総指揮官と私の事情

夏目みや

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2巻

2-2

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「……」
「とても迫力があって、あの……素敵でした」

 いつもの総指揮官殿の姿に迫力と厳しさが加わった、周囲の人を圧倒するオーラ。
 そんな姿を見ることができて、私は嬉しかったのだ。
 総指揮官殿は至って冷静な態度のまま口を開いた。

「――怒っている訳ではない」
「え」
「ただ驚いている」
「お、怒ってないんですか……?」
「むしろ喜んでいる」

 喜んでいると言われても、彼は相変わらずのポーカーフェイス。
 彼は椅子から立ち上がると、私の前まで颯爽さっそうと歩いて来た。
 喜んでいるという総指揮官殿の言葉に、嬉しい気持ちと共に恥ずかしくなる。
 くすぐったくて、だけど照れちゃう、そんな感情。
 自然と笑顔になって見つめていると、彼はおもむろに口を開いた。

「――騎士団にそこまで興味があったとは」

 ……え? 今、総指揮官殿はなんて言った? 
 私は総指揮官殿個人に興味はあっても、騎士団にはまったくもって興味などない。そう断言できる。できるけど――

「これを機に、騎士団について知識を深めるのも良いと思う」
「でっ、ですよね!?」

 ぽつりとつぶやいた総指揮官殿に思わず、変な相づちを打ってしまった。私のバカー! でも、静かにうなずく彼を見ていると何も言えなくなる。
 だって、彼は本当に騎士団の仕事に誇りを持っているのだ。なのに、『総指揮官殿の姿に見惚みとれていました』なんて、そんな不埒ふらちな意見を何故言えようか。言えない。恥ずかしすぎる。
 おのれの浅はかな考えを一人反省していると、総指揮官殿は私に何かを差し出してきた。

「――これを」
「な、なんですか? これは……?」

 彼の手にある分厚い本を見て、嫌な予感が湧き上がる。

「これは騎士団の全てが詰まっている書物だ。これには国における騎士団の役割や、過去の功績などが書かれている」

 なにこれ、デジャヴ。
 以前、お互いお薦めの本を紹介し合ったことがあった。あの時も確か騎士団関係の本を三冊ほど渡され、ぜひ読んで欲しいという彼の熱意に負けたのだった。結果、辞書を片手に夜通し頑張ったよ、私は!! 今回もか……

「が、頑張ります」

 総指揮官殿は私の返事を聞き、満足げにうなずいた。そこから書棚に向かい、そこにかけられているカーテンを力いっぱい引いた。
 引いた先から現れたのはズラッと並ぶ本、本、本……

「これらは、騎士団がどのようにして今に至るかが書かれている本ばかりだ」
「そ、そうですか」

 総指揮官殿の声に気が遠くなる。つまり、これを読めということですね、総指揮官殿。

「騎士団には剣技の他に、筆記試験も行っている」

 そ、それが一般人である私に、何の関係があるのでしょうか。

「知識試しとして、受けてみるといい」

 興味なーーい!! けど、そんなこと言えなーーい!! 
 私は、珍しく饒舌じょうぜつな総指揮官殿の瞳を見つめた。ここは勇気を出して断らなければ。せーのっ――

「が、頑張ります……」

 きゃあああーー!! どの口が言ったあぁぁぁ! 
 総指揮官殿の期待を裏切りたくないと思った気持ちをつい言葉にしてしまった私のバカーー! 
 もう引き返せない。
 総指揮官殿から応援されているような熱い眼差しを受け、らしたくなる。
 こうなったら兄上殿も引きずりこんで、一緒に頑張ってもらおう。

「で、では兄上殿と一緒に頑張ります」
「兄には別件を考えている。必要なら自分が教えよう」

 その台詞せりふに、ちょっとドキッとしてしまった。私ってば、なんて調子がいいのだろう。
 そして総指揮官殿は、扉の前で待っていた兄上殿を部屋に招き入れた。

「やぁ! 弟よ! ケイトと愛の密談は終わったかい? そしてやっと私を仲間に入れてくれるのか! 待ちわびたぞ! 扉にくっついて、聞き耳を立てようかと悩んでいたよ!!」

 笑いながら入室してきた兄上殿のテンションは、相変わらず高い。今の私の暗さとは対照的だ。
 そんな兄上殿に、総指揮官殿は冷ややかな視線を投げた。

「久々に稽古けいこの相手をしよう」
「――え」

 その言葉に体を固まらせる兄上殿に向かって、総指揮官殿は続けた。

「体もにぶっているだろう。――それだけでなく、心も」

 総指揮官殿に言われ、事態を察した兄上殿の声が凍り付く。

「いや、私は剣を持つ実践派ではなくて、どちらかといえば頭脳派だから遠慮したいかなーって」

 どことなく逃げ腰になる兄上殿。その背後に、総指揮官殿が俊敏しゅんびんに回った。
 そして兄上殿の襟首を掴んだかと思えば、有無を言わさず部屋の外へと連行する。

「ま、待ってくれ! 弟に強引に引っ張られるという図は、すごく喜ばしいことだが、ちょっと遠慮したい!!」
「……」
「私の足腰が立たなくなるっ!」
「……」
「やめてくれぇぇぇぇー!!」

 廊下からまるで断末魔のような悲鳴が聞こえ、やがて消えた。
 これから地獄の稽古を受けるのだろう、多分……
 見に行こうかと思ったけれど、さっきの練習風景からも想像がつく。総指揮官殿はきっと容赦ようしゃないだろう。兄上殿のプライドもあるだろうし、うん、そっとしておこう。
 それに人のことを気にしている場合じゃない。
 私は書棚一杯に詰め込まれた本を見て、深いため息をつき、がっくり肩を落とした。
 筆記試験か……勉強なんて大嫌いだー!
 この試験が、これから私の何かに役立つのかなぁ……。どこか遠い目をしながら、屋敷に帰るとすぐさま机に向かった私だった。



   2 総指揮官殿の決意


 数日前より、自分は任務で地方へ出張している。
 滞在期間は二週間ほどの予定だ。
 この地方は朝晩の寒暖の差が激しい。日が沈む頃には、吐息までが白くなるので、厚手の上着が必要だ。体調を崩さぬように注意しなければ。
 日が落ちると同時に早めの夕食をとる。寒い地方ならではの貯蔵方法で格段と美味になった酒を味わい、温かい料理に舌鼓したつづみを打った後、自室に戻った。テーブルに、食堂から持ち帰ったブランデーのボトルとグラスを置く。
 この地方の夜は長く、やけに一日が長く感じられる。考え事をする時間がたくさんあるということで、自分は精神統一のため、椅子に腰かけたまま目を閉じた。
 彼女は今頃、何をしているのだろうか。
 目を閉じれば、浮かんでくるのは彼女のことばかり。精神統一などできそうにない。
 少し、酔ったか――
 いつもより度数の高い酒を飲んでいるせいだろうか。味は格別だが、一人で飲む酒はなんだか味気なかった。やはりいつもの彼女の声が聞こえないと物足りない。
 それに一人だと、自然と酒を飲むペースが早くなる。自重しなければ明日に響いてしまう。そう思いながら、最後の一杯にしようと心に決め、グラスにブランデーをそそいだ。
 バルコニーへと足を向け、そこから外を眺める。力強い木々が立ち並ぶ雄大な景色を見ると、おのれの存在の小ささを実感する。
 自分の吐く息だけが感じられる自然の中、目を閉じて五感を研ぎ澄まし、しばし立ち尽くす。
 ふと人の気配を感じてバルコニーから部屋に戻ると、足音が聞こえてきた。
 その足音の主は扉の前で止まり、入室の許可を得るため、ノックをした。このノックの仕方は、レスターに違いない。
 部屋に入ってきたレスターは寒いからか、頬と鼻の頭を赤くさせていた。

「総指揮官殿へお届け物です」

 レスターが自分に書類のたばを手渡す。その中に気になる物を見つけた。

「………」

 茶色の封筒と分厚い書類に混じる、一通の封筒。その薄い桃色の封筒に包まれた手紙の宛先は自分となっている。
 自分は思わずそれを凝視ぎょうししてしまった。
 レスターはそんな自分の様子に気付かないまま胸元から手帳を取り出し、明日の日程を一通り説明すると部屋を去った。
 一人になると、真っ先に手にしたのは薄い桃色の封筒。
 机の引き出しから小形ナイフを取り出し、中を傷つけないよう慎重に封を開ける。
 中には封筒と同じ薄い桃色の便箋びんせんが、二つ折りにされて入っていた。

『拝啓 総指揮官殿』

 そこから始まる文章を目で追う。

『お元気ですか? 総指揮官殿がここを離れて、数日が経ちました。そちらは寒さが厳しい場所だと聞いています』

 丁寧に書かれた文字を見て、自然と顔がほころぶ。

『こっちも最近は雨の日や曇りの日が多く、朝晩は風が肌に冷たく感じます。だけど、こう寒く感じるのは、天気のせいだけではないと思います。いつも隣にいる総指揮官殿がいないから――』

 最後の文章を読んだ瞬間、心臓が大きな音を立てた。
 自分もまさに、壮大な自然の景色を前にして何かが足りないと感じていたのだ。
 どんなに綺麗な景色も、一人で見るより二人で見た方が感動も倍になるはず。
 彼女も同じ気持ちだったのだと思うと、離れていてもつながっているような気がしてくる。
 綺麗な彼女の文字を指でそっとなぞりながらも、先を読み進める。

『何かが物足りなく、寂しく感じてしまう毎日です。いつ頃お戻りになられますか? あと何日寝たら、あなたに会えるのでしょうか?』

 こんなに正直に気持ちをぶつけられるのは初めてなので、照れてしまうが、それ以上に嬉しさがこみ上げる。
 これはやはり、口づけを交わしたあの日をさかいに、今までの関係から一歩前進したととらえていいのだろうか。
 優しくするつもりが、彼女がいとしいあまり、その柔らかな唇に触れた瞬間、たがが外れた。思わず彼女の口中に押し入ると、彼女もそれに応えようとしてくれたので余計にだ。
 呼吸を荒くした彼女がその場にへたりこんだ瞬間、我に返った。
 そんな自分がいなくて寂しいと言ってくれた彼女のもとに、早く帰りたいと思う。声だけでも聞きたい。
 だけど、今はそれすら叶わないので、まずは自分の安否を伝えたいと思う。

『総指揮官殿のお帰りを、首を長くして待っています』

 急いで返事を書かなくては――
 はやる気持ちを抑え、手紙の最後まで目を通す。


『お返事待ってます――あなたの兄エディアルドより』


「……」

 便箋びんせんの最後に書かれたその名を見た瞬間、床に手紙を叩きつけた。


   * * *


 数日前から総指揮官殿はお仕事で地方にいるので、ひとりで食堂へと向かう。
 総指揮官殿としてはその間は送迎ができないため、仕事を休んで欲しそうな雰囲気を出していたけど……そんなに何週間も休めますか! まったくもってどこまで心配性なのか、総指揮官殿は。いつまでたっても私を子ども扱いする彼を、苦笑しながら見送った。
 そうして一人歩く道のり。見慣れた景色の道の真ん中に、いつもと違うものを見つけて立ち止まる。

「…………」

 落ちているのだ、人が――
 正確には倒れていると言うのかもしれない。その人物は仰向あおむけになって目を閉じていた。
 恐る恐る近づいて様子を見ると、胸が上下している。良かった。息はしているので、どうやら生きているようだ。

「あの……」

 こんなところで寝ていると危ないですよ、と声をかけてみる。

「腹……減った」

 小さな声でつぶやくのは、若く、身なりのいい少年だ。そのまま放置はしておけず、自分のカバンの中をあさった。
 確か、おやつとして持って来ていた焼き菓子があったはず。

「これ……」

 おずおずと私が差し出すと、少年は急に起き上がり、そのままがっついて一気に食べた。
 あまりの食べっぷりに私は驚いたけど、そのまま放ってはおけず食堂に連れて行き、お腹いっぱいになるまでご飯を食べさせた。


 それから数日後――

「このケーキ美味おいしそう! それにとってもいい香り」
「どうぞ、召し上がれ」

 食堂に来てくれたのはアルビラ。私の小さなお友達で、まだ八歳の少女だ。
 総指揮官殿のことが大好きな彼女は、最初私にライバル宣言したのだけど、いまではすっかり仲良しになった。可愛い服で身を包み、身だしなみにも気を遣う、女子力抜群の貴族のお嬢様だ。お供の人を引き連れて、よく食堂に遊びに来てくれる。
 そのアルビラに、おかみさん特製のシフォンケーキといつも飲んでいるヤデーミルクを出していると、来客を告げるベルが鳴り響いた。

「ケイト、来たぞ!」
「あら」

 元気に食堂に顔を出したのは、先日道で倒れていた少年、マルセルだった。
 あれから、彼は頻繁ひんぱんに食堂に通ってくるようになった。
 マルセルは十五歳。身長は、私とそう変わらないけど……少しだけマルセルの方が高いかな? 
 さらさらな茶色の髪に緑の瞳を持つ、見目みめうるわしい少年だ。青年と言っていいのかもしれないけど、少年って感じの方が強い。まだ子供らしさがどことなく残る顔立ちだからだろう。
 若いだけあって、物おじせずに思うがまま行動する。いや、これは性格もあるかもしれないけどね。

「外出するにも、いつも誰かしら付いてくるからよー。今日はまいてやったぜ!!」

 普通の家庭では、マルセルぐらい大きな息子にお供なんてつかない。身なりもいいし、本人は明かしてないけど、きっと良家の子息だと思う。
 何でも最近、家の教育の厳しさが嫌になったらしい。それまで大人しくしていたのがバカらしくなり、外に出たいと思うようになったという。
 それであの日も屋敷を抜け出したものの、まんまとバレて追跡されていたらしい。
 それを上手くまくため、慣れない街並みを走り回り、ついには道端で力尽きたということだった。

「そんなことしてまた倒れたら、まぬけだわ」
「うるさい、おチビ」

 アルビラはマルセルにおでこを軽く指ではじかれ、のけぞる。
 それからすぐにマルセルは私に向き直った。

「ところで、ケイト。いつ暇になるなんだ?」
「私?」

 マルセルは期待を込めた目で私を見つめている。

「えっと……次の休みは三日後だけど、部屋の掃除もしたいし、読みたい本もあって――」
「そんなこと後回しにして、俺と――ぐあああっ!?」

 マルセルは、アルビラから足蹴あしげりという反撃を食らった。すねに当たったようで、その場にしゃがみ込みもだえている。

「何するんだ、おチビ!」
「レディに向かって失礼しちゃうわね」

 アルビラは少々赤くなったおでこをさすりながら、鼻息荒く文句を言う。

「誰がレディだ。いつも会うたび、ヤデーミルクを飲んでるお子様じゃないか」
「これは将来のためだもん!」
「本当のレディなら、こんな足蹴りなんてしないんだ!」

 マルセルとアルビラは、いつの間にかケンカ友達みたいになっていた。おかげで最近店はにぎやかだ。

「マルセルはおバカさんだわ。勝手に屋敷を抜け出してお金を落とした挙句、迷子になるなんて。ケイトに拾われなきゃ、のたれ死ぬところだったじゃない」
「うるさい、おチビに男のロマンがわかってたまるか! 男には自由になりたい時があるんだ」
「ケイトもケイトで放っておけば良かったのに!」
「ケイトはすごく優しいんだ。おチビとは違うんだー!」

 この二人はいつもこんな感じ。言いたいことを言い合って、毎回ぶつかっている。だけど何故か微笑ましく見えるのは、気のせいではないわよね。

「そんなことよりケイト。お礼をしたいから、俺の屋敷に遊びに来ないか?」

 マルセルが言うお礼とは、道端に倒れていた時、お菓子をあげたことなのだろう。

「お礼なんていいから気にしないで」
「いや、だってよー」

 本当に大したことはしていないので、気にすることはないと思う。
 だけど、歳の割に律儀なマルセルはどこか納得していない様子だったので、一つ提案をしてみた。

「そうね。そんなに気にするなら、この食堂でご飯を食べて売り上げに貢献してちょうだい」

 それでマルセルの気が済むのなら、十分じゃないかしら。我ながらいい案だと思い、笑顔で口にする。

「おっ、おう!」

 すぐに顔を真っ赤にして、照れて張り切るマルセルは可愛い。

「じゃあ、この店のメニューを全部、端から端まで持って来てくれ!」
「マルセル頼みすぎ!!」

 するどく突っ込むアルビラの声が響いた。
 それからアルビラはお昼寝の時間だからと、お供の人に連れられて帰っていった。
 夕方頃になり、私の勤務が終わる。
 屋敷に帰ろうと食堂の外に出たところで、声がかかる。
 すでに店を出ていたマルセルが、入り口の側に立っていた。

「ケイト!」
「マルセル? どうしたの? 何か忘れ物?」
「いや、忘れ物というか……」

 夕焼けを浴びているせいかマルセルの顔はほのかに赤い。私の視線を受け止めたマルセルは、しどろもどろになった。しばらく下を向いていたが、意を決したように顔を上げた。

「この間のこと、ちゃんとお礼がしたくて……でも店にはいつもおチビとかいるし、二人になれる時ってないだろ? だから今日は送るよ! ケイトの家まで」
「大丈夫よ、外はまだ明るいし」
「違う! 俺が知りたいんだ。ケイトの住んでるとことか――」

 そこまで言ってマルセルは、口を手で押さえてハッとした様子だった。
 夕日を浴びて赤かった顔がますます赤くなる。つい完熟トマトを連想してしまった。

「べ、別に、追いかけ回そうとか、そんなんじゃないけど!!」

 慌てて弁解をするマルセルに、思わず笑ってしまう。

「じゃあ、せっかくだから送ってもらうわ」

 そんなに遠くもないし、マルセルが帰る頃でもまだ日は暮れていないだろう。私はそう判断した。
 帰り道、私達は、好きな食べ物や取り留めもない話で盛り上がった。
 しばらくして、目的地にたどり着く。

「ここは……」

 総指揮官殿の屋敷を見て、マルセルが声を失った。

「あ、ごめんね。驚かせちゃったかな。先に言っておけば良かったね」

 どうみたって私みたいな庶民が豪華なお屋敷に帰ったら、不思議に思うはずだわ。

「実は事情があって、このお屋敷のお世話になっているのよ」
「この屋敷は――」
「私がお世話になっている人のよ。アリオス・ランバートンさん。騎士団をたばねる総指揮官殿よ」

 その瞬間、マルセルが額に手を当ててよろめいた。

「嘘だろ……」
「……? 本当よ?」

 何が嘘だと言うのだろうか。マルセルはそのままその場に頭をかかえてしゃがみ込んだ。

「――落ち着け俺、落ち着け……」

 そんな言葉を念仏のように繰り返すマルセルを見て、私は首をかしげてしまった。しばらくすると、マルセルは顔を急に上げる。

「ケイト、こんなこと聞くのもあれだけど、毎日辛くないか?」

 辛い? マルセルは何を辛いと言うのだろう。
 総指揮官殿が良くしてくれるから、ここでの生活に不自由さは感じていない。
 むしろ優しすぎる対応で、たまに過保護だと感じてしまうほどだ。私のことをすごく病弱とか幼い子供かと、勘違いしていませんか? と聞きたくなるぐらい、大事にしてくれる。まるでどこかのお姫様にでもなったみたいな待遇に、最初は照れたけれど、今は慣れていた。こんなことを思う私は贅沢者なのだろう。

「大丈夫だから、俺には本当のことを言って!!」
「そうね……」

 真剣な顔で熱い眼差しを向けてくるマルセルに、ついつい考え込んでしまう。
 ここ最近は総指揮官殿が地方に行ってしまって、寂しい。
 一緒にいても特に話す人ではないけれど、同じ部屋にいるのといないのとでは違う。朝晩の食事も一人でとるのは味気なくて、なんだかいつもより食が進まない。
 だけど、お屋敷の皆に心配をかける訳にもいかないので、元気に振る舞っていた。
 お手紙でも書こうかと思ったけど、なおさら会いたくなるといけないから我慢している。
 それに早く帰って来て欲しいなんて、そんなことを伝えたら、総指揮官殿もその重さにうんざりするだろうから。
 困らせちゃいけない――胸に閉じ込めていた想いと総指揮官殿の顔を急に思い出して、シュンとしてしまう。
 マルセルは私の曇った顔を見て叫んだ。

「やっぱりな。なんて健気けなげなんだ、ちくしょー! 可愛いぞ! ケイトめ! 年上なのにしっかりしているようで、どこか抜けているところが特に……そうだよな、あの鬼とか冷血漢とか言われている人物と一緒に暮らしているんだ。毎日が針のむしろで苦しいと思うんだ。たまに顔を合わせる時があるけど、俺だって怖い……いや、苦手だしな。そんな相手から、誰かがケイトを助け出してやらないとな。その役目はもちろん俺だろ! ……そうだよな! ケイトもそう思うよな!!」

 マルセルの言葉は早口だったので、よく聞き取れなかったけど、きっと私の寂しいという気持ちに同意してくれたのだろう。
 年下なのに、なんて優しくてしっかりした子なの! こんな顔して心配かけてはいけないと、私はすぐに笑顔を作る。それに、もうすぐ彼も帰ってくるはずだし、悩みもやがて解決するだろう。

「でも、大丈夫よ。お屋敷の皆も優しいし」

 留守を頼むと言って出かけた総指揮官殿の手前、寂しいなんて言えない。総指揮官殿と約束したもの。留守は任せてくださいって。さあ、ここは気合を入れなくては!
 幸いお屋敷には、メイド兼友達のアデルも、子猫のマールもいる。食堂に行けば、おかみさんとおじさん、それにアルビラもよく遊びに来てくれる。
 それに兄上殿だって心配して顔を見に来てくれるし、最近じゃ、マルセルという新しいお友達もできたしね。

「ありがとう、マルセル」

 お礼を言うと、マルセルは照れた様子で鼻をかいた。

「良ければ、お屋敷に寄って紅茶でも飲んでいかない?」

 アデルのれてくれる紅茶は美味おいしい。それに一杯ぐらいなら、まだ日も落ちないだろう。


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