ゆめこさん、みえてる。

兎塚クニアキ

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■10/むーこ先輩、告白する。(上)

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『爺ちゃんは昨年に亡くなりました。先輩のお知り合いには気の毒ですが、もう方邊毅はこの世を去りました。お会いしたいということであれば、せめて墓地の場所を教えておきます』

 昨晩届いた、刹樹からのメールに書かれていた方邊くんの伝言。その最後には、千葉県にある霊園の住所と墓地の区画が添えられていた。
 まさか彼からの伝言が毅さんについての情報だとは思いも寄らなかった。僕の怪我に責任を感じているのだろうか。情報をありがたく思うと同時に、少しだけ気が重たくなる。
 これは僕自身が招いた失敗だ。彼に責任はない。そう考えると、この情報の引き出し方は反則技みたいだなと思った。どうせなら、勝負に勝って堂々と受け取りたかった。

 しかし情報は情報だ。
 野球部の練習も気にする必要はなくなった。早速、僕は霊園に行く準備として、十方院さんにアポを取るため連絡した。まだ朝の八時だったけれど、十方院さんはワンコール終わる前に僕からの電話に出てくれる。


 後輩に会葬者の血縁者がいたことを話すと彼女も驚いていた。そして当の本人が既に逝去していると伝えると、彼女は静かに「それは、残念ね」と電話口で呟いた。

「——ってことらしいんだけど、飛成霊園ひなりれいえんって知ってる?」
『ああ、あの霊園ね。私も法事で行ったことがある。空気が綺麗ないいところよ』
「へぇ……」

 いいところ、か。お寺の墓地には両親の関係で何度か足を運んだことがあるけど、霊園には縁がなかった。確かに、ネットで調べた限りではお寺とは雰囲気がまるで違うように思った。棚田のように造成された山に墓石が並ぶ光景は、安らかな眠りをイメージさせる。
 なるほど、いいところね。

「それで、十方院さんはいつ頃空いてるかな。スケジュール合わせられるけど」
『スケジュール合わせるったって……空見くん、野球部は?』
「あー」

 腕のことは詳しく話す必要もないだろう。余計な心配かけちゃうかもしれないし。いや、十方院さんが僕のことを心配する道理もないか。うぬぼれすぎだ。

「まぁ、事情があって。しばらく野球部の練習は休むんだ」
『……? そう、ならいいんだけど』

 でもごめんなさい、と彼女は予想外に誘いを断る。

『そろそろお盆で、準備が忙しいのよ。私はしばらく自由に動けそうにないわ』
「……そっか」

 お盆か。死者の霊がその日だけ帰ってくる、というのは知っている。お寺では毎年お盆には大きな法要を開くのだと十方院さんは言った。家業の手伝いなら仕方ない。
 だけど、むーこ先輩の存在を知ったいま。霊が帰ってくるってなんだろうと疑問に思う。他の幽霊なら、本当に家族のもとに戻るのかも知れない。だけど、記憶をなくした先輩が帰る所って、どこなんだろうか。
 彼女は亡くなってからの九年間、もしかしたらずっと帰れずに行き場を失っていたのかな。
 だとすれば、今年のお盆は先輩と一緒にいたいと思った。それが彼女のためというより、自分のためかもしれないと思うのは、少々自虐が過ぎるだろうか。

「お盆ね。お寺も大変だ」
『本当にごめんなさい。一年で一番忙しい時期だから……私も出来れば力になりたかったんだけど』
「いやいや、十分力になってくれてるよ。ありがとう」
『……なんか、キミにお礼を言われると気持ち悪いわね』

 僕ってば、そんなに礼を失した男だと思われていたのか。

『むーこ先輩と一緒に行くのよね』
「うん、もちろん」
『そう。先輩がいるなら安心かな』
「どういう意味?」

 更に、クラスメイトの僕よりも、姿も声もわからないむーこ先輩の方が十方院さんの信頼を得ているだと。そんなに信用ないかな……。

『いえ、決して空見くんをバカにするような意味じゃないの。お墓に行くってことは、もしかしたらまた……』
「……ああ」

 そうか。十方院さんは僕を心配してくれているのだといまの言葉で理解する。
 央泉寺で見た墓地の光景。そして、霊が他人ぼくに見られることの意味。彼女は、僕が過度に霊に干渉することを案じている。これ、うぬぼれていいのか。

『——でも、うちと違って霊園ならまだいいかも。ご先祖様がいま言ったんだけど、霊園には救いを求めて行く人は少ないとか。比較的穏やかな場所だそうよ』
「え、喋れたのあの人」
『なに言ってるの、当たり前でしょ』

 てっきり踊るだけかと思っていた。般若面あなどりがたし。

『でも、そうなるとまた一つ問題が増えるかもね』
「は」
『…………』
「いや、ごめん。問題がなんだって?」

 電話口なのに殺気を感じたぞいま。口癖とはいえ、彼女相手に「は」は迂闊に使えないな。

『問題、問題ね。だって空見くん、その方邊さんって人に会うつもりなんでしょう?』
「うん」それはもちろん。僕には幽霊が見える力がある。なら、墓地に行けば方邊くんのお爺さんにだって会えるということだ。
「あ、でも墓地にはいないかも知れないってことか」

 むーこ先輩の例もあるし、他の幽霊だって街中に溢れている。目的の人物が墓地にいるとは限らないってことだ。

「んー。でもそれなら、周りにいるひとに聞けばなにか手がかりが——」
『キミが霊を観ることができるからって、霊への過度な干渉はするなと言ってるでしょう』
「う」ばっさり言われてしまった。心配されたそばからこれだ。
『大体、私が言いたいことは違う問題』

 電話の向こうから彼女の咳払いが聞こえてくる。

『いい? ご先祖様の話によれば、霊園には救いを求める人が少ない——これってつまり、救われている人が多いってこと』
「結構じゃないか」
『バカ』

 そういうことじゃないの。十方院さんが続ける。

『死んだら誰もがむーこ先輩やご先祖様みたいになるわけじゃないわ。言ったでしょ、幽霊とは死者の残留思念が起こす現象だって』
「……?」

 頭の悪い僕に辟易したのか、今度は溜息が聞こえてきた。ごめん、バカで。

『——方邊毅さんがすでに成仏している可能性がある、ってことよ』
「あ……」
『ようやく分かったみたいね。よしんばキミが危険を顧みずに周りの霊に話を聞いたとして、本人が既に本当の意味でこの世にいないとしたら、会うことは不可能だわ』

 確かに彼女の言うとおりだ。本人が不在だとしたらそもそもこの計画自体が間違っている。
 僕は勘違いしていたのかもしれない。幽霊が見えるという力は、別に万能ではないのだ。

『もう一度よく考えて。芙葉先輩の知人ということであれば他にも探しようはある。空見くんが幽霊と干渉する危険を冒してまで、飛成霊園にいく価値が本当にあるのかしら』
「……でも」

 それでも。

「いま、むーこ先輩の記憶の手がかりが霊園にあるのは間違いないよ。だとすれば、僕はそれを諦めたくない」
『どうして』
「どうしてって……」言われても。

 そんなこと、当たり前すぎて考えるまでもない。

「だって、むーこ先輩には僕しかいないじゃないか」
『——空見くんがそう思うなら、もう私は止めない。野暮なこと聞いて悪かったわね』

 言葉の内容とは裏腹に、十方院さんの口調には棘があった。

『でもね、これだけは覚えておいて。空見くんは芙葉先輩とは違うってこと』
「……?」

 彼女の言った意味がよくわからない。僕が先輩と違うって、当然じゃないか。

『それじゃあ、くれぐれも気を付けてね。なにかあったら必ず私に連絡するのよ』
「う、うん」

 だけど、その真意を聞く前に通話が切られてしまった。
 まぁ大丈夫だろう。きっとそんなに大したことじゃない。
 とりあえず、僕は出かける準備をすることにした。十方院さんが一緒に行けないのなら、善は急げだ。むーこ先輩と二人で、今日の内に方邊毅さんに会いに行くことに決めた。


     ●


「おはよう、尚理くん」
「うん。おはようございます、むーこ先輩」

 玄関を開けると丁度良いところに先輩がいた。彼女の目が僕の左腕に留まると、物憂げに眉尻を下げる。

「……大丈夫? 怪我……」
「ああ、大したことありませんよ」
「そう……それなら、よかった」

 ううん、空気が重たい。先輩まで怪我のことを気にする必要なんてどこにもないのに。
 だから僕はその重っ苦しい雰囲気をなくすために、いつもは出さないような明るく元気な声で言う。

「そうだ! むーこ先輩、いま暇ですか!?」

 しかし元気な声なんて慣れないもんだから、最後の方は声が裏返ってしまった。
 恥ずかしい。

「え! うん!? え、あ、う……へへ、なにその声っ」
「——あ、いや。変でしたか」
「変だよ、変すぎ!」

 ですよね。僕も自分で変だと思います。

「もう、無理しなくていいのに……」
「いやいや、無理なんか全然」
「ふふっ、そう。それなら良かった」

 良かった、は僕の台詞だ。いまので張り詰めていた緊張みたいなのが途切れたのか、先輩に笑顔が戻ってくる。うん。月並みだけど、むーこ先輩にはやっぱりこういう顔が似合う。

「私なら今日も暇だよ。幽霊だからね」
「なんか毎日同じ会話してますよね、僕たち」
「あはは、そうだね。なら、もしかして尚理くんも幽霊だったりして」
「まぁ、元から幽霊みたいな奴ですから」
「冗談だって冗談!」

 わかってますよ。僕も冗談です。
 さて、話を脱線させるのはここまでにしよう。僕は思い切って本題の話を持ちかける。

「千葉に行きましょう」
「はいっ!?」

 先輩の両肩がびくりと跳ねた。そりゃ驚くか。

「ここからだと結構遠いんですけど、先輩の知り合いがそこにいるみたいです」
「え? え?」

 先輩は落ち着かない様子で視線を泳がせた。面白い。

「その、私の知り合いって、もしかして昨日の方邊くんの……」
「ええ、お爺さんです。昨年亡くなったらしくて」
「……そう、なの」

 見開いた目が僕を見つめていた。
 千葉に行くと聞いたときとはまた別の驚きだったのだろう、今度はそれ以上続ける言葉を見つけられていないような、そんな途惑い方だ。

「本当は十方院さんも誘ったんですが、仕事が忙しいらしくて。だから二人で」
「そ、っか……え? それじゃあ二人きりってこと?」
「そう言いましたけど」
「そっかそっか。へー、そっかぁ」

 先輩の顔面は忙しい。驚いたり、狼狽えたり、途惑ったり。今度は口元に笑みを浮かべている。見ていて飽きないのは結構だけど、その笑顔はなんだ。

「それじゃ、デートだね」
「は」

 言われたとこで次は僕が固まった。

「で、デート……?」
「だって、二人きりなんでしょ。十方院さんも、方邊くんもいない。なら本当に二人っきりだよ、尚理くん。つまりデートです!」
「その論理展開はおかしくないですか」
「おかしくない! あ、でも尚理くん怪我してるんだからあまり無理しちゃだめだよ」

 ああ、とそこで気が付く。
 先輩はやっぱり、どうしても僕の腕のことを気にしてるんだ。彼女のことだ、気にするなと言っても多分引き摺ってしまうだろう。

「まぁ、これじゃ無理しようとしても出来ないですって。だから安心してください」

 ならせめて、少しでも憂いが軽くなるように彼女の期待に応えようと思った。

「では、そろそろ行きましょうか。移動は速い方がいい」
「……うん!」

 それにしても。ついぞデートという単語は否定出来なかった。だけど、僕の人生における初デートの相手が幽霊か——案外それも悪くないかもしれないな、なんて。
 むーこ先輩と二人きり、というシチュエーションに胸が高鳴るのは否定出来なかった。


     ●


 電車を二回ほど乗り継いで、飛成霊園に到着したのは昼過ぎのことだった。
 ネットで見たとおりの、棚田式に並べられた墓石達の下には芝生が広がり、遠くからは蝉の合唱が聞こえてくる。数多の自然によって俗世と完全に切り離されたこの場所は、十方院さん——のご先祖様——が言っていたとおり、確かに空気が綺麗だった。
 天国があるとしたら、こういう場所なんだろうなと思えるくらいには。

「……いいところだねぇ」

 しみじみとむーこ先輩が言う。どうやら気に入って貰えたようだ。デートとしては上々。
 だけど、残念ながら目的は他にある。このまま先輩とのんびりするのは大変魅力的な提案だが、はやく方邊くんのお爺さんを探さなければ。
 僕は携帯の画面に表示された方邊くんの伝言と、霊園入り口にある地図とを見比べた。
 大体のあたりをつけて、僕らは歩き出す。目的の場所はここからは二キロ程離れているようだ——ちなみにこの飛成霊園は約四四〇平方キロメートル。東京ドームにして十個分相当らしい。四四〇平方キロメートルって……——多分、車での訪問が前提なのだろう。だけど、先輩についてまた一つ知ることが出来ると思うとそんな距離なんて些細な気がして、足が軽くなった。


 飛成霊園には、お盆シーズンだからかお墓参りに来る人がそれなりにいる。幽霊の数も、それなり。埋め尽くすほどじゃないけど、必ず誰かが視界に入るような具合。
 横浜の中心地のような、人を避けなければならないストレスとは無縁だった。

「ねぇ、尚理くん」
「なんですか?」

 隣を歩くむーこ先輩が、あたりを見渡しながら話しかけてくる。
「人がたくさん、いるね」
「うん。幽霊もたくさんいますよ」

 幽霊を見分けるのは簡単だった。半透明ということを除いても、彼らの行動はやっぱり奇妙だった。墓石に座る人がいたり、飛び石を渡るように墓の上を駆ける人がいたり。スクワットや腕立て伏せをしている人もいる。賑やかだ。

「みんな、楽しそうだね」
「そうですね」
「私も、最初からここにいれば寂しくなかったのかな」
「……そうかも、しれませんね」

 九年——九年か。その間、むーこ先輩はどんな風に過ごしていたんだろう。幽霊の友達とか、いなかったのだろうか。十方院さんは言っていた。記憶喪失の幽霊なんて聞いたことがないと。だとすれば、幽霊の中でも先輩は異端扱いされていたのかもしれない。僕の目には、墓の前で筋トレする幽霊の方がよっぽど異端に映るけど。

「案外、いまからでも遅くないんじゃないですか」
「? なにが?」
「先輩にとってこの霊園が居心地いいなら、ここで過ごしても——」
「ダメだよ、そんなの!」
「え……」

 大声で放たれた先輩の否定に、思わずたじろいだ。僕の驚いた顔を見て、先輩が慌てた様子で言葉を続ける。

「ご、ごめん。でも、ずっとここにいるなんて、やっぱりダメだよ」
「どうして、ですか」
「だって、そんなことしたら——」

 そこまで言ったところで、先輩がはっとした口元を手で覆った。

「むーこ先輩?」
「——と、とにかくダメなものはダメ!」

 そんなに強く否定しなくても。まぁ僕も半分冗談というか、本気ではなかった。

「…………たしかに、先輩がここにずっといるのは僕も嫌……かな」
「……うん」

 もしも先輩がこんな遠くに住んでいたら、なかなか会いに来られない。思えば、彼女と出会ってから毎日一緒に過ごしていた。会って間もないけど、他の人間と違って不思議と先輩といるのは苦にならなかった。彼女との会話は穏やかで、楽しくて、曇りなんて全然なくて。
 むーこ先輩の傍にいることは、安心感に繋がる。
 だから本当に「今日から私、ここに住む!」なんて言われたら、僕は引き留めるんだろうな。でも、そんなことは口に出せるはずがない。
 言ったら最後、僕は羞恥のあまり爆発してしまう。主に顔面が。

 先輩も僕に「嫌」の理由は聞かなかった。そこからは自然に会話が減って、二人でゆっくり流れる時間を楽しみながら歩いた。
 目的地に近付くにつれて、人影はどんどん少なくなっていく。
 いつしか、僕たちは二人きりになっていた。
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