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■3/むーこ先輩、参拝する。(上)
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幽霊がいる。としか、言いようがない。
市立定道高校までの道のりは自転車で行く。終業式に向かうために、ギアが錆び付いて重たいペダルを踏む。軋んだ音がぎぃぎぃと響いて煩わしい。だけど、日々僕を苛つかせるその煩わしさが、今日は気にならない。
何故って、幽霊がいるからだ。
むーこ先輩じゃない。半透明の方々が、そこかしこにいるのだ。例えば電柱の脇でシャドーボクシングをしているサラリーマン。アリの行列に混じって四つん這いで行進するお兄さん。プロレスの技をかけあっている二人のお爺さん、などなど。
どうしてみんな、こんな奇行に走っているのだろう。人に見えないから理性が吹っ飛んでいるのか、暇なのか、それとも両方なのか。さっきなんか、陸上選手が自転車に乗る僕と並走しながら、ずっと変顔をこちらに披露していた。
もちろん無視した。
普段は物静かな住宅街に、これだけの人数を見るのは確かに新鮮ではある。しかしもう限界だ。ハッキリ言って異常事態だ。むーこ先輩ひとりならともかく、こんな数の幽霊——と思しき半透明の人——達を目の当たりにして、果たして僕は正常でいられるのだろうか。というか、もうすでに頭がおかしくなっているのでは。これが全部幻覚であった方がいくらか健全のような気がする。
まるで一夜にして世界が作り変えられたかのように、目にする光景全てが異様だった。
●
学校に着いたのは八時二〇分。
遅刻ギリギリだ。むーこ先輩のパンツを見たことで、幽霊はすり抜けることが可能だと理解している。にもかかわらず、僕は人混みになっている幽霊達を全て避けて通ってきた。おかげで回り道を繰り返して、こんな時間。人気の少ない下駄箱で靴を履き替えて、急ぎ足で教室に向かう。二年の教室は三階だ。
「あ」
階段の途中で、後ろから追い抜いていく人影があった。十方院さんだ。彼女は今日もいつも通りの時間にやって来たのだろう。その隣には、同じように階段を駆け上がる人影。あっという間に行ってしまったから、詳しい風貌はよく分からなかった。
教室に入ると、十方院さんが既に席に着いていた。廊下側の最前列だ。その目の前で、入り口を塞ぐ半透明の黒い影。
幽霊だ、と直感で理解する。同時に、その突拍子もない光景に腰が引けた。
黒い着物に袈裟を羽織った男の人。顔には般若の面をつけている。だけど、本当にワケがわからないのは、その般若面の男が一心不乱に踊っていることだ。
パラパラだった。古い。
鋭く機敏な動きに圧倒され、僕はその場で立ち尽くす。
「…………」
声を発することも出来ず、その般若幽霊越しに十方院さんを見る。
「おはよう、空見くん」
「お、おはよう……えーと」
何も気にしてない様子で、十方院さんは僕に会釈した。艶のある黒髪はボブカット、血色の良い肌の色は活発な性格によく似合っている。整った輪郭に猫っぽい目がとても可愛らしい。うん、今日も美少女ですね。
そんな彼女が僕の名前を覚えてくれていることに感動するが、それよりもパラパラが気になりすぎて思わず声が上擦った。
「あの……十方院さん?」
あまり話したことのない女子に声をかけるのは緊張する。相手が美少女なら尚更だ。実際、クラスメイトの間では十方院さんの人気は高いらしい。髪を揺らして、つり目がちな瞳が驚いたように見開かれる。やっぱり、僕に話しかけられるのは意外だったらしい。
「? どうかしたの?」
それでも十方院さんはにこやかに僕の話を促してくれる。分け隔てなくクラスメイトに接してくれる感じがとても好印象なのだけれど、いまは彼女に見とれている場合じゃない。
「実家、お寺なんだよね」
「ええ、そうだけど」
「じゃあやっぱり、幽霊とか、信じる?」
えぇ? という声と共に怪訝そうな顔を向けられる。機嫌を損ねてしまったようだ。
「悪いけど、そういうオカルトな話は嫌いなの」
それは奇遇だ、僕もです。
「そ、そう。ならいいんだ、ごめん」
となると、やっぱり彼女にはこのパラパラ幽霊が見えていないのか。
「……?」
十方院さんが怪訝そうに僕を見遣る。僕はといえば、やはりこの場から動けずに教室に入ることもままならない。
「もうすぐ始業のチャイムが鳴るけれど。空見くん、座らないの?」
「いやあ」としか返せない。
まさか「幽霊がここにいるから入れません」なんて言えるはずがないから。
その瞬間だった。
「うわあっ!」
僕を脅かすように、般若面が「がおー」と両手を広げて僕を威嚇する。普段出さない大声に、クラスメイト達の視線が突き刺さった。やってしまった。
「……! 空見くん、顔色が良くないみたいね!?」
「え」
良いとか悪いとか返答する間もなく、立ち上がった十方院さんが慌ただしく僕の手を掴んで廊下に出た。
なんだなんだとクラスメイトがドアから顔を出して見物するのも構わず、僕は彼女に引っ張られるがまま、あっという間に階段の方まで連れてこられてしまう。般若面は僕らの少し後ろを見守るように憑いてきた。
「空見くん。まさかとは思うけど、観えてるの、これ」
十方院さんは階段脇にある非常口へと僕を追い詰めて、般若を指さした。幽霊はまた踊り始めている。
「え、え、えーと、なんのことかな」
「とぼけないで。観えてるから私にあんなこと訊いたんでしょ」
「……うん」
「なんてこと……」
まるでこの世の終わりが来たみたいな顔で、十方院さんがわなわなと肩を震わせる。
「空見くん、私と親戚なんて事はないわね」
鬼気迫った彼女の様子に気圧されて、僕は頷くことしか出来なかった。こんな迫力あったのか、この人。
「じゃあ、いつから観えてるの。まさか入学してからずっとなんて言わないわよね」
「き、今日から……です」
「……今日から……」
「信じてもらえないかもしれないけれど……」
「……そんなに怯えないで頂戴。嘘をついている顔じゃないのは見れば分かる」
顎に手を添えて、十方院さんはじっと床を見つめている。なにを考えているんだろう。
「——空見くん、終業式が終わったら寺に来なさい。詳しく聞きたいことがある」
「は」
「は、じゃないわよ。身内の恥を観られておいて『じゃあこれからは何事もなかったかのように接しましょう』なんて言えるほど、私は肝が据わってないの。問題は解決すべきだわ」
「身内の恥……」
「……口が滑った、忘れて。とにかく、放課後は直で寺に来なさい」
「え、えーっと」
「逃げるなんてバカなマネは想像しないことをオススメするわ。その時は毎晩この人に空見くんの枕元でパラパラを踊らせるから、そのつもりで。放課後、駅の北口で待ち合わせましょう。それじゃ」
まくしたてるように十方院さんは言い放って、黒い幽霊を連れて教室に戻ってしまった。
同時に、始業を告げるチャイムが校内に響いた。
「……この人ってのは、やっぱりあの般若のことだよね」
なんて恐ろしいことを考えるんだ。僕の中にある十方院清花という人間の情報をいくらか上書きしなければならない。華やかなイメージは僕の中から跡形も無く消し飛んだ。
とんでもない女子だぞ、あれ。
●
終業式の間、袈裟を着た般若面の幽霊は壇上でブレイクダンスを踊っていた。気になって校長の話はまるで耳に入ってこない。なんとなく十方院さんの方を見ると「なに見てんのよ」とアイコンタクトで叱られてしまった。目が合ったと言うことは、十方院さんも僕の方を見ていたはずである。それなのに、僕だけ叱られるのはなんとなく納得がいかなかった。
……、というわけで終業式も無事(?)に終わり、晴れて夏休みとなった。今日は野球部の練習はない。僕は十方院さんに言われた通り、待ち合わせ場所へと律儀に向かうのだった。
うちの高校の最寄り駅は、いつ来ても賑わっている。商店街や野球場、電車や高速道路からのアクセスの良さが売りだ。いまは昼前だし、休憩中のサラリーマンもたくさんいた。中にはやっぱり幽霊がラーメン屋に律儀に並んでいたりして(並んでいる人と重なっているから分かりづらかった)、いつも以上に人がたくさんいるように見える。
その中に見知った顔を見つけた。というより、こっちに手を振っていたので「見つけさせられた」と言う方が正しいかも知れない。
横断歩道の向こう側から懸命にこっちに手を振っているのは、むーこ先輩だった。
「学校、お疲れ様!」
信号が変わると、むーこ先輩はショートポニーテールを文字通りしっぽのようにぴょこぴょこ揺らしながら走って来た。髪の毛を束ねているシュシュも、心なしか楽しそうに跳ねているように見えた。
「あ、どうも。お疲れ様です」
「うわ、終業式なのに荷物少なっ」
「いや、終業式だから荷物が少ないんでしょう」
「普通は持ち帰る荷物で手が一杯になるもんなの! 律儀なんだねぇ、うんうん」
「真面目じゃなくて律儀ですか……むーこ先輩の方がよっぽど律儀だと思いますけど」
いまだって幽霊なのにわざわざ交通ルールを守っていたし。街中で見かけた僕に話しかけてくれるし。
「タカミチくん、夏休みの宿題もスケジュール通りに済ませそうだよね」
当然だ。後回しにしたって良いことはない。この夏も野球部の練習や合宿がスケジュールに組み込まれている。特段遊びに行く予定は無いけれど、後回しにしたら確実に終わらないのは自分が一番よく知っている。頭悪いし。というかそれよりも気になるのは、
「むーこ先輩、いま尚理くんって……」
「え? 空見尚理くんだから普通に呼んだだけなんだけど、おかしい?」
「い、いえ……ただ、同居人以外に名前で呼ばれることに慣れていないので」
「そっかそっか。それじゃあレアだね、私」
なにが嬉しいんだか。僕の名前を呼ぶことに価値なんてないし、将来の役にも立たない。だからそんな希少価値はステータスなんかにならないんだから、自慢気に笑うこともないだろうに。あ、でも幽霊か……将来の役ったって……ダメだダメだ。
なんだかいま、頭の中とはいえむーこ先輩に失礼をした気がする。
「ごめんなさい」
「えっ」
「こっちの都合です。気にしないでください」
「は、はぁ……律儀というか、不思議だね、キミ」
「幽霊ほど不思議ではない気がします」
「それもそうか。……うん、それもそうだね! 私の方が不思議だぞ!」
なんで勝ち誇っているんだこの人は。
「はっはー」
「楽しそうでなによりです」
「むう、後輩に適当にあしらわれている気がする」
「いえいえ、そんなことは」あるけど。
「それでむーこ先輩、今日はどうしたんですか」
「あー、うん。尚理くん練習ないみたいだから憑いていこうかなーって」
「気軽に言いますね」
「だって尚理くん、学校に自転車置いて駅に向かうんだもん。気になるでしょ」
なるほど。確かに自転車は学校に置いてきた。十方院さんが待ち合わせ場所を駅に指定してきたぐらいだから、電車に乗って移動するのだろう。
だとすれば自転車は邪魔だ。駅前の駐輪場は軒並み有料になってしまったし、それを気にしないにしてもいつも満車だから。ならば学校の駐輪場に置いておくのが一番だ。
校門が閉まる時刻までには戻って来られるだろうし。
「それでそれで、どこいくの?」
「むーこ先輩に関係は——ああ、なくもないか」
元を正せば、むーこ先輩と話してから幽霊が見えるようになってしまったのだ。だからこそ僕は十方院さんに呼ばれたのだろうし、一概に「関係ないことだ」と先輩を切り捨てることも憚られる。十方院さんならむーこ先輩のこともなにか知っているかも分からないし、どうせだから僕はこのまま彼女を誘うことにした。
「私に関係あるんだ?」
「ええ。ちょっと同級生の家に呼ばれまして。お寺なんですけど、先輩もご一緒しますか」
「え!」
いいの、と言わんばかりにむーこ先輩が目を丸くしてこちらに詰め寄ってくる。
良い匂いは……あ、しないな。
「でもお寺かー。なんかちょっと怖いかも」
「怖い? ああ、幽霊だからですか」
「いやいや。幽霊にとってお寺は怖くないよ。救いを求めて行く場所だと思うし」
はぁ、そんなもんですか。
「だとしたらなんで」
「お、おばけとか出るかも知れないし」
「…………」
つっこみ待ちなのだろうか、これは。しかしどうやら本気で怖がっている様子に僕はなにも言えなくなった。大体おばけが出るなら夜だと相場が決まっている。まぁ、いま目の前に出てるけど。昼前だけど。
「あ! 私がおばけだった!」
「……えー、と。結局、どうしますか」
「うん、憑いていって良いなら一緒に行く」
「そうですか」
そこでようやく十方院さんの許可を貰っていないことに気が付く。まぁ、幽霊なら運賃もかからないし、そう邪魔になることもないだろう。そんなことを考えていた矢先、横断歩道の向こう側に今度は十方院さん本人が現れた。隣にはやっぱり般若面さんがいたから、いやでも目立つ。すぐに彼女だと分かった。彼女は大きなトートバッグを抱えるように持っている。ああ、これがむーこ先輩の言っていた「普通」か。
「早いのね、空見くん」
「まぁ。この通り荷物ないので」
「…………嫌味なのかしら、それは」
「は」
「いや、いい。気にしないで」
彼女の視線は僕ではなく手元のトートバッグの中に注がれている。僕が身軽であることが十方院さんの怠慢を皮肉っていると思ったのか。勝手な人だなぁ……。
「ちょ、ちょっと尚理くん!」
僕と彼女のやり取りを聞いていたむーこ先輩が、慌てた様子で目の前に出てくる。
「知り合いって女の子だったの!?」
「言ってませんでしたっけ」
「聞いてないよ! それに隣のお面被った幽霊! 怖すぎるんだけど!」
「そうでしたっけ……えと、こちら十方院清花さん。僕の同級生で、実家がお寺だそうです」
「どうきゅうせい……彼女とか?」
「違います。聞かれたら絶対に怒られるんで今後その表現は控えてください」
「なぁんだ、違うのか。そっかそっか」
満足そうに頷くむーこ先輩。今の発言にはかなり肝を冷やした。しかし幸いなことに十方院さんには聞こえてなかったようだ。
「……空見くん?」
先輩との他愛もない話に興じていると、今度はしびれを切らした十方院さんが僕の前で睨みをきかせてくる。怖い怖い。
「あ、そうだ。十方院さん、もう一人連れて行きたい人が出来たんだけど、大丈夫?」
「もう一人っていうのは……もしかして」
「うん。こちらむーこ先輩。最近知り合った人……幽霊なんだけど」
あ、幽霊というのは見れば分かるか。半透明だし。
「それで、どうかな。勝手に誘っちゃって申し訳ないんだけど、多分僕が幽霊を見れるようになったことと、むーこ先輩と知り合ったことが関係しているように思うんだ」
「…………話はわかったわ。事は思ったよりも深刻みたいね」
「は」
「だから。は、じゃないの。急いで行くわよ」
つっけんどんな態度で、十方院さんはさっさと改札を抜けていってしまう。僕とむーこ先輩はその背中を見て、その後に無言で互いの視線を交わらせた。
怒らせてしまった、のだろう。
「怖い子だね」
とむーこ先輩は言う。
「おばけと、どっちが怖いんだろう」と口に出かけたけど、その疑問は胸にしまっておくことにした。
市立定道高校までの道のりは自転車で行く。終業式に向かうために、ギアが錆び付いて重たいペダルを踏む。軋んだ音がぎぃぎぃと響いて煩わしい。だけど、日々僕を苛つかせるその煩わしさが、今日は気にならない。
何故って、幽霊がいるからだ。
むーこ先輩じゃない。半透明の方々が、そこかしこにいるのだ。例えば電柱の脇でシャドーボクシングをしているサラリーマン。アリの行列に混じって四つん這いで行進するお兄さん。プロレスの技をかけあっている二人のお爺さん、などなど。
どうしてみんな、こんな奇行に走っているのだろう。人に見えないから理性が吹っ飛んでいるのか、暇なのか、それとも両方なのか。さっきなんか、陸上選手が自転車に乗る僕と並走しながら、ずっと変顔をこちらに披露していた。
もちろん無視した。
普段は物静かな住宅街に、これだけの人数を見るのは確かに新鮮ではある。しかしもう限界だ。ハッキリ言って異常事態だ。むーこ先輩ひとりならともかく、こんな数の幽霊——と思しき半透明の人——達を目の当たりにして、果たして僕は正常でいられるのだろうか。というか、もうすでに頭がおかしくなっているのでは。これが全部幻覚であった方がいくらか健全のような気がする。
まるで一夜にして世界が作り変えられたかのように、目にする光景全てが異様だった。
●
学校に着いたのは八時二〇分。
遅刻ギリギリだ。むーこ先輩のパンツを見たことで、幽霊はすり抜けることが可能だと理解している。にもかかわらず、僕は人混みになっている幽霊達を全て避けて通ってきた。おかげで回り道を繰り返して、こんな時間。人気の少ない下駄箱で靴を履き替えて、急ぎ足で教室に向かう。二年の教室は三階だ。
「あ」
階段の途中で、後ろから追い抜いていく人影があった。十方院さんだ。彼女は今日もいつも通りの時間にやって来たのだろう。その隣には、同じように階段を駆け上がる人影。あっという間に行ってしまったから、詳しい風貌はよく分からなかった。
教室に入ると、十方院さんが既に席に着いていた。廊下側の最前列だ。その目の前で、入り口を塞ぐ半透明の黒い影。
幽霊だ、と直感で理解する。同時に、その突拍子もない光景に腰が引けた。
黒い着物に袈裟を羽織った男の人。顔には般若の面をつけている。だけど、本当にワケがわからないのは、その般若面の男が一心不乱に踊っていることだ。
パラパラだった。古い。
鋭く機敏な動きに圧倒され、僕はその場で立ち尽くす。
「…………」
声を発することも出来ず、その般若幽霊越しに十方院さんを見る。
「おはよう、空見くん」
「お、おはよう……えーと」
何も気にしてない様子で、十方院さんは僕に会釈した。艶のある黒髪はボブカット、血色の良い肌の色は活発な性格によく似合っている。整った輪郭に猫っぽい目がとても可愛らしい。うん、今日も美少女ですね。
そんな彼女が僕の名前を覚えてくれていることに感動するが、それよりもパラパラが気になりすぎて思わず声が上擦った。
「あの……十方院さん?」
あまり話したことのない女子に声をかけるのは緊張する。相手が美少女なら尚更だ。実際、クラスメイトの間では十方院さんの人気は高いらしい。髪を揺らして、つり目がちな瞳が驚いたように見開かれる。やっぱり、僕に話しかけられるのは意外だったらしい。
「? どうかしたの?」
それでも十方院さんはにこやかに僕の話を促してくれる。分け隔てなくクラスメイトに接してくれる感じがとても好印象なのだけれど、いまは彼女に見とれている場合じゃない。
「実家、お寺なんだよね」
「ええ、そうだけど」
「じゃあやっぱり、幽霊とか、信じる?」
えぇ? という声と共に怪訝そうな顔を向けられる。機嫌を損ねてしまったようだ。
「悪いけど、そういうオカルトな話は嫌いなの」
それは奇遇だ、僕もです。
「そ、そう。ならいいんだ、ごめん」
となると、やっぱり彼女にはこのパラパラ幽霊が見えていないのか。
「……?」
十方院さんが怪訝そうに僕を見遣る。僕はといえば、やはりこの場から動けずに教室に入ることもままならない。
「もうすぐ始業のチャイムが鳴るけれど。空見くん、座らないの?」
「いやあ」としか返せない。
まさか「幽霊がここにいるから入れません」なんて言えるはずがないから。
その瞬間だった。
「うわあっ!」
僕を脅かすように、般若面が「がおー」と両手を広げて僕を威嚇する。普段出さない大声に、クラスメイト達の視線が突き刺さった。やってしまった。
「……! 空見くん、顔色が良くないみたいね!?」
「え」
良いとか悪いとか返答する間もなく、立ち上がった十方院さんが慌ただしく僕の手を掴んで廊下に出た。
なんだなんだとクラスメイトがドアから顔を出して見物するのも構わず、僕は彼女に引っ張られるがまま、あっという間に階段の方まで連れてこられてしまう。般若面は僕らの少し後ろを見守るように憑いてきた。
「空見くん。まさかとは思うけど、観えてるの、これ」
十方院さんは階段脇にある非常口へと僕を追い詰めて、般若を指さした。幽霊はまた踊り始めている。
「え、え、えーと、なんのことかな」
「とぼけないで。観えてるから私にあんなこと訊いたんでしょ」
「……うん」
「なんてこと……」
まるでこの世の終わりが来たみたいな顔で、十方院さんがわなわなと肩を震わせる。
「空見くん、私と親戚なんて事はないわね」
鬼気迫った彼女の様子に気圧されて、僕は頷くことしか出来なかった。こんな迫力あったのか、この人。
「じゃあ、いつから観えてるの。まさか入学してからずっとなんて言わないわよね」
「き、今日から……です」
「……今日から……」
「信じてもらえないかもしれないけれど……」
「……そんなに怯えないで頂戴。嘘をついている顔じゃないのは見れば分かる」
顎に手を添えて、十方院さんはじっと床を見つめている。なにを考えているんだろう。
「——空見くん、終業式が終わったら寺に来なさい。詳しく聞きたいことがある」
「は」
「は、じゃないわよ。身内の恥を観られておいて『じゃあこれからは何事もなかったかのように接しましょう』なんて言えるほど、私は肝が据わってないの。問題は解決すべきだわ」
「身内の恥……」
「……口が滑った、忘れて。とにかく、放課後は直で寺に来なさい」
「え、えーっと」
「逃げるなんてバカなマネは想像しないことをオススメするわ。その時は毎晩この人に空見くんの枕元でパラパラを踊らせるから、そのつもりで。放課後、駅の北口で待ち合わせましょう。それじゃ」
まくしたてるように十方院さんは言い放って、黒い幽霊を連れて教室に戻ってしまった。
同時に、始業を告げるチャイムが校内に響いた。
「……この人ってのは、やっぱりあの般若のことだよね」
なんて恐ろしいことを考えるんだ。僕の中にある十方院清花という人間の情報をいくらか上書きしなければならない。華やかなイメージは僕の中から跡形も無く消し飛んだ。
とんでもない女子だぞ、あれ。
●
終業式の間、袈裟を着た般若面の幽霊は壇上でブレイクダンスを踊っていた。気になって校長の話はまるで耳に入ってこない。なんとなく十方院さんの方を見ると「なに見てんのよ」とアイコンタクトで叱られてしまった。目が合ったと言うことは、十方院さんも僕の方を見ていたはずである。それなのに、僕だけ叱られるのはなんとなく納得がいかなかった。
……、というわけで終業式も無事(?)に終わり、晴れて夏休みとなった。今日は野球部の練習はない。僕は十方院さんに言われた通り、待ち合わせ場所へと律儀に向かうのだった。
うちの高校の最寄り駅は、いつ来ても賑わっている。商店街や野球場、電車や高速道路からのアクセスの良さが売りだ。いまは昼前だし、休憩中のサラリーマンもたくさんいた。中にはやっぱり幽霊がラーメン屋に律儀に並んでいたりして(並んでいる人と重なっているから分かりづらかった)、いつも以上に人がたくさんいるように見える。
その中に見知った顔を見つけた。というより、こっちに手を振っていたので「見つけさせられた」と言う方が正しいかも知れない。
横断歩道の向こう側から懸命にこっちに手を振っているのは、むーこ先輩だった。
「学校、お疲れ様!」
信号が変わると、むーこ先輩はショートポニーテールを文字通りしっぽのようにぴょこぴょこ揺らしながら走って来た。髪の毛を束ねているシュシュも、心なしか楽しそうに跳ねているように見えた。
「あ、どうも。お疲れ様です」
「うわ、終業式なのに荷物少なっ」
「いや、終業式だから荷物が少ないんでしょう」
「普通は持ち帰る荷物で手が一杯になるもんなの! 律儀なんだねぇ、うんうん」
「真面目じゃなくて律儀ですか……むーこ先輩の方がよっぽど律儀だと思いますけど」
いまだって幽霊なのにわざわざ交通ルールを守っていたし。街中で見かけた僕に話しかけてくれるし。
「タカミチくん、夏休みの宿題もスケジュール通りに済ませそうだよね」
当然だ。後回しにしたって良いことはない。この夏も野球部の練習や合宿がスケジュールに組み込まれている。特段遊びに行く予定は無いけれど、後回しにしたら確実に終わらないのは自分が一番よく知っている。頭悪いし。というかそれよりも気になるのは、
「むーこ先輩、いま尚理くんって……」
「え? 空見尚理くんだから普通に呼んだだけなんだけど、おかしい?」
「い、いえ……ただ、同居人以外に名前で呼ばれることに慣れていないので」
「そっかそっか。それじゃあレアだね、私」
なにが嬉しいんだか。僕の名前を呼ぶことに価値なんてないし、将来の役にも立たない。だからそんな希少価値はステータスなんかにならないんだから、自慢気に笑うこともないだろうに。あ、でも幽霊か……将来の役ったって……ダメだダメだ。
なんだかいま、頭の中とはいえむーこ先輩に失礼をした気がする。
「ごめんなさい」
「えっ」
「こっちの都合です。気にしないでください」
「は、はぁ……律儀というか、不思議だね、キミ」
「幽霊ほど不思議ではない気がします」
「それもそうか。……うん、それもそうだね! 私の方が不思議だぞ!」
なんで勝ち誇っているんだこの人は。
「はっはー」
「楽しそうでなによりです」
「むう、後輩に適当にあしらわれている気がする」
「いえいえ、そんなことは」あるけど。
「それでむーこ先輩、今日はどうしたんですか」
「あー、うん。尚理くん練習ないみたいだから憑いていこうかなーって」
「気軽に言いますね」
「だって尚理くん、学校に自転車置いて駅に向かうんだもん。気になるでしょ」
なるほど。確かに自転車は学校に置いてきた。十方院さんが待ち合わせ場所を駅に指定してきたぐらいだから、電車に乗って移動するのだろう。
だとすれば自転車は邪魔だ。駅前の駐輪場は軒並み有料になってしまったし、それを気にしないにしてもいつも満車だから。ならば学校の駐輪場に置いておくのが一番だ。
校門が閉まる時刻までには戻って来られるだろうし。
「それでそれで、どこいくの?」
「むーこ先輩に関係は——ああ、なくもないか」
元を正せば、むーこ先輩と話してから幽霊が見えるようになってしまったのだ。だからこそ僕は十方院さんに呼ばれたのだろうし、一概に「関係ないことだ」と先輩を切り捨てることも憚られる。十方院さんならむーこ先輩のこともなにか知っているかも分からないし、どうせだから僕はこのまま彼女を誘うことにした。
「私に関係あるんだ?」
「ええ。ちょっと同級生の家に呼ばれまして。お寺なんですけど、先輩もご一緒しますか」
「え!」
いいの、と言わんばかりにむーこ先輩が目を丸くしてこちらに詰め寄ってくる。
良い匂いは……あ、しないな。
「でもお寺かー。なんかちょっと怖いかも」
「怖い? ああ、幽霊だからですか」
「いやいや。幽霊にとってお寺は怖くないよ。救いを求めて行く場所だと思うし」
はぁ、そんなもんですか。
「だとしたらなんで」
「お、おばけとか出るかも知れないし」
「…………」
つっこみ待ちなのだろうか、これは。しかしどうやら本気で怖がっている様子に僕はなにも言えなくなった。大体おばけが出るなら夜だと相場が決まっている。まぁ、いま目の前に出てるけど。昼前だけど。
「あ! 私がおばけだった!」
「……えー、と。結局、どうしますか」
「うん、憑いていって良いなら一緒に行く」
「そうですか」
そこでようやく十方院さんの許可を貰っていないことに気が付く。まぁ、幽霊なら運賃もかからないし、そう邪魔になることもないだろう。そんなことを考えていた矢先、横断歩道の向こう側に今度は十方院さん本人が現れた。隣にはやっぱり般若面さんがいたから、いやでも目立つ。すぐに彼女だと分かった。彼女は大きなトートバッグを抱えるように持っている。ああ、これがむーこ先輩の言っていた「普通」か。
「早いのね、空見くん」
「まぁ。この通り荷物ないので」
「…………嫌味なのかしら、それは」
「は」
「いや、いい。気にしないで」
彼女の視線は僕ではなく手元のトートバッグの中に注がれている。僕が身軽であることが十方院さんの怠慢を皮肉っていると思ったのか。勝手な人だなぁ……。
「ちょ、ちょっと尚理くん!」
僕と彼女のやり取りを聞いていたむーこ先輩が、慌てた様子で目の前に出てくる。
「知り合いって女の子だったの!?」
「言ってませんでしたっけ」
「聞いてないよ! それに隣のお面被った幽霊! 怖すぎるんだけど!」
「そうでしたっけ……えと、こちら十方院清花さん。僕の同級生で、実家がお寺だそうです」
「どうきゅうせい……彼女とか?」
「違います。聞かれたら絶対に怒られるんで今後その表現は控えてください」
「なぁんだ、違うのか。そっかそっか」
満足そうに頷くむーこ先輩。今の発言にはかなり肝を冷やした。しかし幸いなことに十方院さんには聞こえてなかったようだ。
「……空見くん?」
先輩との他愛もない話に興じていると、今度はしびれを切らした十方院さんが僕の前で睨みをきかせてくる。怖い怖い。
「あ、そうだ。十方院さん、もう一人連れて行きたい人が出来たんだけど、大丈夫?」
「もう一人っていうのは……もしかして」
「うん。こちらむーこ先輩。最近知り合った人……幽霊なんだけど」
あ、幽霊というのは見れば分かるか。半透明だし。
「それで、どうかな。勝手に誘っちゃって申し訳ないんだけど、多分僕が幽霊を見れるようになったことと、むーこ先輩と知り合ったことが関係しているように思うんだ」
「…………話はわかったわ。事は思ったよりも深刻みたいね」
「は」
「だから。は、じゃないの。急いで行くわよ」
つっけんどんな態度で、十方院さんはさっさと改札を抜けていってしまう。僕とむーこ先輩はその背中を見て、その後に無言で互いの視線を交わらせた。
怒らせてしまった、のだろう。
「怖い子だね」
とむーこ先輩は言う。
「おばけと、どっちが怖いんだろう」と口に出かけたけど、その疑問は胸にしまっておくことにした。
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※初出2024年7月
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