また、桜坂で(完結)

もちもち

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文化祭まで、あと三日。

2年C組の教室では、放課後ごとに絵本朗読の練習が行われていた。
真帆の前に設置されたマイク、背景には生徒たちが描いた大きな絵本の一場面。

「はい、じゃあ“木の下でルルが見上げた空は、まるで――”からお願い」

放送部の長迫美祐が、穏やかな声で指示を出す。
彼女は技術面のすべてを仕切っていて、誰よりも頼りにされていた。

「……はい」

真帆は、ページをめくりながら朗読を始める。

その声には、かつてのようなおどおどしさはなかった。
教室にいる誰もが、その変化に気づきはじめていた。

けれど、その教室の端、美祐の目はわずかに曇っていた。

(……やっぱり、速見くんの目が変わった)

彼が真帆を見るときの視線。それが、気づきたくなかった何かを突きつけてくる。
自分がずっと、そっと見守ってきた速見雄太の、知らない顔。


放課後、機材の片付けをしていた美祐に、雄太が声をかけた。

「今日もありがと、美祐。放送部って、忙しいのに手伝ってくれて」

「ううん、全然。……むしろ、ありがとうって言いたいのはこっちだよ」

「え?」

「……桜崎さんに、自信くれたの、雄太くんだもん。私、気づいてるよ」

彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。
でも、その奥にあるのは、ほんの少しだけ寂しげな光。

「……私、昔から“やさしそう”とか“清楚だね”って言われるけど、本当はぜんぶ、飾りみたいなもので」
「そんなこと……」
「嘘でもいいから、“好きだよ”って言ってくれたら、きっと救われると思ってた」

「美祐……」

「でも、私、嘘はいらないや。ね、雄太くん。ちゃんと向き合ってあげて。真帆ちゃんの気持ちに」

笑顔のまま、それだけ言って、美祐は機材室へと消えていった。


翌朝――。

「……はあ? 速見が、真帆ちゃんのこと意識しはじめてるって?」

朝のHR前、友梨奈が大げさに声を上げる。
いつものように机に脚をかけながら、しかし目だけは真剣だった。

「誰に聞いたんだよ、それ」
「ふふん、取り巻きの情報網なめないでよ。速見くんが朗読会、毎回最前列って、有名よ?」

「……たまたまだって」
「顔、赤いし。あ~~~もう、見てらんない!」

バンッと机を叩き、友梨奈は立ち上がる。

「いい? 雄太。あんた、いま相手を間違えたら、真帆ちゃんも、あんた自身も、後悔するからね」

「……友梨奈」
「私は……あんたがバカな選択するの、見たくないだけ」

その言葉に、雄太は口を開けたが、言葉が見つからなかった。


その日の帰り道。
真帆は一人、昇降口で靴を履き替えていた。

そのとき、隣に誰かがしゃがむ。

「……よ」

「は、速見くん!?」

彼が笑って、真帆の靴のつま先を指さす。

「反対だった。左右」
「あ……!」

慌てて履き直す真帆。彼は笑いながら立ち上がる。

「送ってくよ。どうせ方向、途中まで一緒だろ?」

「……え、でも……」

「行こ。今日は、ちょっと話したいことがあるんだ」


並んで歩く放課後の帰り道。
時おり車の音と、自転車のベル。
春の風が頬を撫でる。

「……桜崎さん、最近すごいなって思ってさ」

「え?」

「前は、声も小さくて、何考えてるか分かんなかった。でも、いまは違う。ちゃんと、伝わってくる」

「……あの」

真帆が小さく息を飲む。

「私、たぶん……速見くんに、助けられてばっかりで……そのたび、嬉しくて、苦しくて、怖かった」

「怖い?」

「だって、速見くんは……わたしなんかより、ずっと光の中の人で……」

その言葉に、雄太は立ち止まる。

「……俺さ」

「え……?」

「自分が“光の中”なんて、思ったことないよ」

彼はふと笑った。けれど、その笑顔には、少しだけ寂しさがにじんでいた。

「いつも周りが騒がしくて、誰かの期待に応えるのが当たり前で……でも、桜崎さんと話してるときだけは、なんか、自然でいられるんだ」

「……自然、で……?」

「だから、今日言いたかった。ありがとう。――君の声、すごく、好きだよ」

真帆はその場に立ち尽くした。

胸が、きゅっと鳴る。

その瞬間、何かが変わった気がした。

(好きだよ――)


文化祭は、いよいよ明日。

でも、彼らの「青春祭」は、すでに静かに幕を開けていた。
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