逃げて、恋して、捕まえた

紅城真琴

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出会いはシンガポール

旅の思い出②

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「じゃあどこから行こうか?」
「そうですねぇ・・・」

いざ観光となると、迷ってしまう。

「シンガポールといえばマーライオンかな」
「ああ、なるほど」

泊まっているホテルによって着替えを済まし、私たちはもう一度マリーナベイの前に立っていた。

「タクシーで行こうか?それとも」
「歩きたいです」

久しぶりに甘いものをたくさん食べて、朝からお腹いっぱい。
それに天気も晴天、こんな日は歩きたい。

「20分ぐらいかかるけれど大丈夫?」
「大丈夫です。そのために歩きやすい靴を選びましたから」
日本から持ってきたスニーカーを見せた。

「すごい、やる気だね」

せっかく訪れたシンガポール。
どうせなら満喫したい思いは私も一緒。
奏多さんに便乗して私も今日1日楽しむことにしよう。

「さあ、行こうか」
「はい」


がんばって歩いたせいか20分かからずにマーライオンに到着した。

「どう?」

きっとマーライオンの感想を聞かれたんだと思う。
それに対して私は
「なんか、ちっちゃ」
失礼な言葉を返してしまった。

だって、マーライオンはシンガポールのシンボル。
テレビにも旅行雑誌にも必ず写っているし、もっと大きくて壮大なものを想像していた。

「現実なんてそんなもんだよ」
奏多さんはクスクスと私の反応を楽しんでいる。

「写真撮る?」
「いいえ」

想像とあまりにも違って、写真を撮ろうって気にはなれない。
それに、たまたま知り合った奏多さんとの写真なんて残すわけにはいかない。

***

その後初めてシンガポールの地下鉄に乗り訪れたのはチャイナタウン。

まず向かったのはスリ・マリアマン寺院。
ここはヒンドゥー教の寺院。
とても細かい作り物がたくさん飾られた建物に目を奪われた。

「すごく、かわいい」
寺院全体を見渡せる場所で、私は足を止めた。

ここは商業施設でも観光客のために作ったものでもない。
ここに住む人たちの祈りの場。
そう思うからこそ神秘的で、美しい。

「おいで」
完全に足の止まった私の手を引き、奏多さんが寺院の中へと入って行く。

靴を脱ぎ、熱くなった床に驚きながら
「見てごらん」
そう言って顔を上げた奏多さんと同じようにアーチ状になった天井を見上げる。

「うわあぁ」
今度こそ息を飲んだ。

手の込んだ装飾を施した天井は、本当に美しい。

「マーライオンの時とは反応が違うな」
「それは・・・」

マーライオンをけなすつもりはない。
シンガポールらしくて、見ただけでシンガポールに来たのを実感できた。
でも、私はここが好き。
この場所になら一日いられる。
差し込むお日様の日を受けてキラキラと輝く寺院を見ながら、シンガポールに来てよかったと思えた。

「せっかくだから、パゴダストリートへ行ってみようか」

パゴダストリートはスリ・マリアマン寺院から続く参道沿いに広がる露店の通り。
そこにはチープでかわいい土産物屋さんがたくさんあり、見ているだけでとっても楽しい。

「こういうの日本の女の子は好きだよね」
店先に並んだ小物を手に奏多さんが微妙な表情をした。

「好きですよ。だってかわいいじゃないですか」
「でも、実際使わないだろ?」
「それは・・・」

こうやって店先に並んだ小物を見ているとかわいくてつい買いたくなるけれど、日本に帰ってから使うことは少ないだろう。
今だけだとわかってはいる。
それでもかわいいものを見れば、テンションは上がってしまう。

「お土産買わないの?」
店先の品物を見ながら、購入する様子のない私に奏多さんは不思議そうな顔をした。

「私、誰にも言わずにシンガポールに来たんです」
「へえ。でも会社の友達には?」
「会社も先月末で辞めたので」
今の私はお土産を買う相手もいない。

「一人旅か、すごいな」
「そんなことありません」
私はただ逃げてきただけだ。

「写真を撮ってあげるよ」
私から数歩離れた奏多さんが、携帯を構える。

色鮮やかな雑貨と、頭上にぶら下がる赤と黄色の提灯をバックに私はピースをして見せた。

***

大分歩いたところでおなかも空いてきて、ちょうどランチタイム。
メニューは迷うことなくチキンライスに決まった。
向かったのは「マックスウェルフードセンター」。
とっても景色のいい屋台で、たまたまマリーナベイも見えて、いい気分でランチをいただくことができた。

「今度は食べ切ったね」
朝のことを思い出してか、奏多さんに笑われた。

「すみません。でも、あれはクリームが多すぎて」
「頼んだのは芽衣」
「あぁ、そうですね」

芽衣って呼ばれたことに動揺している私。
バカだな、私の顔は今真っ赤だ。

「どうしたの?」
うつ向いてしまった私を奏多さんがのぞき込む。

「別にどうもしませんけれど・・・奏多さんっていくつですか?」
「27歳だけど、どうしたの突然」
「だって、私なんだか子ども扱いされているようで・・・」
「そんなことないよ。子供相手に寝ないだろ」
「あ、あぁ」
それは口に出さないでほしい。

その後も会話は奏多さんペースで進み、楽しく笑いあいながらランチをいただいた。

***

午後からはガーデンズバイザベイへ。
ここはシンガポールが誇る巨大植物園。
人工木スーパーツリーグローブの上に架けられた橋を渡ったり、世界最大のガラス温室施設を巡ったり、その中でも35mの人口滝が絶景で時間を忘れて楽しんだ。
高山植物や食虫植物、カラフルな花の展示を見ながら私はとても穏やかな気持ちになっていた。

「大丈夫、疲れてない?」
「平気です。とっても楽しい」

これは正直な気持ち。
私は今幸せだ。
この幸せに慣れてはいけないと分かっているのに、欲望に負けそうな自分がいる。
奏多さんはきっとエリートでお金持ちで私なんかとは住む世界が違う人。たまたま出会ってしまったから今こうしているだけの関係。
わかっているはずなのに・・・

「どうしたの、元気がないよ」
二歩ほど前を歩いていた奏多さんが足を止めて振り向いた。

「あんまり楽しすぎて、今日が終わるのがもったいない」
感情が溢れそうになってつい口にしてしまった。

自分で言っておいて恥ずかしくなり足元に視線を落とした私に、奏多さんはゆっくりと近づいてきて、クシャッと私の頭を撫でた。

この人はもしかしてすごく遊びなれているのか、それとも天然なのか、どちらにしても心臓に悪い。
ただでさえかなり外見がいいのに、こんなに優しくされたら世の中の女子のほとんどは誤解するだろう。罪な男だわ。

「どうする?夕食はホテルに帰ってレストランで食べる?」
「そうですねえぇ」

マリーナベイのレストランで夜景を見ながらおいしい料理。
普段の私から思えば夢みたいなディナーだけれど、これ以上夢を見たら現実に戻れない気がする。
それに、

「あの・・・実はもう1つ食べたいものがあるんです」
「なに?」
首を傾げながら、奏多さんの顔が近ずく。

だから、近い。
無意識なのか意図的なのか、奏多さんとの距離がどんどん近くなっている。

「チリクラブが食べたいんです」
「チリクラブかあ」

チリクラブは、カニをチリソースで炒めたシンガポール料理で、いわばエビチリのカニバージョン。シンガポールにいる間に一度食べたいと思っていた。
でも、何しろカニがどんって出てくるから一人分っていうのが頼みにくい。
もちろん探せば一人前のチリクラブもあるんだろうけれど、豪快にお皿に乗ったソースたっぷりのチリクラブとは違う。

「チリクラブなら『ジャンボシーフード』かな」
「ええ」

そこはチリクラブの有名店。高級店ではないけれど、人気の店。

「ずいぶん安上がりなデートだけれど、いいの?」
「はい」

それに、これはデートじゃない。
ただ、
「今からじゃ予約は無理ですかね」
ネットの情報ではかなり人気があって予約しないといい席は取れないらしい。

「それは何とかするよ。だてに地元に住んでいるわけじゃない」
「ありがとうございます」
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