逃げて、恋して、捕まえた

紅城真琴

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恋をしたのは御曹司

急接近①

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平石物産に就職してひと月が過ぎた。
仕事にも職場の仲間にも慣れて楽しく働かせてもらっているから、今の生活に不満はない。
ただ、あえて言うなら毎日のようにしつこくかかってくる蓮人と奏多さんからの電話やメールが悩みの種。

「芽衣ちゃん、何で髪を切ったの?」
「えっと、それは」
仕事の合間、藍さんに聞かれ答えに困った。

まあね、若い女の子がいきなりショートカットにすれば気になって当然。
失恋かなって思うのが普通だろう。

会社のパーティーのあと偶然街で会った蓮斗に絡まれた。
復縁を迫られ、髪を鷲摑みされ、思いっきり引っ張られた。
その痛みは当分の間消えることがなくて、痛みのたびに蓮斗を思い出す。
忘れかけていた嫌な思い出がよみがえってくるようで、私は髪の毛をバッサリと切った。
少し肩を超えるくらいだった長さからショートカットへの変身。
いくら務めて間がない会社の同僚にでもこうもあからさまな変化は気づかれてしまって、数日間は質問責めにされた。

「パーティーの日、何かあったの?」
「え?」

本当に、藍さんって勘が鋭い。
本人はそんなつもりはないのかもしれないけれど、こんな風に的を射たことを聞かれると困ってしまう。

「ちょうどあの頃から芽衣ちゃんの様子がおかしいじゃない」
「そうですか?」
「元気がないな、悩みごとかなって思ってたら、いきなり髪をバッサリでしょ。そりゃあ何かあったのかって思うわよ」

いっそのこと、蓮斗のことも奏多さんのことも話してしまったらどれだけ気が楽になるだろう。
でも、今はまだ言えない。

「まさか轟課長に何かされてないわよね?」
「ええ、違います」

どうやら藍さんは誤解しているらしい。
それにしても、轟課長はどれだけ酒癖が悪いのかそれともよほどの前科があるのか、藍さんは完全に疑っている。

「轟課長って、今は少し酒癖が悪いだけのただのおじさんだけど、昔はすごかったらしいわ」
「すごいって」
聞くのが怖いなって思いながら、つい聞き返してしまった。

「もともとHIRAISIの部長職まで行った人なんだけれど酒癖と女癖が悪くてね、ここに来たのは左遷。当時の部下との不倫関係が奥さんにバレて騒ぎになったんですって」
「へえー」
今の課長からは想像できない。

「小倉君」
「は、はい」

藍さんと話をしていたらちょうど課長に呼ばれ、慌てて私は立ち上がった。

「ちょっといいかね」
そう言った課長は会議室の方を指さしている。

断る理由もない私は、課長を追うように会議室へと向かった。

***

まあ座ってくれと席を勧められ、課長と机を挟んで座った。

「どうかね、仕事には慣れたかね?」
「ええ、皆さん良くしてくださいますから」
「そうか、それはよかった」

その後、他愛もない雑談をしばらくした。
途中から何か話があるんだろうなと気がづいたけれど、何も聞けないまま私は課長の話に相槌を打っていた。

「ところで、小倉君」
「はい」

それまでとは違ったまじめな声に、私も課長を見る。

「君に部署異動をしてもらいたいんだ」
「えっ、異動ですか?」

まず、驚いた。
次に、私何かしたっけと考えた。
でも、心当たりはない。

「君に問題があって異動させるわけじゃないんだ」
私の表情が変わったのを見て課長が慌てている。

「じゃあどうしてですか?」

入社してたった一ヶ月。
よほどのことがない限り異動なんておかしい。

「実は秘書課に人手が足りなくてね」

ああ。
そういえば、秘書が急に辞めたって聞いた。
確かうちのメインバンクの頭取のお嬢様で、やたらと派手な人だったらしい。
何か大きなミスをして辞めたとか、どこかの社長と結婚するために辞めたとか、奏多さんが虐めて追い出したとか、噂は尽きないけれど本当のことはわからない。

「君に、秘書課へ行ってもらいたいんだ」
「え?」
私は、自分の耳を疑った。

「なぜですか?」

こんな大企業の秘書課なら希望者はいくらでもいるはずだし、素性の分からない臨時職員を入れるなんて絶対におかしい。

「急なことで新しく人を入れる時間がないうえに、希望者もなくてね」

社内から聞こえてくる海外帰りの御曹司への噂は様々。
見た目もいいし、仕事もできるし、家柄だって文句なし。理想の王子様だっていう反面、冷たくて、仕事に厳しい人だって評判も多い。

「私も嫌ですけれど」
この際だからと主張してみた。

みんなとは違う意味で、秘書課には行きたくない。
秘書課に行けば奏多さんに近づくことになってしまう。
それだけは、避けたい。

「すまないが、断れないんだ」
申し訳なさそうに、課長が辞令を差し出した。

「どうしてですか?」

辞令には私の名前があって、配属先は秘書課となっている。
ってことは、すでに辞令は出てしまっていて今更なかったことにはできないかもしれないけれど、いくら何でも一方的すぎる。

「田代秘書課長がどうしても君をって言うんだ」
「田代秘書課長?」

ああ、この間脚立から落ちそうになったところを助けてくれた人。すごく厳しそうな人だった。

「どこで君のことを知ったのか、すごく乗り気でね」
「それでも」
課長が止めてくれればいいのに。

「本当は僕も君を手放したくはないんだがね。僕自身色々と弱みがあって、どうにもできないんだ」
「・・・課長」

その辛そうな課長の言葉に、何も言えなくなった。
本社のエリートだった課長がここに来た事情を思えば、強気で突っぱねることはできなかったんだろう。

「申し訳ないが行ってくれ」

「わかりました」
そう答えるしかなかった。
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