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四章 新しい仲間たちの始まり

魔獣の、王

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 「……また、ですか……」

 商人コラルドは、呆然と呟いてから頭を抱えた。

 自分はどうして、またこの場所にいるのだろう?
 ああ、帰りたい……。この場所がどこなのか理解してすぐ、コラルドはそう思った。

 ここはネレウス王国の王城。
 その最奥にある、女王の私室だ。

 部屋の中には小さなランプが一つ灯っているだけ。
 弱い光では広い部屋の全体を照らすことができず、光が届かない場所には漆黒の影が落ちている。

 コラルドはネレウス王国の宿屋で、深夜まで仕事をしていたはずだった。
 やっと書類整理の区切りがつき、ホッと一息ついたところで気付けばこの場所にいた。

 コラルドは多少落ち付いていられるのは、こういった状況に陥るのが二度目だからだ。
 前回も同じように、気付いたらこの女王の私室に連れて来られていた。

 前回ほど混乱していない自分に、非常識な状況にも慣れるものなのだとコラルドは妙な関心を示した。

 「まあ、座れや」

 荒々しい野太い声が掛かる。
 もちろん、この部屋の持ち主の声ではない。声の主は、暴力鍛冶屋のブルーノだ。

 彼は前回と同じく、毛足の長い絨毯の上に胡坐あぐらをかいて座っていた。
 膝の上に頬杖を突き、ニタニタと獣の様な嫌な笑みを浮かべてコラルドを見ている。

 「きゅい!」

 ほぼ同時に、可愛らしい鳴き声が聞こえる。
 鳴き声の主は可憐小竜タイニードラゴンのブルトカール君だ。
 猫くらいの大きさで、全身が濃いオレンジ色をしているトカゲの様な見た目のドラゴンだ。

 先端に鈴が付いた水玉模様の二股円錐帽子ジェスターハットと大きな襞襟ラフを身に着けていて、宮廷道化師の様な格好をしていた。
 複数の球を空中に投げてお手玉しようとしているが、ことごとく失敗して床に転がっている。

 不思議なのは床に転がった球がいつの間にか消え、ブルトカール君の手元に戻っていることだろうか。

 コラルドが突然別の場所に連れて来られたのは、ブルトカール君の特殊な魔法によるものらしい。ブルーノは妖精の血を引いていると言っていた。
 いつの間にか手元に戻っている球も、その魔法を使っているのだろう。

 「……妖精の能力……」

 コラルドは、思わず呟いた。
 妖精。それは、ロアを誘拐した相手だ。

 正しくは妖精王と呼ばれる、妖精の中でも高位の存在がロアを誘拐したらしい。コラルドは望郷のメンバーたちの報告で、そう聞いていた。

 妖精が持つ魔法は謎が多い。コラルドも調べてみたが、伝えられている内容は不確かな物ばかりで、おとぎ話のような物ばかりだった。魔法に詳しいグリおじさんですら、全てを知っているわけではなさそうだった。

 もし、ブルトカール君が妖精の血を引いているなら。詳しい能力を知っているかもしれない。
 そしてそれは、ロア救出の助けになるだろう。そう考えて、コラルドはブルトカール君を凝視した。

 だが……。
 コラルドはそっと息を吐いてブルトカール君から視線を外す。
 
 もう、今更だ。
 グリおじさんと双子の魔狼ルーとフィー、そして望郷のメンバーたちはとっくの昔に救出のための旅に出ている。
 連絡の手段もない。
 今更、何か情報を得たとしても後の祭りだ。
 
 もっと早く、身近に妖精の魔法について詳しく知る存在がいることを思い出すべきだった……。どうして、こんな大事なことを忘れていたのだろう?
 コラルドは、自分の記憶力に自信があった。なのに、今の今までブルトカール君の事を忘れていた。
 まるで、記憶を奪われていたかのように。

 「お話が進まないから、早く座って欲しいわ」

 呆けたように立ったまま思考を巡らせていたコラルドに、声がかかる。
 その声は美しく、優しい口調ながら逆らえない威圧の様な物を含んでいた。

 「し、失礼しました!女王陛下!!」

 コラルドは目の前の相手に深く頭を下げると、勧められた椅子へと座った。
 それだけで額に汗が滲み、息が荒くなる。それなのに、手足は冷え切っている。一瞬で、コラルドは極度の緊張状態へと陥っていた。

 コラルドは小さく息を吐いて呼吸を整えてから、目の前に座っている女性に目を向ける。

 彼女は、ネレウスの女王。この国の頂点。
 お飾りの女王を自称していて、国外にもそのように信じられている存在。
 コラルド自身も女王は完全なお飾りであり、適当な見た目の女性を祀り上げて襲名させている名誉職だと思い込んでいたほどだ。

 だが、コラルドはもう、それが事実でないことを知っている。
 コラルドがこの国に深く関わるに従って、彼女がいかにこの国の実質的な頂点であるかを思い知らされた。

 ネレウス最高の権力者にして、最強の魔術師。
 国民どころか貴族にまで慕われ、実力者ほど彼女の信奉者が多い。
 グリおじさんすら怯えさせ、暴力鍛冶屋ブルーノと殴り合いをしても引き分けられる、完全なバケモノだ。

 緊張してしまうのも仕方がないと、ブルーノは自分自身を慰めた。

 「そ、そ……それで、今日は何の御用でしょうか?」

 焦りで言葉が詰まってしまったが、コラルドは商人の矜持を総動員して引き攣る顔の筋肉を抑え込み、柔らかな笑顔を浮かべた。
 そして、一言付け加える。

 「また、懺悔ですかね?」

 嫌味を混ぜたのは、駆け引きだ。商人として、怯えてばかりはいられなかった。

 前回、コラルドはロアの雇い主として全てを知っている必要があると言われた。
 ロアの周囲で起こっていることを知らされ、知りたくもない女王の思惑や愚痴まで聞かされた。

 コラルドはその女王の思惑と愚痴の告白を、「懺悔」という言葉で表したのだった。

 「懺悔……懺悔ねぇ。正しいかもしれないわね」

 以外にも、女王はコラルドの言葉に同意してみせた。
 赤い口紅が塗られた口元が、笑みの形に歪む。なぜだろう、コラルドの目にはその口元が血に塗れた猛禽類の嘴の様に見えた。

 「とりあえずは、私が得ている情報の共有ってところね。定例報告会だと思ってもらえばいいわ」
 「えっ!?定例ですか?」

 女王の言葉に、思わずコラルドが声を上げる。
 定例ということは、今後も定期的にこの部屋に連れて来られるのが決定されたということだ。
 それはコラルドにとって、何度も地獄に落とされる宣告と同意だ。

 「あら、何か不満があるのかしら?」
 「いえ、滅相もないです。ロアさんたちが遠くにいる時は、私の情報網も役に立ちませんからね。その間はただひたすら心配することしかできませんから、報告していただけるのは、大変!そう、大変ありがたいです!!」

 本心を言えば女王や暴力鍛冶屋には二度と関り合いになりたくはない。
 だが、自分がロアの雇い主でいる限り、この二人とは関わり続けることになるだろう。
 それならば、何の利益も無く関わられるよりは、情報を貰えるだけマシだと考えるしかない。

 ただ、実のところコラルドはそれほど情報を欲していない。どうせロアとグリおじさんが想像もできない手段でなんとかして、普通に帰ってくるのだろうと考えていた。
 心配して必死に情報を集めても、結局は無駄になる。あの非常識な連中を心配するだけ損だ。
 コラルドは損は、早々に切り捨てる主義だった。

 「それでは、報告を……と思ったけど、話す前にもう一度確認しておくわ。貴方はこれからもずっと、ロアくんの雇い主でいるつもりなのよね?」
 「もちろんです!」

 コラルドは即答した。
 ロアと関わっていると面倒事が増える。胃が痛む日々も増える。
 だが、面倒事の量と比例するように、利益も大きくなっていく。

 魔法薬などロアが作り出す物が生み出す利益は当然ながら、ネレウス王国の交易船を借用権など副次的に発生している利益も大きい。

 典型的な商人を自称するコラルドが、手放せるはずが無かった。

 「じゃあ、貴方、魔王についてどの程度の知識があるのかしら?」
 「へ?魔王ですか?」

 いきなりの質問に、コラルドは間の抜けた声を上げてしまった。
 どうして今この場で、その質問が出て来るのか意味が分からない。だが、質問に質問で返すことはもとより、答えずに済ますことも得策ではないだろう。

 興味津々と言った風に輝いている女王の瞳が、それを許してくれない。

 魔王。
 それは、一千年ほどの昔に、この世界で破壊の限りを尽くしたと言われている。
 いわば、神話の世界の存在だ。

 魔王は数多の魔獣を従え、全ての人類を滅ぼそうとした。
 いくつもの陸地を海に沈め、多くの人間を殺した。

 勇者と賢者、それから二体の神獣が現れなければ、人類は滅亡していただろう。

 「……人類の、敵としか……」

 コラルドは自信なさげに答えることしかできなかった。
 なにせ、どんな伝承も、魔王がどんな存在だったのか明確には伝えていない。神の影が意思を持ったものだとか、神が作り出した人間たちへの試練などと言われている程度だ。

 ほぼ悪意の概念だけの存在で、絵物語でも巨大な死霊ゴーストの様なものとして描かれている。

 「人類の敵ねぇ。その認識は、変えた方がいいんじゃねーか?」
 「はい?」

 横からブルーノに言われ、コラルドは思わず振り向いた。
 ブルーノはいつの間にか高そうな装飾の施された酒瓶を煽っていた。女王の私室でも傍若無人な態度を変えないのは、さすがはブルーノだ。

 「魔王と言っても、所詮は役職だ役職」
 「そうね、王は王。魔王だから敵と決めつけられることじゃないわ」
 「?」

 畳みかけるように言われ、コラルドは首を傾げる。
 確かに、王は立場を示す言葉でしかない。不敬ながら血筋や権力などの様々なしがらみを取り除いてしまえば、役職だと言えなくもない。多くの人間を統治する役割だから、王と呼ばれるだけなのだ。

 現役女王と、王すら殴り飛ばすと言われている男に言われると、妙に説得力があった。

 魔王は人類の敵。そう伝えられているからそう言うものだと深く考えずにいたが、魔王もまた役割を指す言葉でしかないのかもしれない。そう思えてきてしまう。

 二人はその事を踏まえて、人間の王でも良い王と悪い王がいるように、魔王だから必ず悪ではないと言いたいのだろうか?

 コラルドは、二人が言う意味を考える。
 魔王が王という役割に過ぎないのなら、その魔の王の「魔」とは何なのだろう?

 魔法の魔?それとも……。

 「魔王は、魔獣の王だから、魔王よ。伝承でも、多くの魔獣を従えてたって言われてるでしょ?魔王は、多くの魔獣を従えている存在のことよ」
 「魔獣の王……。多くの魔獣を従えている……」

 コラルドは反芻するように女王の言葉を繰り返す。
 今まで言葉の意味など考えてもみなかったが、言われてみれば言葉通りである。

 それは確かに、無暗に人類の敵だと決めつけられない。
 魔獣を従えるのが悪なら、従魔師テイマーまで悪になってしまう。

 コラルドはそこまで考えて、自分の考えに引っ掛かりを覚えた。
 
 「……魔獣を従える……従魔……。その、まさか……」

 グリおじさんというグリフォンと出会ってから、コラルドは従魔契約という不可思議な魔法が存在することを知った。
 その魔法は人間と魔獣の双方の承諾を持って結ばれるという。

 人間と、魔獣。
 グリおじさんお話では従魔契約の魔法は、誰がどのようにして作ったのか分からないと言っていた。もし、従魔契約という魔法が、そのために作られたものだとすれば。

 コラルドは、自分が思い至った考えに恐怖した。

 「……魔王とは、人間だったのですか!?」

 コラルドは思わず立ち上がり叫んだ。
 その頭に、花吹雪が舞い落ちてくる。道化師姿のブルトカール君が頭の上から撒き散らしたのだ。
 まるで、正解を祝うかのように。

 コラルドのハゲ頭に、舞い散る花弁が汗で貼り付いていく。

 「では、多くの従魔を従えて行けば……ロアさんもいずれは……」
 「さて、報告会を始めましょうか」

 女王は柔らかな笑みを浮かべて、コラルドの言葉を断ち切った。

 女王が今なぜ魔王について質問したのか、そして、自分に何を考えさせたかったのか。
 コラルドはようやくその意味に気付いた。

 「……はは。冗談がきついですな」

 コラルドは力ない笑みを浮かべてから、崩れ落ちるように椅子に再び腰掛ける。額に流れる汗に耐え切れず、服の袖で拭った。

 今思い付いたことは、女王とブルーノに誘導されたものだ。
 そのまま受け入れるわけにはいかない。

 女王も暴力鍛冶屋も、いわばロアを狙う競合相手なのだ。
 きっと、適当に考えた、コラルドを動揺させるための嘘なのだろう。グリおじさんが良く言う、可愛いイタズラというやつだ。

 だが、そうやって否定するほどに、コラルドはその考えが真実なような気がしてくるのだった。

 
 



 
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