2 / 21
厨房の家族
しおりを挟む
ロージーが、勢いよく開けた扉の中……そこは古ぼけた厨房。
むき出しの床に、がたつく調理台。
黒い煙を吐き出す、年季の入ったオーブン。
奥の暖炉も、小枝のような薪にしがみつく、心細い火が微かに揺れるだけ。
「お嬢様! それでは、あの『ばばあ』――おっと、『奥様』がついに!?」
執事のスタンリーが片方の眉を上げて、パチンと指を鳴らす。
「イリュージョン、解除……!」
途端に部屋の中が、まるで夜が明けたように明るく輝いた。
床も調理台も、新品のようにぴかぴか。
たくさんの薪の上で勢いよく燃える火が、やかんのフタをカタカタ鳴らす。
暖炉前の敷物に並ぶのは、ふかふかのクッションが乗った5脚の椅子。
スタンリーの魔法『幻影』は、「相手に見せたい幻覚」を、目の前に作り出す力。
「そうなの! いきなり『明後日、お嫁に行け』ですって。
お相手は確か――西のフランク国のザーリア伯爵、だったかしら?」
「『ザーリア伯爵』!? あの、『近隣貴族ヤバい奴リスト』ダントツ1位の……!?」
執事の叫び声に、ロージーが目をぱちくり。
「あらっ、そんなに『ヤバい方』だったの?」
「ヤバい『ヤツ』、です!
何しろ、とっくに60歳を過ぎているのに、無類の女好きで結婚は過去8回。
その上、女性に暴力をふるうのも大好きなクズ野郎で、今までの奥方や愛人たちは皆数年で亡くなったり、命からがら逃げ出しております!」
心底嫌そうに、顔をしかめて吐き捨てた、執事の言葉。
しんっ……一瞬、静まり返った厨房に、
「あんの人でなし! 義理とはいえまだ18歳の娘に、そこまでするかっ!?」
フライパンを振り上げた料理人――20代後半の元気な女性――メイジーの、雄叫びが響いた。
「お嬢様、ホントにそんなとこ行っちゃうのっ!?」
従僕見習いの少年、まだ11歳のデイビーが、あわあわと尋ねる。
「みぃっ……!」
ぎゅっとディビーに抱きしめられた、黒い子猫のキティも、心配そうに鳴き声を上げた。
「大丈夫。そんな事は絶対、わたし達がさせません……!」
きっぱりと言い切ったのは、この家を取り仕切る家政婦の、ルイーズ・ブラウン。
メイジーの姉で30代半ばの、ほっそりとした上品な女性。
「落ち着いて話す前に……ロージーお嬢様、そちらの敷物の上に」
「そうだったわ――お願い!」
裏口に置かれたラグの上に立った、灰まみれのロージーの前で、家政婦がパチンと指を鳴らした。
「クリーンアップ!」
さぁっと爽やかな風が、身体を通り過ぎた後には
「わぁっ、さっぱりした! ありがとうルイーズ!」
一瞬で洗濯と入浴を済ませたような、清潔なドレスとエプロンを身に着け、頬をバラ色に輝かせたロージーが、毛先にくるんとウェーブの付いた、艶やかなハチミツ色の髪を揺らしていた。
これが、ルイーズの魔法、『浄化』。
家の中の掃除はもちろん、衣服や身体も一瞬で、ピカピカにしてくれる力。
「お嬢様、キティも『お嫁に行っちゃダメ』だって!」
必死な様子で訴えて来る、小さなデイビーの魔法『通訳』は、あらゆる動物の言葉が、翻訳出来る力。
「大丈夫、わたしらが行かせないから! さぁっとりあえず、お茶にしよう!」
ざっと適当にポットに入れた、茶葉とお湯からぴったり4人分の、美味しいお茶を注ぐメイジー。
彼女の魔法『軽量』は、どんな物でもその量を、きっかりと計れる力。
執事のスタンリーは、家政婦と料理人姉妹の従兄弟。
ロージーの父に仕えたスタンリーの紹介で、仕事を探していた従姉妹たちが雇われて。
三人共、ロージーがまだ幼く両親も元気だった、10年前からこの屋敷で働いている。
ディビーは、『孤児なら給料はいらないね!』と欲深な継母に去年、孤児院から引き取られ。
キティはお腹を空かせてミィミィ鳴いていた所を、ディビーに拾われたばかり。
皆でお茶と、ディビーはホットミルクのカップを手に、温かな暖炉を囲んで座る。
お皿でミルクを飲んだキティも、ぴょんとディビーの膝に飛び乗って、丸めた手で顔を洗い始めた。
ほっとくつろいだ――まるで、家族と過ごしているような――穏やかな空気の中。
「上に呼ばれる度に、ドレスや顔を『灰まみれ』にするのが、イヤで堪らなかったけど。
そんな毎日とも明後日で、さよならよっ!」
ロージーがカップを、『かんぱーい』と掲げてみせた。
「とにかく今まであの連中が、『この国で魔法が使えるのは、貴族だけ』と、思い込んだままで良かったです!」
その『思い込み』を事あるごとに、慎重に上塗りしていた執事が、ほっとした様にネクタイを緩め。
「あの人達を招待する、お茶会も舞踏会もないし。どこからも情報は入って来ませんもの。『ネイバー嫌い』の上流社会に、今回は感謝ですね」
すました顔で、家政婦がお茶を飲む。
「おかげで地下に降りたら、私らとお嬢様は自由に過ごせたし!
買い物だって、わざわざ行かなくても。店から魔法で届くって、知らないまんま!」
料理人がにやりと笑って、バリン!と大きくクッキーをかじった。
「この国に生まれたらみーんな、11歳になったら魔法を使えるのにね!」
「みゃー!」
貴族も庶民皆も皆、11歳になると神殿に行き、生まれ持った自分の魔法を開放してもらう。
半年前に『魔法使い』になったばかりのディビーが、キティと声を揃えて笑った。
「後は、兼ねてからの計画通り動けるか――ですね?」
慎重そうな執事の声に続いて、
「でもお嬢様、本当によろしいんですか? 他に何か手立てが……」
心配そうに尋ねる、家政婦の声。
「もちろん! それから、わたしはもう『お嬢様』じゃなくて、ただの『ロージー』――敬語もなしよ!」
明るく答えてからぐるりと、4人と一匹を見渡して、
「だってわたし達、『家族』になるんだから……!」
ローズマリー・フローレス男爵令嬢改め『ただのロージー』は、両手を広げて嬉しそうに宣言した。
むき出しの床に、がたつく調理台。
黒い煙を吐き出す、年季の入ったオーブン。
奥の暖炉も、小枝のような薪にしがみつく、心細い火が微かに揺れるだけ。
「お嬢様! それでは、あの『ばばあ』――おっと、『奥様』がついに!?」
執事のスタンリーが片方の眉を上げて、パチンと指を鳴らす。
「イリュージョン、解除……!」
途端に部屋の中が、まるで夜が明けたように明るく輝いた。
床も調理台も、新品のようにぴかぴか。
たくさんの薪の上で勢いよく燃える火が、やかんのフタをカタカタ鳴らす。
暖炉前の敷物に並ぶのは、ふかふかのクッションが乗った5脚の椅子。
スタンリーの魔法『幻影』は、「相手に見せたい幻覚」を、目の前に作り出す力。
「そうなの! いきなり『明後日、お嫁に行け』ですって。
お相手は確か――西のフランク国のザーリア伯爵、だったかしら?」
「『ザーリア伯爵』!? あの、『近隣貴族ヤバい奴リスト』ダントツ1位の……!?」
執事の叫び声に、ロージーが目をぱちくり。
「あらっ、そんなに『ヤバい方』だったの?」
「ヤバい『ヤツ』、です!
何しろ、とっくに60歳を過ぎているのに、無類の女好きで結婚は過去8回。
その上、女性に暴力をふるうのも大好きなクズ野郎で、今までの奥方や愛人たちは皆数年で亡くなったり、命からがら逃げ出しております!」
心底嫌そうに、顔をしかめて吐き捨てた、執事の言葉。
しんっ……一瞬、静まり返った厨房に、
「あんの人でなし! 義理とはいえまだ18歳の娘に、そこまでするかっ!?」
フライパンを振り上げた料理人――20代後半の元気な女性――メイジーの、雄叫びが響いた。
「お嬢様、ホントにそんなとこ行っちゃうのっ!?」
従僕見習いの少年、まだ11歳のデイビーが、あわあわと尋ねる。
「みぃっ……!」
ぎゅっとディビーに抱きしめられた、黒い子猫のキティも、心配そうに鳴き声を上げた。
「大丈夫。そんな事は絶対、わたし達がさせません……!」
きっぱりと言い切ったのは、この家を取り仕切る家政婦の、ルイーズ・ブラウン。
メイジーの姉で30代半ばの、ほっそりとした上品な女性。
「落ち着いて話す前に……ロージーお嬢様、そちらの敷物の上に」
「そうだったわ――お願い!」
裏口に置かれたラグの上に立った、灰まみれのロージーの前で、家政婦がパチンと指を鳴らした。
「クリーンアップ!」
さぁっと爽やかな風が、身体を通り過ぎた後には
「わぁっ、さっぱりした! ありがとうルイーズ!」
一瞬で洗濯と入浴を済ませたような、清潔なドレスとエプロンを身に着け、頬をバラ色に輝かせたロージーが、毛先にくるんとウェーブの付いた、艶やかなハチミツ色の髪を揺らしていた。
これが、ルイーズの魔法、『浄化』。
家の中の掃除はもちろん、衣服や身体も一瞬で、ピカピカにしてくれる力。
「お嬢様、キティも『お嫁に行っちゃダメ』だって!」
必死な様子で訴えて来る、小さなデイビーの魔法『通訳』は、あらゆる動物の言葉が、翻訳出来る力。
「大丈夫、わたしらが行かせないから! さぁっとりあえず、お茶にしよう!」
ざっと適当にポットに入れた、茶葉とお湯からぴったり4人分の、美味しいお茶を注ぐメイジー。
彼女の魔法『軽量』は、どんな物でもその量を、きっかりと計れる力。
執事のスタンリーは、家政婦と料理人姉妹の従兄弟。
ロージーの父に仕えたスタンリーの紹介で、仕事を探していた従姉妹たちが雇われて。
三人共、ロージーがまだ幼く両親も元気だった、10年前からこの屋敷で働いている。
ディビーは、『孤児なら給料はいらないね!』と欲深な継母に去年、孤児院から引き取られ。
キティはお腹を空かせてミィミィ鳴いていた所を、ディビーに拾われたばかり。
皆でお茶と、ディビーはホットミルクのカップを手に、温かな暖炉を囲んで座る。
お皿でミルクを飲んだキティも、ぴょんとディビーの膝に飛び乗って、丸めた手で顔を洗い始めた。
ほっとくつろいだ――まるで、家族と過ごしているような――穏やかな空気の中。
「上に呼ばれる度に、ドレスや顔を『灰まみれ』にするのが、イヤで堪らなかったけど。
そんな毎日とも明後日で、さよならよっ!」
ロージーがカップを、『かんぱーい』と掲げてみせた。
「とにかく今まであの連中が、『この国で魔法が使えるのは、貴族だけ』と、思い込んだままで良かったです!」
その『思い込み』を事あるごとに、慎重に上塗りしていた執事が、ほっとした様にネクタイを緩め。
「あの人達を招待する、お茶会も舞踏会もないし。どこからも情報は入って来ませんもの。『ネイバー嫌い』の上流社会に、今回は感謝ですね」
すました顔で、家政婦がお茶を飲む。
「おかげで地下に降りたら、私らとお嬢様は自由に過ごせたし!
買い物だって、わざわざ行かなくても。店から魔法で届くって、知らないまんま!」
料理人がにやりと笑って、バリン!と大きくクッキーをかじった。
「この国に生まれたらみーんな、11歳になったら魔法を使えるのにね!」
「みゃー!」
貴族も庶民皆も皆、11歳になると神殿に行き、生まれ持った自分の魔法を開放してもらう。
半年前に『魔法使い』になったばかりのディビーが、キティと声を揃えて笑った。
「後は、兼ねてからの計画通り動けるか――ですね?」
慎重そうな執事の声に続いて、
「でもお嬢様、本当によろしいんですか? 他に何か手立てが……」
心配そうに尋ねる、家政婦の声。
「もちろん! それから、わたしはもう『お嬢様』じゃなくて、ただの『ロージー』――敬語もなしよ!」
明るく答えてからぐるりと、4人と一匹を見渡して、
「だってわたし達、『家族』になるんだから……!」
ローズマリー・フローレス男爵令嬢改め『ただのロージー』は、両手を広げて嬉しそうに宣言した。
応援ありがとうございます!
37
お気に入りに追加
114
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる