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四章 新しい仲間たちの始まり

グリおじさんの、昔語り

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 安全地帯セーフルームは、迷宮ダンジョン内で魔獣の脅威を気にすることなく休憩を取れる場所である。

 壁から天井まですべて岩を積み上げて作られた部屋で、中には何もない。
 過去には快適に過ごせるように様々な備品を持ち込んだ冒険者もいたらしいが、人の気配が無くなった時点で全て撤去されて、何もない空間に戻されてしまったそうだ。
 占有は許されないと言うことだろう。

 入り口は青銅製の大扉があるだけ。
 それほど堅固な扉には見えないが、ダンジョンの入り口などと同じで魔道具になっている。冒険者とその従魔以外が入り込むことは絶対になかった。

 ただ、安全地帯セーフルームという呼び名の通りに、絶対に安全かと言われると疑問は残る。

 安全地帯セーフルームは広い。
 一度に数十人の人間が入れ、酒場の大広間ホールとしても使えそうなほどに広くなっていた。

 これはもちろん、先に述べた占有は許されないと言うことからも察せる通り、複数の冒険者パーティーが同時に入って共用するためだ。

 つまるところ、共用する以上は魔獣の脅威はないとしても、同じ冒険者の……人間の脅威からは逃げられない。
 安全地帯セーフルームとは言っても、絶対に安全な場所という訳ではないのだった。

 「ふう、人心地ついたな」

 クリストフは大きく息を吐いてから呟いた。

 望郷と従魔たちは、安全地帯セーフルームの中にいた。
 安全地帯セーフルームの中にいるのは彼らだけだ。

 それも当然だろう。
 望郷は易々と、それもたった一日で三十層を超えて来たが、普通の冒険者にはここまで到達することすら難しい。
 一握りの冒険者だけが来れる場所なのだ。他の冒険者と滞在が重なることが珍しい。

 グリおじさんにはバカにされっぱなしだが、望郷とてAランクのパーティーである。さらにグリおじさんに鍛えられ、今では他のAランク冒険者と比較しても頭一つ飛び抜けた実力を持っている。

 それに加えて、ロアから譲られた魔法薬の数々のおかげで、連戦しても疲れすら感じずに済む。

 なにより、望郷には心の支えがあった。
 本人たちは絶対に認めないだろうが、強力な魔獣であるグリおじさんと双子の魔狼ルーとフィーが同行しているという安心感から、心理的に余裕が生まれていた。

 ダンジョンの中は敵だらけ。
 精神的な疲弊も激しく、深く潜るほどに実力が出せなくなっていく。
 望郷は従魔たちがいるという安心感から精神的な疲弊も無いに等しく、それだけで他の冒険者よりも優位に立っていた。

 「はい、お茶」
 「お、すまない」

 コルネリアに木製のコップを差し出され、クリストフは受け取ってそれをすすった。

 彼らは今、食事を終えたところだった。
 通路の罠や魔獣を排除した双子に先導されて安全地帯セーフルームに入った後、すぐに食事となった。

 食事と言っても火を起こして簡単なスープを作り、携行食料を齧っただけだ。
 ロアがいないため質素な食事となっているが、ここまでの旅でも同じだったので文句を言う者はいない。

 ちなみに、ダンジョンは閉ざされている空間だが、火を使っても問題ない。
 どのような方法なのかは分からないが、常に新鮮な空気が行き渡っていた。それはダンジョンより狭く密室に近い安全地帯セーフルームでも同じだ。
 安全地帯セーフルームの床には、残留物こそないが、いたるところに焚火をした焦げ跡が残っている。

 「……で、人心地ついたところで、聞きたいんだが。グリーダー?」
 「なんだ?」

 ディートリヒの身体を使っているグリおじさんが答える。
 応急的に付けられた名前だが、グリーダーと呼ばれるのに違和感なく対応していた。

 グリーダーは黒い鎧を脱いで、腕を枕に横に寝そべっている。
 色々な寝方を試したが、それが一番楽だったらしい。

 「あの時は混乱していて聞き流したが……。あんた、二本足はとか言ってなかったか?」
 「ふむ」

 クリストフの言葉に、グリーダーが眉を跳ね上げる。
 その睨むような視線に、クリストフの心臓が高鳴った。

 ディートリヒの顔立ちと変わりないのに、常に据えたような目つきは間違いなくグリおじさんのものだ。

 「チャラいのの癖に、耳聡いではないか。確かに我はチェンジリングの罠にかかるのは二度目だ」
 「やっぱりか!それでチェンジリングに詳しかったんだな?」
 「その通りだ」

 クリストフは話すのを渋られるかと思っていたが、グリーダーはあっさりと認めた。

 「前の時は、どうやって元に戻ったんだ?」

 クリストフが問い掛けた本題はこれである。
 今のところ、グリおじさんとディートリヒが入れ替わりから元に戻る手段は見つかっていない。
 いや、一応は元に戻れるものの、今のところ実現不可能な物ばかりだ。

 クリストフはせめて元に戻す手がかりでもないかと、藁にも縋る思いで昔の話を聞き出したかったのだ。

 「以前に入れ替わったバカ娘は、寝坊助よりも数段上の脳筋バカであったのでな。我の身体の動かし方を瞬時に覚え、我が本能で操る魔法をわずかな間で理解して魔力切れまで放ちまくった。バカ笑いをしながら魔法を放ち続ける姿は、まさに狂気であったぞ」
 「そうか……」

 話の内容からして、入れ替わった二人の魔力を使い切るという、正攻法で元に戻ったと言うことなのだろう。
 それでは今の状況ではまったく役に立たない。
 クリストフはガッカリと肩を落とした。

 「寝坊助もあのバカ娘と同じくらい勘が良いとよいのだがな。我の身体すらまだ満足に動かせぬのでは、本能的に魔法を使うなど夢のまた夢。不可能であろう」
 
 グリーダーは横目で視線を安全地帯セーフルームの隅に向ける。
 そこには拗ねた様に部屋の角に頭を突っ込んで寝ているグリフォンの姿があった。
 グリおじさんの身体にディートリヒの精神が入った、通称バカグリフォンである。

 バカグリフォンは双子が安全を確保してくれた道をヨタヨタと歩き、なんとかここにたどり着いてから疲れたのかすぐに眠ってしまった。
 食事はとっていないが、魔獣であるグリフォンは数日であれば食事の必要はないので問題ないだろう。
 その腹の上には、双子が重なる様にして眠っている。

 食事をとった場に留まっているのは、グリーダーとクリストフとコルネリアだけだ。
 残る一人のベルンハルトは、少し離れた場所で手に入れたチェンジリングの魔道具を掲げたり回したりしながら、紙に何かを必死に書き留めている。

 「……その、さっきから言ってるバカ娘って、ひょっとして姫騎士アイリーンのこと?」

 バカグリフォンを見つめるグリーダーに、コルネリアが横から問いかけた。
 おずおずと躊躇ためらいながらの問い掛けだったが、コルネリアの目は好奇心で輝いていた。

 姫騎士アイリーンは、数百年前の偉人である。
 崇高な目的のために旅をし、多くの恋愛譚ロマンスを残したことで、今でも小説や演劇になるほど人気のある人物だ。

 公然の秘密の様な扱いになっているが、グリおじさんはその姫騎士アイリーンと共に旅をした冒険者パーティーの一員の従魔だった。

 「そうだ。アイリーンだ。…………小僧がいない今なら、貴様らにあやつらの事を語ってやっても良いかもしれぬな。小僧には話すではないぞ?嫉妬で嫌な気持ちになるかもしれぬからな」
 「いや、ロアは彼氏に元カノの話をされた今カノみたいな反応はしないと思うぞ?むしろ興味津々で聞くと思うぞ……」
 「なぜだ!?」

 なぜだと言われて、クリストフは反応に困る。
 性悪グリフォンは昔の主人たちの話をしたがらない。ロアの耳に入ると、悲しい思いをさせると信じ切っているらしい。
 ロアの方もグリおじさんが話したがらないことは配慮して聞こうとしないため、その勘違いはそのまま放置されている。

 「それで、姫騎士アイリーンはどうしてこのダンジョンに入ったの?」

 グリーダーが語っても良いと言ったことで、コルネリアの好奇心は爆発した。
 ロアですら話してもらえないのだからと我慢していたが、以前から気にはなっていたのだ。なにぜ、歴史上の偉人の話である。気にならないはずがない。

 答えに困っているクリストフの前に割って入り、問い詰め始める。返答に困っていたクリストフは、助かったとばかりにそっと身を引いた。

 「……惚れた男がこのダンジョンで行方不明になったとかで、助けに入ったと記憶しておるな」
 「大恋愛の話なのね!?」
 「いや、いつも通りの一目惚れだ。ダンジョンの前で見かけた顔の良い男に惚れただけだ。その男には妻も子供もいて、いつも通り振られたぞ?」
 「はい?」

 予想外の言葉に、コルネリアは固まった。
 姫騎士アイリーンは多くの恋愛譚ロマンスを残しているものの、物語などでは厳格な人物として描かれていることが多い。

 だが、グリーダーから語られる内容が、伝えられている人物像とまったく噛み合っていない。
 むしろ正反対ですらある。

 「余程の事情でもない限り、ダンジョン内の行方不明は放置される決まりになっておるからな。私が助けてあげない彼が死んじゃう!とか言い出して、あのバカ娘はダンジョンに押し入って行ったのだ。仕方が無しに我らもそれを追ってダンジョンに入ったが、酷い目に合った。チェンジリングの罠もだが、妖精王を怒らせたことが最悪であったな。あのバカ娘はいつも大雑把で配慮に欠けて欲望に忠実だったが、あれは本当に最悪だった!」
 「……へー」

 性悪グリフォンにすら、大雑把や配慮に欠けて欲望に忠実と言われてしまう人物……。
 とてもじゃないが、崇高な目的のために旅をしたと伝えられている人間と同一人物とは思えない。
 
 「行方不明の男がすぐに見つかったのは良いが、告白したら妻子持ちだと言われ、振られて自棄やけになってだな。あのバカ娘は憂さ晴らしにダンジョンを攻略してやると言い出して、男を一度外まで送った後にダンジョンの中に逆戻りだ。だが、マークのやつの特異体質のせいで五十層から進めずに困惑していたところ、その体質に興味を持って現れたのが妖精王だったのだ」
 「……」

 ダンジョン攻略は憂さ晴らしにするようなものではない。
 そんなことを言いだす人間は、飛んでもない自信家か、飛んでも無く非常識な人間だろう。
 グリーダーの口ぶりから、真の姫騎士アイリーンは後者であるらしい。

 コルネリアは混乱して声も出せなかった。

 逆に横で聞いていたクリストフは、「マークの特異体質」という部分に引っ掛かった。
 気になり疑問を口に出そうとしたが、グリーダーの話が進んでしまい口籠った。仕方が無しに自分の記憶を探り、マークというのは姫騎士アイリーンの相棒の剣士だったなと一人納得して誤魔化す。

 「妖精王は熊の着ぐるみを着た少年の姿に偽装しておったのだが、あのバカ娘はそれをいたく気に入って撫でまわしたのだ。モフモフ~とか気持ちの悪い声を上げておったぞ。妖精王は渋い顔をしながらも、そこまでは受け入れておったな。だがバカ娘は妖精王が止めぬのを良い事に、抱き着き、下品な言葉を呟いて不埒な真似を……」
 「待って!」

 コルネリアはもう聞きたくもないとばかりに叫んでグリーダーの言葉を止めた。
 これ以上聞くと、姫騎士アイリーンの人物像が崩れるばかりでなく、性犯罪者認定してしまいそうだった。

 「幸い、妖精王が怒りだしたので未遂に終わったが、あの目は本気であったな。あの時ほどバカ娘の節操のなさに驚かされたことは無かったぞ。おかげでそれ以降、我らまで妖精王と敵対することになってしまった。まあ、妖精王の性格の悪さから、いずれはそうなっていたのであろうがな」

 グリーダーは苦笑を浮かべながら懐かし気に語っているが、内容が酷い。
 コルネリアは、好奇心から話を聞きだしたことに後悔した……。
 
 

 

 

 
 
 
 

 
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