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第五章 再起
第二十六話 父の記憶と
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幼い頃、その背はとてつもなく広く大きく見えた。その横顔は威厳に満ち精悍で、力強く。憧れの対象だった。
しかし、今は──。
「ソアレ、何してるんだ?」
休日、居間のソファでごろりと横になってくつろいでいると、多忙なはずの父がひょいと顔を出した。
中学生になってそろそろ大人の階段を上り始めるころ。親という存在が鬱陶しくなる年頃で。十二才を迎えたソアレも、漏れなくその年頃になっていた。
「別に。寝てるだけ」
端末画面に目を向けたままそう返せば、突然どっかと同じソファに座ってきて、あろうことかソアレの身体にのしかかってきた。背中に思い切り体重をかけられる。
「おっま、何すんだよ!」
突然の行為に身体を反転させようとするが、腹の辺りにがっちりホールドされた腕に、身動きが取れない。
「…充電だよ。充電。お父さんに優しくしてよ」
「うぜってぇ」
「うう。エストレア…。ソアレはこんな大人の言葉を吐くようになったよ…」
「…鬱陶しい」
エストレア、それは母親の名前だ。
けれどソアレの記憶のどこにもその姿は残っていない。物心ついて、父の部屋に飾られた沢山の写真に、その存在を知った。
金色の髪と優しい薄いブルーの瞳を持つ女性。俺の母親。どんな人だったのか、それは父の言葉の端々から感じ取る事しか出来ない。
その言葉を聞く限り、優しく穏やかな人だったらしい。けれど、静かながらも意志は強く、父との結婚以外を望まなかったのだとか。それくらいなら一生を一人で過ごすと決めていたのだという。
それは父も同じだったらしい。祖父が亡くなり漸くそれが実現したのだが、その幸せも長くは続かず。
ソアレが生まれて一年、母はこの世を去った。
父の悲しみは深かった様だが、それを癒したのがソアレの存在だったらしい。
それで今に至る。
「ぎゅっとしてるだけだよぉ。ほんの少しでいいんだよぉ。休憩時間…あと、何分だろう?」
「…レーゲン様。もうお時間です」
そこへアステールの声が無情に終了を告げる。
「あぁ~あ。アステール、代わってくれないかい?」
「それは無理でしょう。誰もレーゲン様の代わりにはなれません。皆、会議室でお待ちになっております」
「…アステールもずいぶん側付の役目が板についてきたね?」
じと目でアステールを見上げてくる。
「まだ、見習い中です」
謙遜して見せるアステールにレーゲンは、漸くソファから身を起こし、ついでにソアレも一緒に抱き起すとその腕に抱え。
「俺の執事も感心している。まだ若いのにしっかりしてるってさ。…さて。いつまでもここにいて、皆を困らせてちゃあいけないな。仕事に戻るか…。アステール、ソアレがあんまりゲームばかりしないよう、監視しておいてくれ」
「わかりました」
「アステ、こいつの言う事なんて聞くなよ。お前は俺の側付なんだから」
腕の中でむくれるソアレに、レーゲンは笑いながら。
「俺を『こいつ』よばわりして許されるのは、ソアレだけだな? またな、ソアレ。アステも」
レーゲンはソアレを解放すると、手をひらひらさせて居間を後にする。既に部屋の外には執事が控えていた。
それをアステールとともに見送った後。
「っとに。あんなんで良く王様やってるよな」
ソアレの言葉にアステールは笑みを浮かべると。
「…ソアレの前だけだ。レーゲン様が素でいるのは。普段はあんなに砕けたりはされない。ソアレといる時だけが、一番癒される時間なんだ…」
どこか寂しげにも映るアステールの横顔に、ソアレは首を傾げ。
「お前といる時だって、オヤジは砕けてるって。…俺とはふざけてるだけだけど、お前とはちゃんと会話してるもんな? まあ、俺が取り合わないせいもあるけど…」
「ソアレは反抗期だからな? それも仕方ない」
「…なんかそれ、ガキ扱いしてるように聞こえる」
むすっとして見返すと、アステールはソファに座るソアレの頭にポンと手を置いて撫でる。
「そんな事はない。順調に成長している証拠だ」
「…やっぱ。ガキ扱いだ」
ぽそりとつぶやきつつも、アステールに撫でられることは嫌ではないソアレは、されるままにしていた。
+++
レーゲンは会議室までの長い廊下を歩きながら。
アステールを手元に置くようになってから十年近く経つ。今年高等部に上がってすっかり大人びてきたが、まだまだ子どもでもある。
しかし、その立場の所為かなかなか子どもらしさは見せない。
ソアレがいると、どうしても大人にならざるを得ないからな。
母親がいない代わりをアステールに任せてしまった所がある。
アステールも嫌がらなかったし、何よりソアレが懐いた。二人の仲の良さについ、甘えてしまったが。
本来なら、もっとアステールにも自由を与えるべきなのだろう。
「皆様、お集まりです」
「…ああ」
執事に促され、会議室に入室する。
レーゲンはアステールにさりげなく本心を聞くことに決めた。
+++
それから数日後、レーゲンの書斎へソアレのその日一日の様子の報告に来たアステールを引き止め、お茶をすすめた。
大人ならここでアルコールすすめる所だが、いかんせんアステールは十五才の子どもだ。
早く飲める年齢になって欲しいものだと思いつつ、カップにお茶を自ら注ぐ。
アステールは自分がやると聞かなかったが、それを何とか押し留め今に至る。
「この紅茶はエストレアの実家から取り寄せたものだ。いい香りがする…」
湯気の立つカップを座るアステールの前に置くと、恐縮しつつそれに口をつけた。
「…本当だ。いい香りです…。味もいい」
「だろう? これだけはエストレアから教わったから、上手く淹れられるんだ」
「私も覚えます…」
レーゲンは笑うと。
「俺の前だ。そんなに畏まらなくていい」
カップを手にしたまま、アステールを見つめる。銀糸の髪がさらりと揺れ、こちらを見上げてきた。
「でも…」
「アステだってまだ子どもだ。もっと、自由に振る舞っていい」
「…俺は、これでいいんです」
手元のカップを見つめながら。
「アステ?」
「ソアレの側にいられるなら、このままで…」
「しかし、いつもソアレのお守りでは、疲れるだろう? 少しは自分の時間が欲しくはないか? お前もやりたい事があるだろう。望むならたまには暇を与えても──」
すると、アステールは必死の形相になって。
「このままでいさせて下さい!」
「…アステ?」
「ソアレの…側にいたいんです。俺の望みはそれだけです。他には何も要りません…」
レーゲンは押し黙る。
そんなにも、ソアレを思ってくれているのか。
だが──。
「いつまでも…と、言うわけにはいかないぞ? いつかソアレは他の人間を好きになってお前の側から離れるだろう。その時、お前はどうする? 仕事としてなら仕える事は出きるだろうが、心は離れるだろう。…辛くはないか?」
その言葉にアステールは俯いたまま。
「…ソアレが、俺を忘れても、俺は忘れません。ソアレが幸せなら俺は…」
泣き出しそうな声。少し意地悪を言ってしまったと後悔する。
「すまない、アステ。…少しきついことを言った。今のところ、ソアレはお前にベッタリだ。当分、その心配はない」
「いいんです。いつか来ることですから…」
それでも、この少年はソアレを好いていてくれるのだろう。
好いて──か。
いささか、親愛の情にしては行きすぎているきらいもある。
「アステは──、ソアレが好きか?」
その顔を覗き込む様に窺えば、きっとアステールは顔を上げ。
「好きです」
迷いない目でそう返す。
ああ。この子は──。
レーゲンは優しく笑うと。
「ありがとう。そんな風に思ってくれて。…ソアレをこれからも頼む」
「…はい!」
まだ、自身も気づいていないのかも知れない。その思いがどこから来るのか。
気づいたとしても、何ら変わらず、ソアレを大切にするのだろうな。
レーゲンは口許に笑みを浮かべ、この天涯孤独だった少年を見つめた。
+++
「ソアレ、お前、アステが好きか?」
就寝前。自室のベッドに寝転がって本を読んでいると、部屋を訪れたレーゲンが唐突にそう尋ねてきた。
側付のアステールはシャワーを浴びに行っていて、部屋にはいない。
レーゲンが訪れるのは珍しかった。
「好きだよ? てか、何聞いて来るんだよ?」
当たり前の事を尋ねてくるレーゲンに、逆に聞き返す。レーゲンはボソボソと呟く。
「いや、その、ちょっと確認して置きたかっただけ…かな?」
「変なの」
俺は再び本に目を向ける。レーゲンは暫くソアレの勉強机に腰を預けていたが。
「なぁ。ソアレ…。お前、将来大切な奴見つけたら、王子だとか跡継ぎだとか。そんな事に囚われず…、ちゃんと掴んで離すなよ?」
「…何それ? だって、俺、後継ぎだろ? 考えなくていいって、そんなわけ行かないだろ?」
「…まあ、そうなんだが。いつか、そう言う相手が見つかったらの話だ」
「わけわかんねぇ」
「ま、そうだよな…」
レーゲンはポリポリと顎をかく。
そうこうしていれば、自室ですっかり寝仕度を整えたアステールが戻って来た。
アステールは俺の勉強を見たあと、隣の部屋でいつも眠りにつく。
少し前までは一緒に眠りについていたが、流石に中等部に通うようになって、それは控えた方がいいだろうと、アステールから進言があり今に至る。
とは言っても、度々一緒に眠ることはあるのだが。
アステの体温て、心地いいんだよな。
傍らにあるとホッとするのだ。
「どうかされましたか?」
珍しく俺の寝室を訪れたレーゲンに、アステールは首を傾げる。
「ああいや。ちょっと顔を見に来ただけだ。邪魔したな?」
そう言い残して、レーゲンはあたふたと去っていった。
そんなレーゲンの背を見送った後。アステールは俺に目を向け。
「どうかしたのか?」
「ううん。別に…。てか、何か変な事言ってた」
「変とは?」
「…将来、大切な奴が出来たら、王子だとか気にしないで、ちゃんと捕まえとけって。意味わかんねぇ」
「…そうだな」
アステールは何か考えるように押し黙る。
「あとさ。アステのこと、好きかって」
「……」
「勿論、好きだって答えた。…アステも好きだよな? 俺の事…」
一瞬、アステールは言葉を失ったかのようにこちらを見つめていたが。
「…勿論だ」
そう言うと、ベッドサイドに座って俺の頭をくしゃりと撫でた。その口許には笑みが浮かぶ。
「さて。勉強を始めようか?」
「ん。今日の授業で分かんないとこあってさ…」
俺はベッドから飛び起きる と、その弾みでベッドサイドに座っていたアステールがバランスを崩して、こちらに倒れ込んできた。
「…って、ゴメン! アステ──」
覆い被さるアステールに、慌てて顔を上げれば、何故か真剣な眼差しとぶつかって、首をかしげる。
「アステ…?」
一瞬、その口許が苦しげに引き結ばれたが。
「…すまない」
直ぐに身体を起こし、何事もなかった様にベッドから降りると勉強の支度に取りかかる。
「?」
俺はその様子を不審に思いながらも、促されてベッドから準備の整った机の前に座った。
「それで、今日分からなかった所は?」
「えっと、ここ…」
分からなかった数式を指し示すと、アステールは直ぐに反応して。
「これはこの式を使えばいい──」
いつものアステールだ。
先程の様子を不思議に思いながらも、目の前の課題に取り組んだ。
+++
レーゲン様は気づいている。俺の、ソアレに対する思いに。
だからソアレにあんな問いかけをし、言葉を残したのだ。
でも、それではレーゲン様は、俺の思いを見逃してくれたのか?
ソアレに大切なものを手放すなと告げて。
けれど、今は好いてくれていても、先はわからない。それに、ソアレの好きは、俺のそれとは重ならない。
俺の好きは──。
先程、自分の下になったソアレに邪な思いを抱いた。
キスしたいと、そう思った。抱きしめて、腕の中に閉じ込めてしまいたいと。
気づいたこの思いを、ソアレに告白することは出来ない。その代わり、この身に代えても守ってみせる。
例え、ソアレが誰かを愛したとしても。
それが俺の思いの表し方だ。
レーゲンの思いがどこにあろうとも関係ない。
手に入れた大切な存在を、生涯をかけて守ると心に誓うアステールだった。
しかし、今は──。
「ソアレ、何してるんだ?」
休日、居間のソファでごろりと横になってくつろいでいると、多忙なはずの父がひょいと顔を出した。
中学生になってそろそろ大人の階段を上り始めるころ。親という存在が鬱陶しくなる年頃で。十二才を迎えたソアレも、漏れなくその年頃になっていた。
「別に。寝てるだけ」
端末画面に目を向けたままそう返せば、突然どっかと同じソファに座ってきて、あろうことかソアレの身体にのしかかってきた。背中に思い切り体重をかけられる。
「おっま、何すんだよ!」
突然の行為に身体を反転させようとするが、腹の辺りにがっちりホールドされた腕に、身動きが取れない。
「…充電だよ。充電。お父さんに優しくしてよ」
「うぜってぇ」
「うう。エストレア…。ソアレはこんな大人の言葉を吐くようになったよ…」
「…鬱陶しい」
エストレア、それは母親の名前だ。
けれどソアレの記憶のどこにもその姿は残っていない。物心ついて、父の部屋に飾られた沢山の写真に、その存在を知った。
金色の髪と優しい薄いブルーの瞳を持つ女性。俺の母親。どんな人だったのか、それは父の言葉の端々から感じ取る事しか出来ない。
その言葉を聞く限り、優しく穏やかな人だったらしい。けれど、静かながらも意志は強く、父との結婚以外を望まなかったのだとか。それくらいなら一生を一人で過ごすと決めていたのだという。
それは父も同じだったらしい。祖父が亡くなり漸くそれが実現したのだが、その幸せも長くは続かず。
ソアレが生まれて一年、母はこの世を去った。
父の悲しみは深かった様だが、それを癒したのがソアレの存在だったらしい。
それで今に至る。
「ぎゅっとしてるだけだよぉ。ほんの少しでいいんだよぉ。休憩時間…あと、何分だろう?」
「…レーゲン様。もうお時間です」
そこへアステールの声が無情に終了を告げる。
「あぁ~あ。アステール、代わってくれないかい?」
「それは無理でしょう。誰もレーゲン様の代わりにはなれません。皆、会議室でお待ちになっております」
「…アステールもずいぶん側付の役目が板についてきたね?」
じと目でアステールを見上げてくる。
「まだ、見習い中です」
謙遜して見せるアステールにレーゲンは、漸くソファから身を起こし、ついでにソアレも一緒に抱き起すとその腕に抱え。
「俺の執事も感心している。まだ若いのにしっかりしてるってさ。…さて。いつまでもここにいて、皆を困らせてちゃあいけないな。仕事に戻るか…。アステール、ソアレがあんまりゲームばかりしないよう、監視しておいてくれ」
「わかりました」
「アステ、こいつの言う事なんて聞くなよ。お前は俺の側付なんだから」
腕の中でむくれるソアレに、レーゲンは笑いながら。
「俺を『こいつ』よばわりして許されるのは、ソアレだけだな? またな、ソアレ。アステも」
レーゲンはソアレを解放すると、手をひらひらさせて居間を後にする。既に部屋の外には執事が控えていた。
それをアステールとともに見送った後。
「っとに。あんなんで良く王様やってるよな」
ソアレの言葉にアステールは笑みを浮かべると。
「…ソアレの前だけだ。レーゲン様が素でいるのは。普段はあんなに砕けたりはされない。ソアレといる時だけが、一番癒される時間なんだ…」
どこか寂しげにも映るアステールの横顔に、ソアレは首を傾げ。
「お前といる時だって、オヤジは砕けてるって。…俺とはふざけてるだけだけど、お前とはちゃんと会話してるもんな? まあ、俺が取り合わないせいもあるけど…」
「ソアレは反抗期だからな? それも仕方ない」
「…なんかそれ、ガキ扱いしてるように聞こえる」
むすっとして見返すと、アステールはソファに座るソアレの頭にポンと手を置いて撫でる。
「そんな事はない。順調に成長している証拠だ」
「…やっぱ。ガキ扱いだ」
ぽそりとつぶやきつつも、アステールに撫でられることは嫌ではないソアレは、されるままにしていた。
+++
レーゲンは会議室までの長い廊下を歩きながら。
アステールを手元に置くようになってから十年近く経つ。今年高等部に上がってすっかり大人びてきたが、まだまだ子どもでもある。
しかし、その立場の所為かなかなか子どもらしさは見せない。
ソアレがいると、どうしても大人にならざるを得ないからな。
母親がいない代わりをアステールに任せてしまった所がある。
アステールも嫌がらなかったし、何よりソアレが懐いた。二人の仲の良さについ、甘えてしまったが。
本来なら、もっとアステールにも自由を与えるべきなのだろう。
「皆様、お集まりです」
「…ああ」
執事に促され、会議室に入室する。
レーゲンはアステールにさりげなく本心を聞くことに決めた。
+++
それから数日後、レーゲンの書斎へソアレのその日一日の様子の報告に来たアステールを引き止め、お茶をすすめた。
大人ならここでアルコールすすめる所だが、いかんせんアステールは十五才の子どもだ。
早く飲める年齢になって欲しいものだと思いつつ、カップにお茶を自ら注ぐ。
アステールは自分がやると聞かなかったが、それを何とか押し留め今に至る。
「この紅茶はエストレアの実家から取り寄せたものだ。いい香りがする…」
湯気の立つカップを座るアステールの前に置くと、恐縮しつつそれに口をつけた。
「…本当だ。いい香りです…。味もいい」
「だろう? これだけはエストレアから教わったから、上手く淹れられるんだ」
「私も覚えます…」
レーゲンは笑うと。
「俺の前だ。そんなに畏まらなくていい」
カップを手にしたまま、アステールを見つめる。銀糸の髪がさらりと揺れ、こちらを見上げてきた。
「でも…」
「アステだってまだ子どもだ。もっと、自由に振る舞っていい」
「…俺は、これでいいんです」
手元のカップを見つめながら。
「アステ?」
「ソアレの側にいられるなら、このままで…」
「しかし、いつもソアレのお守りでは、疲れるだろう? 少しは自分の時間が欲しくはないか? お前もやりたい事があるだろう。望むならたまには暇を与えても──」
すると、アステールは必死の形相になって。
「このままでいさせて下さい!」
「…アステ?」
「ソアレの…側にいたいんです。俺の望みはそれだけです。他には何も要りません…」
レーゲンは押し黙る。
そんなにも、ソアレを思ってくれているのか。
だが──。
「いつまでも…と、言うわけにはいかないぞ? いつかソアレは他の人間を好きになってお前の側から離れるだろう。その時、お前はどうする? 仕事としてなら仕える事は出きるだろうが、心は離れるだろう。…辛くはないか?」
その言葉にアステールは俯いたまま。
「…ソアレが、俺を忘れても、俺は忘れません。ソアレが幸せなら俺は…」
泣き出しそうな声。少し意地悪を言ってしまったと後悔する。
「すまない、アステ。…少しきついことを言った。今のところ、ソアレはお前にベッタリだ。当分、その心配はない」
「いいんです。いつか来ることですから…」
それでも、この少年はソアレを好いていてくれるのだろう。
好いて──か。
いささか、親愛の情にしては行きすぎているきらいもある。
「アステは──、ソアレが好きか?」
その顔を覗き込む様に窺えば、きっとアステールは顔を上げ。
「好きです」
迷いない目でそう返す。
ああ。この子は──。
レーゲンは優しく笑うと。
「ありがとう。そんな風に思ってくれて。…ソアレをこれからも頼む」
「…はい!」
まだ、自身も気づいていないのかも知れない。その思いがどこから来るのか。
気づいたとしても、何ら変わらず、ソアレを大切にするのだろうな。
レーゲンは口許に笑みを浮かべ、この天涯孤独だった少年を見つめた。
+++
「ソアレ、お前、アステが好きか?」
就寝前。自室のベッドに寝転がって本を読んでいると、部屋を訪れたレーゲンが唐突にそう尋ねてきた。
側付のアステールはシャワーを浴びに行っていて、部屋にはいない。
レーゲンが訪れるのは珍しかった。
「好きだよ? てか、何聞いて来るんだよ?」
当たり前の事を尋ねてくるレーゲンに、逆に聞き返す。レーゲンはボソボソと呟く。
「いや、その、ちょっと確認して置きたかっただけ…かな?」
「変なの」
俺は再び本に目を向ける。レーゲンは暫くソアレの勉強机に腰を預けていたが。
「なぁ。ソアレ…。お前、将来大切な奴見つけたら、王子だとか跡継ぎだとか。そんな事に囚われず…、ちゃんと掴んで離すなよ?」
「…何それ? だって、俺、後継ぎだろ? 考えなくていいって、そんなわけ行かないだろ?」
「…まあ、そうなんだが。いつか、そう言う相手が見つかったらの話だ」
「わけわかんねぇ」
「ま、そうだよな…」
レーゲンはポリポリと顎をかく。
そうこうしていれば、自室ですっかり寝仕度を整えたアステールが戻って来た。
アステールは俺の勉強を見たあと、隣の部屋でいつも眠りにつく。
少し前までは一緒に眠りについていたが、流石に中等部に通うようになって、それは控えた方がいいだろうと、アステールから進言があり今に至る。
とは言っても、度々一緒に眠ることはあるのだが。
アステの体温て、心地いいんだよな。
傍らにあるとホッとするのだ。
「どうかされましたか?」
珍しく俺の寝室を訪れたレーゲンに、アステールは首を傾げる。
「ああいや。ちょっと顔を見に来ただけだ。邪魔したな?」
そう言い残して、レーゲンはあたふたと去っていった。
そんなレーゲンの背を見送った後。アステールは俺に目を向け。
「どうかしたのか?」
「ううん。別に…。てか、何か変な事言ってた」
「変とは?」
「…将来、大切な奴が出来たら、王子だとか気にしないで、ちゃんと捕まえとけって。意味わかんねぇ」
「…そうだな」
アステールは何か考えるように押し黙る。
「あとさ。アステのこと、好きかって」
「……」
「勿論、好きだって答えた。…アステも好きだよな? 俺の事…」
一瞬、アステールは言葉を失ったかのようにこちらを見つめていたが。
「…勿論だ」
そう言うと、ベッドサイドに座って俺の頭をくしゃりと撫でた。その口許には笑みが浮かぶ。
「さて。勉強を始めようか?」
「ん。今日の授業で分かんないとこあってさ…」
俺はベッドから飛び起きる と、その弾みでベッドサイドに座っていたアステールがバランスを崩して、こちらに倒れ込んできた。
「…って、ゴメン! アステ──」
覆い被さるアステールに、慌てて顔を上げれば、何故か真剣な眼差しとぶつかって、首をかしげる。
「アステ…?」
一瞬、その口許が苦しげに引き結ばれたが。
「…すまない」
直ぐに身体を起こし、何事もなかった様にベッドから降りると勉強の支度に取りかかる。
「?」
俺はその様子を不審に思いながらも、促されてベッドから準備の整った机の前に座った。
「それで、今日分からなかった所は?」
「えっと、ここ…」
分からなかった数式を指し示すと、アステールは直ぐに反応して。
「これはこの式を使えばいい──」
いつものアステールだ。
先程の様子を不思議に思いながらも、目の前の課題に取り組んだ。
+++
レーゲン様は気づいている。俺の、ソアレに対する思いに。
だからソアレにあんな問いかけをし、言葉を残したのだ。
でも、それではレーゲン様は、俺の思いを見逃してくれたのか?
ソアレに大切なものを手放すなと告げて。
けれど、今は好いてくれていても、先はわからない。それに、ソアレの好きは、俺のそれとは重ならない。
俺の好きは──。
先程、自分の下になったソアレに邪な思いを抱いた。
キスしたいと、そう思った。抱きしめて、腕の中に閉じ込めてしまいたいと。
気づいたこの思いを、ソアレに告白することは出来ない。その代わり、この身に代えても守ってみせる。
例え、ソアレが誰かを愛したとしても。
それが俺の思いの表し方だ。
レーゲンの思いがどこにあろうとも関係ない。
手に入れた大切な存在を、生涯をかけて守ると心に誓うアステールだった。
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