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最恐令嬢、リリィマリアーノは容赦しない

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 自然が多く、農作物は毎年豊作。物流も盛んで、財政も豊かなこの国、クロヴィス王国の王宮、殿下の私室にて。

「今日呼び出したのは他でもない。リリー・フォンバルト。お前との婚約は今日限りで破棄させてもらう。貴様がなんと言おうともな」

 眉間にシワを寄せ、短い腕を組み、暑くもないのに脂汗を薄らとかきながら、ぶくぶくと醜く太った、この国の王太子殿下であるディラン・クロヴィスがソファに腰掛けながら腹の肉の上に手を置いてそう言った。

「はあ。婚約を破棄、ですか」

「そうだ。貴様のようにブスの癖して反抗心が高い生意気な女などもういらぬわ!」

「なるほど。では後学の為に、一応理由をお聞かせ願えますか?」

「何が後学の為に、だ。そんな事もわからんのか! 私の言う事を何ひとつまともに聞かぬからだ! 私が傍に寄れと命じても聞かぬ。醜いその髪を私好みの色に染めろと言っても聞かぬ。私のプライベートへの口出しも煩い。そしてその不釣り合いで気持ちの悪い分厚い眼鏡をいつまで経っても外そうとしないッ!」

「ふむ、なるほどですわ。だから婚約破棄を?」

「ああ、そうだ! 貴様のような貧困男爵家のブスな小娘、聖女だからと言って傍に置いてやったのが間違いであったわ!」

「うーん。ですが殿下、私は仮にも聖女でございます。確かこの国、クロヴィス王国では王家の者は必ず聖女を妻に娶らなければならない慣わしですわよね?」

「ふん。お前の代替は他にいない、と高を括っているのであろう? 愚か者めが。残念だったなリリー」

 ディラン殿下がパチン、と指を鳴らすと、窓際の更衣室があるカーテン裏から一人の女性が姿を見せる。

「初めましてリリー様。私はロザリィと申します。この度、殿下の新たな婚約者となる者でございます」

 ロザリィと名乗るその女性は、エメラルドグリーンで煌びやかに光る長い髪に、ドレープがたっぷりと盛られた清純さが際立つホワイトドレスの裾を掴み、華麗なカーテシーで、そう挨拶をする。

(まあ、綺麗)

 リリーは率直にその淑女に見惚れた。
 そして同時に理解する。自分とは真逆の容姿である、と。

「驚いたか? ロザリィは隣国の辺境伯の娘だが、ただの令嬢ではない。彼女もまた、貴様と同じく聖女の証を持って生まれたものなのだ」

 ――聖女の証。

 魔族が蔓延るこの世界には、魔の力に相反する聖なる力を内に秘めた女性が必ず一定数生まれる。その者は生まれながらにして首元に必ず聖女の刻印が刻まれており、聖女は必ず聖教に属し、その司祭のいる神殿のもとで祝福を受け、聖なる祈りを毎日捧げる事が義務付けられている。

(へえ、本当に聖女だわ)

 ロザリィの黄金の瞳を覗き込んでひと目で理解した。

 聖女の証は刻印と黄金の瞳。この二つを兼ね備えているので誰にでもすぐにわかる。

「そういうわけで、お前はもう用無しだ。早々に王宮から立ち去れ!」

「……いいのね?」

「何を言っている!? 当然であろうが。さっさと出ていくがいい、この醜女しこめが!」

 それは決してディランに対して告げた確認ではなかったのだが、リリーはふう、っと小さく溜め息を吐いた後。

「では謹んで婚約破棄、承ります。それでは」

 リリーはくるり、と踵を返す。

 背後で殿下は「相変わらず生意気な! 私に逆らい続けた事、後悔させてやるからな醜女が!」などと吠えていたが、その言葉はそっくりそのままお返しする事になるのだけれどね。と、内心ほくそ笑むリリーのその表情は、ここ数年で一番楽しそうな表情をしていた事を、知る者は誰もいない――。



        ●○●○●



 聖女の役割。

 その中でも最も大切な仕事は『聖なる祈り』だ。

 これは神殿にて祝福を受けた聖女なら、どんな場所でも行なう事ができる所作であり、これをやる一番の理由は王都周辺を守る結界の保持である。

 王家の妻が聖女である理由の一番は、聖女の祈りを最も高い建造物である城の頂点、天宮てんきゅうの間と呼ばれる場所で行なってもらう必要がある為だ。

 そうする事で王都周辺の治安を維持している。

「どうだロザリィ?」

「はい、ディラン殿下。本日も無事聖なる祈りは捧げ終わりました」

 天宮の間の中枢部にて。

 跪いて祈りを捧げていたロザリィは、背後から呼ばれたディランの声にニコッと笑顔を向ける。

 そんな彼女へとディランは歩み寄り、そして強引に抱きしめてロザリィの唇を奪った。

「あん。急ですわ、殿下ったら」

 しかしロザリィは嫌な顔ひとつする事もなく、笑顔を崩さない。

「うむ、お前はやはり可愛い。私の妻にはお前のように従順な者こそ相応しい」

「ありがとうございますわ、殿下」

「今は父上も母上もどこかへ遠征してしまっている。つまり私が国王代理だ。ロザリィよ、私になんでも言え。お前の望む物をやろう。その代わり、お前は私の命令には何があろうとも従え、よいな?」

「はい、もちろんでございますわ、殿下」

 聖女であり男爵令嬢でもあるリリー・フォンバルトを追放してから三日程。その間は、こうして何事もなくクロヴィス王国は安寧に包まれていた。

 おそらく、この時こそがクロヴィス王国の……否。ディラン王太子殿下の最も幸福な時間であろうとは、誰一人思いもよらなかっただろう。

 ――それから僅か二日後の事。

 ディランがまず最初の異変に気づいたのは、食事だ。

「おい、なんだこのスープは? やけに不味いぞ。おまけにこの肉は生焼けなうえ、パンはボソボソだ。どうなっている? ロザリィもさっきから不味いと嘆いている」

 王宮の食堂で出された食事のあまりの不味さに不快感を物申す。

「申し訳ございません殿下。最近、ベテランのシェフが次々と辞めてしまい、料理人がほぼ素人ばかりとなってしまいまして」

 そう謝罪するのは若くして侯爵位を受け継ぎ、かつ宮廷の執事長も任されているゼイムス。

「は? ふざけているのかゼイムス? 何故そんな事になっている?」

「あまりに急な事でして、私どもも原因がわからず……」

「っち。これならばまだ街中の露店にある食べ物の方が美味いわ。ゼイムス、使いの者に街で買える美味い肉とパンを買って来させろ」

「……かしこまりました」

 ゼイムスはここで何を言ってもこの我が儘な殿下は絶対に引かない事をよく知っているので、すぐに兵士らに命じて食べ物を買いに走らせた。



 ――更に翌日。

 次にディランが気づいた異変は侍女の反応の悪さ。

「おい! 誰かおらぬのか!? おい! おい!」

「も、申し訳ございません殿下。お呼びでしょうか?」

「私の部屋のグラスが割れた。片付けろ。こんな持ちにくいグラスは全てを処分しろ! ロザリィが怪我をする! というか、いつまで待たせるのだ!? 来るのが遅すぎる!」

 自室から声を大にして叫ぶが、臣下たちの反応が異様に遅い。

 これまでならディランの部屋の外には必ず三人以上の侍女が用を言いつけられてもいいように常に待機していた。それがいなくなっていたのである。

「すみません殿下。最近侍女たちが次々と辞めてしまっていて」

「だったらさっさと適当な下位貴族でも雇えッ。全く、対応が遅い!」




 ――そしてこの更に数日後。

「おい。あの店の最高級魔導具アクセサリー一式を買い占めてこい。ロザリィが欲しがっている」

 馬車の中でお付きの騎士に命じる。

「わあ、本当によろしいのですか? 殿下」

「もちろんだ」

「ありがとうございます。愛してます殿下ぁ」

 ロザリィはひと目も憚らずディランに抱きつき、胸元が開かれたお色気たっぷりのドレスでぐいぐいと胸を押し付けた。

 王都へ遊びに出ていた殿下とロザリィがそう言って散財しようとした時。

「申し訳ございません殿下。生憎、今日は持ち合わせがほとんどなく……」

「だったらつけ払いでもなんでもよかろう!? 私は今国王代理であるぞ!? 王族が下賎な民の品を買ってやるのだ。そのぐらい融通を利かせられぬ店なら営業停止にさせると脅せ!」

「か、かしこまりました」



 ――更に更に数日後。
 
「おい、ウェイン。ロザリィが魔導具の素材になる材料を欲しがっている。リストアップしたからギルドに依頼書を出しておけ」

 ウェインと呼ばれた筋骨隆々の騎士団長は首を横に振り、

「……殿下。これは無理です。今、この依頼に見合った報酬を支払う額は予算的に出せません」

「は? その程度の金が払えないわけがなかろうが」

「家令のコリンズ様から聞かされた今期の予算はもうギリギリで……」

「なんと情けない国なのだ!? だったら税率をあげろ! 名目はなんでも良い。緊急増税しろ!」



 ――更に更に更に数日後。

「殿下、どちらへ?」

 妙に着飾って外出用の身なりに着替えたディランへと、ロザリィが尋ねる。

「ロザリィ、可愛いキミなら理解してくれるだろう。私はプライベートな用事を街の中で済ませてくる。余計な詮索は必要ない。わかるな?」

「はい。わかりました。お気をつけて」

「うむ、お前は素直で良い」

 ロザリィは笑顔のままディランにキスをされて、彼を見送る。

 ディランが外出の小さな馬車に乗り込もうとすると御者がチラリ、とディランを見て、

「……殿下。もう不貞行為はほどほどにした方が。いくらロザリィ様が寛容とは言え、それをきっかけに聖女の祈りをやめられてしまっては大変では」

 と注意を促すと、

「貴様、たかが下位貴族の分際で私に説教をたれるつもりか? 父に言って死刑にしてもらっても良いぞ?」

「も、申し訳ございません」

「私は次の王だ。今は国王代理だぞ。未来の側室候補を探して何が悪い。女など、所詮男を喜ばせるただの道具なのだ。国は男が支えているのだからな。わかったらさっさと出せッ」

「……かしこまりました」



        ●○●○●



 ――そして更に日が経ったとある日。

 毎日お祈りばかりで飽きてしまったから旅行に行きたい、と唐突にそう言い出したロザリィの為に、ディランは旅費を用意しろと執事長のゼイムスを呼び出す。

「申し訳ございません殿下。そのような高額の金貨はご用意致しかねます」

「また金がない、とでも言うのか!? 私は王太子だが、今は国王代理であるぞ!? その私が金を出せと言っているのだ! 何故言う事を聞けぬ!?」

「ですが、我が国も国税で賄いきれない状況が続いており、予算もギリギリで……」

「黙れゼイムス! それをなんとかするのがお前たち臣下だろう? コリンズに上手くやれと命じろ! そもそも以前まではその程度の金貨、すぐに用意したであろうが!? ギルドにも依頼書すら出せぬ王族など聞いた事がない! 何故それほどまでに金がないのだ!?」

「現在王宮は人手不足が深刻な状況となっており、様々な業務が大変滞っております。そのうえ、我が国を長年支えてくださっていた大きなパトロンの方々も次々と出国し、いなくなってしまったのが原因です」

「は? どういう事だ?」

「この国を支えてくださっていた大きな事業家でもある、とある公爵家の方がこの国への出資を一切止めてしまい、それに釣られるように王家にゆかりのある者たちの多くが出国してしまって、今期の予算の目処が全く立たない状況になっているのです」

「な、なんだそれは? そんなふざけた事をしでかした公爵家とはどの家だ!? 行方がわからんのか!?」

「いえ、行方はわかっております。元々隣国に住まわれている公爵家です」

「隣国の? どういう事だ!? 我が国はそんな輩に頼っていたのか!? そもそも父上は何も言わぬのか!? たかだか公爵家如きに我らクロヴィス王家が舐められて良いのか!?」

 いきりたつディランの言葉に、ゼイムスは小さく溜め息を吐きながら、

「……ディラン殿下。もう、それどころの騒ぎではないのですよ。我が国はこのままならおしまいです」

「なっ……ど、どういう事だ!?」

「殿下、ちょうど良いのでここで全てお話し致しましょう。そもそも私の方こそ殿下に用がありましたから」

「な、何?」

「殿下、あなたはやってはならない事をしてしまいました。それは無知な殿下にとっては致し方のない些細な我が儘に過ぎなかったのかもしれません。が、たったそれだけの事が、国の存亡すら揺るがす大事件にまで発展してしまったのです」

「な、何を……さっきからゼイムス、お前は何を言っているんだ!? 私にもわかるように説明せぬか!」

「かしこまりました、無知で無能な醜い馬鹿殿下」

「な、なんだとゼイムス貴様ぁっ! 誰に向かってものを言っておるのだ!? 不敬にもほどがある! おい、衛兵! 衛兵ーッ!!」

 ディランの私室の外で待機している衛兵たちへと聞こえるように大声でそう叫ぶと、すぐに室内へと数人の兵士と筋骨隆々の騎士団長も共にやって来た。

「ウェインもいたか、丁度良い。お前たち、この者を即刻死刑に処せ! 最大級の不敬を働きおった! 情状酌量の余地もなく、確実に死刑にせよ! 私の勅命だ!」

 ぶよぶよの顎肉を震わせ、顔を真っ赤にしてディランは叫ぶ。

 だが。

「おい! おい!? 貴様ら、何故そやつを……ゼイムスを捕らえない!? ウェイン、其奴をひっ捕えよ!」

 兵士たちは全員沈黙して、ディランを見つめるだけであった。

「無駄ですよ殿下。もはや私を含めこの者たちも、いえ、この王宮においてあなたの言う事を聞く者はただのひとりもいないでしょう」

 ウェインが冷めたような言葉でディランに言った。

「な、なんだと!?」

「何故なら――」

 ウェインが言葉を続けようとした時。

「「ゾ、ゾルトバルト様ッ!」」

 ゼイムスの背後にいた兵士たちが何者かに驚き、その名を呼ぶ。

「もう、いいわウェイン」

「こ、これは……ゾルトバルト様ッ」

 ゾルトバルト、と呼ばれる女の声と共に騎士団長のウェインと兵士たちがその場で跪いた。

 そしてゆったりとしたドレスを優雅に揺らし、ディランの部屋の中へと足を踏み入れる。その者はディランが散々に嫌味をぶつけていたあの分厚い眼鏡の令嬢で。

「本当によろしいのですか、様」

 唯一跪きはしないものの、敬意を払うような対応でゼイムスはリリーへと尋ねる。

「ここからは私たちの口からお話ししましょう? ねえ、ゼイムス?」

「そういう事でしたら」

 そう言ってゼイムスは小さく会釈をし、一歩後ずさる。

「き、貴様……! 貴様はリリー!? 何故こんなところに!?」

 その場で冷酷な眼差しをディランに向けているのは以前婚約破棄をされ、王宮から追放されたリリー・フォンバルトであった。

「お久しぶりですわねえ、殿下。相変わらずのご様子で、私も心置きなく見捨てられるというものですわぁ」

 ニッコリとリリーは笑う。

「見捨てる!? 貴様、何を……」

 ディランがそう尋ねようとしたその時。

「ゾルトバルト様ッ! どうかご容赦を! この不届き者は本日中には死刑に致しますゆえ……」

 慌てるように騎士団長のウェインが口を挟む。

「もう遅いのよウェイン。そちらの愚図を死刑にしたところでこの国が救われる道はほぼないわ」

「そ、そんな……このクロヴィス王国には私の家族もまだ住んでおります! どうか……どうかご慈悲をッ!」

「「同じくですゾルトバルト様ッ! どうかこの国を見捨てないでください」」
 
 ウェインに続き、兵士たちも懇願するようにリリーへと頭を下げる。

 ディランひとりだけが状況を飲み込めずに困惑していた。

「き、貴様……リリー! ここへ何をしにきた!? 此奴らの家族を人質にでもして、脅しているのか!?」

「人質……ある意味そう、ですわねえ」

 くすくす、とリリーは分厚い眼鏡越しに笑う。

「何がおかしい、この醜女がッ」

 と、ディランが叫ぶと同時にウェイン騎士団長が突如立ち上がり、勢いよくディランの頭を掴んだと思うと、

「ぐぇあッ!?」

 ドカッ! とそのまま強引に床へと頭を押さえ付けられた。

「ディラン……いや、この大馬鹿者めが! 畏れ多すぎる。貴様、この方に対してなんという言葉づかいだ!?」
 
「うぐ、ウェイン貴様、気でも違えたか!? 私に対しなんという無礼な……! ゼイムス共々不敬の極みであるぞ!?」

「不敬の極みは貴様の方だ! このお方をどなたと心得ておるのだ!?」

「ど、どなた、だと? フォンバルトという名の、ただの貧乏男爵家の小娘であろうが!?」

 ディランがそう言うと、頭を押さえつけていたウェインは一旦その手を離した直後、もの凄い勢いで、ディランの後頭部を拳で殴った。

「いだぁッ!?」

「この大馬鹿者めがぁ! 貧乏男爵とは何という事を……ッ! ゾルトバルト様、まことに……まことに申し訳ございませんんんんッー!」

 再びディランの頭を押さえつけたウェインが、土下座する。

「……ウェイン。少し大袈裟よ」

「いえ! どうせこの男は殺処分致しますゆえ、この程度、問題ありませんッ!」

 必死なウェインを見て、リリーはくすくすと笑う。

 そして強引に頭を下げさせられているディランのもとへと歩み寄り、

「殿下……いえ、ディラン・クロヴィス。さすがに死刑は可哀想すぎますから、無人の離島への島流しの刑くらいにして差し上げますわ」

「うぐぐ……な、何がいったいどうなって……」

 そこでゼイムスがこほん、と咳払いをし、

「無知な殿下にお話ししましょう。このお方はただの男爵令嬢などではない。このお方こそかのゾルトバルト公爵家のご令嬢であらせられるリリィマリアーノ・ゾルトバルト様である」

「リリィマリアーノ……? ゾルトバルト……!? いったいなんの話をしているのだ!?」

「ゾルトバルト、の名を聞いても何もわからないとはどこまでも愚かな……」

 ウェインがまたもや呆れるように口を挟んで言うと、ゼイムスがそれを手で抑え、自分が言葉を続ける、と視線を配る。

「殿下。愚かなるあなたにご説明しましょう。ゾルトバルト家とは古来よりこの国を陰ながら支え続けてくださっていた、由緒正しき隣国の名家であり、陰の王とも呼ばれるご一族です」

「か、陰の王、だと……!? そ、そんな話、私は父上や母上から聞いた事などないぞ!?」

「ですが殿下は陛下に言われたはずです。あなたが王になるに相応しい婚約者を迎え入れる事ができそうだ、と」

「そ、それがリリーだと言うのか!?」

「そうです。しかしあなたはまだ未熟。何かの拍子に余計な事を口走られては困ると陛下たちは考え、それゆえに両陛下はあなたに何も言わなかったのです」

 ようやくディランは思い出す。

 リリーを突然婚約者とすると王が言って来た理由を。

 それはリリーが聖女であるからというのもひとつの理由なのだが、それ以外にも陛下が漏らしていた言葉の中に、

「かねてよりの念願であったあの方々の血筋を、ようやく我が王家に迎え入れる事ができそうだ」

 と。

 当時、ディランには全く意味がわからなかったので、さらりと聞き流していた。

「ゾ、ゾルトバルト家とはなんなのだ!?」

「ゾルトバルト家は隣国、ゾルディア王国に住まわれている公爵家の一族です。ゾルトバルト家は様々な優れた能力を持ちながら、各地で諜報活動を主に様々な分野で手広く暗躍されていて、商会の取り決め、各国の輸出入に関する税のバランス、要人の警護、はたまた王家の相談役、暗殺、果ては凶悪な魔物の討伐までなんでも全てをこなすオールマイティかつどんなジャンルにおいてもエキスパートである、まさに陰の王でございます」

「な、ななな、なんだそれは!? そんなの聞いた事もない……」

「それはそうでしょう。表向きでは彼らは普通の下位貴族になりすまして過ごしているのですから」

「まさかそれが……」

 ディランがチラリ、とリリーを見る。

「ええ。名乗り遅れましたわ、殿下。私は世界最強と謳われた大魔導士ザナード・ゾルトバルト公爵を父に持ち、裏ギルドの長を務める剣聖メリアード・ゾルトバルトを母に持ち、才色兼備な妹たちを四人持つ、由緒正しきゾルトバルト家の長女。リリー・フォンバルトは仮の名で、本名をリリィマリアーノ・ゾルトバルトと申しますわ」

「リリィ、マリアーノ……だと……?! わ、私を騙していたのか!?」

「違いますわ殿下。騙す、のではなく、試していたのです」

「た、試す、だと?」

「はい」

 リリィマリアーノは笑顔で頷く。

「……リリィ様は寛大なお方だ。ゾルトバルト家の優秀で聡明な姉妹であらせられる他の妹君たちは皆、ディラン、お前を即刻処分すべきだと憤怒されていた。だが、このリリィ様だけは結婚してみるまで様子を見ると最後まで貴様に慈悲を与えていたのだ」

 ゼイムスは冷酷な眼差しでディランを睨め付ける。

「それがなんだ、貴様はッ!?」

 続いて叫んだのはウェイン騎士団長。

「日々、ゾルトバルト様に失礼な物言いばかりを繰り返したあげく、自ら勝手に婚約破棄をするとは! だからこそ、両陛下ですら貴様を見限ったのだ!」

「そ、そうだ。父上と母上は何を!?」

「陛下たちは今、隣国のゾルトバルト家に赴いている! 必死に頭を下げに行っているのだ!」

 ディランがこの数日間、自由きままにできたのは、陛下たちが不在であったからであった。

 しかしその理由は不出来な愚息の後始末を付けに行っていたのである。

「ゾルトバルト様が貴様に与えていた恩赦を全く理解せず、全てにおいて独断専行、私利私欲に走り続ける愚行、そして傲慢な物言いと民への配慮の欠片もない言動や行動の数々。それでもギリギリまで様子見をしてくれていたのだ、ゾルトバルト様はなぁッ!」

 ウェインが叫ぶと、

「ですが、ダメでしたわね」

 その言葉と共に、最後に部屋に現れたのは現婚約者であるロザリィであった。

「ロ、ロザリィ!?」

 彼女はディランを蔑むような目で一瞥すると、すぐにリリィマリアーノの前へと進み、跪く。

「リリィ様。この度はわざわざこのような者のためにご足労いただき、まことにありがとうございます」

「いいのよ、ロザリィ。それにしても本当に驚いたわ。あなたがまさか当て馬に立候補してくれるなんてね」

「リリィ様を貶める不届者には最高の罰を、と思いまして。それならば私めが最適かと」

「そうねロザリィ。あなたほどの美貌なら殿下は間違いなく喰らいつくでしょうから。ただ、あなたが聖女になっていたのは知らなかったわ」

「この任務を引き受ける為に、強引に聖女の力を受け継がせてもらいました。おかげで私の力はほとんど失われてしまいましたけれど」

 聖女の力は譲渡が可能だ。

 聖女の力を持つ者から、受け渡しの儀式を経れば良い。ただし聖女の力を後付けで得たものは、その者が本来持ちうる魔力のほとんどを失う事になるうえ、数日の間、えも言われぬ苦痛に耐え抜かねばならない。(場合によっては死に至る場合すらある)

 よって、よほどの事がない限り聖女の力を後付けで引き受けるような行為はリスキーすぎる為、基本はまずしないのである。

「この愚か者は私の誘惑にまんまと引っ掛かり、そして案の定リリィ様を婚約破棄致しました。その後、私の我が儘に対してどのような行ないをするのか見てまいりましたが、駄目ですね。この男は王たる器どころの話ではありません。ゴミ屑以下です。その辺をはっているゴキブリの方がまだマシです」

「あはは! ロザリィったら、相変わらず毒舌ねえ!」

 リリィは楽しそうに笑う。

「でも私は今とても幸せですリリィ様。あなた様のお役に立てたのですから……」

「聖女の力を受け継いでまでよくこの汚れ役を担ってくれたわね、偉いわロザリィ」

 リリィにそう言われ、ロザリィは蕩けそうな表情でご満悦になっている。

 ロザリィはゾルトバルト一族の傘下でもある辺境伯の娘だ。ゾルトバルト家の為に彼女はこの役を買って出たのである。

「さて、ディラン。貴様はもはや王族ではない。先日、陛下より送られてきた封書にそう書かれていた。貴様はずっと陛下とリリィ様に試されていたのだ。王になるべき器があるかどうか、とな」

 ゼイムスが言い放った。

「そん……な……」

 ようやく事態を飲み込んだディランが力なくうなだれる。

「もうおわかりだと思うが、この王宮に仕える者たちは皆、ゾルトバルト家の言葉に従い、この国を捨てていった。この王宮に残されたのは事情を知らぬ資産も権力も小さな下位貴族の者たちぐらいだ」

「ぐぐ……リ、リリー。お前の望みはなんだというのだ……?」

 ディランがそんな風に言うと、再びドカッ! と力強くウェインの拳で頭を殴られていた。

「馬鹿者めが。その言葉づかいを直せぬ限り何度でも殴るぞ。そもそもゾルトバルト様の許可なく気安くその名を呼ぶな!」

「う、ぐ……ゾ、ゾルトバルト様のお望みをお教えください……」

 ディランの悔しそうな表情と似合わないそのセリフにご満悦な表情でリリィは口元を歪める。

「素晴らしいわウェイン。あなたは調教師の才能があるわね」

「っは! ゾルトバルト様ッ」

「あなたは気に入ったから私の事をリリィ、と呼ぶ事を許可するわ」

 るんるん、とでも言いそうな笑顔でリリィはそう言った。

「と言っても、もうダメなのよ。この国はね、どのみちおしまい」

「「そ、そんな、ゾルトバルト様ッ!」」

 ウェイン騎士団長と兵士たちが悲痛な表情で叫ぶ。

「もう私の父や母もこのクロヴィス王国は見限ったの。私は万にひとつの可能性もあるかもと思って様子見をしたのだけれどね。だから、もうこの国へ輸入される品はそのほとんどが止められるし、聖女の祈りを行なう者もいなくなるわ。つまりじきに滅びるって事ね」

「ゾルトバルト様ッ! どうか、どうかご慈悲を! ほれ、貴様も必死に懇願せぬか、この愚か者めがぁーッ!」

「いで、いでぇ! わ、わかった、わかりました! ゾルトバルト様、どうか我々を見捨てないでください……」

 ディランは何度もウェインに殴られながらも、土下座をさせられた。

「うふふ。ディラン、あなたは実にざまぁない姿ですわね。醜い、醜いブタ王子さま?」

 しかしリリィはただ笑うだけで決して意見を変えるような事はしなかった――。



        ●○●○●



 ――それからおよそ一年後。

 リリィの宣言通り、華やかに栄えたクロヴィス王都はあっという間に多くの魔物が徘徊する廃墟と成り果てた。

「……虚しいわね」

 リリィは切り立った崖の上から遠目に、元クロヴィス王国があった王都を見渡しながら呟く。

「やはりリリィ様は寛大です。このような愚かな国でもある程度救いの手を差し伸べているのですから」

 ロザリィがリリィの背後で言った。

「ゼイムスやウェイン、その他一部のクロヴィス王国の民を隣国に移り住まわせたから、かしら?」

「はい。ゾルトバルト家当主様でしたら、きっと有無を言わさずクロヴィス王国の者に手を差し伸べる事などしなかったでしょうから」

 ゾルトバルト家は各国で様々な活動を行なうが、主な任務はその多くが諜報活動である。

 この大陸には大小様々な国家が存在するが、国が多すぎる為流通の問題、関税問題、抗争、内紛などトラブルが耐えない。
 ゾルトバルト家の当主、ザナード公爵はこの大陸全土を統一するのが目的であり、その為に各国に自分の娘や信頼できる者を諜報員として送りつける。

 リリーことリリィマリアーノもそのひとりというわけであった。

 ゾルトバルト家の中ではクロヴィス王国は見捨てる、という形ですでにこの国の行く末を決定していたのだが、ゾルトバルト家いち慈悲深いと言われるリリィマリアーノだけがギリギリまでこの王家について精査していた。

「……と、あなたも思うかしらロザリィ?」

「……返すのが難しいです」

「うふふ、それが答えと受け取るわ。つまり、だいたい正解よ」

「さすがは……」

 ロザリィはそこで言葉を止めた。

 リリィマリアーノは慈悲深い。

 だが、彼女を深くよく知る者は反対に、ゾルトバルト家の中でも最も冷酷無比でもある事を知っている。

 ロザリィはそれを知っていたうえで、そう返した。

 何故ならリリィマリアーノは、この結末をわかっていて、全てこうなるように導き、そしてあの醜き王子を完膚なきまでに叩きのめす為だけに、あんな風にディランを調子づかせたのだから。

「リリィ様。その奇妙な髪色も美しくないメイクも分厚い眼鏡も、全てわざとディランを煽る為だった、のですよね」

「……うふふ、さあ、ね?」

 リリィは眼鏡を外して黄金に光る瞳をロザリィに向ける。

「ああ……惚れ惚れするような魔力、そして美しさです。本来のリリィ様の美貌を見たら、あの愚鈍な馬鹿王子でも婚約破棄などするはずがありません」

「いいのよ。それも試す為のテストだったんだから、ね?」

 リリィはニコッとロザリィに満面の笑みを向ける。

 リリィマリアーノは残酷な令嬢だ。

 そもそもこのクロヴィス王国は、昔から国交に関する事で多くの問題点があり、諸外国からは様々な理由から嫌われていた。しかしクロヴィス王国には、優秀な土地と豊富な資源が取れる事から輸出入において多少強気に出られても断ることができなかった。
 長年続いたその不和に痺れを切らし、見かねたゾルトバルト家がこの国を内側から崩そうと動いたのである。

 リリィマリアーノは父、ザナードに「このやり方はさすがに哀れすぎるから次世代の王太子がまともな人物で改革が見込めるのなら、クロヴィス王国と諸外国の和平への道を探してみるのはどうか」といかにもらしい事を提案。 

 ザナードはリリィマリアーノの意見を飲み、全てを一任させた。

「リリィ様はいつから知っておられたのですか?」

「なんの話かしら?」

「あの馬鹿王子……ディランが救いようがないクズである事をです」

「さあて、ね」

 リリィマリアーノは口元に手を置き、笑った。

 彼女はリリー・フォンバルトとしてディランの婚約者となる数年前からすでにクロヴィス王宮に潜伏していた。

 それこそ当初のクロヴィス王国を崩す為のプランの一環であった。その時からこの国は次世代もすでに救いようがない事を知り得ていた。

 だからこそ、容赦なく、完膚なきまでにこの国を滅ぼそうと決意していたのである。

 自らを婚約者に任命してもらえるように筋道を立て、そして嫌われるように振る舞い、最後にその婚約者が全ての黒幕である事を明かした後で、馬鹿な王子を絶望させる為に。

「ちなみにディランはまだ生きているのかしら?」

「数日前、無人島に確認した時はかろうじて生きているようでした」

「あらあら! 凄いわねえ! 意外とサバイバルもいけるのね、ディラン様は。うっふふふふふふ……」

「……リリィ様は本当に、本当にお優しい、です」

 と、言う言葉の裏にロザリィは「本当に残酷で恐ろしい」と思っていたが、それは呑み込んだ。

 何故ならディランは、かろうじて生き続けられるように、リリィマリアーノの手によって食糧や水など、ギリギリの量をうまく島に流して、生かされているからだ。

 リリィマリアーノ・ゾルトバルトは容赦しない。

 気に入らない相手、女や弱き者を食い物にし権力を笠に着ては横暴を繰り返すクズには、ただ殺すなんて生ぬるい事はしない。

 心の底が絶望で埋め尽くされ、自死を選ぶほどに追い詰められるまで、とことんにやる。

 生きたまま生爪なまづめを剥がすように。



 彼女がゾルトバルト家いち美しくて、優しくて。

 そして最も冷酷で残忍な事を知る者は一族の中でも少ない。



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