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■13/むーこ先輩、決断する。(下)
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「————って、いつものグラウンドじゃないですか」
ここなら僕も知っている。普段、自主練で使っている公共のグラウンドだった。思えば、初めて先輩とまともに話したのもこの場所だった。バットの素振り中に話しかけられたんだっけ。つい一週間前かそこらの話なのに、随分と昔のことのように思える。
二人してベンチに腰掛けると、むーこ先輩が空を見上げた。僕もつられて視線で雲を追う。
少しだけ、空は曇っていた。
「ここ静かで好きなんだ、私」
「へぇ……」
大抵の学校はいま夏休みに入っているというのに、このグラウンドには今日も人はいない。まぁ、こういう環境だからこそ僕は自主練に使っているわけだけど。確かに、ここなら落ち着けそうだ。
人はいなくても幽霊がいるかも知れないと思ったけど、よく考えれば今の僕には普通の人間と幽霊の区別がほとんどつかないのだ。人影がないということは、幽霊もいないと考えていいだろう。
正真正銘、二人っきりだった。
「あのね、尚理くん」
遠慮がちに先輩が口を開く。本題が始まる予感に、僕は背筋を伸ばした。
「私が、記憶喪失じゃないっていうのは昨日教えた、よね」
「うん、聞きました。良かったですよ」
「……良く、ないよ。私、ずっと尚理くんを騙してた」
「ああ」
まぁそれはそれ、これはこれだ。こうして彼女と一緒に過ごすキッカケになったのが彼女自身の嘘ならば、僕は別にそれを責めようとは思わない。
「だって、これで先輩の口から先輩のことが聞けるんですから。いままで質問されてばかりだったし、今度は僕が色々聞きたいなあ、なんて」
「……」
「あ、ごめんなさい。話遮っちゃいましたね。それで?」
うん、とむーこ先輩が話を再開する。
「私には記憶がある。それは、私は自分の願いを理解してるってこと」
つまり、彼女は自分が幽霊である理由をわかっている。相槌だけして、僕は暫く黙って先輩の話に集中することにした。
「私の願いは——幽霊じゃない誰かと繋がりたい。私を、知って貰いたい」
あっさりと、彼女は自分の願いを口にする。
「願っちゃいけない望みだとも私は知ってた。生きている人を巻き込んでしまう、危うい願いだって」
どうして、それが願っちゃいけない望みなのだろうか。
誰かと繋がりたいというのは、人として当然の欲求じゃないか。それに、単に知り合うだけなら彼女はもう願いを叶えていることになる。それのなにが危険だというんだ。
「だって、現に尚理くんがいま、危なくなってるじゃない」
「……危ない、ですかね」
正直なところ、別に僕はそうは思ってない。
幽霊になりかけだろうがなんだろうが、僕はいま生きている。苦しくもないし、辛くもない。なのに、十方院さんもむーこ先輩も、揃って勝手に僕の心配をしている。
「危ないよ。だから、私は本当は幽霊なんてなるべきじゃなかった」
「……」
否定も、肯定もしない。否定しても彼女は納得しないだろう。肯定すれば、まるで僕とむーこ先輩が出会うべきじゃなかったと言ってしまうようで。それに、単に誰かと知り合うというのなら、僕と繋がることで願いは叶えているはずだ。なのに、彼女はここにいる。
僕の想像が追いつかない事情を、彼女が抱えているのだと思った。
「少し、昔話をしていいかな」
「お願いします」
「……退屈な話なんだけどね。
私が——芙葉夢子がまだ生きていた頃。学校にはほとんど行かなかったの。行けなかったんだ。ちっちゃな頃から身体が弱くてさ、ろくに外も歩けず入退院を繰り返してたんだ。だから、友達と呼べる人なんか一人もいなかったの。
だから、私が死ぬ瞬間に願ったことは、とても単純なことだった。
——私は学校に通いたかった。そして、友達が欲しかった。
でも、友達になることで誰かが危険になると思うと、幽霊になった後もどうしても願いを叶えようなんて思えなかった。
願ってしまったら、その友達の命を奪うことに繋がる、から。
私は一人でいなきゃいけなかったんだ。
だから私はそうした。九年間、ずっと。学校に通って、街を歩いて。生きていた頃に出来なかったこと全部やろうって、決めたの。
でもね。
ある時、見つけちゃったんだ。どうしても友達になりたい人を」
「……それ、って」
潤んだ瞳で僕を見つめる先輩の表情に、どきりと鼓動が跳ねる。
「そう、キミのことだよ。尚理くん」
「ど、どうして僕なんか……つまらない人間ですよ」
そんなことない。先輩が続ける。
「最初に見たときはね、変な子だって思ってた。だって、野球部では球拾いで、練習はいつも一人で黙々とやってるなんて。それもほとんど毎日。普通ならとっくに幽霊部員になってるよ。私が言うのもおかしいけどさ」
「……」
「だけど、それが気になって気が付けばいつもキミを目で追ってた。目だけじゃなくて、見られないのをいいことに時々後をつけたりして。あはは、ストーカーみたいだね、私」
そう言われると恥ずかしさがこみ上げてくる。誰にも言わず内緒で自主練していたのに、最初からずっと先輩はそれを見てきたのだ。方邊くんにもバレバレだったし、内緒だと思って他のは僕だけだったのか……。
「それでいつしか分かったの、キミのこと」
「わ、分かったって、なにがですか」
「……ああ、あの子は私と同じなんだ、って」
「僕と、先輩が……?」
「うん。誰かと繋がりたくて——認められたくて必死なのは、幽霊も人間も同じなんだね。ずっと一人で頑張ってるキミを見てたら、そう分かったの」
そんな。彼女の言葉が胸に深々と突き刺さる。
「僕は別に認められて欲しいなんて、」
「なら、どうしてあんなに練習していたの?」
「そ、それは……」
単に野球が上手くなりたいだけとは、今度は答えられなかった。なら、どうして僕は練習していたんだろう? 先輩の言うように、人に認めて貰いたかった?
自分の中の何かが揺さぶられる感覚に、僕はなにも言い返せない。
「まぁ、いいよ。尚理くんが認めなくても私はそう思ってるってだけだから」
「……はい」
「それでね。とにかく、キミを見てたらいても立ってもいられなくなったの。私は自分の願いが危険だと分かっていたはずなのに、私は尚理くんを求めてしまった。この人なら私のことを分かってくれる。友達になってくれる……って。でも、そしたらさ——」
何かを言いかけて、深呼吸。一息ついた後、先輩は頬を赤らめて、
「——尚理くんのこと、好きになっちゃった」
そんな風に、告白した。
「は」
「尚理くん、好きです」
「は」
「好き、です」
「いや……えっと……は、い?」
待て。待て待て待て。いまは先輩の身の上話をしていたはずじゃないのか。それがどうしてこんなことになっているんだ。好き? 誰が誰を。
「あはは、ごめんね急に」
むーこ先輩が、僕を。
「……ご、ごめんなさい、まともに頭がまわらなくて」
「いいの。言いたいだけだから」
「でも」
「いいんだよ。気にしないで」
はーすっきりした。ようやくいえた。先輩がぐっと伸びをして、晴れやかな顔で言う。
僕は全然すっきりしない。なんか急に元気になりましたね、先輩。
「…………でも、ね……」
しかしその元気はすぐにどこかに行ってしまったようで。再び重たいトーンで語り出す。
まだ、むーこ先輩の話は終わっていない。混乱する頭を必死で冷静に保ちながら、僕は先輩の言葉に耳を傾けた。
「——尚理くんを好きになった瞬間から、私の願いは変わってしまった。友達が欲しい、ただそれだけのはずだったのに、私は尚理くんと、その、こ……恋人になりたいって」
先輩の顔は赤い。僕も多分、赤い。
「危ないってわかってた。好きになった人を不幸にしてしまうって、わかってた。でも、友達が欲しいと思ってたときと違って、もう止められなかった」
「願うことを、ですか」
「うん……そしてあの日、私はついに尚理くんに見つかっちゃったの」
あの日。野球部の練習中に、、刹樹が打った場外ファールボールを拾いに行った時のこと。
「嬉しかったけど、複雑だった。このままじゃキミを傷つけちゃう。だったら、せめて記憶喪失だってことにしよう……そう、決めた」
「……どうしてですか」
「だって、記憶がなければ恋人になることもないから——まぁ、人に寄るだろうけど——それでいて、一緒にいて貰えるって思ったの」
事実、僕は彼女が記憶喪失だと知って、彼女を連れ回した。
央泉寺。バッティングセンター。そして、飛成霊園。彼女と出会ってから、毎日一緒に過ごした。先輩の狙いは間違っていなかった。
「名案だと思ったんだよ。幽霊と人間じゃ手も繋げないし、それ以上の関係になりようがないでしょ?」
「まぁそりゃ、確かに」
「それなら、尚理くんをこっち側に引き込まなくて済む。尚理くんも生きたままでいられる、って——でも」
むーこ先輩が、隣に座る僕の右手の甲に、自分の左手を重ねてくる。じんわりと先輩の熱が、僕に伝わってきた。自然と肩に力が入ってしまう。
「もう、私は尚理くんに触れることが出来る——出来て、しまう」
だからお願い。先輩の声がまた震え出す。
「お願い、尚理くん——こんな風に触れるようになっちゃったら、私の気持ちはもう止められそうに、ない……だから、今日でさよなら、しよ?」
「……え?」
さよなら? もう、会わないっていうのか。
「どうして、そんなこと言うんですか」
「このままじゃ、本当に尚理くんが幽霊になるまで、私はキミを求めてしまう。傷つけてしまう……ううん、もう、傷つけてしまった」
彼女は僕から手を離すと、今度は左腕を三角巾の上から撫でてくる。
「尚理くんの、大切な物を……奪っちゃった」
「そんな、これは先輩のせいなんかじゃ」
「私のせいだよ」
僕の言葉を遮って、断言されてしまった。
「だって、私のために方邊くんと勝負したんだよ? 尚理くんは、無理してまで、バットを振り続けたんだよ……」
「……」
「尚理くんの野球を奪ってしまったのは、私。なのに、尚理くんはずっと平気なふりして、なんでもないことのように私とお話ししてくれて……」
「買いかぶりすぎですよ。僕は野球なんて、どうでも」
「そんなことない!」
立ち上がって、見たこともない顔で睨み付けて、声を荒げて、涙を流して、彼女は、むーこ先輩は。
「じゃあ、何度でも聞くよ! どうして球拾いばかりさせられて野球部に居続けたの!? 夜遅くまで一人で練習し続けたの!? 野球が上手くなりたいなんて私に言ったの!? 楽しかったんでしょ、続けたかったんでしょ、認められたかったんでしょ! 興味がなかったのに一年半も続けて、いまさら野球がどうでもいいなんて言わないでよ!」
僕に、怒鳴った。
「せ、せんぱ——」
「私の好きな尚理くんは、野球が好きな尚理くんなんだから……っ」
「——!」
ほとんど息継ぎもせずに言い切ったからか、先輩が何度か涙混じりに咳き込んだ。僕の頬も、いつのまにか濡れている。
そうだったんだ。
……僕、野球が大切だったんだ。
むーこ先輩に言われて初めて気が付いた、失った物の大きさ。思わず笑いたくなった。
それは、自分への嘲笑。野球が上手くなりたい。野球が楽しい。一人で練習するのも苦じゃなかった。確かにそれは、先輩の言うとおり。誰かに認めて欲しかったからなのかも知れない。
でも、こう考えることも出来る。
僕はようやく、野球で誰かに——先輩に、認めて貰えることが出来たんじゃないか。
僕よりも、僕が野球を失ったことを哀しんでくれる先輩が、いるじゃないか。
ならそれでいい。それで、いいんじゃないか。
「あれ……おかしいな、止まんないや」
だというのに、僕の涙は勝手に溢れてくる。涙だけじゃなかった。
もう、顔中のダムが決壊していた。ぐしゃぐしゃだった。目も、鼻も、唇も、想いでさえも涙でふやけて、どうにかなってしまいそうだった。
そんな僕の顔を見て、先輩が一緒に涙を流している。そして、言った。
「……ごめん、なさい」
その「ごめんなさい」に、どれだけの意味が込められているのだろう。
謝らなきゃいけないのは僕なのに。僕なんかに怒らなきゃいけない先輩に、謝らなきゃいけないのに。どれだけ言葉を探しても、僕の口からはなにも出てくれなかった。
「怒られなきゃいけないのは、私なのに……どうして、私が尚理くんを怒ってるのかな……」
先輩は自分で涙をぬぐって、もう一度空を見上げる。
曇っていた空が、一層暗くなっていた。
「これ以上、私と一緒にいたら。尚理くんはまた大切な物を失うよ」
じきに雨が、降りそうだった。
「——だから、さよなら」
そのまま、彼女は僕に背を向けた。もう話すことはないと言いたげに、歩き始めた。
僕には黙って見送ることなんて出来ない。
「……、あの」
どうして、こんなに感情が揺さぶられるんだと思った。先輩の言葉や行動のひとつひとつに、心を抉られるのはなんでだろうと思った。
でも、簡単だった。最初から、その疑問の答えは分かっていた。
「僕からもお願いがあります」
むーこ先輩と出会ったときのことを思い出す。彼女と知り合うまで、友達と呼べる人間なんか一人もいなかったのに。
どうしてか、この人には最初から心を許していたような、そんな気がする。いや、許していた。
きっと僕も、直感で。
むーこ先輩は僕と同じ何かを抱えているのだと、わかったんだ。
十方院さんに言ったことを思い出す。
——むーこ先輩には、僕しかいないから。
そうじゃなかったんだ。そうじゃなかった。本当は逆だったんだ。
僕には、むーこ先輩しか、いないんだ。
だから失いたくない。さよなら、したくない。
野球を失った僕が、彼女と別れてしまうことまで許容できるはずなんかが、ないんだ。
だから。だから。
「僕とデートしてください。僕、先輩とずっと一緒にいたいです」
幽霊になることなんて、なにも怖くない。
ここなら僕も知っている。普段、自主練で使っている公共のグラウンドだった。思えば、初めて先輩とまともに話したのもこの場所だった。バットの素振り中に話しかけられたんだっけ。つい一週間前かそこらの話なのに、随分と昔のことのように思える。
二人してベンチに腰掛けると、むーこ先輩が空を見上げた。僕もつられて視線で雲を追う。
少しだけ、空は曇っていた。
「ここ静かで好きなんだ、私」
「へぇ……」
大抵の学校はいま夏休みに入っているというのに、このグラウンドには今日も人はいない。まぁ、こういう環境だからこそ僕は自主練に使っているわけだけど。確かに、ここなら落ち着けそうだ。
人はいなくても幽霊がいるかも知れないと思ったけど、よく考えれば今の僕には普通の人間と幽霊の区別がほとんどつかないのだ。人影がないということは、幽霊もいないと考えていいだろう。
正真正銘、二人っきりだった。
「あのね、尚理くん」
遠慮がちに先輩が口を開く。本題が始まる予感に、僕は背筋を伸ばした。
「私が、記憶喪失じゃないっていうのは昨日教えた、よね」
「うん、聞きました。良かったですよ」
「……良く、ないよ。私、ずっと尚理くんを騙してた」
「ああ」
まぁそれはそれ、これはこれだ。こうして彼女と一緒に過ごすキッカケになったのが彼女自身の嘘ならば、僕は別にそれを責めようとは思わない。
「だって、これで先輩の口から先輩のことが聞けるんですから。いままで質問されてばかりだったし、今度は僕が色々聞きたいなあ、なんて」
「……」
「あ、ごめんなさい。話遮っちゃいましたね。それで?」
うん、とむーこ先輩が話を再開する。
「私には記憶がある。それは、私は自分の願いを理解してるってこと」
つまり、彼女は自分が幽霊である理由をわかっている。相槌だけして、僕は暫く黙って先輩の話に集中することにした。
「私の願いは——幽霊じゃない誰かと繋がりたい。私を、知って貰いたい」
あっさりと、彼女は自分の願いを口にする。
「願っちゃいけない望みだとも私は知ってた。生きている人を巻き込んでしまう、危うい願いだって」
どうして、それが願っちゃいけない望みなのだろうか。
誰かと繋がりたいというのは、人として当然の欲求じゃないか。それに、単に知り合うだけなら彼女はもう願いを叶えていることになる。それのなにが危険だというんだ。
「だって、現に尚理くんがいま、危なくなってるじゃない」
「……危ない、ですかね」
正直なところ、別に僕はそうは思ってない。
幽霊になりかけだろうがなんだろうが、僕はいま生きている。苦しくもないし、辛くもない。なのに、十方院さんもむーこ先輩も、揃って勝手に僕の心配をしている。
「危ないよ。だから、私は本当は幽霊なんてなるべきじゃなかった」
「……」
否定も、肯定もしない。否定しても彼女は納得しないだろう。肯定すれば、まるで僕とむーこ先輩が出会うべきじゃなかったと言ってしまうようで。それに、単に誰かと知り合うというのなら、僕と繋がることで願いは叶えているはずだ。なのに、彼女はここにいる。
僕の想像が追いつかない事情を、彼女が抱えているのだと思った。
「少し、昔話をしていいかな」
「お願いします」
「……退屈な話なんだけどね。
私が——芙葉夢子がまだ生きていた頃。学校にはほとんど行かなかったの。行けなかったんだ。ちっちゃな頃から身体が弱くてさ、ろくに外も歩けず入退院を繰り返してたんだ。だから、友達と呼べる人なんか一人もいなかったの。
だから、私が死ぬ瞬間に願ったことは、とても単純なことだった。
——私は学校に通いたかった。そして、友達が欲しかった。
でも、友達になることで誰かが危険になると思うと、幽霊になった後もどうしても願いを叶えようなんて思えなかった。
願ってしまったら、その友達の命を奪うことに繋がる、から。
私は一人でいなきゃいけなかったんだ。
だから私はそうした。九年間、ずっと。学校に通って、街を歩いて。生きていた頃に出来なかったこと全部やろうって、決めたの。
でもね。
ある時、見つけちゃったんだ。どうしても友達になりたい人を」
「……それ、って」
潤んだ瞳で僕を見つめる先輩の表情に、どきりと鼓動が跳ねる。
「そう、キミのことだよ。尚理くん」
「ど、どうして僕なんか……つまらない人間ですよ」
そんなことない。先輩が続ける。
「最初に見たときはね、変な子だって思ってた。だって、野球部では球拾いで、練習はいつも一人で黙々とやってるなんて。それもほとんど毎日。普通ならとっくに幽霊部員になってるよ。私が言うのもおかしいけどさ」
「……」
「だけど、それが気になって気が付けばいつもキミを目で追ってた。目だけじゃなくて、見られないのをいいことに時々後をつけたりして。あはは、ストーカーみたいだね、私」
そう言われると恥ずかしさがこみ上げてくる。誰にも言わず内緒で自主練していたのに、最初からずっと先輩はそれを見てきたのだ。方邊くんにもバレバレだったし、内緒だと思って他のは僕だけだったのか……。
「それでいつしか分かったの、キミのこと」
「わ、分かったって、なにがですか」
「……ああ、あの子は私と同じなんだ、って」
「僕と、先輩が……?」
「うん。誰かと繋がりたくて——認められたくて必死なのは、幽霊も人間も同じなんだね。ずっと一人で頑張ってるキミを見てたら、そう分かったの」
そんな。彼女の言葉が胸に深々と突き刺さる。
「僕は別に認められて欲しいなんて、」
「なら、どうしてあんなに練習していたの?」
「そ、それは……」
単に野球が上手くなりたいだけとは、今度は答えられなかった。なら、どうして僕は練習していたんだろう? 先輩の言うように、人に認めて貰いたかった?
自分の中の何かが揺さぶられる感覚に、僕はなにも言い返せない。
「まぁ、いいよ。尚理くんが認めなくても私はそう思ってるってだけだから」
「……はい」
「それでね。とにかく、キミを見てたらいても立ってもいられなくなったの。私は自分の願いが危険だと分かっていたはずなのに、私は尚理くんを求めてしまった。この人なら私のことを分かってくれる。友達になってくれる……って。でも、そしたらさ——」
何かを言いかけて、深呼吸。一息ついた後、先輩は頬を赤らめて、
「——尚理くんのこと、好きになっちゃった」
そんな風に、告白した。
「は」
「尚理くん、好きです」
「は」
「好き、です」
「いや……えっと……は、い?」
待て。待て待て待て。いまは先輩の身の上話をしていたはずじゃないのか。それがどうしてこんなことになっているんだ。好き? 誰が誰を。
「あはは、ごめんね急に」
むーこ先輩が、僕を。
「……ご、ごめんなさい、まともに頭がまわらなくて」
「いいの。言いたいだけだから」
「でも」
「いいんだよ。気にしないで」
はーすっきりした。ようやくいえた。先輩がぐっと伸びをして、晴れやかな顔で言う。
僕は全然すっきりしない。なんか急に元気になりましたね、先輩。
「…………でも、ね……」
しかしその元気はすぐにどこかに行ってしまったようで。再び重たいトーンで語り出す。
まだ、むーこ先輩の話は終わっていない。混乱する頭を必死で冷静に保ちながら、僕は先輩の言葉に耳を傾けた。
「——尚理くんを好きになった瞬間から、私の願いは変わってしまった。友達が欲しい、ただそれだけのはずだったのに、私は尚理くんと、その、こ……恋人になりたいって」
先輩の顔は赤い。僕も多分、赤い。
「危ないってわかってた。好きになった人を不幸にしてしまうって、わかってた。でも、友達が欲しいと思ってたときと違って、もう止められなかった」
「願うことを、ですか」
「うん……そしてあの日、私はついに尚理くんに見つかっちゃったの」
あの日。野球部の練習中に、、刹樹が打った場外ファールボールを拾いに行った時のこと。
「嬉しかったけど、複雑だった。このままじゃキミを傷つけちゃう。だったら、せめて記憶喪失だってことにしよう……そう、決めた」
「……どうしてですか」
「だって、記憶がなければ恋人になることもないから——まぁ、人に寄るだろうけど——それでいて、一緒にいて貰えるって思ったの」
事実、僕は彼女が記憶喪失だと知って、彼女を連れ回した。
央泉寺。バッティングセンター。そして、飛成霊園。彼女と出会ってから、毎日一緒に過ごした。先輩の狙いは間違っていなかった。
「名案だと思ったんだよ。幽霊と人間じゃ手も繋げないし、それ以上の関係になりようがないでしょ?」
「まぁそりゃ、確かに」
「それなら、尚理くんをこっち側に引き込まなくて済む。尚理くんも生きたままでいられる、って——でも」
むーこ先輩が、隣に座る僕の右手の甲に、自分の左手を重ねてくる。じんわりと先輩の熱が、僕に伝わってきた。自然と肩に力が入ってしまう。
「もう、私は尚理くんに触れることが出来る——出来て、しまう」
だからお願い。先輩の声がまた震え出す。
「お願い、尚理くん——こんな風に触れるようになっちゃったら、私の気持ちはもう止められそうに、ない……だから、今日でさよなら、しよ?」
「……え?」
さよなら? もう、会わないっていうのか。
「どうして、そんなこと言うんですか」
「このままじゃ、本当に尚理くんが幽霊になるまで、私はキミを求めてしまう。傷つけてしまう……ううん、もう、傷つけてしまった」
彼女は僕から手を離すと、今度は左腕を三角巾の上から撫でてくる。
「尚理くんの、大切な物を……奪っちゃった」
「そんな、これは先輩のせいなんかじゃ」
「私のせいだよ」
僕の言葉を遮って、断言されてしまった。
「だって、私のために方邊くんと勝負したんだよ? 尚理くんは、無理してまで、バットを振り続けたんだよ……」
「……」
「尚理くんの野球を奪ってしまったのは、私。なのに、尚理くんはずっと平気なふりして、なんでもないことのように私とお話ししてくれて……」
「買いかぶりすぎですよ。僕は野球なんて、どうでも」
「そんなことない!」
立ち上がって、見たこともない顔で睨み付けて、声を荒げて、涙を流して、彼女は、むーこ先輩は。
「じゃあ、何度でも聞くよ! どうして球拾いばかりさせられて野球部に居続けたの!? 夜遅くまで一人で練習し続けたの!? 野球が上手くなりたいなんて私に言ったの!? 楽しかったんでしょ、続けたかったんでしょ、認められたかったんでしょ! 興味がなかったのに一年半も続けて、いまさら野球がどうでもいいなんて言わないでよ!」
僕に、怒鳴った。
「せ、せんぱ——」
「私の好きな尚理くんは、野球が好きな尚理くんなんだから……っ」
「——!」
ほとんど息継ぎもせずに言い切ったからか、先輩が何度か涙混じりに咳き込んだ。僕の頬も、いつのまにか濡れている。
そうだったんだ。
……僕、野球が大切だったんだ。
むーこ先輩に言われて初めて気が付いた、失った物の大きさ。思わず笑いたくなった。
それは、自分への嘲笑。野球が上手くなりたい。野球が楽しい。一人で練習するのも苦じゃなかった。確かにそれは、先輩の言うとおり。誰かに認めて欲しかったからなのかも知れない。
でも、こう考えることも出来る。
僕はようやく、野球で誰かに——先輩に、認めて貰えることが出来たんじゃないか。
僕よりも、僕が野球を失ったことを哀しんでくれる先輩が、いるじゃないか。
ならそれでいい。それで、いいんじゃないか。
「あれ……おかしいな、止まんないや」
だというのに、僕の涙は勝手に溢れてくる。涙だけじゃなかった。
もう、顔中のダムが決壊していた。ぐしゃぐしゃだった。目も、鼻も、唇も、想いでさえも涙でふやけて、どうにかなってしまいそうだった。
そんな僕の顔を見て、先輩が一緒に涙を流している。そして、言った。
「……ごめん、なさい」
その「ごめんなさい」に、どれだけの意味が込められているのだろう。
謝らなきゃいけないのは僕なのに。僕なんかに怒らなきゃいけない先輩に、謝らなきゃいけないのに。どれだけ言葉を探しても、僕の口からはなにも出てくれなかった。
「怒られなきゃいけないのは、私なのに……どうして、私が尚理くんを怒ってるのかな……」
先輩は自分で涙をぬぐって、もう一度空を見上げる。
曇っていた空が、一層暗くなっていた。
「これ以上、私と一緒にいたら。尚理くんはまた大切な物を失うよ」
じきに雨が、降りそうだった。
「——だから、さよなら」
そのまま、彼女は僕に背を向けた。もう話すことはないと言いたげに、歩き始めた。
僕には黙って見送ることなんて出来ない。
「……、あの」
どうして、こんなに感情が揺さぶられるんだと思った。先輩の言葉や行動のひとつひとつに、心を抉られるのはなんでだろうと思った。
でも、簡単だった。最初から、その疑問の答えは分かっていた。
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どうしてか、この人には最初から心を許していたような、そんな気がする。いや、許していた。
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むーこ先輩は僕と同じ何かを抱えているのだと、わかったんだ。
十方院さんに言ったことを思い出す。
——むーこ先輩には、僕しかいないから。
そうじゃなかったんだ。そうじゃなかった。本当は逆だったんだ。
僕には、むーこ先輩しか、いないんだ。
だから失いたくない。さよなら、したくない。
野球を失った僕が、彼女と別れてしまうことまで許容できるはずなんかが、ないんだ。
だから。だから。
「僕とデートしてください。僕、先輩とずっと一緒にいたいです」
幽霊になることなんて、なにも怖くない。
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