時の扉を開けて~初恋をこじらせたイケメン令嬢&早とちり令息の時間旅行~

壱邑なお

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「廊下を出て右——角を曲がって進み、左手3個目のドア」
 何度も地図を見て記憶に叩き込んだ、図書室から寝室までのルートを、ぶつぶつと辿たどりながらメイベルは進む。
 それを背後から守るように、辺りを警戒するパーシー。
 幸い誰とも行き会わずに、2人は目的の部屋にたどり着いた。 

 白地に銀色の縁取りや花模様が彫られた、一際ひときわ美しい扉。
 そっとドアノブを回して、隙間から中に滑り込む。
「あの子、か……?」
 目を見開いたパーシーに、こくりとうなずいたメイベルは、天蓋付きのベッドに歩み寄った。

 自分とよく似た、真っ直ぐな長い黒髪を、レースで縁取られた枕に広げて。
 愛らしい少女が、すやすやと眠っている。
「おばあ様……?」
 人々の悪意や暴力、これから始まる艱難辛苦かんなんしんくをまだ、何ひとつ知らない幼い皇女。
 その安らかであどけない頬、ふわりと微笑んでいるような桃色の唇。
 じっと見下ろすメイベルの目に、じわりと涙がにじんだ。

「ベル、時間がない」
 懐中時計をちらりと見ながら、静かな声でハンカチを差し出す、優しい幼なじみ。
「うん……ありがと」
 ぎゅっと目頭を押さえてから、ハンカチを返して。
 図書室から持って来た『光の妖精』を、そっと枕元に置きながら、ささやいた。
「皇女様、どうかこの本を肌身離さず、繰り返し読んで。『秘密の言葉』をしっかりと、心に刻み込んでください」

 それがきっと、あなたの未来を変える。

「行こう、ベル」
「うん、パーシー」
 最後にもう一度、あどけない寝顔を祈るようにじっと見て、2人はそっと寝室を後にした。

 廊下に出て図書室への角を曲がった途端、赤い制服姿の衛兵が、階段を昇って来る姿が目に入った。
「パー……」
「しっ! 俺らの姿は見えないはずだ。端に寄って!」
 廊下の壁に張り付くようにして、息を殺す2人の目の前を、衛兵が通りすぎる。
 ほっと息を吐いた瞬間、

 ひゅっと空を切る音がして、銀色のサーベルが、パーシーの鼻先をかすめた。
「あっぶね……!」
「そこに——何かいるな? 目には見えない……悪霊かっ!?」
 癖のある金髪を揺らした、まだ若い衛兵が、鋭い目をすがめて問いただして来る。

「行けっ!」
 叫ぶと同時にパーシーが、ベルの背中を図書室の扉に向けて押し出した。
 よろけるように数歩、前に進んだ身体を。
 廊下に出ていたタルボット先生が、受け止めながら時計を見る。
「あと25秒……!」

 衛兵が今度はサーベルを勢いよく、真横に振った。
 攻撃を避けながら、さっと屈み。
 床に付いた右手を軸に、身体をひねったパーシーが、左手でホルダーから抜いた杖を、思い切り突き出す。
「ワスターレ(破壊)!」
 ぱしっ……!
 すぐ横のテーブルに飾られた、花を生けた大きな花瓶にヒビが走り、バラバラと一瞬で崩れ落ちる。
 勢いよく廊下に散らばる、破片と水と、白い花たち。
 サーベルを構えた男の視線が、呆然とそこに奪われた。

「パーシー、早くっ!」
 叫んだメイベルの肩を、
「時間だ、『テムプス・レウェルティ(向こうに戻る)』!」
 タルボット先生が自分の身体ごと、廊下から開いた扉の奥に押し込んだ。
「いやっ——パーシーッ!」
 魔法にあらがう様に、必死で振り向く。

 閉じて行く扉の隙間から見えたのは、
「間に合った」
 ほっとしたように笑う、パーシーの顔だった。

 ばかっ……。

 パーシーのばか!
 早とちり!
 わたしだけ助かったって、そんなの全然嬉しくない!
 パーシー、あなたがいない世界なんか。

「何の意味もない……」

 無事に戻って来た学園の、上級魔法学教室。
 閉じられた、時の扉の前で。 
 崩れ落ちたメイベルの瞳から、次々とあふれる涙が、冷たい床に弾かれて散った。

 どんなに泣いても叫んでも。
 ハンカチを渡してくれる優しいひとは、もういない。 
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