なじみまで取り上げてしまったというのだから、そのお兄さんと同じ学校に通いたいというあの子のささやかな望みを叶えるくらい、してあげたいじゃありませんか!」 
「……それで、私に話というのは」

 口角泡を飛ばす勢いの夫人の横では、夫もまたうんうんと何度も頷いている。
 良田夫妻のなかではひなたひとりが悪者になっているらしい、と察したハルであったが、言い返したい気持ちをぐっとこらえて静かに問いかけた。

「あの子の姉をよその学校にやってもらいたいと思ってね」

 夫がさらりと言った言葉にハルは思わず眉が寄るのを止められなかった。

「あの子の幼なじみのお兄さんと、あの子の姉と。あなたはふたりの保護者をしているんだろう。その経緯は知らんがね、今のままでは木許さんの家まで良くないことが起こりかねないだろうから」

 あなたを心配しているのだ。そう言いたげな男の物言いに、ハルは思わず怒鳴り返しそうになった。

 ――あんたたちがあの子たちの何を知ってるというんだ!

 けれどそう叫ぶより先に、ハルの肩を大きな手が包み込むように叩く。

「お話はうかがいました。すぐに返事ができることとも思えませんので、今日の所はこれで」

 後藤が、ひりつく場の空気を押し流すようにゆったりとした口調で告げた。
 良田夫妻は、さりげなく入室し扉のそばで控えていた後藤に気が付いていなかったらしい。
 勢いを削がれたように顔を見合わせ、何度もまたたく。

「あ、ああ。それもそうだ。じゃあ連絡先をここに置いていくから」
「お返事、お待ちしてますね。子どもたちの明るい未来のためにも、よくお考えになって」

 名刺の裏に自宅の連絡先だろう電話番号を書き込んだものを手渡して、夫妻は慌ただしく去って行く。その背中に後藤が「ただいま一階川魚コーナーに魚の卵が展示されていますので、良かったらぜひ」と言ったのは届いたかどうか。

 遠ざかる足音は階段を降り、そのまま消えていく。さすがに、センター内をゆっくりと見て歩く余裕はなかったらしい。

「はあ……やっかいだな」

 静かになった会議室のなかに、ハルのため息が嫌に響いた。





「てな感じで、ひなたを悪女と思い込んでる人たちでねえ」

 話し終えたハルさんは、いよいよぐったりとソファに倒れ込んだ。騒動のあと、全力で仕事を片付けて慌てて帰ってきて、どう話したものかと居間でぼうっと考えこんでしまっていたらしい。

「ハルさん……」

 うつむいたハルさんになんと声をかけるべきか、悩む。
 謝るのは、たぶん違う。ハルさんが「あんたたちが悪いわけじゃない」と言ってくれることはわかりきっている。

 ――それに甘えたくはない。けど、ひよりが寂しがってたことも知ってるから……。

 俺のとなりで、ひなたもまた悩んでいるのだろう。握った手には力がこめられ、赤い唇は噛みしめられすぎて白くなっている。
 ひんやりとした沈黙に、ふと落ちたのは「ふっ」と息を吹き出す音。

「くふっ。あははは! 後藤くんめ、あの状況で魚の卵見ていきませんか、だって! あはははははは!」

 大笑いの発生源はハルさんだった。
 悩んでいるものだとばかり思ったけど、さっきうつむいていたのは思い出し笑いをしていたらしい。

「え、笑うとこ? いや、まあ確かにその状況で来館者扱いするのもどうかと思うけど」

 シリアスな雰囲気をぶち壊して笑い転げるハルさんに戸惑ってひなたを見れば、唇をかみしめていた真剣な表情はどこへやら。ひなたはにこにこ笑ってハルさんを見ていた。

「その後藤くんてひと、ぜったいハルさんのこと好きだよ」

 ――なんの話だ。

「ええー? そう? ただの同僚と思ってるんじゃない?」
 ――ハルさんも「ええ?」と言いつつなぜ話に乗るのか。

「ううん、だって好きじゃなかったら心配だからって部屋のなかに付いてったりしないよー!」

 ――それはまあ、そうかもしれない。でも今話すことか?

「ええええー? そうかなあ。後藤くんはああ見えて親切だから、私が相手でなくてもついてったんじゃないかなあ」

 ――後藤の性格なんて知らんが。

「無い無い。だって身内のもめごとだってわかってるんだよ。そんなとこ、よっぽどじゃなきゃ巻き込まれたくないもん」

 ――たしかに一理あるが。

「そうかなあ。同じ職場でもう十年近いのに、せいぜい男友だち程度の付き合いだよ?」
「それってつまり、お互い気楽な仲ってことでしょ。いいじゃんいいじゃん。ハルちゃんが踏み込んじゃえばー?」

 なぜ突然、女子の恋愛トークがはじまったのか。俺には理解できない。
 ただわかるのは俺が口を挟める状況ではない、ということだけだ。

 ――まあでも、ひなたの気がまぎれたみたいで良かった。

 ほっとしてソファに身を預けていると、不意にハルさんが表情を改める。

「なんにせよ。私はあんたたちの意思を尊重するからね。勝手に転校させたりしないし、もし今の状況がしんどいならすぐにでも打開するための行動に移すから。これはきっと、兄さんと義姉さんも同じだからね」

 そんなことを急に言うハルさんはずるい。けれどうれしくて、俺の口からは腹でこねまわしていた思いがするりと転がり出た。

「俺は、今の学校にこのまま通いたい。ひよりのことは俺たちと学校の間でなんとかなるなら、なんとかしたいと思ってる」
「あたしも……今の学校好きだよ。ひよりちゃんに会えるのはうれしいけど、笑った顔のほうがかわいいから。ひよりちゃんが」

 ひなたの想いも確認して、ハルさんは大きく頷く。

「ん。わかった。じゃあ私たち大人はまだ口を出さない。相手の保護者が何か言ってきたら、こっちもそう伝える。あなたたちは学校の先生と協力してやってみな」

 あっさりと俺たちに任せて、けれど応援してくれるその姿勢がうれしい。ハルさんに気があると思われる後藤くんとやらは、実際に好意を寄せているならずいぶんと奥手だが、趣味は良いのだろう。

 ハルさんからの信頼がうれしくて、俺とひなたは顔を見合わせて笑い合う。

「ありがとう、ハルさん」
「ハルさん大好き!」
「はいはい。それじゃ、そろそろご飯にするからあなたたちも手伝ってよ」
「はい」
「はあい」

 キッチンへ向かうハルさんを追って、俺とひなたは手をつないだまま立ち上がる。

 ――明日、ひよりと話そう。話せばきっとひよりもわかってくれるから。
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