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《第5章》 バラのつぼみ
落城 4
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中庭の反対側の入り口。場違いに落ちついた声と同時に、つむじ風が一閃した。
「遅くなりました」
ジェイだった。
エリーを押さえていた男は、振りかえる間もなく頸動脈を斬りつけられ、首から高く血を噴きだして倒れた。
もう一人の兵士は剣を構えなおしたが、フィオナを片手に抱いて戦おうとした時点で、すでに敵ではない。鮮やかに剣を反転させたジェイに、脇腹を切り裂かれる。彼もまた、為すすべもなく崩れおちた。
ジェイはフィオナを奪いかえすと、眉ひとつ動かさずに背中に深く剣をつきたて、とどめを刺した。
エリーに無言でフィオナを手渡す。二人とも、返り血に染まって真っ赤だった。フィオナだけが、きゃっきゃと弾んだ声をあげた。
「赤のにぃに!」
屈託なく彼に笑いかけて手を伸ばしている。エリーは血しぶきのついた顔で、無事に取り戻した娘に頬ずりをしようとした。
「エリー様、お顔に血が」ジェイが懐から白い手巾を取りだす。
しかし彼女は一歩退いて、穏やかに拒んだ。「いいの。ジェイ、ありがとう」
むせかえるように生臭い血だまりに立ちつくして、二人は見つめあった。
廊下の奥から、叫び声と剣がぶつかりあう金属音が反響してくる。外壁の塔付近では、夕刻の赤い空に黒い煙がもうもうと吹きあげていた。
いよいよ激しく燃えさかる炎に、トラカナ城すべてが包まれようとしていた。
時間だ。クロードはもう部屋に戻っているだろう。
「もう行かなくちゃ。クロード様が待ってる」
「殺されるために?」咎めるような声だった。
「えぇ」
「ううん、違うよ。フィオナがパパもママも助けるの。バラがもうすぐ咲くから、大丈夫!」
フィオナが絶好調でエリーの胸元に甘えかかった。その手には、昨日つぼみをつけていた赤いバラがあった。
「フィオナ……」
やはり彼女のワガママで中庭に来たのだ。そのせいで死んだサヤナに、エリーは手をついて謝りたかった。
「性格は全然違うな、こっちのお嬢様は」
こんな時なのに、愉快そうにジェイはフィオナの頭をなぜた。フィオナはその手を握って、彼の首筋にかじりつく。ジェイは「おいおい」と迷惑そうな声を上げながらも、なんだかんだエリーから彼女を抱きとった。
「エリー様、時間がないんだろう。部屋に行くなら護衛する」
「お願い」
エリーが駆けていく後ろを、胸にフィオナをかかえたジェイが守る。ジェイが後ろについてくれるその数分間、エリーはまるで昔に帰ったような心地がしていた。一八歳のあの夜まで、彼はずっと寄り添って守ってくれていた。でも今の彼女は、クロードの手をとってしまっている。
――この廊下がずっと続けばいいのに。
エリーは一人、涙ぐんだ。
夫婦の私室まで辿りついたとき、ちょうど別方向の廊下を曲がってきたクロードと鉢合わせた。
三人が同じ場所に揃ったのは、五年ぶりだった。
エリーはその場に立ちすくんだ。後ろめたいことは何もないが、過去を考えるといたたまれない気分になる。セレナを加えた自分たち四人は、前世からよほど複雑な縁で結ばれているのだろう。
「父さまッ!」
真っ先に声をあげたのはフィオナだった。脇腹の傷が治りきらないまま防衛にでて、憔悴している。しかし父親が大好きなフィオナは、クロードの胸に勢いよく飛びこんだ。
「あのね、バラのつぼみを取りにいったの。そしたら怖い人がいて……赤いにぃにが助けてくれたの!!」
「クロード様、わたしが執務室にいたとき、この子が無理を言って部屋をでてしまって、それで……」
「赤いにぃにね……娘を救ってくれたようで、ありがとう」
胸に娘を抱いて、クロードは丁重に礼をいった。
言葉とは裏腹に、威嚇としかいいようのない凄みと圧が目線から滲みだしている。臣下でありながらも、ジェイは堂々と受けてたった。その場に膝をついて報告した。
「敵兵がすでに中庭まで侵入しておりました。奥方様も危なかったので、私が手を下しました」
「それでこの血か。お前なら容赦なく一撃で仕留めたんだろうな」
彼はエリーを引き寄せ、彼女の頬についた血を手で拭っていく。戸惑っている彼女の肩を抱いて、有無を言わさず部屋に押しこんだ。見るなと言わんばかりだった。
「遅くなりました」
ジェイだった。
エリーを押さえていた男は、振りかえる間もなく頸動脈を斬りつけられ、首から高く血を噴きだして倒れた。
もう一人の兵士は剣を構えなおしたが、フィオナを片手に抱いて戦おうとした時点で、すでに敵ではない。鮮やかに剣を反転させたジェイに、脇腹を切り裂かれる。彼もまた、為すすべもなく崩れおちた。
ジェイはフィオナを奪いかえすと、眉ひとつ動かさずに背中に深く剣をつきたて、とどめを刺した。
エリーに無言でフィオナを手渡す。二人とも、返り血に染まって真っ赤だった。フィオナだけが、きゃっきゃと弾んだ声をあげた。
「赤のにぃに!」
屈託なく彼に笑いかけて手を伸ばしている。エリーは血しぶきのついた顔で、無事に取り戻した娘に頬ずりをしようとした。
「エリー様、お顔に血が」ジェイが懐から白い手巾を取りだす。
しかし彼女は一歩退いて、穏やかに拒んだ。「いいの。ジェイ、ありがとう」
むせかえるように生臭い血だまりに立ちつくして、二人は見つめあった。
廊下の奥から、叫び声と剣がぶつかりあう金属音が反響してくる。外壁の塔付近では、夕刻の赤い空に黒い煙がもうもうと吹きあげていた。
いよいよ激しく燃えさかる炎に、トラカナ城すべてが包まれようとしていた。
時間だ。クロードはもう部屋に戻っているだろう。
「もう行かなくちゃ。クロード様が待ってる」
「殺されるために?」咎めるような声だった。
「えぇ」
「ううん、違うよ。フィオナがパパもママも助けるの。バラがもうすぐ咲くから、大丈夫!」
フィオナが絶好調でエリーの胸元に甘えかかった。その手には、昨日つぼみをつけていた赤いバラがあった。
「フィオナ……」
やはり彼女のワガママで中庭に来たのだ。そのせいで死んだサヤナに、エリーは手をついて謝りたかった。
「性格は全然違うな、こっちのお嬢様は」
こんな時なのに、愉快そうにジェイはフィオナの頭をなぜた。フィオナはその手を握って、彼の首筋にかじりつく。ジェイは「おいおい」と迷惑そうな声を上げながらも、なんだかんだエリーから彼女を抱きとった。
「エリー様、時間がないんだろう。部屋に行くなら護衛する」
「お願い」
エリーが駆けていく後ろを、胸にフィオナをかかえたジェイが守る。ジェイが後ろについてくれるその数分間、エリーはまるで昔に帰ったような心地がしていた。一八歳のあの夜まで、彼はずっと寄り添って守ってくれていた。でも今の彼女は、クロードの手をとってしまっている。
――この廊下がずっと続けばいいのに。
エリーは一人、涙ぐんだ。
夫婦の私室まで辿りついたとき、ちょうど別方向の廊下を曲がってきたクロードと鉢合わせた。
三人が同じ場所に揃ったのは、五年ぶりだった。
エリーはその場に立ちすくんだ。後ろめたいことは何もないが、過去を考えるといたたまれない気分になる。セレナを加えた自分たち四人は、前世からよほど複雑な縁で結ばれているのだろう。
「父さまッ!」
真っ先に声をあげたのはフィオナだった。脇腹の傷が治りきらないまま防衛にでて、憔悴している。しかし父親が大好きなフィオナは、クロードの胸に勢いよく飛びこんだ。
「あのね、バラのつぼみを取りにいったの。そしたら怖い人がいて……赤いにぃにが助けてくれたの!!」
「クロード様、わたしが執務室にいたとき、この子が無理を言って部屋をでてしまって、それで……」
「赤いにぃにね……娘を救ってくれたようで、ありがとう」
胸に娘を抱いて、クロードは丁重に礼をいった。
言葉とは裏腹に、威嚇としかいいようのない凄みと圧が目線から滲みだしている。臣下でありながらも、ジェイは堂々と受けてたった。その場に膝をついて報告した。
「敵兵がすでに中庭まで侵入しておりました。奥方様も危なかったので、私が手を下しました」
「それでこの血か。お前なら容赦なく一撃で仕留めたんだろうな」
彼はエリーを引き寄せ、彼女の頬についた血を手で拭っていく。戸惑っている彼女の肩を抱いて、有無を言わさず部屋に押しこんだ。見るなと言わんばかりだった。
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