5 / 7
5枚め
しおりを挟む
夫・ブランドンはそれを大仰な素振りで破り捨てました。そんなもの、写しでしかないことは明らかでしょうに。
「過去十数年に及ぶ不正の証拠……。事細かな金銭授受の記載。これなど家系図の改ざんをしておりますね」
この証拠探しは私も精いっぱい協力いたしました。これがステュアートの大望の、足がかりになると信じて。
そう。彼の野望、叙爵についての取引で使用したものとばかり思っておりました。
「このようなこと貴族間では周知の事実でありますが、こうして確たる証拠が出てまいりますと……」
ブランドンには手も足も出ないことを、ステュアートは分かっておいでです。このタイミングですから。
マドラインが公爵家に入り懐妊したというまさに今、これが王家の耳に入ろうものなら、ブランドンの権威失墜は免れません。アリンガム家の命運も尽きるでしょう。
「この私を脅迫しようとは! クアークの家督を継ぎたいならば、ただ私にへつらっておればよいものを!」
「家督? ……もはやそのようなもの、どうでもいいのです。あなたこそ黙って私の要求をお呑みください」
いったんは怒髪天を衝く勢いの夫でしたが、何よりも大事なのは面子であります。
項垂れ、下から彼を睨みつけ、弱々しい言葉を発しました。
「何が望みだ……」
私も今の彼の要求など見当がつきません。固唾を呑んで陰から見守っておりました。
「ヒューズ男爵家の廃絶を」
その言葉に私は目を見開きました。それは──。
「なっ、馬鹿を言うな! 我がアリンガム家嫡男の母の生家だぞ!!」
「それを切り捨てるか、この数多の証拠品を抱いたあなたが水底に沈むか──どちらをお望みで?」
私は唐突に胸が熱くなりました。ステュアートにとってヒューズ男爵家など取るに足らない、目の上の瘤にもならない存在です。
証拠品を精査するなどの、準備のすべては、私のためであった……、そんなふうに思い上がってしまいそうでした。
「分かった……あの家の爵位は返上させる。女も家に返そう……」
「王都からの追放で手を打ちましょう」
「ぐぅ……」
妾のことなど慮る夫ではありません。ただいいように使っていたつもりの若造に出し抜かれ、この上なく忌々しいというだけ。
追い詰めるためにステュアートはなおも語ります。
「勲功を称えられ侯爵位を賜ったのはあなたのお父上であった。才覚も人々を惹きつける眩さも持たないまま、家柄、その中の序列にのみ恵まれたあなたの現実には、同情いたします。しかしあなたは他者を味方に引き込むもっとも大切なものが欠落しておられた」
「何だと……!」
「真心……誠実さが。心を持たない人に人は付いてこない」
「お前に私の何が分かる!!」
「ええ、さっぱり分かりません。どうして奥様を思いやって差し上げなかったのか。この敵だらけの政財界、いつ裏切られようとも知れぬ殺伐とした箱庭で、心を癒せる存在は妻であるあの方のみであったでしょうに」
そう、疑惑・反発はいつだって夫を取り巻いていた。それをステュアートが用立てた金で次から次へと黙らせていただけ。
いつ剥がれてもおかしくないメッキの舞台の上で、夫は踊らされていたのです。
「私は商人とかいう下等な出自の女は」
「ははっ。あの方の生家よりの施しをさんざん貪ったうえで、それをおっしゃるのですか。政略とはいえ、縁あって結ばれた女性ひとり幸せにできないで、何が上流階級の頂点を極めた絶対権力者アリンガム御大でしょうか」
(ステュアート……真剣な眼差し、熱を含んだ声色。誰よりも私の寂しさを理解して心に寄り添ってくれたのが、政務上の取引で結ばれたあなただなんて)
「……あなたのこれまでの所業を顧みていただけたなら、私も骨を折った甲斐があります」
夫の辞書に反省という文字などない。もういいのです。今さら反省されたところで、計画内容を変更する気はありませんもの。
言葉もない夫に、ステュアートは退室を促します。
「さて、閣下。ルシール様とマドライン様、婿君をお連れして玄関ホールへ。門前には名のある新聞社の記者らが朗報を待ちわびております。明後日の紙上で、ジェンクス公爵家次代ご夫妻を祝福するおめでたい記事が、一面を飾ることでしょう」
「ふんっ。いいか。必ず証拠のすべてを火中するのだぞ!」
情けない捨て台詞を吐いて夫は出ていきました。
「過去十数年に及ぶ不正の証拠……。事細かな金銭授受の記載。これなど家系図の改ざんをしておりますね」
この証拠探しは私も精いっぱい協力いたしました。これがステュアートの大望の、足がかりになると信じて。
そう。彼の野望、叙爵についての取引で使用したものとばかり思っておりました。
「このようなこと貴族間では周知の事実でありますが、こうして確たる証拠が出てまいりますと……」
ブランドンには手も足も出ないことを、ステュアートは分かっておいでです。このタイミングですから。
マドラインが公爵家に入り懐妊したというまさに今、これが王家の耳に入ろうものなら、ブランドンの権威失墜は免れません。アリンガム家の命運も尽きるでしょう。
「この私を脅迫しようとは! クアークの家督を継ぎたいならば、ただ私にへつらっておればよいものを!」
「家督? ……もはやそのようなもの、どうでもいいのです。あなたこそ黙って私の要求をお呑みください」
いったんは怒髪天を衝く勢いの夫でしたが、何よりも大事なのは面子であります。
項垂れ、下から彼を睨みつけ、弱々しい言葉を発しました。
「何が望みだ……」
私も今の彼の要求など見当がつきません。固唾を呑んで陰から見守っておりました。
「ヒューズ男爵家の廃絶を」
その言葉に私は目を見開きました。それは──。
「なっ、馬鹿を言うな! 我がアリンガム家嫡男の母の生家だぞ!!」
「それを切り捨てるか、この数多の証拠品を抱いたあなたが水底に沈むか──どちらをお望みで?」
私は唐突に胸が熱くなりました。ステュアートにとってヒューズ男爵家など取るに足らない、目の上の瘤にもならない存在です。
証拠品を精査するなどの、準備のすべては、私のためであった……、そんなふうに思い上がってしまいそうでした。
「分かった……あの家の爵位は返上させる。女も家に返そう……」
「王都からの追放で手を打ちましょう」
「ぐぅ……」
妾のことなど慮る夫ではありません。ただいいように使っていたつもりの若造に出し抜かれ、この上なく忌々しいというだけ。
追い詰めるためにステュアートはなおも語ります。
「勲功を称えられ侯爵位を賜ったのはあなたのお父上であった。才覚も人々を惹きつける眩さも持たないまま、家柄、その中の序列にのみ恵まれたあなたの現実には、同情いたします。しかしあなたは他者を味方に引き込むもっとも大切なものが欠落しておられた」
「何だと……!」
「真心……誠実さが。心を持たない人に人は付いてこない」
「お前に私の何が分かる!!」
「ええ、さっぱり分かりません。どうして奥様を思いやって差し上げなかったのか。この敵だらけの政財界、いつ裏切られようとも知れぬ殺伐とした箱庭で、心を癒せる存在は妻であるあの方のみであったでしょうに」
そう、疑惑・反発はいつだって夫を取り巻いていた。それをステュアートが用立てた金で次から次へと黙らせていただけ。
いつ剥がれてもおかしくないメッキの舞台の上で、夫は踊らされていたのです。
「私は商人とかいう下等な出自の女は」
「ははっ。あの方の生家よりの施しをさんざん貪ったうえで、それをおっしゃるのですか。政略とはいえ、縁あって結ばれた女性ひとり幸せにできないで、何が上流階級の頂点を極めた絶対権力者アリンガム御大でしょうか」
(ステュアート……真剣な眼差し、熱を含んだ声色。誰よりも私の寂しさを理解して心に寄り添ってくれたのが、政務上の取引で結ばれたあなただなんて)
「……あなたのこれまでの所業を顧みていただけたなら、私も骨を折った甲斐があります」
夫の辞書に反省という文字などない。もういいのです。今さら反省されたところで、計画内容を変更する気はありませんもの。
言葉もない夫に、ステュアートは退室を促します。
「さて、閣下。ルシール様とマドライン様、婿君をお連れして玄関ホールへ。門前には名のある新聞社の記者らが朗報を待ちわびております。明後日の紙上で、ジェンクス公爵家次代ご夫妻を祝福するおめでたい記事が、一面を飾ることでしょう」
「ふんっ。いいか。必ず証拠のすべてを火中するのだぞ!」
情けない捨て台詞を吐いて夫は出ていきました。
35
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたので、もうあなたを想うのはやめます
藤原遊
恋愛
王城の舞踏会で、公爵令息から一方的に婚約破棄を告げられた令嬢。
彼の仕事を支えるため領地運営を担ってきたが、婚約者でなくなった以上、その役目を続ける理由はない。
去った先で彼女の能力を正当に評価したのは、軍事を握る王弟辺境伯だった。
想うことをやめた先で、彼女は“対等に必要とされる場所”を手に入れる。
元婚約者様へ――あなたは泣き叫んでいるようですが、私はとても幸せです。
有賀冬馬
恋愛
侯爵令嬢の私は、婚約者である騎士アラン様との結婚を夢見ていた。
けれど彼は、「平凡な令嬢は団長の妻にふさわしくない」と、私を捨ててより高位の令嬢を選ぶ。
絶望に暮れた私が、旅の道中で出会ったのは、国中から恐れられる魔導王様だった。
「君は決して平凡なんかじゃない」
誰も知らない優しい笑顔で、私を大切に扱ってくれる彼。やがて私たちは夫婦になり、数年後。
政争で窮地に陥ったアラン様が、助けを求めて城にやってくる。
玉座の横で微笑む私を見て愕然とする彼に、魔導王様は冷たく一言。
「我が妃を泣かせた罪、覚悟はあるな」
――ああ、アラン様。あなたに捨てられたおかげで、私はこんなに幸せになりました。心から、どうぞお幸せに。
私を捨てた婚約者へ――あなたのおかげで幸せです
有賀冬馬
恋愛
「役立たずは消えろ」
理不尽な理由で婚約を破棄された伯爵令嬢アンナ。
涙の底で彼女を救ったのは、かつて密かに想いを寄せてくれた完璧すぎる男性――
名門貴族、セシル・グラスフィット。
美しさ、強さ、優しさ、すべてを兼ね備えた彼に愛され、
アンナはようやく本当の幸せを手に入れる。
そんな中、落ちぶれた元婚約者が復縁を迫ってくるけれど――
心優しき令嬢が報われ、誰よりも愛される、ざまぁ&スカッと恋愛ファンタジー
婚約破棄寸前、私に何をお望みですか?
みこと。
恋愛
男爵令嬢マチルダが現れてから、王子ベイジルとセシリアの仲はこじれるばかり。
婚約破棄も時間の問題かと危ぶまれる中、ある日王宮から、公爵家のセシリアに呼び出しがかかる。
なんとベイジルが王家の禁術を用い、過去の自分と精神を入れ替えたという。
(つまり今目の前にいる十八歳の王子の中身は、八歳の、私と仲が良かった頃の殿下?)
ベイジルの真意とは。そしてセシリアとの関係はどうなる?
※他サイトにも掲載しています。
婚約者の私には何も買ってはくれないのに妹に好きな物を買い与えるのは酷すぎます。婚約破棄になって清々しているので付き纏わないで
珠宮さくら
恋愛
ゼフィリーヌは、婚約者とその妹に辟易していた。どこに出掛けるにも妹が着いて来ては兄に物を強請るのだ。なのにわがままを言って、婚約者に好きな物を買わせていると思われてしまっていて……。
※全5話。
貴方に私は相応しくない【完結】
迷い人
恋愛
私との将来を求める公爵令息エドウィン・フォスター。
彼は初恋の人で学園入学をきっかけに再会を果たした。
天使のような無邪気な笑みで愛を語り。
彼は私の心を踏みにじる。
私は貴方の都合の良い子にはなれません。
私は貴方に相応しい女にはなれません。
旦那様に「君を愛する気はない」と言い放たれたので、「逃げるのですね?」と言い返したら甘い溺愛が始まりました。
海咲雪
恋愛
結婚式当日、私レシール・リディーアとその夫となるセルト・クルーシアは初めて顔を合わせた。
「君を愛する気はない」
そう旦那様に言い放たれても涙もこぼれなければ、悲しくもなかった。
だからハッキリと私は述べた。たった一文を。
「逃げるのですね?」
誰がどう見ても不敬だが、今は夫と二人きり。
「レシールと向き合って私に何の得がある?」
「可愛い妻がなびくかもしれませんわよ?」
「レシール・リディーア、覚悟していろ」
それは甘い溺愛生活の始まりの言葉。
[登場人物]
レシール・リディーア・・・リディーア公爵家長女。
×
セルト・クルーシア・・・クルーシア公爵家長男。
身勝手な婚約者のために頑張ることはやめました!
風見ゆうみ
恋愛
ロイロン王国の第二王女だった私、セリスティーナが政略結婚することになったのはワガママな第二王子。
彼には前々から愛する人、フェイアンナ様がいて、仕事もせずに彼女と遊んでばかり。
あまりの酷さに怒りをぶつけた次の日のパーティーで、私は彼とフェイアンナ様に殺された……はずなのに、パーティー当日の朝に戻っていました。
政略結婚ではあるけれど、立場は私の国のほうが立場は強いので、お父様とお母様はいつでも戻って来て良いと言ってくれていました。
どうして、あんな人のために私が死ななくちゃならないの?
そう思った私は、王子を野放しにしている両陛下にパーティー会場で失礼な発言をしても良いという承諾を得てから聞いてみた。
「婚約破棄させていただこうと思います」
私の発言に、騒がしかったパーティー会場は一瞬にして静まり返った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる