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5.モブ役者は、周囲となぜだかすれちがう

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 その後、何度かチャレンジしていくうちに、ようやく東城とうじょうは調子を取りもどしていったようだった。
 最初こそ照れまくって顔を真っ赤にしていたものの、そのうち慣れてきたのか、マジメにやるようになれば、飲み込みも早かった。

 何パターンか想定したヒロインの演技に合わせて、東城もいくつかのパターンを作れるようになっていた。
 たとえば頬に添える手の角度だとか、顔を傾ける角度だとか、そんな辺りにも気をつかえるようになったのは、大きな成長だ。

 役者なら、いかにラブシーンでのヒロインを美しく魅せるのかってのが、こちらの力量のひとつだからな。
 きっとこだわりはじめてしまったら、こんなもんじゃ済まないと思う。
 そこはドラマの監督さんに、あとをお任せしよう。

 だけどさすがに東城も、肝心のクランクインの時間もあるだろうし、そろそろ撤収しないといけない時間が近づいてきた。
 深夜から、ろくに休憩もはさまずにぶっ通しで稽古をしていたせいで、なんだか急に空腹を感じてきた。

「お疲れさまでした、羽月はづきさん」
「あぁ、お疲れ……」
 ぐったりと椅子にもたれかかりながら、コップの水を飲む。
 なんか食べるものあったかな、我が家に。

 いつものバイト上がりだったら、そのまま帰宅したらシャワーを浴びて寝る前に、朝食用に米くらい研いで炊いてたけど、昨夜は東城が急にバイト先にあらわれるというハプニングがあったせいで、米も研いでなければ、炊いてもなかった。

 だけどなんか、今からやるのもめんどくさいな……。
 少しくらい飯抜いても人は死なないし、豆腐くらいなら冷蔵庫に入ってるだろうから、あとでそれでも食べよう。
 なんて算段をつけると、ふぅっと大きく息をついた。

「すいません、羽月さんも仕事上がりだったのに、夜通し稽古つけてもらっちゃって……」
 殊勝にあやまってくる東城は、やっぱり大型犬にしか見えなくて。
 思わず、シオたれる耳としっぽが見えた気がした。

「いや、気にしないでいいから。僕だって本当に嫌だったら、稽古になんてつき合わないよ。そこまでお人好しじゃないし」
「えっ!?嫌じゃなかったんですかっ?!それって、少しは期待しても……っ」
 僕が適当にこたえているのに、なぜか東城が上ずった声で身を乗り出して聞いてくる。

「うん、お前の演技が成長してるの、この目で確かめられたしな」
 確かに目の前でどんどん成長していく東城を見るのは面白かったし、なにより僕が演技を変えるたびに、ちゃんとそれに食らいついてきていたのも良かった。

 なんだ、やっぱりコイツ『実力派』と言われるだけあって、ちゃんと成長してんじゃんって。
 本当に2年前に、はじめて会ったころの絶望的な大根役者っぷりを思えば、よく成長してくれたものだと思う。
 これが親心ってヤツだろうか?

 そう伝えれば、今度はびっくりするほど、目に見えて落ち込んだ。
 あれっ!?今のは、ちゃんと誉めてたよな?
 いったい、なにがダメだったんだ!?

「いえ、その……わかってます!自分なんか、まだまだ羽月さんからしたら眼中にないってことくらい、わかってますからっ!でもいつか、ちゃんと認めてもらえるまで、がんばりますからね!!」
 眼中にないどころか、僕からすればその成長具合もふくめて、嫉妬してるくらいなんだけどな。

「……?えっと、まぁがんばれ……?」
 とはいえ、こっちも指導役だった以上、そこは素直に認めるのもシャクだし、余裕のあるふりをしておくか。
 そんなやり取りをして、壁の時計を見れば、すでに時刻は朝の7時をまわっていた。

「そろそろ、時間ヤバいんじゃないのか?マネージャーさんに連絡して、迎えに来てもらえよ。あと着替えも、いっしょに持ってきてもらったほうがいいと思う」
 昨日の撮影現場と同じ服のまま行くのは、なんというか、あんまりよろしくないからな。

「はい、実は昨日のうちに予告しといたんで、たぶんそろそろ迎えにくるかと」
 だけど、にへっと気の抜けた笑顔を浮かべる東城に、思わず首をかしげる。
 うん?昨日のうち……?

「あっ、実は昨日の担当マネージャーに、撮影終わりにどこに行くか伝えたら、そのまま羽月さん家ならいいよって、泊まりの許可もらってたんです!最近お仕事がんばってたんで、ご褒美ですね」
 はいぃぃ?!
 なんだよ、それ!!
 家主の許可なく、勝手に泊まりを決めるんじゃない!

「まぁ、こんなに一睡もできないほど、激しい口づけを交わす一夜になるとは思わなかったですけども」
「おい、ちょっと待て!!」
 にこにこと笑いながら誤解に満ちた発言をする東城に、思わず怒りの声をあげる。

「だってほら、事実だけ見ればウソじゃないですよね?甘い言葉をささやきあって、数えきれないくらいのキスをしたじゃないですか。これでしばらくは、羽月さん不足にならないでがんばれる気がします!」
「………………………………」
 だれか、翻訳プリーズ。

 いや、確かに数えきれないくらいのキスをくりかえしたのは、まぎれもない事実だけどさ。
 でもそれ、芝居の稽古だろ?
 お前が恋愛ドラマの女王相手に恥をかかないようにっていう、いわば親心のようなものからつき合っただけだからな?!

 うん、そうだよ、な……?
 でもなんか途中、結構僕も演技に熱が入りすぎて、本当にコイツのこと好きなのかもしれないなんて、血迷ったことを考えそうになったし、なんなら流されかけたような気もするけど!

 いやいやいや……、でもそれにしたって、僕は悪くないよな。
 だって、このイケメンから、あまりにもやさしげに目を細めて、まるで心の底から愛おしいものでも見るようなとろける笑みを向けられてみろよ、なんか知らないけど流されそうになるから。

 それこそ、あらがいがたい魅力があるというか、むしろあらがえる人がいるなら見てみたい。
 それくらいの破壊力があったからな、これはドラマが放映されたら世の中の女性は大変なことになるだろうよ。

「はぁ、それにしても、羽月さんがヒロインだったら、いくらでも真に迫った演技ができるんだけどなぁ……今からでも遅くないんで、宮古さんからチェンジしません?」
「はいはい、寝言は寝てから言えよ」
 あまりにもとぼけた東城の発言を、さらりと流してしまえば、とたんに疲れが押し寄せてくる。

「悪い、ちょっと顔洗ってくる」
 そう言って席をはずすと、疲れと眠気と空腹とで、ボンヤリしてくる頭をシャッキリさせようと、冷たい水で顔を洗う。
 ついでのように、歯をみがく。

 それにしても、前から東城はどっかおかしいと思ってたけど、本格的にヤバくなってきた感じがするな。
 なにをどうしたら、僕みたいな地味顔役者をヒロインとか言えるんだか。
 やっぱりアイツ、疲れすぎてどっか頭のネジが飛んでるだろ。

 口をゆすいで吐き出して、ふと顔をあげたところで、目の前の鏡に映る己と目が合った。
 そこに映ってあるのは、これといって特徴があるわけでもない、どこにでもいそうな地味な顔の男だ。
 東城みたいに彫りが深い顔立ちとは、天と地の差がある。

 そりゃ、これだけ特徴もないのなら、さぞ化粧は映えるだろうよ。
 だって、いくらでも塗り放題だし、盛り放題だもんな。
 そう言う意味では、色んな役ができるし、悪いことじゃないと思える。

 だけどこうして一晩かけて、東城の芝居の稽古につき合ってみてわかった。
 僕のような地味な役者じゃ、どれだけがんばったところで、東城のような華のある役者には敵わないんだって。

 ───それは僕にとって、絶望的な開きだった。
 芝居が下手なら、稽古をすればうまくなれる。
 発声にしたって、ボイストレーニングをすれば改善されるし、本人の努力次第でどうにでもなるだろう。

 だけど本人が持って生まれた耳目を集める『華』だけは、練習だけじゃどうにもならない。
 それは身長にしても、同じことが言える。
 幼いころの僕がいくら牛乳を飲んだところで、東城のような長身にはなれなかったように。

 キリ…と心臓のあたりが、締めつけられるような痛みを訴えてくる。
 あぁ、クソ、どうせ醜い嫉妬にすぎないのに。
 毎回懲りずに痛みを訴えてくる、僕の心の狭さに吐き気がする。

 東城との稽古は、目の前でドンドン良くなっていく芝居を見られる楽しさと同時に、何もかもに恵まれている東城と比較したときに、唯一勝っていると自信のある演技力が脅かされる気がして、楽しいだけではいられない。
 どうしたって、焦燥感を覚えてしまう。

 そもそも自分と彼を比べようなど、おこがましいのはわかっているつもりで、なのに気がつくと毎回比べては、勝手に辛くなっている。
 僕はなんて愚かで、どうしようもない男なんだろうか。

 そんな自分に呆れて言葉が出てこなくなったところで、ちょうど部屋のチャイムが鳴らされた。
 時間からして、おそらく東城のマネージャーさんだ。
 きっと東城のことを、うちまで車で迎えに来てくれたんだろう。

「はーい!」
 返事をしてからあわてて身じたくを整えて、玄関に出るまでに少し時間がかかってしまったところで、チャイムが連打に変わる。
 申し訳なさに走って扉を開けば、果たしてそこにいたのは東城のデビュー当時から変わらずマネージャーをしている、後藤さんだった。

「おはようございます、羽月さん!ご無事でしたかっ?!」
 血相を変えたようにたずねてくる後藤さんの気迫に押され、とっさにどう返していいのかとまどってしまう。

 えっと、どういう意味だ……?
 だけど相手は僕の沈黙をどう勘ちがいしたのか、ドアを閉じると、その場でスライディング土下座をカマしてきた。

「えぇっ!?」
 大の大人が、玄関先で突然の土下座をすることなんて、なかなか滅多にないシチュエーションだ。
 想定外すぎる出来事に、思わず僕は固まった。

「すいまっせぇぇん!!!このたびは、うちの東城が、なんという破廉恥かつ卑劣なことをいたしまして、申し開きのしようもないです!!!それもこれもすべて、当方の管理不行き届きでございます!!かくなる上は、私の首も全財産も差し出しますので、どうか、どうか東城本人を訴えることだけは、ご容赦くださいますよう、伏してお願い申し上げます!!!東城には、100年に一度の逸材として、これからもかがやきつづける可能性があります!どうかその芽を摘むことだけは、ご容赦いただけないでしょうか?!!何卒、何卒ご容赦くださいませ!!!」
 一息にまくしたてられ、そのあまりのテンションの高さに頭がうまく働いてくれない。

「え、えーと、後藤さん……?あの、どういうことですか?ひとまず頭をあげてください」
 あわててとりなしたところで、相手は床に平伏したまま動こうとしない。
 どうしよう、これ、どうしたらいいんだ!?
 助けを求めて振り返れば、氷点下の視線で己のマネージャーを見下ろす東城と目が合った。

「東城、お前んところのマネージャーさん、なにがあったの?」
「ったく、言っとくけど、羽月さんには一晩中、演技の稽古につき合ってもらってただけだから」
 明らかに不機嫌そうな声色で話す東城に、床に這いつくばる後藤さんがぴくりと身をゆらした。

「……羽月さん、うちの東城の言うことは、本当でしょうか?」
「おい、自分んとこのタレントの言うことは信用しないのかよ?!俺のこと、なんだと思ってんの?!」
 東城を無視する形で僕にたずねてくる後藤さんに、東城が声を荒らげる。

「えぇ、もう仕事に関しての東城のその稀有な才能は信頼していますが、こと羽月さんが絡んだときにかぎっては、単なる犯罪者予備軍かと」
 おいおい、犯罪者予備軍てなんだよ、それ!?

 不穏なことを言い出す東城のマネージャーさんを前に、背後に立つ東城をちらりと見やる。
 うーん、完全無罪……とは言いがたい気もするけど、どう答えたものか。
 答えあぐねて、僕はふたたび沈黙した。
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