また、桜坂で(完結)

もちもち

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目立たない私にも光がさすのなら

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四月。桜は散りかけ、制服のブレザーが少し暑く感じられる昼下がり。

公立・有備館高校、2年C組。
その教室の一番後ろ、窓際の席に速見雄太は腰を下ろしていた。
開け放たれた窓からは風が吹き抜け、春の匂いを運んでくる。

「ふああ、眠い……」
あくびをひとつ漏らして、雄太は目元をこする。昨夜は深夜まで祖母の手伝いで書類整理をしていた。祖父母に迷惑はかけたくないと、奨学金を使いながらの高校生活。とはいえ、表には出さない。

「さっすが、モテ男は余裕っすねー」
斜め前の席から、如月友梨奈が肘をついてニヤリと笑っていた。栗色の髪に、長いまつげ。その美貌は教室どころか校内でも注目の的だが、本人は飄々としている。

「またからかう……」
「いやいや。なによ、放っておいてもモテてるくせに」

取り巻きの女子たちが「きゃー、速見くん今日もイケメン!」などと騒いでいるのを、雄太は聞こえぬふりをしてため息をついた。

「俺、別にモテたいとか思ってないし」
「ふーん。じゃ、真帆ちゃんに優しくしてるのはなんで?」

その名前が出た瞬間、雄太の視線が自然と隣へ向いた。

桜崎真帆。彼の隣の席に座る、地味でおとなしい少女。黒髪をひとつに束ね、メガネの奥の目は、いつも伏し目がちだった。

彼女はちょうどノートに何かを写していた。手元はきれいに整えられていて、細かな字がびっしり並ぶ。

「……なんとなく。話しかけたら、すごく丁寧に返してくれたからさ」
「ふぅん? “なんとなく”ねぇ……」
友梨奈はあからさまに面白そうな顔をする。「もしかして、好きとかじゃないの?」

「バカ言うな。俺、そういうの、わかんないし……」
「やれやれ、鈍感王子め」

そんな会話をしていることを知らずに、真帆は顔を上げ、恐る恐る雄太のノートを指さした。

「……あの、ここの公式、間違ってるかも……」

「えっ?」
彼はノートを覗きこむ。そこには「√(a+b)² = a+b」と雑に書かれていた。

「あ、ほんとだ……完全に寝ぼけてたな、俺」

「ふふっ……」
小さな笑い声。真帆の口元が少しだけゆるんだ。

それが、速見雄太には少し不思議だった。

普段の彼女は、クラスでも目立たず、誰とも話さない。昼食もひとり。
だが、今の微笑みにはどこか、あたたかいものがあった。

「……サンキュ。助かったよ」
「いえ……あ、あの……わ、わたしのノート、もしよかったら……」
真帆が差し出しかけたノートに、後ろの席から声が飛ぶ。

「やーん、速見くーん! お昼一緒にどう~?」

振り返ると、放送部の長迫美祐が、笑顔で手を振っていた。絹のような髪がさらりと揺れる。
気遣いの人で、誰にも優しい。けれど、何かを隠しているようにも見える。

「ごめん、今日弁当なんだ」
「そっか、残念~。また今度ね」
柔らかく微笑む美祐の表情を見て、真帆がスッとノートを引っ込めたのに、雄太は気づかなかった。

昼休み、弁当を食べながら、友梨奈がまた言う。

「……あんた、ほんと気づかないんだなあ」
「何を?」
「真帆ちゃんの気持ち。ていうか、美祐ちゃんもたぶん……あーあ、これじゃ青春ラブコメの主人公かっての」
「いや、俺そんな器じゃないし」
「じゃあ器を磨きなさい。女心の一個や二個、受け止めてやんなさいよ」

どこか本気とも冗談ともつかないその言葉に、雄太はまたため息をついた。

(女心、か……)

放課後、教室に残っているのは数人だけだった。
真帆はノートを閉じて立ち上がろうとしたとき、前から誰かが近づいてくる足音がした。

「えっと……」
「桜崎さん、これ、君のシャーペンかな」
差し出されたのは、真帆が机の上に忘れていた小さなシャーペン。

「あ……はい……ありがとうございます」
「うん、また明日な」
柔らかく微笑んだ雄太の姿に、真帆の胸がじんわりと熱くなった。

(また明日……)
その一言が、彼女の心をあたためた。

春は、始まったばかりだった。
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