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第三部
豚野郎の思い
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バァァァンッ!
突然けたたましくドアが開かれた。幸はちょうど待合に座り八百屋のお婆さんから貰った絹さやのヘタ処理をしていた。
「先生! すんません、匿ってください!」
「角膜? 目の?」
幸は医学用語にしか聞き取れない。人生で匿うことなど皆無だ。
そのまま光田はカーテンの向こうへと消えた。
すぐにノック音が聞こえてドアが開いた。ドアの隙間から男が顔をひょっこり覗かせた。初めて見る男だ。黒髪を綺麗に一つに纏めて黒ずくめの服を着ている。
光田さんの友達?……でも逃げてる感じだったけど……。
「すみません、もしかしてこちらにこんな顔した男の人来ませんでしたか?」
「……さぁ?」
男は自分の両手で目を吊り上げた。見るからに光田だろう。幸はなんとなく言ってはいけない気がして首を傾ける。男が院の中に入ると幸は男の腕を見て眉間にしわを寄せる。
「どうしたの?それ……ちょっと待ってて」
幸は奥の部屋からアイシングを取ってきて男の手首に当てる。
「手首を打ったの? 内出血が酷いわ……、さ、これを持って冷やして」
「あ、いや……すみません」
実は緊縛プレイ中のものですとは言えなかったのだろう。ムショ帰りで随分と張り切ったようだ。松崎は幸のされるがままになっている。
先生……何してはるんですかっ!
カーテンの向こうから光田がやきもちしている。甲斐甲斐しく手当てしてしまう幸に頭を抱える。男は幸に促されてソファーに座ると自己紹介を始めた。そのままなぜか身の上話へと発展していく。
「あら、松崎さんもヤクザなの?」
「いや、ヤクザだったんですよ。もう足を洗ったんで……もって事はだれかお知り合いもヤクザですか?」
幸は頰を赤らめて松崎の肩を叩く。この年でも恥ずかしいらしい。初々しい反応が幸らしい。
「大好きな人達が、みんなヤクザなの」
恥ずかしげもなくそんな言葉を口にする幸に松崎は笑った。カーテンの奥の光田も腕を組み優しく微笑む。
「……俺、小さい頃からヤクザが大嫌いだったんですよ。跡を継がないといけないけど、小学生のときの将来の夢はトラックの運転手でした」
「そうなの……」
不思議だった。
初めて会ったのに松崎は幸に心の内を話したくなった。
「小さい頃から一緒だった幼馴染と無理やり婚約させられて、このままレールの上を走り続ければ行く末は組長でした……俺は、嫌だった。幼馴染と結婚するのも、ヤクザも──」
「だから足を洗ったのね?」
「いえ、親父に婚約やめて足洗いたいって言ったら考えが変わるまで監禁されました、まぁ、そうですよね……幼馴染は人生を諦めているようでした。彼女の口癖は、恋がしたい……でした。普通の女の子らしいことが出来なかったんです。堅気の友人なんて……そうそう出来ませんから当然ですよね」
光田は心の事を思い出していた。
心は、本気でそう言っていたんだ。初恋だと、デートがしたいと、俺の事が好きだと──。
光田は胸が熱くなった。心の本当の意味での想いを汲み取れていなかったかもしれない。幸が真剣な表情で松崎の話に耳を傾けている。
「松崎さん……」
「荒れて刑務所に入るまで落ちぶれました。不幸は続くものなんですかね? 服役中に父親は病死しました……母親は俺を生んですぐ男と消えたんでいなかったんですけど。でも、なんかホッとしたんです……あ、これでもう無理しなくていいんだって。婚約も白紙になったし……。親不孝ですね……」
松崎の表情は寂しげだった。
父親の死を悲しみきれなかった事を申し訳ないと思っているようだ。幸は首を横に振ると松崎の手首のアイシングを一度外した。冷え具合を確認すると再びアイシングを手首に巻きつけた。
「私──昔ね、誰のために生きているのか、分からなくなった時があるの。誰かを笑顔にすることだけを考えて生きていたの」
「つらいじゃないですか、そんなの……」
「でもそれは自分の幸せのためだったの。きっとどんなことがあろうとも人は自分の幸せを求める生物よ。誰かの為に生き続ける事はできないのよ?」
「…………」
「お父さん、お母さんが自分の幸せを求めて生きていて、松崎さんだけが我慢する必要なんて、ないでしょう。お父さんはきっと天国で無理強いさせたことを悔いているはずよ、あとは松崎さんが幸せな姿を見せてあげなきゃ、ねっ?」
幸が松崎の肩を強く叩くと松崎は大きく息を吸った。呼吸する事を一瞬忘れていたようだ。
「松崎さんも、幼馴染ちゃんも自分の幸せを見つけれるといいね」
幸は手首のアイシングを外し、湿布を貼ってあげる。
「……あいつはもう充分に幸せですよ、とても良い人に恋をしたから。それに、良い人たちに囲まれてるのも知れたし、良かったです。それだけが、気掛かりだったから──」
「そうなの? 良かったわ」
幸は満面の笑みで微笑んだ。
「じゃ、俺行きますね。手首ありがとうございました。──シトラスの方によろしくお伝えください」
「ん? うん……気を付けてね」
松崎が院を出て行くとカーテンから光田が出てきた。その表情は切なげで、院のドアから視線が外せない……。
「会わなくて良かったの?」
「あいつにこんな顔見せられへんでしょ……それに、また会いに来ると思います」
幸は光田の胸元に近付いた。鼻を嗅ぐと頷いた。
「シトラスの香り……だね。部屋にいる事分かってたんだね。聞いて欲しかったんじゃない?私じゃなくて、光田さんに」
「そうです、かね……」
きっと松崎は俺に心の事を託したのだろう。
「豚野郎やけど、ええ男やな」
光田は呟いて笑った。
突然けたたましくドアが開かれた。幸はちょうど待合に座り八百屋のお婆さんから貰った絹さやのヘタ処理をしていた。
「先生! すんません、匿ってください!」
「角膜? 目の?」
幸は医学用語にしか聞き取れない。人生で匿うことなど皆無だ。
そのまま光田はカーテンの向こうへと消えた。
すぐにノック音が聞こえてドアが開いた。ドアの隙間から男が顔をひょっこり覗かせた。初めて見る男だ。黒髪を綺麗に一つに纏めて黒ずくめの服を着ている。
光田さんの友達?……でも逃げてる感じだったけど……。
「すみません、もしかしてこちらにこんな顔した男の人来ませんでしたか?」
「……さぁ?」
男は自分の両手で目を吊り上げた。見るからに光田だろう。幸はなんとなく言ってはいけない気がして首を傾ける。男が院の中に入ると幸は男の腕を見て眉間にしわを寄せる。
「どうしたの?それ……ちょっと待ってて」
幸は奥の部屋からアイシングを取ってきて男の手首に当てる。
「手首を打ったの? 内出血が酷いわ……、さ、これを持って冷やして」
「あ、いや……すみません」
実は緊縛プレイ中のものですとは言えなかったのだろう。ムショ帰りで随分と張り切ったようだ。松崎は幸のされるがままになっている。
先生……何してはるんですかっ!
カーテンの向こうから光田がやきもちしている。甲斐甲斐しく手当てしてしまう幸に頭を抱える。男は幸に促されてソファーに座ると自己紹介を始めた。そのままなぜか身の上話へと発展していく。
「あら、松崎さんもヤクザなの?」
「いや、ヤクザだったんですよ。もう足を洗ったんで……もって事はだれかお知り合いもヤクザですか?」
幸は頰を赤らめて松崎の肩を叩く。この年でも恥ずかしいらしい。初々しい反応が幸らしい。
「大好きな人達が、みんなヤクザなの」
恥ずかしげもなくそんな言葉を口にする幸に松崎は笑った。カーテンの奥の光田も腕を組み優しく微笑む。
「……俺、小さい頃からヤクザが大嫌いだったんですよ。跡を継がないといけないけど、小学生のときの将来の夢はトラックの運転手でした」
「そうなの……」
不思議だった。
初めて会ったのに松崎は幸に心の内を話したくなった。
「小さい頃から一緒だった幼馴染と無理やり婚約させられて、このままレールの上を走り続ければ行く末は組長でした……俺は、嫌だった。幼馴染と結婚するのも、ヤクザも──」
「だから足を洗ったのね?」
「いえ、親父に婚約やめて足洗いたいって言ったら考えが変わるまで監禁されました、まぁ、そうですよね……幼馴染は人生を諦めているようでした。彼女の口癖は、恋がしたい……でした。普通の女の子らしいことが出来なかったんです。堅気の友人なんて……そうそう出来ませんから当然ですよね」
光田は心の事を思い出していた。
心は、本気でそう言っていたんだ。初恋だと、デートがしたいと、俺の事が好きだと──。
光田は胸が熱くなった。心の本当の意味での想いを汲み取れていなかったかもしれない。幸が真剣な表情で松崎の話に耳を傾けている。
「松崎さん……」
「荒れて刑務所に入るまで落ちぶれました。不幸は続くものなんですかね? 服役中に父親は病死しました……母親は俺を生んですぐ男と消えたんでいなかったんですけど。でも、なんかホッとしたんです……あ、これでもう無理しなくていいんだって。婚約も白紙になったし……。親不孝ですね……」
松崎の表情は寂しげだった。
父親の死を悲しみきれなかった事を申し訳ないと思っているようだ。幸は首を横に振ると松崎の手首のアイシングを一度外した。冷え具合を確認すると再びアイシングを手首に巻きつけた。
「私──昔ね、誰のために生きているのか、分からなくなった時があるの。誰かを笑顔にすることだけを考えて生きていたの」
「つらいじゃないですか、そんなの……」
「でもそれは自分の幸せのためだったの。きっとどんなことがあろうとも人は自分の幸せを求める生物よ。誰かの為に生き続ける事はできないのよ?」
「…………」
「お父さん、お母さんが自分の幸せを求めて生きていて、松崎さんだけが我慢する必要なんて、ないでしょう。お父さんはきっと天国で無理強いさせたことを悔いているはずよ、あとは松崎さんが幸せな姿を見せてあげなきゃ、ねっ?」
幸が松崎の肩を強く叩くと松崎は大きく息を吸った。呼吸する事を一瞬忘れていたようだ。
「松崎さんも、幼馴染ちゃんも自分の幸せを見つけれるといいね」
幸は手首のアイシングを外し、湿布を貼ってあげる。
「……あいつはもう充分に幸せですよ、とても良い人に恋をしたから。それに、良い人たちに囲まれてるのも知れたし、良かったです。それだけが、気掛かりだったから──」
「そうなの? 良かったわ」
幸は満面の笑みで微笑んだ。
「じゃ、俺行きますね。手首ありがとうございました。──シトラスの方によろしくお伝えください」
「ん? うん……気を付けてね」
松崎が院を出て行くとカーテンから光田が出てきた。その表情は切なげで、院のドアから視線が外せない……。
「会わなくて良かったの?」
「あいつにこんな顔見せられへんでしょ……それに、また会いに来ると思います」
幸は光田の胸元に近付いた。鼻を嗅ぐと頷いた。
「シトラスの香り……だね。部屋にいる事分かってたんだね。聞いて欲しかったんじゃない?私じゃなくて、光田さんに」
「そうです、かね……」
きっと松崎は俺に心の事を託したのだろう。
「豚野郎やけど、ええ男やな」
光田は呟いて笑った。
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