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本編

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『おっす。小野田、先週はお疲れ。また打ち上げしようぜ打ち上げ』
「打ち上げって何だよ。俺幹事じゃねぇし」
『冷てぇこと言うなよー。俺とお前の仲じゃないか』

 その夜、帰宅した冬彦は、花田からの電話を受けて深々と嘆息した。

「どうせもう少しで夏休みも終わって新学期だから、その前に遊んどきたいだけだろ」
『おっふぅ。ご名答。さっすが敏腕弁護士サマサマ』
「別に敏腕じゃねぇ」

 刑事訴訟を扱うような花形弁護士ではないし、そうなりたいとも思わない。かといって離婚調停のような家庭に絡んだ民事訴訟も気が進まない。とりあえず今は民民とはいえ企業や組織の調停が主だ。それも裁判になることのないようにするのが仕事であって、譲歩と着地点を見つけだす仲介役というところか。
 性格的にはあまり合っているようには感じないが、それもまあ仕方がない。仕事だと割り切れば、男女関係なく一定の好感を持たれる程度の社交性は身につけている。

『飲み行こうよー。どっか遊びに行く? あっ、一泊旅行とか』
「ほざけ。男と二人で行って何が楽しい」
『ぐっは。刺さるぅ。色男は言うことが違うね』
「お前だって『まだ結婚する気はない』っつって別れたんだろうがよ。自業自得だ」

 冬彦の言葉に、花田は笑った。30の誕生日を前にして、同い年の彼女がしびれを切らして結婚を迫ったのだが、花田はその気はないと別れたのだ。

『いや、でもさ。思ったんだよね、あのとき』
「何が」
『結婚、て聞いてさ。ーーあ、こいつは違うわって』
「……ほう?」

 冬彦が促すような相槌を打つと、花田はまたくつくつ笑った。

『彼女と妻は違うって、まあ聞いたことはあるけど、あんまり気にしたことはなかったからさ。想像してみたんだよ、元カノとの生活。朝起きて、便所行って、飯食って、仕事して帰って、夕飯食って寝るーーそこに常に女がいる』

 冬彦は黙っていた。無意識に想像していたのだ。食事の度、腰掛けた向かいに、毎日座っている女の姿。

『ちょっとぞっとしたね。そこに元カノを置いてみたら。ーーめんどくせぇなって思った。ひどい男だけど』
「……ほんとひでぇな」

 答えながら、冬彦は向き合って座った先に梨華を配置してみて眉を寄せる。

(無理だ、やっぱり)

 分かっていたはずの結論があっさりと出て、苦笑した。

『結局さー』

 花田は冬彦の相槌などさして気にもせず、話している。

『同窓会んとき思ったけど、知った女の方がいいのかもね。中学んときってお互い剥き出しじゃん? 社会性とか、大人ぶった上っ面の仮面もなく向き合って、ぶつかり合ってた訳じゃん。気が楽だよな』
「……というと?」
『例えばさー、相楽あゆみを正面に座らせてみる』

 冬彦は思わず息を止めた。花田は気にせず話しつづける。

『あんまり違和感ないんだよね。毎日いてもさ、口うるさくてもさ、「あーまた言ってるわこいつ」ってなって、そんで終わり』
「あー、そう?」
『そうそう。まあでも相楽はちょっと勘弁だけど。同業者だし。色々口出されるの嫌だし。お前と違って』

 冬彦は思わず半眼になった。

「……おいこら。最後の台詞、意味わかんねぇぞ」
『え? だって、お前結構好きでしょ。世話焼かれるの』
「好きじゃねぇ」
『そうかぁ?』

 花田はくつくつ笑った。

『お前よく気づくからさー。あれこれ女にサーブしてやって、めんどくさそうじゃん、いっつも。あれってむしろ、自分がしてほしいんだろうなって思ってたんだけど』

 冬彦は黙る。反論しようと思ったのだが、一理あるような気がした。
 花田は電話の向こうでまだ笑っている。

『ま、いいけどさ。どうせお前も結婚する気ないんでしょ、まだ』
「お前と一緒にすんな。……いい人がいれば別にしてもいいとは思ってる」

(また口から出まかせを)

 今まで思ってもみなかったはずの言葉がするりと出て、冬彦は思わず苦笑を噛み殺した。
 花田は軽やかな笑い声を立てる。

『いい人ぉ? はっはぁ、なるほどねぇ。いるといいねぇ、いい人。どんな女神様だか知らないけど』
「おちょくり過ぎだぞ」
『あの後、相楽に連絡取ったの?』

 いきなりの話題転換に、冬彦は言葉を飲み込む。花田はふふ、と笑って言った。

『つーかさ、お前、相楽のこと見すぎ。ーー他の奴が気づいたかどうか知らないけど』

 冬彦はぎょっとしたが、口を開きかけ、やめた。
 変なことを言っても逆効果になるだけだ。ここは冷静に対応するに限る。

『だから言ったろ、楽しみにしとけって』

 花田はくつくつ笑っている。冬彦は黙ったままその声を聞いていた。

『ああいう女、お前の周りにいなそうだからさ』

 冬彦は息を吐き出した。

「……何のことだよ」
『さぁね。何のことでしょうね。まあ、強力なライバルたる坂下くんは、結婚して1児のパパらしいし? 小野田先生に敵う相手はなかなかいないから、ゆっくり吟味なさればよろしいのではなくて?』
「……花田、馬鹿なこと言うな」
『それにしても、いい顔で写ってたねぇ、あの写真』

 ぐ、と冬彦は喉奥でうめく。
 花田が言うのは無論、冬彦が大笑いしているあの写真だろう。
 頭から滴る水が日を受けて反射して輝く中、くしゃくしゃの顔で笑う冬彦の姿。

『父親が撮ったっつってたけどさー。ほんとかなぁ』
「……花田。いちいち回りくどいぞ」
『だってああいうのって、そういう目で見てるから撮れたんじゃないの?』

 指摘されて、冬彦は黙る。
 あの写真を見たとき、冬彦は言葉を失った。
 それは多分、レンズ越しの誰かの想いを感じたからだ。
 母のような。姉のような。
 温かくて慈しむような、優しい目ーー

「やめろよ。相楽の親父さんにそういう目で見られてたなんて思いたくもねぇ」
『ぶぁっは。確かにそれは怖い。失礼失礼』

 花田は笑った。

『ま、いいけどさ。じゃ、月末飲みに行こうね』
「おいこら。何の脈絡もないぞ」
『あるある。お望みとあれば呼んじゃうよ、相楽嬢』
「やめろ」

 とっさに上擦った声が出て、冬彦は慌てて口をつぐんだ。
 電話の向こうで花田が一瞬息を飲む。

『……』
「……」

 沈黙が辛く感じて、口を開きかけたとき、花田がふっと笑う気配がした。

『小野田ァ』
「……何だよ」
『もう、お互い大人だし。それぞれ何しようと勝手だけどさ』

 花田はしみじみと言った。

『自分を傷つけるのと、罰しつづけるの、もうやめろよ』

 冬彦は眉を寄せる。息を吐き出し、口先で笑った。

「だからそういう意味深な物言い、面倒くさいぞ、お前」
『ああ、そーお?』

 花田はやれやれと息をついた。

『ま、いいけどさ。ときどきお前が生徒と変わらないように思える』
「中坊と一緒にすんな」
『大して変わんねぇよ』

 花田は笑った。

『だって俺ら、そんな成長した? ーーあの頃から』

 冬彦は一瞬黙った後、乾いた声で言う。

「さすがに自転車でチキンレースはやらねぇぞ」
『なっつかしー。そりゃ違いない』

 冬彦の冗談に、花田は笑った。
 度胸試しの坂下り。夏休みに数度、花田とやったものだ。
 坂の上にある市営プールの帰り道、下り坂をブレーキ無しで駆け下る。どちらが速く降りられるか競うのだが、坂は七曲がりになっていて、その先には交通量の少ない通りがあるのだが、たまに大型トラックが通ることがある。ドライバーには知れている抜け道らしい。

『いやー、今考えてみれば馬鹿なことしたもんだよな』
「たいした怪我もなくな」
『しただろ、怪我』

 冬彦は黙った。花田はため息をつく。

『お前入院したろ、何日か。ーーそういや、あのときも来てくれたな。相楽』
「そう……だったかな」
『そうだよ』

 忘れたふりをした冬彦に、花田は重ねて言う。
 次いで二、三言葉を交わした後、花田との通話を終えた。

【来週の土曜の夜、空けといて】

 花田からは念押しのようにメッセージが届いた。
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